学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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23:蹄鉄にまじないを

 

 シンボリルドルフに相談して妙案を得たエアグルーヴは、翌日朝、約束通り工房を訪ねた。

 

「で、どうするんだ?」

 

 男は昨日とは打って変わった普段通りの作業着姿でエアグルーヴを迎えた。

 

 やはりこの方がこの男らしいな、とエアグルーヴは心の中で納得する。

 

「蹄鉄の前半分をもう少しだけ、剛性を上げてほしい」

 

 一晩経てエアグルーヴの表情はすっかりいつもの通りだ。

 その実、内心は昨日はっきりと自覚した自らの気持ちが表に出ていないかと、平常心を保つためにリソースが割かれていたが。

 

 男は彼女の言葉を聞いて、3枚の簡単なスケッチを取り出した。

 

「そういうと思って、案を用意してある」

 

 昨日帰ってから検討したんだが、と話し出した男は三つの案を説明していく。

 

「この案は剛性は上がるが他にしわ寄せがいく可能性がある。こっちは剛性と接地面積も一緒にあげるが、使いこなすにはコツがいるかもしれん…」

 

 エアグルーヴは男の案を聞きながらも、内容が頭に入ってこない。

 男が、自分のために昨夜、この案をわざわざ起こしてくれた。

 もちろん、競技者としてのエアグルーヴに、装蹄師としての男が、というプロ同士が果たすべき役割を果たしている形のことであることは理解している。

 しかしそれでも、彼女の一部分が、自分のためにわざわざこれを用意してくれたことへの嬉しさを感じずにはいられなかった。

 

「聞いてるか?エアグルーヴ」

 

 向かい合った男が怪訝な顔をする。

 

「あ…あぁ、すまん。今まであまりこだわってこなかった部分なので、正直理解が追いついていない」

 

 咄嗟に口をついて出た言葉は嘘だ。既製品を何種類も試し、今のものにたどり着いていた。

 走り方もこの蹄鉄を使いこなせるようにフォームの微調整をしたほどだ。

 

「仕方ねぇなぁ。ま、簡単に言うと一番フィーリングが変わるのがこれ、一番変化が少ないのがこれ」

 

 二つの両極端の案を提示される。

 

「フィーリングが変わる方はかなり攻めた仕様だが、うまく使いこなせれば接地時の滑りロスは減らせるかもしれない。さて、女帝さんはどうする?」

 

 顎に指を当て考える仕草をとるエアグルーヴ。

 今日もしっかりと鮮やかなアイシャドウが引かれ、理知的な顔立ちにシャープで華やかな印象を添えている。

 

「実は昨日、会長にも相談したんだ」

 

 エアグルーヴは徐に口を開く。

 

「次のレースは、今日作ってもらうものと無改造のものを比較して、合う方を使うつもりだ。悪く思わないで欲しい」

 

 男はそれを聞いて、真剣な表情で応える。

 

「そんなん思うわけないだろ。走るのはお前だ。お前が納得する蹄鉄でいけるのがいいに決まってる」

 

 男としては当たり前の反応だった。試みられるものが全て、良い方向に向くとはかぎらない。

 己の精神、肉体から、勝負服、シューズ、蹄鉄。自分で変えられる要素ですら無数にあるのに、加えて天候、気温、バ場状態、ライバルの動き…自分にはどうにもできない要素も加味されて、何がベストなのかは神の領域だ。

 

「真剣勝負を運なんて言葉で簡単に片付けたくはないが、どうしたって勝負のアヤはあるさ…だからこそ、できる準備は、考えられる備えは怠らない。それはレースを走るお前も、俺たち裏方も一緒だ。お前は自分が一番良い状態にもっていければ、それでいいんだ」

 

 

 あぁ、もう…この人は…この人たちは…。

 

 エアグルーヴは胸がグッと締め付けられる感覚に襲われる。

 

 シンボリルドルフと企画書を持ってここを訪れた時も、筋が違うと諭されながらも内容は認めてくれた。

 男に叱責されてから、企画を公式にしていく過程で関わった関係者たちも、皆快く賛同してくれて。

 私たちが本能として競うことを肯定し、生きる糧としての舞台装置を作り上げ、支え続ける人たち。

 

 男の言葉に、エアグルーヴの脳裏には裏方を一堂に集めて研究に協力を求めた会議場の、関係者たちの温かい表情が思い起こされる。

 

 走るのは確かに自分かも知れない。

 でもその周りにはたくさんの人々が影に日向に、彼女たちを支えている。

 これまでの様々な出来事が瞬時につながり、組み上がり、彼女の底からこみ上げる得体の知れない何かを必死に抑えつける。

 

 

「もう1セット慣らして持ち込むなら、手を入れる方は少し冒険するって策もとれるな」

 

 投げかけられた声に、胸の締め付けを宥めながら目の前の課題に意識を戻す。 

 男はスケッチを見比べながら、新たにもう一枚書き起こしている。

 

 エアグルーヴは男の書き上げていくスケッチに、自分のイメージを重ねる。

 

「…貴様のこの案をベースに、こことここにも少し肉厚を足してくれ。コーナーで仕掛ける場合、今回のコースにも合うと思う」

 

「そうきたか…なるほどな。やってみよう」

 

 かくして、蹄鉄は男とエアグルーヴの共同案で作ることになった。

 男は午後までに作業を終わらせ、夕方には試走できる仕様で届けてくれるという。

 レースで使用するには技術委員会での現物審査と資料の提出が求められるため、その書類の作成も男が行う。

 試着のフィーリングで判断し、レースで使用する可能性がある場合は速やかに認証が取れるように段取りを打ち合わせる。

 

「貴様の仕事を無駄にはしない。必ず、勝利を届けてやる」

 

 エアグルーヴは自分にも言い聞かせるような力強い言葉を男に残し、工房を後にした。

 

「さっすが女帝。貫禄が違うねぇ…」

 

 男は煙草に火をつけ、暢気に呟いた。

 

 

 

 

 

 男はエアグルーヴに無事納品を終え、その日の仕事を終わらせて寮に戻った。

 

 

 夕飯は適当に買い置きのパスタを適当に塩とニンニクでやっつけてしまおうと頭の片隅で考えていると、スマホが震える。

 相手はシンボリルドルフだ。

 晩飯を問われ、正直に話すと不機嫌な声で30分ほど待て、と言われて一方的に通話が切られた。

 

「まったく兄さんは…もう少し自分のことを労ったらどうなんだ」

 

 仕方がないのでシャワーを浴びて時間を調整していたところに食材を抱えたシンボリルドルフが現れたのは、通話が切れてから20分後のことであった。

 

「独り身の中年なんてそんなもんだろ…」

 

 男は悪びれる風もなく応える。

 ルドルフはキッチンに入ると、もってきた食材を手早く刻み始めていた。

 

「少しだけ待っていてくれ。今日の夕飯を少しくらいはマシにしてみせるよ」

 

 男は料理をするルドルフの姿をカウンター越しに眺めながら、出会ったばかりのルナを思い出してぼんやりと時の流れの早さを思った。

 

 

 ものの20分ほどで男の前に出されのは、ポトフベースのスープパスタだった。

 ゴロゴロと大きくカットされた野菜がたっぷりで、トマト缶でとろみがつけられている。

 うっすらとしたバターの香りが食欲をそそる。

 二人用の小さなダイニングテーブルで、向かい合う。

 

「すごいな…うまそうじゃないか。いつの間に料理、覚えたんだ」

 

 ルナは眉を少し下げながら、寮生活なら多少はね、と謙遜する。

 

「エアグルーヴも色々世話になってるみたいだからな。お礼としてはささやかに過ぎるが…」

 

 ちくり、とルドルフとしての良心が痛む。

 ルナの立場とルドルフの立場を自儘に使い分け、ましてや昨夜、エアグルーヴの胸の内を知りながら、今こうした時間を作っていることに呵責さえ感じる。

 

「いやいやそれは仕事だからな。でもありがたく、いただきます」

 

 男はルナを拝むように手を合わせ、食べ始める。

 

「口に合うと良いのだが…」

 

 そう言いながらルナは男の様子を伺う。

 

「うん!うまいよ。皇帝の手料理食べてるとか俺もう明日ファンから刺されても文句言えねぇけど、それでも本望なくらい美味いわ」

 

 男は照れ隠しで周りくどく表現してしまうが、素直に美味しかった。

 

「そうか。良かった…」

 

 ルナは心底ホッとして、男の食べる姿を眺めながら自らも食事を進めた。

 

 

 

 

「いやあ満足だわー。いつもは空腹にならなければいい、くらいの食事じゃダメだなやっぱり」

 

 食後、男は久しぶりに食事に幸せを感じつつ、普段の食生活の酷さを反省した。

 

「普段どれだけ酷いんだ…もう少し、食事には気を遣ってくれよ、兄さん…」

 

 あはは、と誤魔化すように男は笑いながら、ルナにお茶を差し出す。

 

「ところで次の宝塚記念、エアグルーヴはどうなんだ?」

 

 男はルナに問うと、一瞬間があり、ルナがルドルフの目付きに戻って応える。

 

「…楽なレースにはならないだろう。メジロ家で勢いのある娘も出てくるし、何より今のスズカは完成の域にいる。だからこそ、彼女も負けるわけにはいかない。能力的には勝てない相手ではないよ」

 

「そうか…気負い過ぎなければいいんだがね。しかしレースファンにはたまらんな。久しぶりに観にいこうかな」

 

 ルナの耳がぴくり、と反応する。

 

「ならばクレデンシャルパスを用意する」

 

 男はかぶりを振る。

 

「いや行くにしてもプライベートにするよ。関係者としていくと仕事になっちまうし、現地の同業に余計な気を遣わせるのもな。ってかそもそも行くかもわからん。阪神遠いし、おハナさん怖いし」

 

 出張申請すれば普通に仕事としていくことはできるが、行ったところでレース場付の装蹄師がいるので男の出番は特にない。

 行くとしても自由に行動できる方が良かった。

 

「…ここまでエアグルーヴに肩入れしたんだ。見届けてやるのが兄さんの立場じゃないか?」

 

 すると男は心外そうな表情を浮かべる。

 

「別に、どの娘からでも相談されれば、俺は仕事としてやる。エアグルーヴだからやったわけじゃないぞ」

 

 途端、ルナの耳がしゅんとする。

 

「そうだった。私の失言だった」

 

 男はフォローするように、努めて明るい声で続けた。

 

「まぁでも、たまには遠出もいいかもな。のんびりフラフラ阪神詣で、ってのも悪くない」

 

「兄さんの気紛れに任せるが、来たなら連絡の一つも欲しいものだな」

 

 自分の思いを素直に言葉にすることが、どれほど難しいことか。今改めて、ルナはそれを感じていた。

 

 来てほしい、私と一緒に観て欲しい、というのが素直な彼女の気持ちだった。

 正直、今回のエアグルーヴのレースはかなり厳しいものになる、と予想していた。

 もし、望む結果が出せなかった時の彼女を自分が受け止め切れるかは、自信が持てなかった。

 尤も、彼女も女帝の二つ名を持つ身だ。

 どのような結果となろうとも、自身で受け止める器量はあるはずだが。

 

 自分で気付かぬうちに難しい顔をしていたルナは、男に頭をクシャりとやられて我に還った。

 

「いつもありがとうな。今日は久しぶりに幸せな飯をたべたよ」

 

 男は他意なく、ルナへ感謝の言葉を伝える。

 

 ルナは動揺を悟られないように顔を俯けながら頭を撫でられる。

 表情を隠すことはできてもでも、尻尾の揺れは隠すことができなかった。

 

 

 

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