学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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(106):幕間16 喫茶ブロンズ

 

 

 

 

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「だいぶ核心に近づいてきたねぇ」

 

 明るい声音でそう告げたのはカウンターの中に居る可愛らしい雰囲気の年齢不詳ウマ娘だ。彼女の手元には、ここのところ進んだレポートの束がある。

 

「でも、そっかー…あれから先生もいろいろあったんだねぇ。でも、あちこちに影が見えるあたりが、先生らしいというか…」

 

 日曜、ふらりと訪れた喫茶ブロンズで遅めの昼食を摂った後、食後の一服をつけている下っ端研究員の男は、ナイスネイチャの言葉に苦笑いを浮かべた。

 

 謎の老紳士にここに連れてこられて以来、下っ端研究員の男は時々この店を訪ね、偏りがちな栄養の補給と暖かな時間を過ごさせてもらっていた

 

 下げた食器を手早く洗い終えたナイスネイチャはカウンターから出て、下っ端研究員の男の隣に腰を降ろす。夕方から夜にかけて地元の商店街の面々やトレセン学園関係者が集うこの店は、今の時間は下っ端研究員の男以外の客は居なかった。

 

「君がここに来るようになってから、私も当時のことを思い出したり、仲間と話したりしてみたんだけど、私の周りでもやっぱり先生の仕事の影みたいなのがあちこちに見えてさ。改めて偉大だったんだなーって」

 

「…それは、どのようなものなんです?」

 

 聞き流すには惜しい情報のような気がして、下っ端研究員の男はその話題を掘り下げにかかった。

 

 カウンター奧の小さなテレビでは、控えめな音でウマ娘のレース中継が流されている。

 

「んー…どうも、私のチームのトレーナーと装蹄師の先生、いくらか行き来があったみたいなんだよね。そのトレーナーは、もともと将来トレセン学園に入学しそうな娘のスカウトみたいなこともしてたらしいんだけど…」

 

 ナイスネイチャ曰く、そのトレーナーがスカウト時代、有望なウマ娘を見つけたが、学園の入学前の身体検査で脚部不安が判明したらしい。 

 

「で、そのトレーナーは自分が発掘した有望株ってこともあって、思い入れはひとしおだったみたいなんだけど、このままでは入学は難しいかも、って状況だったみたい」

 

 ふんふんと下っ端研究員の男はメモを取りながら、カバンからタブレットを取り出し、収めているデジタルデータの一覧を呼び出す。

 

「でも、トレーナーが言うにはほんの1か月かそこらで、そのウマ娘にあったトレーニングメニューやフォロー、医学的なバックアップ体制や栄養メニュー、それに特製のトレーニングシューズまで揃えられて、入学が許可されたんだって」

 

「そのシューズって…これじゃないですか?」

 

 研究員の男はタブレット端末の中の意中のデータを画面に表示させ、ナイスネイチャに提示する。

 

 それは府中の博物館で展示されているのを見つけたものの画像だ。

 

「そうそうこれ!なっつかしいなぁ~!イクノがいつも大事そうに抱えてたっけ」

 

 ここでもまたひとつ、点と点であったものが繋がっていく。

 

 調べたものがこのように裏付けが取れ、そのものを知っている人が懐かしんでくれることは研究員の男にとって嬉しい出来事である一方、どこか胸の奥にざわつきを憶えることでもあることに、最近気が付いた。

 

 なにも自身の研究自体、悪いことをしているわけではないのだが、装蹄師の男の影を追っているとどうしても、得体のしれない大きなものが覆いかぶさってくる感覚が否めず、その正体の掴めなさに研究員の男は時々背筋が寒くなる思いがする。

 

「…いったい、どんな大人物なんですかね、装蹄師の先生というのは。影響を与えた範囲が広すぎて、正直身の竦む思いなんですよ、最近」

 

 この店に通ううちにナイスネイチャにも人慣れした研究員の男は、自らの心持ちをぽつぽつと話すことはあったが、こうもストレートに自らの胸の内を話すことは初めてだった。

 

「なに~?怖くなっちゃった?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべたナイスネイチャは、揶揄うような声音で応じる。

 

「怖くない…といえば噓になりますよ、さすがに。この話を追い始めてから、エアグルーヴ理事長、アグネスタキオン博士、サイレンススズカさん、大企業の会長、果てにはあのシンボリルドルフさんまで…子供でも知ってるような大物にまでつながってしまったんですよ」

 

 下っ端研究員の男は自ら口にして、改めて自らの立場に慄いた。いかに自分がトレセン学園の職員とはいえ普通ならば交わりようもない当代の大物たちが、自らに視線を送っているのである。正確には、自分の記す研究レポートに、だが。

 

「そんな怖がることないって~。取って食われるわけじゃなし、そもそも今名前が挙がった人たちも、そんなに怖い人たちじゃないし」

 

 確かにナイスネイチャの言う通り、取って食われるようなことはないだろう…多分、ないだろうが、なんというか歴史の証人たちの断片的な話を聞くたびに補強されていく装蹄師の男のイメージ像は、既に彼女たちの中で神格化されつつある何かであり、その傍証が普段の人間関係の中ではあまり見ることのない、彼女たちの熱量や思いの深さ、強さである。

 

 勢い、レポートを筆致を間違えば取って食われるのではと思えてくるのも、あながち間違いではあるまい。

 

「頭では理解しているんですけどね…なんというか…関係者の方々の…底知れぬ熱量というか、湿度のようなものを感じることが多くて…それに…」

 

 研究員の男は冷めたお茶を一口飲むと、パッケージから新たな煙草を取り出し、火をつけた。

 

「…その…好意の熱量とは裏腹に…罪、とでもいうんでしょうかね、装蹄師の先生に負い目のようなものを感じている方も居て。なんというか、一筋縄ではいかないものを感じるんです」

 

 そのように不安を告げる研究員の男を見て、ナイスネイチャは期せずして背筋にひやりとしたものを感じる。

 

「まぁ…あの時期はいろんなことがあったから…たぶん、私たち生徒の知らないところで、いろんなことがあった…とは思うよ」

 

 当事者とは言えないが、あの時代を現役の競走ウマ娘として過ごしたナイスネイチャ自身、思うところはある。

 

「社会的にも、いろいろ逆風っていうか、よくないニュースとして報じられることもあった時期だし…でもね」

 

 ナイスネイチャはゆっくりと、記憶を反芻しながら言葉を紡いだ。その声は、どこか暖かさを感じるものでもあった。

 

「私もなにもかも知っているわけじゃないけど…あの時を境に、きっといい方向に進んだんじゃないかな。結果として、今のウマ娘レース界はあの頃よりもさらに人気が高まってるし、私たち自身も昔よりずっと生きやすい社会になってると思うし」

 

 研究員の男は、あぁ、彼女もまた、直接間接問わずに装蹄師の男の影響と恩恵を受けた一人なのだな、と納得する。

 

 ナイスネイチャの言葉はこれまでの不安を打ち消すように、研究員の男を優しく暖めた。 

 

 

 

 カウンターの奥のテレビは、レース中継の合間のテレビCMが流れていた。それは中継局の別番組のCMで、「今年も開催!ウマ娘鳥ニンゲンカーニバル!」と勢いの良いナレーションとともに、往年のウマ娘たちが自作の機体で空を飛んでいく様子が流れている。

 

「あー…私、コレ好きなんだよねぇ。自分の脚で空、飛んでみたいなぁ。何度か、チーム員としてはお手伝いしたことはあるんだけどね」

 

 何の気になしに呟くナイスネイチャに、研究員の男はぼそりと合いの手を入れる。

 

「…アレの第一回大会にも、その装蹄師の先生が関わっているとかなんとか…」

 

「えぇ…!マジ…?」

 

 下っ端研究員の男はこくんと頷くと、タブレットで装蹄師の男を示していると思われるゴールドシップのインタビュー記事の一端を示した。

 

「うわぁ…ほんとだコレ…」

 

 ナイスネイチャはくすりと笑って、店の壁にかけられている自らが現役時代の蹄鉄に視線を送る。

 

「なんかこーしてみるとさ、先生が偉大過ぎて、私なんかに蹄鉄が来たのもすっごい幸運だったんだなって思うよ」

 

 頬杖をついてそう呟くナイスネイチャの横顔は、在りし日を懐かしむようでもあり、満ち足りた様子でもあった。

 

「…前にもちょっと話したことあるけど、私、たくさん走らせてもらえたけど、戦績としては決して満足できるようなもんじゃなかったんだよね」

 

 だからお店の名前もブロンズだし、とお決まりの持ちネタを忘れないナイスネイチャ。

 

「でもさー、時間が経つと、それすらも愛おしいっていうか…今でも悔しい思いももちろんあるんだけど、思い出されるのはそれだけじゃなくて、その時のひりついた空気だったり、仲間の声援だったり…もっと言うと、いつものトレーニングだったり、その後の仲間とのバカ騒ぎだったり…とにかく、全部ひっくるめて、楽しかったなぁって思い出なんだよね」

 

 研究員の男は、語るナイスネイチャの横顔を煙草を指に挟んだまま、じっと観察しつつ話に聞き入っている。

 

 満ち足りた表情のナイスネイチャは、並んで座るカウンターの奥、そのさらに向こうのどこかに視線を飛ばしているようだった。

 

「あ、ゴメンゴメン。おばさんの自分語りがしたいんじゃなくって…ええと、言いたいことは…」

 

 ふと我に返った彼女はやや赤面して手で自分の顔を仰ぎながらわたわたしている。

 

 その様子もなんだか可愛らしく、年上にも関わらず研究員の男は幼子でも見るように目を細めてしまう。

 

「…先生もその周りの人も、過去に色々あったとしても、それも含めて今は良い思い出なんじゃないかなぁって思うんだ。だからさ、君もそんな深刻にならずに聞けばいいんじゃないかなぁ、って」

 

 そこまで言うと、ナイスネイチャは研究員の男に視線を向ける。

 

「…って、そこまで達観するほどの歳じゃないよね、君は。ゴメンゴメン。おばさんの独り言と思って流して」

 

 お茶のおかわり入れるね、と席を立つナイスネイチャ。

 

 彼女の言葉に、研究員の男はじっと考え込む。

 

「はーい、お茶。ごめんねぇなんか私の話につき合わせちゃって」

 

 いいえ、といってお茶を受け取り、研究員の男は自分が何を告げるべきか、悩んでいた。

 暖かいお茶を一口飲んで、彼女の言葉がふと腹に落ちるような気がした。

 

「その…ありがとうございます」

 

 その言葉を聞いたナイスネイチャは、自分の気持ちが伝わったことを理解した。

 

「いいえ~。ちょっとは君の背中、押してあげられたかな?」

 

 彼女はカウンターの中で、少し照れくさそうに、柔らかく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 






 
久しぶりの更新です。
誠にお待たせして申し訳ございません。
仕事や生活が一難去ってまた一難といった案配で…

今後も気長にお待ちいただければ…放り出すつもりはないので…(多分)。
 
  
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