学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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(105):幕間15 装蹄師の男の退院

 

 

 

 

 

 シンボリルドルフはその日、久方ぶりのオフであった。

 

 国会議員ともなれば完全な休息日というものはほとんどなく、いつも分刻みのスケジュールを強いられる日々である。

 

 しかしこの日は無理を言って一日をこじ開けてあった。

 

 もっとも、一般的な国会議員であってもゴルフに興じたりする日があったりするわけで、スケジュールが常に詰まっているのはシンボリルドルフが仕事人間であること、また他の議員に比べて名声が異常に高いが故のことではある。

 

 この歳になっても寝起きはよくないシンボリルドルフだったが、この日ばかりは目覚まし時計を頼りに正確に目を覚ます。

 

 服は普段よりもカジュアルだが、その分さりげなく彩りを取り入れ、華美にならぬ程度に華やかなものを悩んだ末に選び抜き、念入りに身支度を整える。

 

 姿見で全身をチェックし、自分が思い描いた姿であることを確認し、ほっと一息ついたところでインターホンが鳴った。

 

 シンボリルドルフは鳴らした相手が誰であるかを確認はせず、昨夜のうちの買い求めておいた花束を手に、玄関を出た。

 

 

 門の前にはエアグルーヴが同じようにカジュアルだが魅力的な出で立ちで自身の愛車の横に佇んでおり、歩み寄ってくるルドルフを認めると恭しく頭を下げた。

 

 

 

 

 

「退院おめでとう、兄さん」

 

 シンボリルドルフとエアグルーヴが連れ立って訪れた先は、装蹄師の男が入院している病院だった。

 

「ただの検査入院だってのに大げさな…でも、ありがとう」

 

 入院している病室で花束を受け取る装蹄師の男は照れたように顔をゆがめる。それが笑い顔だというのはそれなりの付き合いがなければ解することは難しい。

 

「外に出たらしたいことはあるかい?」

 

 ルドルフはつとめて明るく、そう問いかける。

 

「んー…まずは煙草が吸いてえ。ま、その前に医者に検査結果を聞かなきゃ帰るに帰れねえんだが」

 

 装蹄師の男は折よく現れた看護師がルドルフとエアグルーヴの姿を認めて驚いているところを、唇に指を一本立てて宥めた。

 

「禁煙する気はないんだな、先生は」

 

 エアグルーヴの言葉にも男は力なく首を振る。

 

「俺ぁ意思が強いんでね」

 

 不敵に笑う男を目に、ルドルフとエアグルーヴは溜息をついた。

 

「…寿命と引き換えだとしたら、どうします?」

 

 そう言って会話に入ってきたのは看護師に続いて入室した医師であった。

 

「煙草で死ぬんだとしたら…そこが俺の寿命でしょうねぇ」

 

 人を食ったような男の言葉に、壮年の医師はルドルフとエアグルーヴに倣ったかのように、溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

「…まぁ医者としては喫煙は止めたいところなんですが、どういうわけか心肺は元気なんですよね…」

 

 一旦病室を出ようとしたシンボリルドルフとエアグルーヴを男は「こいつらは身内だから構わない」と言い、病室に留めたところで、医師が話し出した。

 

「ただ、肝臓、腎臓あたりはあまりよくありませんね。お酒を吞まれないのにこの数値はちょっと…」

 

 検査入院することになったのは、ここのところ男の立ち眩みが多くなったことに端を発する。

 

 顔色も良くない日々が続いていて、目にも濁りがみられることからいよいよ体調を心配されることが多くなり、後輩の手筈によって1週間の検査入院と相成った。

 

「この状況だと、全身の倦怠感とかがあったんではないですか?」

 

 医師の言葉に装蹄師の男が苦笑する。

 

「生憎鈍くて。骨折も自覚が無いくらいなもんでして」

 

「…まぁ日常生活で何ができるという性質のものでもないのですが、規則正しい生活と節制された食事、でしょうかね。経過はこれからも通っていただいて記録をつけていくしかありません。あまりにも数値が悪くなるようなら、人工透析も検討しなければならなくなります」

 

 装蹄師の男は確かに、入院中検査のために透析を受けたところ、一時的に日々感じていた疲労感が抜け、体調がよくなった自覚があった。

    

「その…腎臓はそんなに悪いんでしょうか」

 

 ルドルフが遠慮がちに質問をする。

 

 医師は相手が現職の国会議員かつ伝説のウマ娘であることは理解しつつも、それを態度に出すことなく答える。

 

「普通の人間の半分程度しか機能していない、と説明すればイメージしていただきやすいかと思いますね」

 

 それを聞いてエアグルーヴの表情はやや青ざめる。

 

「…なんて顔してんだ。老化だよ老化。おまえらもじきにそうなるんだ。覚悟しとけよ」

 

 彼女たちの我がことのように心配する顔色を見て、装蹄師の男は苦笑いしかできなかった。 

 

 

 

 

 

 

「で、退院出迎えはありがたいが、どうしたんだ、お忙しい二人が雁首揃えて」

 

 道中で軽い昼食を摂り、昨日のうちにエアグルーヴに完璧に掃除された男の部屋に戻った3人は、食後のコーヒーを楽しんでいた。

 

「そろそろいいかな、と思ってね」

 

 そう言うとシンボリルドルフはエアグルーヴに視線をやり、それに応えてエアグルーヴが書類を取り出す。

 

「…これは…例の報告書の束か」

 

 装蹄師の男は煙草に火を着けながら流し見る。既にエアグルーヴから送られてきていて目にしたものもあったが、初めて見るものもあるようだった。

 

「この執筆者に私も一度、会っているが…いい目をした若者だよ」

 

 シンボリルドルフがそう言うと、エアグルーヴが後を引き取り、続ける。

 

「私のところの研究員なわけだが、勤務態度も実直そのもの。ちょっと鈍いところはあるが、粘り強さは本物だ。なにせ、彼が書いてきたこの膨大な報告書を繋ぎ合わせれば、公式記録にはほとんど残っていない先生の足跡がくっきりとと浮かび上がってくる」

 

 男は銜え煙草のまま、報告書の束に目を落としたまま話を聞いてる。ほとんど微動だにせず、紙をめくる職人らしい草臥れてはいてもどこか頼もしげな指と煙草の煙の動きだけが二人から見える男の動きで、表情から内心を窺い知ることはできない。  

 

 二人はしばらく男をじっくりと眺める。

 

 それは、長い時間を経てもなお彼女たちの心の中の重要なポジションで居続けている男に対する複雑だが純粋な想いを確認する時間のようでもあった。

 

「…彼に会ってやってくれないか、と思ってね」

 

 男の手が止まった。

 

「先生が学園を去ることになった事件をきっかけに、公の露出を極端に避けてきたのは理解している。記録に残るようなことも徹底してしていないことも」

 

 ルドルフの言う通り、学園を去ってからこれまで、装蹄師の男は公の露出についても自分の名前が残るようなことも徹底的に避けて生きてきていた。

 

 それこそ仕事の関係で権利関係を明確にしなければいけない特許関連の部分でさえ、後輩の会社を隠れ蓑にしたり、出願前に既に他社に権利ごと譲渡してしまったりして名前を徹底的に出していない。

 

 しかし研究員の報告書は、装蹄師の男らしい影が見えるものを徹底的に調べ上げていた。

 

「…ここまでされちゃあなぁ…」

 

 装蹄師の男は紙から顔を上げ、ルドルフとエアグルーヴに苦笑いを投げかけながら短くなった煙草を灰皿でもみ消す。

 

「…これ、俺だもんなぁ…」

 

 研究員の男が資料として提出した雑誌記事のコピーがルドルフとエアグルーヴに示される。

 

 もう遠い昔、ゴールドシップに頼まれて、鳥ニンゲンカーニバル出場用に彼女自身が漕いで空を飛ぶ機体をつくったことがあった。

 

 その時のゴールドシップのインタビュー記事の一文にマーカーが引かれている。

 

[この機体は同志チーフデザイナーの作品です]

 

 研究員の男は、その言葉が指し示す人間が装蹄師の男なのではないか、と問いかけている

 

 

 光が照らす対象があり、対象がつくる影の中に居る装蹄師の男の姿を、研究員の男がくっきりと捉え始めていることを感じさせた。

 

 

 

「…私もこの件で、研究員の彼からアポイントを打診されていてね。まだ回答は待ってもらっているが」

 

 ルドルフの言葉を聞きながら、装蹄師の男は伸びをする。不摂生の塊のような体はあちこち軋むような鋭い痛みを知覚した。

 

「おそらく、かなり直截に兄さんのことを訊かれることになるだろう」

 

 そこまでくれば、遠からぬうちに装蹄師の男に辿りつく。それは影のような見えない存在ではなく、実体としての装蹄師の男に。

 

 シンボリルドルフは問われれば、曖昧に答えるつもりはなかった。仮に、彼女の個人的な想いに関する質問であっても。

 

 

 装蹄師の男はうーん、とひと唸りして考え込んで、ひとつ溜息をついた。

 

「…まぁ、いいんじゃねーか」

 

 装蹄師の男は新たな煙草を銜えながら呟いた。

 

「ただ、学園を離れて以降の仕事についてはほとんど何も話せないけどな。なにせ、俺はなにもしてないことになってる」

 

 苦笑いしながら男は煙草に火を着け、深く吸い込んで紫煙を立ち昇らせた。

 

「しかし、物好きな奴もいるもんだねぇ…こんなおっさんの影を追って、何が楽しいのやら」

 

 装蹄師の男の言葉に、シンボリルドルフとエアグルーヴが思わず顔を見合わせる。

 

 男の自己評価の低さは今に始まったことではないが、こう言われてしまうと、その彼に人生の大半、心を奪われ続けている私たちはなんなのだ、という思いも湧いてしまう。

 

 しかし装蹄師の男と積み重ねたこれまでの思い出が、一瞬にして彼女たちのふとした自問を霧散させた。

 

「兄さん、今日はこのままここで皆で夕食を食べないか?昔みたいに」

 

 ルドルフがふと、そんなことを口にする。

 

「…?ああべつに構わんよ。ってかお前らいいのか、いろいろ忙しいだろうに」

 

「たまには昔を懐かしんでもいいだろう?エアグルーヴ、沖野トレーナーやおハナさんにも声をかけてくれないか」

 

「承知しました」

 

「そうと決まったら食材の買い出しにいかねばならんな」

    

 俄かに動き出した彼女たちを眺め、装蹄師の男はどこか懐かしく感じる。

 

 そういえばこの部屋の間取りは、学園に住んでいた時のあの部屋とよく似ていた。

 

 だから彼女たちも懐かしくなってしまったのだろうか、と口には出さずに、美しく歳を重ねた二人を眺めていた。

 

 

 

 





ご無沙汰しております。

こちらはすごく長い時間あいてしまいまして申し訳ございません。
ちょっと煮詰まっているうちにもう一本のほうをコツコツと書いて、そっちばっかりになってしまいました。

この設定の世界観で遊べるだけ遊んでいきたいので、まだちょっとずつ書いていくつもりです。

もう一本のほうともども、引き続きよろしくお願いいたします。
 
「空を飛びたいウマ娘と山奥の装蹄師の話」
https://syosetu.org/novel/286483/  

 

追記
おっちゃんの病状について表現を一部修正いたしました。
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