学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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96:元 学園お抱え装蹄師の日常

 

 

 

 

 装蹄師の男は週末を迎える金曜日、早めに仕事を切り上げることがある。

 

 その日も、前日から業務を詰め気味に調整し、午前のうちに出荷するべきものを仕上げ、ワンボックスに積み込んで山を下り、いつもの宅配便の営業所に持ち込んでしまう。

 

 そしてそのまま、スーパーに買い物に出かける。

 

 時々ふらりと現れては、一人暮らしにしてはどうかと思われるような量を買い込む客として店ではちょっとした有名人だったりする。もちろん本人はそんなことを知る由もない。

 

 山奥の工房に戻り、食材を整理する。必要に応じて買い替えていった冷蔵庫は段々と大きくなり、最終的には業務用サイズに達していた。

 

 今日は久しぶりにここに顔を出す者もいることだし、とみんなでバーベキューでもするつもりで買い込んだ食材は、健啖家たる今日のメンバーを考えて買い込んだ結果、業務用サイズの冷蔵庫でも収まりきらぬ有様だった。

 

 メンバーが集まればすぐにでも始められるように、装蹄師の男は火や飲み物の準備、食材の下ごしらえなどを進めていく。

 

 それは学園お抱え装蹄師の職を辞して3年を経た彼の週末の日常、その一断面であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほらー、早くしないと置いてっちゃうっスよー」 

 

 後輩はトレセン学園の裏口に横付けした高級ミニバンの脇で煙草を吹かしていた。

 

「なぁ~もう置いてっちゃおーぜー。そしたらいつもより人数少なく楽しめるだろー」

 

「それはいいアイデアだねぇ。もっとも、彼女たちのことだから…別の手段で追いついてくるだろうが」

 

 先に車内に納まっているゴールドシップとアグネスタキオンは口々に好きなことを宣っている。

 生徒会の仕事に追われ気味のシンボリルドルフとエアグルーヴは、集合時間5分前を切っているが未だに姿を現さない。

 

「まぁまぁ。彼女たちもいろいろ忙しいんスから…もうちょっとだけ、待つっスよ」

 

 先ほどは急かしていた後輩が手のひらをぐるんぐるんさせながらゴールドシップたちをなだめる。焦れているのも本心だったが、彼自身、過去にシンボリルドルフに凄まれたときの迫力を忘れてはいない。

 

 

 

 

 サイレンススズカの件に端を発し、装蹄師の男が学園を去ってから3年の月日が流れていた。

 

 その間、URAの背任事件の発覚があり、それにともなうURAの体制再構築など、ウマ娘レース界を取り巻く状況はがらりと変化した。

 

 自身が仕掛けたこととはいえ、良いことばかりだったわけではない。それなりの代償を支払う事にもなった。主に彼の父親が、だったが。

 

 しかし彼の父親は喜んでそれを支払い、形式的に彼を叱りはしたものの、言葉とは裏腹に、彼への支援を強化すらしてくれた。それはまるで、この世間の荒波を切り裂いて進むための先人の知恵を一子相伝の秘術として彼に遺そうとしているかのようだった。

 

 結果、背任事件のドタバタをうまく利用した後輩の男はURA内部にさらに食い込み、樫本理子の立場はさらに強化され、装蹄師の男を葬った理事会は空中分解させるに至った。

 

 月刊トゥインクルに掴ませたネタを不発にさせるのはいくらか苦労したが、それも新たに月刊トゥインクルを中心としたメディア主導のレースシリーズを企画、開催するという建設的な方向の提案に巻き込んでいくことで、彼らは矛を収めてくれた。

 

 結局のところ彼らはネタやゴシップが欲しいわけではなく、立場や関わり方は違えど装蹄師の男や樫本理子、シンボリルドルフやエアグルーヴたちと同じく、ウマ娘たちの幸せを願う同志であったことが、このような解決策を導くことができた要因だ。

 

 幸いにしてその新たな取り組みも好評であり、新生なったURAの基盤を将来的にさらに強固なものにしていくことに貢献してくれるだろう。

 

 

 

 

「遅くなって済まない。来期のトゥインクルスタークライマックスの打ち合わせで、押してしまった」

 

 物思いに耽っていた後輩に声をかけたのは、いつのまにかそばにやってきていたシンボリルドルフとエアグルーヴだ。

 

「待ってたっスよ。さあ乗って乗って」

 

 後輩は二人を笑顔で迎え、乗車を促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 装蹄師の男は下準備を終えてしまうと、手持無沙汰となった。

 なんの気無しに、工房内をぼんやりと眺める。

 

 3年前、ここに来たときは片隅にある鍛冶道具類以外はがらんとしていて、体育館のような空間だった工房。

 そのうちに、後輩が取ってくる蹄鉄の開発案件などをこなしていくことも多くなり、それにともなって機材や設備が増えている。

 

 試作品製作のためのCADシステムや3Dプリンターを導入し、近年の開発案件の複雑化や蹄鉄以外の加工品の依頼もあり、今ではフライス盤やマシニングセンタまでも設備として有するようになっていた。

 

 また、最近では異素材での蹄鉄開発にも取り組んでおり、カーボン素材を切り出すためのカッティングプロッターや、それを焼くための小規模なオートクレーブも導入している。

 

 それでも余っているスペースは自由にしていいと言われた結果、仕事とも趣味ともつかないあれやこれやでモノが増えていた。

 

 後輩が持ち込んできたエンジンやミッションなどのクルマのパーツも一角に積まれていたし、クルマの整備機材もそこらの街の整備工場以上のものが揃えられている。

 そのそばには後輩がどこからか掠め取ってきた中古のGT300マシンがジャッキスタンドであげられており、装蹄師の男が暇を見つけてはオーバーホール作業をしていた。

 

 奥の装蹄師の男の部屋があるプレハブも来た時よりも規模を拡大している。いくつかのモジュールが追加されて装蹄師の男の住環境にいくつかの部屋が追加されていたし、いつのまにか2階が増設されて宿泊客が来ても良いように整えられていた。

 

 この3年間、外の世界の変化とはまた別の変化が、この工房内でも起きていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「それでは、皆様のトゥインクルスタークライマックスの健闘を祝して!乾杯っス!」

 

 後輩が調子よく音頭を取って、バーベキュースタイルの宴会が始まった。

 

 集まったのは後輩が連れてきたシンボリルドルフ、エアグルーヴ、ゴールドシップ、アグネスタキオン、そして遅れてあと数人、ここに来るはずだった。

 

 

 

「おーいおっちゃん、持ってきた干物も焼いていいか?」

 

「おー好きにしろ。ちょっと火力強いかもしんないから気をつけてな」

 

「今日の為に昨日から仕込んでた一夜干しだぜ~ゴルシちゃんがしっかり仕上げてやるから楽しみにしてろよな!」

 

 

 装蹄師の男を追いやったURA理事会が崩壊してからしばらくの後、様子を見つつ後輩の男が慎重に情勢を見極め、最終的にウマ娘たちの要望を聞き入れてこの工房の存在を明かした。

 

 

 

「先生、頼んでおいた試作品のパーツはできているかな?」

 

「あぁ、バイオメタルのあれか…一応作ってはみたけどな、タキオンの設計意図通りにはなかなか動かんぞ…。あそこに置いてあるから動かしてみ」

 

 

 

 それからというもの、ここは彼女たちの溜まり場のような場所になりつつある。

 

 彼女たちもレースやトレーニングがあるため、装蹄師の男が学園に居た時ほど頻度が高いというわけではなかったが、入れ替わり立ち替わり誰かがこの工房を訪れており、装蹄師の男が一人で週末を過ごすということはあまりない。

 

 尤も、彼女たちの立場の変化もそれを可能にしている。

 

 ゴールドシップは気まぐれにレースに出ては場をかき回し、神出鬼没の存在としてトゥインクルシリーズをまだまだ盛り上げるつもりでいるようだ。スピカの良いムードメーカーであり、時に冴える精神的な支柱として沖野の片腕となりつつある。

 

 アグネスタキオンはメイクデビューからG3、G2弥生賞と順当に勝ち進み、皐月賞もあっさりと勝ったところで一旦研究に専念という名の休養に入った。

 それまでのトレーニングとレースで収集したデータから約1年の時間をかけて自らのガラスの脚に向き合い、改善を施したのち、シニア級でもレースに出れば鮮烈な勝ちをもぎ取るという戦いぶりをみせている。今ではウマ娘版の「走る実験室」という異名まで得て、特異なファン層を形成しているとかなんとか。

 

 

 

「先生、相変わらずタキオンに変なものを造らされているのか…たまには、こちらの相談に乗って欲しいものだが…」

 

 そうぼやき調子で話しかけてきたのはエアグルーヴだ。

 

「あぁん…?こんな仙人みたいなオッサンになんの相談だ?いいぞいつでも聞いてやるぞ。でもまぁエアグルーヴの抱くような悩みなら、アイツの方が適任じゃねえか?」

 

 装蹄師の男は後輩のほうを顎でしゃくって示した。

 

 エアグルーヴ自身もそれは薄々感じていたが、それでも頬をやや赤らめ、目をそらしながら粘る。

 

「…たまには私の話を聞いてくれてもバチは当たらないだろうが…たわけ…」

 

 装蹄師の男は、ん、と煙草を銜えたまま、エアグルーヴの頭をくしゃりと撫でてやった。

 

 

 エアグルーヴは今年一年を挑戦の年とし、来年早々のトゥインクルスタークライマックスへの参戦を表明している。本人曰く、自らの競技生活の集大成の一年としたい、とのことだ。

 

 そしてその意向は、エアグルーヴの良き手本であり師と言えるシンボリルドルフの動向が影響している。

 

 

 

「兄さん、ちょっといいかな…」

 

 後輩が焼きあがった肉を皆に分配している光景を、少し離れたところで煙草の煙を燻らせながら眺めていた装蹄師の男に、シンボリルドルフから声がかかる。

 

「ん、なんだ?」

 

 彼女に煙が向かわないように配慮しながら、装蹄師の男は応じる。

 

「卒業後の進路を、決めたんだ」

 

 ルドルフは意を決したように告げる。

 

 シンボリルドルフは今年初開催のトゥインクルスタークライマックスの初代王者を獲ったのち、トゥインクルシリーズからの引退を表明していた。

 

「卒業後はURAに、いち職員として改めて入ろうと思う」

 

 装蹄師の男はルドルフの意外な進路に、片眉をあげる。

 

「ほう。そりゃまた、殊勝な」

 

 シンボリルドルフはその言葉を意に介さず、眼下に暮れゆく関東平野を眺めながら続けた。

 

「私も、兄さんや後輩氏、樫本室長のように、皆を護れる大人になりたい、と思ってね」

 

 ここ3年の様々な出来事が、彼女に影響を与えたことは間違いない。

 そして彼女は、我々大人たちが決して清廉潔白ではないことも知っている。

 

「私がなりたい大人たちと近い立場で、同じ苦労を共有し、経験したいんだ。これまでの学生として、競技者としての立場ではなく、一兵卒の職員として」

 

 それは無理だろうな、と装蹄師の男は思う。

 なにせ、シンボリルドルフは皇帝と呼ばれる、生ける伝説といえる存在だ。

 今更一兵卒で、という扱いを周囲もできないだろう。

 

「もちろん、私が歩もうとする進路では、今の名声が邪魔をすることもあるだろう。だが、そうであるからこそ、本当の大人になるためには必要なことだと思ったんだ」

 

 装蹄師の男の思考を察したようにルドルフは言った。

 

 ルドルフらしい考え方といえる。

 万端怠りなく、着実に歩んでいくために。

 彼女の夢を叶えるためには必要なことだと、積み上げて到達したい彼女が描く高みのための土台を造るのだと、彼女はそう言っていた。

 

「…いいんじゃないか?まぁ綺麗ごとばかりじゃないし、幻滅することもあるだろうがね」

 

 ルドルフは覚悟を決めた瞳のまま、くすりと笑う。

 

「で、兄さんに改めて相談なんだが…」

 

「…?」

 

 装蹄師の男は急に声の小さくなったルドルフの声を聞き取ろうと、耳を差し出して近づく。

 

 ルドルフは顔をやや赤らめ、耳をややへにゃりとさせながら、小さな声で囁いた。

 

「トレセン学園を卒業することだし…その…私も、ここに住んでよいだろうか」

 

 男はその姿勢で固まり、やや間があって吸い込んでいた煙草を咽るように咳込みながら吐きだした。

 

「URAの仕事をするなら…ここでは不便というか通勤できないだろ…そうだな…まぁ別荘くらいの扱いにしておけ…」

 

 装蹄師の男の回答に、ルナモードのシンボリルドルフはやや不満そうな表情を浮かべながらも、それでもなんとか納得してくれたようだった。

 

 

「抜け駆けとは貴方らしくないわね、ルドルフ」

 

 密談を交わしていた二人に冷や水をぶっかけるような声音で存在をアピールしたのは、東条ハナだ。仕事終わりに自ら運転してやってくる予定になっていた。

 

「お、着いたか。まぁ食え。まぁ飲め」

 

 装蹄師の男は手慣れた様子でクーラーボックスから缶ビールを開けてやり、差し出す。

 

「やぁ、おハナさん。抜け駆けとは人聞きが悪いな…兄さんはほっとくと食生活が怪しいから、これを機に健康にも気遣ってもらおうと思っただけだよ。まぁ、独占力が私の得意スキルであることは否定しないが」

 

 東条ハナが不機嫌そうに缶ビールを呷っているところに、ルドルフは雄弁に反対論の陣を張った。東条ハナの耳には装蹄師の男の手になる蹄鉄のピアスが鋭い光を放っている。

 

「なら私もトレセン学園を辞めて、ここでフリーのトレーナーとして開業しようかしら。幸いコイツの作った林道コースもあることだし、トレーニング環境としては申し分ないわ」

 

 最初から全開の、大人の余裕が感じられぬ東条ハナの張り合い方にはルドルフも既に慣れたものだ。

 

 3年前に装蹄師の男が忽然と姿を消した時の東条ハナの落ち込みようと言ったら、今にして思えば目も当てられない落胆ぶりであった。

 

 そこから立ち直り、その後に装蹄師の男の居場所が分かって以降、彼女は昔のように自分の気持ちを隠し、偽るようなことはしなくなっていた。

 

「ふむ…それなら私はURAから出向してそこの常駐職員となればここに定住することも可能になるな…」

 

 ルドルフは東条ハナに調子を合わせて、さらに乗っかってくる。

 

「それなんてチームリギル…?みんなしてちびっ子理事長とたづなさんが泣いちゃうようなこと考えてちゃダメよ…」

 

 装蹄師の男は思わず呟いた。

 

 

 一通り食事も飲み物も行き渡り、ゴールドシップの干物に舌鼓を打ちつつのんびりとした時間が流れ始めた頃、1台のシルバーのミニバンが入ってくる。

 

「おーっす。遅くなってすまん」

 

 現れたのは沖野である。

 

 そして、助手席からはキャップを目深に被った、すらりとした娘が降りてくる。

 

 一瞬、誰だか分らぬ彼女に注目が集まり、不穏な空気が流れかける。

 

 それを打ち破ったのはゴールドシップだった。

 

「スズカ!スズカじゃねーか!」

 

 キャップを目深に被った娘はくすりと笑うと、キャップを脱いでサラリと艶めかしい栗毛の髪を背におろした。

 

 ゴールドシップとエアグルーヴがスズカに駆け寄る。

 

「スズカ!元気だったか!アメリカでの活躍はこっちにも轟いていたぞ!」

 

「なんだよー帰ってくるなら一言言ってくれよー!みずくさいぜ!」

 

 うふふ、と微笑むサイレンススズカの雰囲気は、最後に会った時と変わっていない。

 

「…ようやく、向こうでのレースも区切りがついて…どうしても、会いたくなってしまったものだから」

 

 ゴールドシップとエアグルーヴにそう呟くと、サイレンススズカは少し離れて様子を見守っていた装蹄師の男に歩み寄った。

 

「…ただいま…もどりました」

 

 にこりと微笑む翠色の瞳は、真っ直ぐに装蹄師の男を射抜いていた。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 










 皆さまいつもお読みいただきありがとうございます。
 また前回からだいぶ時間があいてしまいました。申し訳ございません。

 というわけで、本編は今回が最終回となるのかな、と思います。

 初めてこういうものを書いてきたので、締め方が全く分からなくてですね。なんか足りてない気もするのですが、とりあえずかなり初期に設定したゴールイメージにはたどり着くことができました。

 これもひとえに皆様のご支援・ご声援コメントのおかげです。本当にありがとうございます。

 本編は一旦ここが区切りとなりますが、幕間で書いている後世に生きる下っ端研究員くんのお話がまだありますので、あといくつかはここに書いていく予定です。
 気が向いたら(ネタが思いついたら)この物語をベースにいくつかの小話も考えてはいるのですが、今のところ今後は未定です。

 そんなわけで締まったのか締まらないのかいまいち書いている本人はよくわかっていませんが、ここまでついてきてくださり本当にありがとうございました。

 あとちょっとだけ続くお話も、引き続きよろしくお願いいたします。

 
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