学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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 いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 感想から気づきをいただいたり、展開の発想を得たりして皆様に支えられながらなんとか書き続けられております。
 また、誤字訂正等ありがとうございます。
 本当に助かります。
 書き上がったら勢いであげちゃうの悪い癖ですが、抱え込むと挙げられなくなっちゃうチキンハートなのでこれからも何卒よろしくお願いいたします。








16:皇帝の仮面をはずす時

 

 

 

 

 男は眠っていた。

 

 その日は休日で、工房ではなく自室にいた。

 ダイニングテーブルにはPCと資料が、どうしたらこのようになるのかと思われるほどに散らかされている。

 エアグルーヴに大見得を切った手前、遅延は許されなかった研究関連の資料をぎりぎり昨晩、提出した。

 リビングのソファで行き倒れのように事切れ、眠り込んでいても許される境遇といえた。

 デスクの隅で鳴動しているスマホに気づかなくとも、仕方のないことだった。

 

 

「おかしいな…電話にも出ない…」

 休日の学園の校舎は静まりかえっている。

 生徒会室でひとり、スマホを眺める。

 スマホから目線をあげ、窓の外を見やると、練習用トラックへ向かっていく生徒が見える。

 コールバックもないスマホを手にしたまま、皇帝はひとり、つぶやく。

「…何がそんなに気になるのだろうな、私は…」

 シンボリルドルフは、自らの考えを整理するべく、そのまま目を瞑り、沈思黙考といった風体となる。

 その姿を観る者がいたなら、それはさながら肖像画に描かれるような、高尚な思索に耽っている皇帝の姿そのものだと賞賛したであろう。

 

 しかしその内実は真逆の、極めて個人的な感情をもてあそんでいた。

 

 兄と慕う男のことだ。

 ここのところ、学園の生徒から彼のことを聞く機会が増えた。

 いわく、不振にあえいでいたサイレンススズカに脱出の糸口を与えた、とか。

 いわく、あのアグネスタキオンの奇人と誤解されがちな才能に、皆に役立つ方向性を与えて昇華してみせた、とか。

 自らにも他人にも厳しいエアグルーヴでさえも、彼から受けた薫陶に影響されたことを自覚し、感謝とある種の敬意を抱いていることは彼女もその現場を目の当たりにしたし、男がエアグルーヴの頭を撫で、彼女も満更ではなかったことはしっかりと目撃してもいた。

 

 それらの話を耳にするたび、胸の内のどこかに違和感を感じることを自覚したのは、いつからだろうか。

 

 彼のことだ。

 相談事が持ち込まれれば最初こそ面倒そうに振る舞いながらも、最終的にはなにか相手の役に立つような助言や回答をするだろう。

 もともと彼は人付き合いが上手くないだけで、人嫌いなわけではないのだ。

 でもそれは、私だけが知っている彼の内面だと思っていた。

 彼はこの学園の職員で、生徒の数は膨大だ。大人として、年長者として当然の義務を果たしているに過ぎないことは理解している。

 

 それを理解してもなお、なんとも言えない異物感を心に抱えてしまうのは、何故だろうか。 

 

「…こんな雑念に苛まれるとは、私もまだまだ鍛錬が足りないようだ」

 

 シンボリルドルフは、雑念を振り払うために少し走ることにして、先ほど生徒たちが向かう姿が見えた練習用のトラックに向かうことにした。

 

 

 その日の練習トラックでのシンボリルドルフの走りは、鬼気迫るものだったと目撃者は語る。

 背後に張り付かれた練習中のウマ娘たちは気迫に負けてラインを譲り、競りかけるものも容赦なく千切る姿はレースの本番さながらか、それ以上だと畏怖の念とともに語られた。

 他の取材でたまたま居合わせたスポーツ新聞の記者の計時によれば、例えば2400m走のタイムは過去の彼女が持つレースタイムの記録を秒単位で上回るものだったという。

 もちろん手元の計時であり正確さには欠けるが、皇帝の健在ぶりを示す証として誌面を賑わせることになるのは数日後の話であった。

 

 

 結局、彼女は走っても雑念を振り払うことができなかった。

 日が暮れて、気がつけば男の住むトレーナー寮の前に立っていた。

 結局スマホにコールバックはなく、昨日から送っているメッセージにも既読はつかず、反応もない。

 最終的には、もしや男の身に何か起こったのではないかという心配という名のもっともらしい言い訳を自分自身に与え、ここへ足を運ぶことを許した。

 

 しかし、インターホンを押しても反応はない。

 

 部屋に灯がついていることは、玄関のスコープから知ることができた。 

 こうなるといよいよ、自分をここに運ばせる言い訳だったはずの心配が、現実味を帯びてシンボリルドルフを苛む。

 意を決してドアノブにかけた手は、皇帝でも生徒会長でもシンボリルドルフでもなく、怯えるルナが顔を出して、弱く震えていた。

 

 かちゃり、とあっさりドアは開いた。

 鍵はかかっておらず、玄関には男の靴が乱雑に脱ぎ捨てられていた。

 男の部屋の匂いに、一瞬脳がくらりとする。

 短い廊下の先のリビングは扉が薄く開いており、中から照明の光が漏れている。

 

「兄さん、いるのか?」

 

 近所の手前もあるので抑えた声で呼びかけてみるが、反応はない。

 

「…入らせてもらうぞ」

 

 そっと身を差し込み、玄関の扉を閉じる。

 この先で男がどうなっているのか。

 一歩進むごとに濃くなる男の匂いに、彼女の中の一部分が変質していく感覚がする。

 もはや皇帝の仮面を脱ぎ捨て、シンボリルドルフではなくルナに還りつつある少女の尻尾はせわしなく揺れ、耳はどんな音も聞き逃すまいと緊張でピンと張り詰めていた。

 リビングの扉を開けて中を覗き込むと、資料が散乱したダイニングテーブルが視界に入る。

 その惨状を目にして少しずつ冷静さが蒸発していき、剥き出しのルナが彼女の内部を占めていく。

 そして奥のソファの端から、足が飛び出しているのを認識する。

 男の足だ。

 そう確信した瞬間、彼女のルナへの還元は完了した。

 

 

 瞼を閉じていてもわかる明るさの変化、頭を抱かれる柔らかい感触。石鹸系の心地よい香り。

 柔らかな何かに自らの頭を抱かれている、と認識するに至り、男は暗闇から急速に意識レベルを取り戻していった。

 額に一滴の水が滴ったように感じる。

 水…?

「…ん……?」

 男はうっすらと目を開く。

 そこにはおおきな双眸になみなみと水分を湛え、耳をふるふるとひくつかせながら心配そうに自分を覗きこむルナの顔があった。

 

 

「…まぁ…なんだ、その…すまん…」

 男とルナはリビングの床に向かい合って座り込んでいる。

 男は気恥ずかしさから顔を上げることができなく、制服姿のルナの膝あたりに目線を落としがちだ。

 対するルナは瞳のまわりをあかくしたまま、目尻にたまった涙を拭おうともせず、男をまっすぐに見つめていた。

「…本当に、ただ眠っていただけなんだな…?」

 心底心配そうに見つめてくるルナに、男は罪悪感すら憶える。

「本当だ。ようやく研究資料の提出を終えたところまでは覚えてるんだがな…そのままここで寝てしまったらしい」

 男は時間を確認しようとスマホを探してあたりを見回すが、見当たらない。

 このままルナと向かい合っている気恥ずかしさにも耐えかね、スマホを口実に立ち上がりあたりを探す。

 目的のものは、資料の山に紛れるようにしてあった。

 時間よりも先に、メールと着信の通知が目に入る。

 そのほとんどがルナからのものだ。

「ずっと連絡くれてたんだな…」

 彼女が何かを思い出したように、ハッとして表情を変える。

「それはその…この間の埋め合わせのことを話そうと思ってだな…」

「心配かけちまったみたいだな。ごめん」

 ふっと彼女の表情から、力が抜け、微笑が宿る。

「…まぁ、来てみた結果、心配は杞憂で済んで良かったと思うよ…その、シャワーでも浴びてきたらどうだ?少しは目も覚めるだろう」

 男は気づく。そういえば昨日から風呂に入っていない。匂いに敏感な彼女には、流石にどうかと思える醸した状態だろう。

「そうさせてもらうよ。冷蔵庫にあるものは好きにしてくれていい。ゆっくりしてて」

 

 

 男が浴室に去ったのちも、座り込んだままのルナは動けずにいた。

 顔の上気が抜けることはなく、男の残した匂いに陶然としている。

 男をシャワーに誘導できたのは、辛うじて平静を装うことができた最後の理性の成せた技だった。

 この部屋の、男の香りに、高揚と落ち着きが同居する複雑な感情を抱いてしまう自分。

 浴室から響く水音に呼応して高まる心音を脳内で因数分解を解くことで鎮め、彼女はようやくのことで立ち上がることができた。

 

 改めて部屋の惨状を確かめ、ダイニング周りに散乱した資料をせめて整えようと手をかける。

 おびただしい紙束をとりあえずまとめて積んでいくと、その中にひとつ、異質なものがあることに気づいた。

 裏返ったフォトフレームだった。

 思わず手を取り、表に返してみる。

 

 その写真を目にした瞬間、彼女は抑え込み、燻らせていた自らの獣心が激しく熱量をあげたことを自覚した。

 

 

 男が浴室から出るとダイニングの書類は整えられ、部屋の惨状は事件前の状態に復していた。

 しかしいたはずのルナの姿はどこにもなく、男を目覚めさせた石鹸の爽やかな香りがほのかに残っているだけだった。

 リビングのテーブルには、ゴールドシップが持ち込んできたエアグルーヴと男の写真が入ったフォトフレームと、ルナの几帳面な自筆で

「ゆっくり休んでくれ。また来る」

 と書かれた書き置きが残されていた。

 

 男はフォトフレームの写真に気恥ずかしさと苦々しさを覚え、それをどうするべきかを逡巡したが結局いい案は思いつかず、そのままにした。

 ルナに心配をかけたことへの申し訳なさと、シャワーを浴びてもなお残る疲労感に自らの年齢を感じつつ、部屋の片付けの礼をメールでルナに送り、深く考えることを放棄してベッドへ再び倒れ込んだ。

 

 





 キャラクター各々をきちんとらしく描けているのかが不安で不安で仕方がありません。
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