下っ端研究員の男はウマ娘総合研究所の訪問に関する報告書を提出した。
求められたわけではなかったが、このような機会を設けてくれたエアグルーヴ理事長へ対する礼儀だと思われたのだ。
アグネスタキオンは、あのあとも滔々と話し続けた。
「…彼の言葉が、この研究所となって結実していると言えば、要約が過ぎるかい?」
その要約の過ぎる言葉の解説を、もてなしに出された紅茶の甘さ同様にカロリーたっぷりに語ってくれた。
しかし彼女の多くの言葉も詰まるところは、彼女のあの所長室に象徴され、集約されていたように思う。
トレセン学園での彼女のさまざまな経験や育まれたやや奇妙な友情、そして研究者としての原体験。
それを彼女なりに生涯を掛けて拡張し続けた結果が、あの研究所である。
そしてその核となり、原動力となる部分には装蹄師の男が居た、ということだ。
アグネスタキオンは装蹄師の男との交流の中で、一人でできることの限界を知った。
装蹄師の男は職人としての分限を知っており、与えられた課題を一人で解決できないのなら誰を頼り、どのようなことをすれば何ができるのかというスタイルで、博物館の片隅に収蔵されていたイクノディクタスのトレーニング用蹄鉄を造り上げたという。その彼の仕事への向き合い方が、孤独に研究を続けてきたアグネスタキオンの姿勢に影響を与えた。
職人としての腕と、本人の無意識なプロデュース能力を目の当たりにし、彼女自身は関係者の一人でありながらもそれを冷静に眺めることが出来たおかげで、彼女は装蹄師の男のスタイルを取込み、消化し、彼女の培ってきた能力と掛け合わせた結果、彼女の研究効率は著しく向上した。
一人ではカバーしきれない領域を、少しずつ信頼できる研究者を仲間として取り込み、プロデュースし、自身の研究と掛け合わせ、さらに拡張していく。それを怠りなく行い続けた。
その結実した姿がウマ娘総合研究所であり、現在も多大なる成果を生み出し続けるイノベーターとしてのアグネスタキオンの姿であった。
一方で、ただ装蹄師の男から仕事の在り方を学んだ、というだけなのかということに関しては、疑問が残る。
これらを嬉々として語るアグネスタキオンの瞳には噂に違わぬ狂気の光があったが、それだけではないように感じられたのだ。
それが何かを見抜くには下っ端研究員の男の経験値は大いに不足していたけれども、純粋な装蹄師の男への敬意だけが彼女を突き動かしたとはとても思われない。
彼女は利に動かされるようなタイプにも見えなかったが、そうであるがゆえに彼女の行動原理はもっとシンプルかつ個人的なものであるように思うのだ。
もちろん、彼女自身の口から語られた、自らの脚の脆さも理由のひとつではあるだろう。
しかし装蹄師の男に敬意とともに向けられた、彼女の口からは語られていない部分の感情もまた、無視できないほどには影響を与えたのではないか。
そんな疑問を書き添えて、エアグルーヴ理事長への報告書は結ばれていた。
◆
誰も居なくなった宵の口、ひとり理事長室で報告書を読んだエアグルーヴは、インタビュー内容とは別にまとめられた下っ端研究員の男の主観を多分に含んだ結びの部分を読んで、愉快そうに口角を上げた。
なかなか鋭いじゃないか、とひとりごちる。
研究員の男をアグネスタキオンの許に送り込んだのは正しかったのだな、と思う。
これまで、アグネスタキオンやサイレンススズカはもとより、シンボリルドルフ、そして自分自身がここまでの栄達を果たしたのは、間違いなく装蹄師の男があってこそだ、と考えていた。
もちろん装蹄師の男の後輩が果たしている役割も小さいものではない。
しかし私たちの中心は常に装蹄師の男、そのヒトであるように思われた。
特に何が目立つわけでもない装蹄師の男に、なぜ我々は惹かれ続けるのであろうか。
トレセン学園を卒業してからこれまでの、競走ウマ娘から退いた後に経過した時間において、異性との交流がなかったわけではない。
周りには見た目が良い男ならそれこそいくらでもいたし、何なら見た目だけでなく中身まで備わっている男もまた、数多といた。
自慢というわけではないが、私のような明らかにとっつきづらいウマ娘に果敢にアタックしてくる男も居なかったわけではない。試しに、とばかりに付き合ったことすらある。もちろん長続きはしなかったが。
結局のところ私だけではなく、他のウマ娘たちもすぐそばに居る縁のありそうな男たちには満足することはなく、装蹄師の男を目指した。
果たしてそれは何故なのか。
あるいは、多感な時期に装蹄師の男に関わってしまったが故の呪いとでも言うべきものなのだろうか。
エアグルーヴ自身、過去に何度も自分に問うていたが、答えが出たことはない。
あるいはこの研究員の男が、その答えにたどり着くのかもしれない。
多分に他力本願であることはエアグルーヴ自身もよく、理解している。
そしてもし、彼が答えにたどり着くのならば、その過程において自分自身に、インタビュー形式の刃が向けられることも覚悟しなければならないだろう。
果たして研究員の男は、我々の胸のうちまでたどり着き、踏み込んでくるだろうか。
踏み込まれた時、私はどう答えるのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、エアグルーヴは無意識に机の引き出しを開ける。
そこには使い込まれた灰皿とシガレットケース、そしてライター。
すこし躊躇いながらもそれを取り出すと、窓際に灰皿を置き、細い指でシガレットケースから一本取り出し、さらに数瞬の躊躇いのあと、火を点ける。
エアグルーヴは時々思い出したように1本だけ嗜む煙草の煙を感じながら、悪癖だとはわかりつつも、今のところはその習慣を改める気にはならないでいた。
短くて恐縮です。
仕事がアホ程忙しいという言い訳もありつつ、そもそも方向性が迷子です笑