学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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92:それぞれの行く先を案じて

 

 

 

 リギルのチームルームに届けられていた木箱は、エアグルーヴに宛てられたものであった。

 

 エアグルーヴは自主的な朝の練習のためにチームルームに赴いた際、それが届けられていたことを認識していた。しかしながら、それをすぐに開けるようなことはしなかった。

 

 その日の授業とトレーニングを淡々とこなし、生徒会室での執務を行った。日課である花壇の手入れや水やりを行う間も、その木箱はチームルームに置かれたままであった。

 

 エアグルーヴはその木箱を手に取ったのは、その日に自らに課したスケジュールをすべて消化したのち、寮へ帰る道すがらにチームルームに立ち寄ったときであった。

 

 誰もおらず、明かりもつけていない、窓から月明かりが差し込むだけの、薄暗いチームルーム。

 

 そこでひとり、隅に置かれていた木箱を手に取った瞬間、自らの気分が高揚するのを感じた。

 

 この高揚感はその昔に体験したことがある、とエアグルーヴは思った。

 

 しばし自己の内部を思い返し、その昔の体験に思い至る。 

 

 それは自らが幼き頃、両親に連れられて玩具屋で欲しいおもちゃを買ってもらい、持ち帰るときのような言い知れぬ満足感と早く開封したいという焦りにも似た気持ちがないまぜになった高揚感。

 彼女が感じていたのはそれと同じ気持ちだった。

 

 まさか幼き頃の高揚感をこのような形で思い出すことになるとは、とこみ上げる微苦笑を抑えきれずにいる。

 

 しかし一方でそれほどまでに待ち焦がれていたことは事実であった。そしてそれを造ったヒトが、それほどまでに思慕の念を募らせる相手であることも再確認させられる。

 

 薄暗い空間でひとり、その高揚感に酔いしれる。

 木箱そのものが愛おしく、エアグルーヴはほっそりとした指で木箱を撫でていた。

 

 当初の彼女の予定では、この木箱を部屋に持ち帰ってからゆっくりと開封しようと思っていた。

 しかし同室のファインモーションに指摘されるくらいには、表情が緩んでしまうであろうことは予想された。

 

 結局彼女は予定を変更し、この場で開けてしまうことにした。

 

 

 

 緩衝材に指を差し入れると、ひんやりとした感触が彼女の脳に伝わってくる。

 それは待ち望んだ感触であり、甘く脳を痺れさせた。

 

 埋もれていたものを慎重に取り出すと、月明かりに照らされた蹄鉄は鈍い光を返してきた。

 

 見てみれば、宝塚記念のために造ってもらった既製品の改造蹄鉄をモチーフに、さらにブラッシュアップされた叩きだしの一品物であることがわかった。

 

 レースの中盤から伸びていく彼女自身の脚質を具現化するようなデザインといえる。

 スピードに乗ってから粘り強く、さらに加速していくために地面を捉え続けられるよう、接地面が瞬間的なグリップを確実に得られるように細工が施してある。

 

 そして全体の体積のわりには少し重めで、強度と耐久性を高めた構造であることも感じられた。

 

 装蹄師の男が彼女の走りを考えて、その理想を越えていけるように拵えられた一品であることがよく伝わってくる。

 

 エアグルーヴは月明かりの中で、その蹄鉄を触覚で感じ入るように指先で艶めかしくなぞっていく。自らの顔が熱く上気しているのがわかったが、指先は蹄鉄の感触を求めて不随意に表面を撫でまわしていた。

 

 陶然とそれを繰り返すうち、本来は滑らかなはずの側面で、繊細な触感が伝わってくることに気が付いた。

 

 エアグルーヴは指を止め、月明かりにかざしてよく観察する。

 

 指が感触を感じたそこには、美術品かと見紛うばかりの花の装飾が彫り込まれていた。

 

 それを認識した瞬間、自らの感情を制御する間もなく目頭が熱くなり、溢れ出る涙は最早止めようもなかった。

 

「…たわけ…が…」

 

 思わず蹄鉄を握りしめ、エアグルーヴはひとり、肩を震わせる。

 

「…っ…これでは…使えない…だろう…が…」

 

 いったいこれほどのものを仕上げるのにどれだけ時間がかかったのだろうか。

 

 繊細なタッチでこまやかに、見事に彫りこまれた花はガーベラであった。

 

 エアグルーヴは胸の内で、ガーベラの花言葉を唱える。

 

「常に前進」 「希望」

 

 エアグルーヴは蹄鉄に込められた装蹄師の男のメッセージを誤解なく受け取った。

 そして一人で心行くまで涙を流した。

 

 ひとしきり泣いたあと、エアグルーヴはその腫れぼったい瞳で、再び月を見上げる。

 

 この月は、装蹄師の男にも見えているだろうか。

 

 エアグルーヴはその蹄鉄を胸に抱き、静かに、しかし激しく燃えさかる闘志を自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンボリルドルフの手元にも、木箱が届いた。

 

 発送元は名の知れた蹄鉄メーカーであるが、これまでのサイレンススズカやアグネスタキオンの話から、これが装蹄師の男からのものであるということは到着時に気が付いていた。

 

 ルドルフは生徒会室でひとりでいるときにたづなさんが届けてくれたそれを受け取ると、そのままカバンにそれを仕舞い込んだ。

 

 本音のところでは、今すぐにでも開けたいという気持ちではあった。

 

 すでに装蹄師の男が姿を消してから1か月が過ぎている。

 

 待ち焦がれていたことは事実だが、実際のところは渇望感にすでに慣れてもいた。

 そして待たされたが故に、自分のところに兄からのものが来たら、プライベートな時間にゆっくりと向き合って開けたいと考えていた。

 

 カバンの中に待ち望んでいたものがあると思うと、逸る気持ちを抑えるのにも苦労した。

 しかしその状況で取り組む生徒会長としての執務は、いつもよりも冴えわたるような感覚でもあった。

 それが逆説的に、装蹄師の男からの待ちわびた便りへの期待感を証明していた。

 

 

 

 その日の執務がすべて終わり、エアグルーヴも生徒会室を辞去したのちのこと。

 誰もいない生徒会室は、その夜に限ってひどく広く感じられた。

 

 片付けられた机の上は広く、木箱を開梱するにはなんの支障もなかった。

 

 シンボリルドルフは傍らに置かれていたカバンから、改めて木箱を取り出した。

 

 それを目の前にして瞳を瞑り、数度、深呼吸をする。

 

 そっと手を添え、丁寧に開梱した。

 

 緩衝材の中から現れた蹄鉄は、見たことのない形状をしていた。

 

 ゆっくりと手に取る。

 

 それは、これまでに手にした蹄鉄のどれよりも圧倒的に軽かった。

 

 装蹄師の男が手ずから打った蹄鉄であることは残された槌痕から理解できた。そうして形作られた蹄鉄から、トラス構造を作り上げるように規則的にくりぬかれ、骨組みのようになった蹄鉄であった。

 

 もちろん装着できるようになっているし、見た目ほど華奢でないこともわかる。

 しかしその蹄鉄は、あきらかにレース用ではなかった。

 

 シンボリルドルフは、この前衛的ですらある蹄鉄の真意を測りかねた。

 

 見れば見るほど不思議な雰囲気を醸し出しているこの蹄鉄をじっと、時間を忘れて眺めていた。

 

 彼女のスマホが着信を告げたのはその頃合いだった。

 

 発信元は非通知と表示されている。

 

 いつもならばそのようなコールには出ないが、その時ばかりは不思議な蹄鉄を目の前にしていたためか、なにかの答えを求めるように応答をタップしてしまった。

 

「もしもし…」

 

 自らの声が誰もいない生徒会室に響き渡るようだ。

 

「…ルナ、か?」

 

 スマホから聞こえてきたのは、夢に見るほどに渇望していた、装蹄師の男の声、そのように聞こえた。

 

「…兄さん、なのか…?」

 

 驚きと喜びが同時に押し寄せる。

 自分でも理解しがたい感覚に支配されながら出せた言葉は、まずは信じられないことを信じたいと思って言わせた問いだった。

 

「あぁ。元気にしてるか?」

 

「元気に…なったよ。今、ね。兄さんは元気にしてるのかい?」

 

 未だに信じられない。

 後輩氏の話では、連絡を取ることは叶わない、という話だったような気がする。しかし今、ルドルフは今、夢にまで見た装蹄師の男と通話をしていた。いや、もしかするとこれ自体が夢なのかも、とも思う。

 目の前にある奇妙な蹄鉄もまた、現実離れした感覚をルドルフに抱かせていた。

 

「お陰様で健康的な毎日を送っているよ。まぁ学園に居る頃のような刺激はないけどね…そろそろ蹄鉄が手元に届いたころかと思って」

 

 そういう装蹄師の男の声は、どこか気恥ずかしそうに聞こえる。

 

「あぁ、ちょうどいま、開梱していたところだ。なんというか…芸術品のような蹄鉄だな、これは」

 

 前衛的、と言わずに抑えたシンボリルドルフはかろうじて理性を保っていた。

 

「…まぁ、奇妙な出来だろう。だから、趣旨を説明しないといけないとは思ってね。ホントは不味いんだが、連絡させてもらった」

 

 ルドルフは装蹄師の男の声が耳に心地よく、先を促した。

 

「…俺がルナに願うのは、皇帝の名を恣にした君が競うだけでなく、永く、いつまでも気持ちよく走っていられるように、だ。だから蹄鉄も、軽快に、速く、より遠くへ走れるように造った。ただ硬いだけじゃない、適度な剛性感と軽さ、そしてバランスの精緻さで一体感と爽快感を追求したランニング用の蹄鉄だ」

 

 装蹄師の男の言葉に、ルドルフは胸が詰まったような感覚を覚える。

 

 ある夜に装蹄師の男に進路相談をしたことが、遠い昔のように感じられる。

 あれから半年ほどしか経っていないはずなのに、兄は触れることのできないところに行ってしまい、ルドルフ自身もまた、競技者としての終焉に近づいていることを実感していた。

 

 装蹄師の男自身が居場所を追われてもなお、あの夜に示してくれたルドルフ自身の幸せを願って、この奇妙な蹄鉄を贈ってくれた。

 

 

「まぁ…見た目が多少奇抜なことは目を瞑ってもらって、一度試してもらえると嬉しいよ…ルナ、聞いてる?」

 

「…あぁ…聞いているとも。兄さんの心遣いが嬉しくて、胸がいっぱいでね…」

 

 電話の向こうで息を吸い込む声が聞こえる。

 おそらくまた、煙草でも吸っているのだろう。

 

「…いつか兄さんが言ってくれた、私自身の幸せ、か…それを見つけるためには、まずは兄さんの居場所を突き留めないといけないな」

 

 ルドルフは悪戯っぽく笑いながら、冗談のように口にする。    

 

「まぁ今はそっとしておいてくれ。時期が来て、それでもルナが俺の居場所を知りたがれば、後輩がつなぐはずだ。あいつ、ルナに凄まれたって泣いてたぞ」

 

 笑いながら装蹄師の男は言った。

 

「あれは…後輩氏の名演もなかなかのものだったよ。軽くエチュードのように合わせるつもりが、興が乗ってしまっただけさ」

 

 本当は後輩の態度を演技と見抜き切れずに皇帝 シンボリルドルフが降臨してしまっていたのだが、さすがにそうも言えず苦しい言い訳をしてしまう。

 

「まぁあいつもあいつなりに良くしてくれてる。だからまぁ、大事にしてやってくれ」

 

 ルドルフはあぁ、と応答する。

 それじゃ、怪我には気をつけてな、という言葉をしおに、通話は一方的に切れた。

 

 

 ルドルフは切れてしまったスマホを机の上に置くと、蹄鉄を握り締めてじっと目を瞑った。

 

 久しぶりの装蹄師の男の声を聴いて、鼓動が速くなっている心臓とは逆に、心の中は不思議な安堵感に満ちている。

 

 瞳を瞑ったまましばらくその余韻に酔いしれたのち、シンボリルドルフは蹄鉄にそっと唇をつけた。

 

 

 

 

 

 

 装蹄師の男は部屋に差しこむ朝陽で目覚める。

 

 その日も、いつもと同じであった。

 

 およそ時間という概念をあまり気にする必要のない山奥の気侭な自営業といった風の生活を続けていた結果、自然とそのような生活リズムになってしまっていた。

 

 そういえば今日は後輩がくるという連絡があったな、と思い出し、起き出して身支度を整える。

 

 身支度と言っても誰と接することもない山奥の生活であるから、小綺麗にはしているのもの無精ひげも伸びておよそ仙人のような風体になりつつあった。

 

 朝食を摂って食後の一服を関東平野を眺めながら優雅にキメていると、さっそく工房の外から声がした。

 

「せんぱーい、きましたよー」

 

 いつもの運転手の若者を伴って、時代錯誤な大型セダンが工房のシャッターを開けて入ってきた。

 

「おはようございます。早速ですけど、例のモノできてます?」

 

 後輩は早朝だというのにビシッとスーツを着込んで隙が無い。いや、いつもと変わらぬチャラい態度が隙といえば隙なのかもしれない。

 

「あぁ。出来てるよ」

 

 工房の隅の作業机を顎で示す。

 後輩から頼まれた試作品の蹄鉄数セットが箱に収められていた。

  

 どこぞの蹄鉄メーカーからの依頼だという試作品製作は、いくつかの前提条件とデザイン制約のもとで性能目標が設定されており、それを満たす試作品を求められていた。

 

「いやー助かるっス。URAの装蹄所に蹄鉄メーカー買って潜り込ませたまでは良かったんスけどね。あんまり表に出ると目立っちゃうんで、しばらくはOEMとか試作の仕事で裏方に回って、あちこちに恩売ってるとこなんスよ」

 

 以前の後輩の説明によれば、装蹄師の男が所属している蹄鉄メーカーは歴史こそあるものの有名であったわけではなく、URAの装蹄所にその蹄鉄メーカーが入ってくるということになって、何故この零細が入れたのか、というのはちょっとした話題になったらしい。

 

 敏感にその風向きを察知した後輩は、装蹄師の男からの蹄鉄を供給されるウマ娘たちに対して、直接の供給は諦め、大手の蹄鉄メーカー各社に帳合を付けて経由させ、供給する方式を取った。

 

 大手の蹄鉄メーカーにしてみれば一流のウマ娘に自分たちが蹄鉄を供給しているという実績になり、後輩としても他メーカーに恩が売れ、そして今のような継続的な仕事にもつながるという仕組みを短期間で作り上げたのだった。

 

 

「あぁ、そういえば、工房の入り口にこんなもんが置いてあったんスけど…なんか知ってます?」

 

 後輩の男は運転手に指示すると、なにかを装蹄師の男の許に持ってきた。

 

「あぁん…?」

 

 目の前に来たものは、竹ざるに山と盛られた真鯛の干物であった。

 

「…お前…これ…」

 

 装蹄師の男は口をぱくぱくさせる。

 

「え、どうしたんスか?」

 

「…こないだお前に託したゴールドシップの蹄鉄、もうあいつに届いてるんだよな?」

 

「あぁ、はい。おそらく一昨日くらいには手元に行ってるハズですよ。ゴールドシップさん割り振ったメーカーの担当者、すげービビッてたっスけど」

 

「…ったく、あいつ…傘地蔵じゃねえんだから…おい、ゴールドシップにここバレてんぞ」

 

「え。どうして…どうしてそれわかるんスか?」 

 

 後輩は青ざめる。 

 

「俺、あいつに海の磯遊び用の蹄鉄のグレードアップ版送ったんだよ…こんなことすんの、アイツしか考えらんねぇだろ…」 

 

 ま、あいつのことだからバラしたり喋ったりはしねーだろーけどな、と装蹄師の男は付け加えた。

 

「お前、ここバレたら困るんだから、気を付けろよー。後ろ付けられてたり…な」

 

 冗談の口調でそう話す装蹄師の男の言葉を聞いて、後輩はこの冷えた工房の中だというのに額に汗を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 




・というわけで平常運転で101本目です。
 皆さま100本のお祝いのお言葉などいただきまして、ありがとうございました。
 ここまでやってこられたのはひとえに皆様のご支援の賜物です。本当にありがとうございます。
 今後ともよろしくお願いいたします。

・ルナさんの進路相談に乗った回はもう、随分昔になってしまいました…
https://syosetu.org/novel/260592/7.html
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