学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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24:西行の助手席で眠るウマ娘

 宝塚記念を週末に控えた金曜日。

 

 昼過ぎにスマホにおハナさんからの着信がある。

 すでにおハナさんとエアグルーヴは今朝、阪神レース場入りしており、現地のチェックや調整に入っているという。

 エアグルーヴに託した蹄鉄は無事認証を取得し、レースに使える状態になったとのことだ。

 

「ところであなた、あの蹄鉄にどんなおまじないをかけたの?」

 

 どういう意味だ、と問い返せば、

 

「あの子のメンタル、目に見えて落ち着いたわ。それどころか、絶好調ね。秘めたる闘志と、冴えた頭脳。あれこそが女帝、って感じ」

 

 私のトレーナーとしての立場がないわよ、と冗談めかす調子の声音で、おハナさんも機嫌が良いようだ。

 

「…品物にご満足いただけましたら、これからもこの寂れた鍛冶屋をご贔屓に願いますよ。東条の女将さん」

 

 男は男なりに健闘を祈る台詞で通話を終えた。

 

 

 その日仕事を片付けて、寮へ戻る。

 男の心は週末を迎える解放感、久しぶりにレースに合わせた競技用蹄鉄をつくった高揚感とその結果への興味と、ひさしぶりに楽しみが多くある気分だった。

 

 そして特に日曜の宝塚記念への興味は、最初は男の心の片隅にあっただけだったが、時間を経るごとに段々と大きくなってきていた。

 ルドルフにエアグルーヴの蹄鉄の製造者責任を求められたことも理由かもしれない。

 

 寮へ戻った男は、シャワーを浴びてリビングでだらけても、どこか落ち着かなかった。

 

 ふと部屋の時計を仰ぎ見れば、時刻は23時過ぎ。

 

 男は週明けの業務への影響を懸念して抑え込んでいた自分の欲求に素直になることにした。

 むくりと起き上がると、出張用のカバンに適当に着替えを放り込み、車の鍵を持って部屋を出る。

 

 しばらく動かしていなかった一見古ぼけたおばちゃんの買い物クルマこと男の愛車は、キーを一捻りするといつもと変わりなく目覚めた。

 

 改めて、運転席のバケットシートに身を埋めると、男は煙草に火をつけてギアを1速にそっと入れ、西へと向かう高速道路を目指した。

 

 男の車はその見た目に違わず、元々シティコミューター的キャラクターのクルマであるからして、高速道路の高速巡航などという芸当の性能は格下の軽自動車とも大差がない。とりあえず不足なく走れる、程度のものだ。もちろんなりふり構わずアクセルを床まで踏めば話は別だったが。

 

 男は交通量の少ない西へ向かう高速を、大型トラックよりは少し速い程度のペースで淡々と走っていく。

 

 前車にゆっくりと追いついては右車線に出、追い越せば戻り、常に後ろを気にしながらも道路のアップダウンを読みながらアクセルを加減するその単調な作業は、男に最近起こった様々なことに考えを巡らせる余裕を与えていた。

 

 全ての始まりはゴールドシップに遊び用の蹄鉄を頼まれた頃からだろうか。

 あれから、スズカが訪ねてきて、ゴールドシップに蹄鉄を作ってやればアグネスタキオンが押しかけて来、うまくあしらったかと思えば、最終的には業界を巻き込む大きな話になってしまった。

 

 その結果、男は業界の隅っこで代わり映えしない日々を送っていたところから大きく変化した。

 それが良かったのかどうかは男にとっては正直、どうでもよかった。

 

 しかし少なくとも以前より張り合いのある日々に変化した、とは感じていた。

 

 

 それにしても、と男は思考を仕切り直す。

 

 

 おハナさんの言う、彼女たちを傷つけるようなこと、とはなんなのだろうか。

 

 頭の片隅で思考をもてあそびつつ、右車線で大型トラックの隊列をかわしていく。ふとミラーで後ろを確かめると、遥か後方から猛然とパッシングをくれながら距離を詰めてくるクルマがあることに気づく。

 このままではトラックの隊列を抜き切る前に、後ろに張り付かれてしまう勢いだ。

 

 男は呼吸をするようにギアをひとつ、ふたつと下げ、アクセルを開ける。

 しかし必死の加速も虚しく、あっという間に距離が詰まる。

 

 ようやくのことでトラックの隊列を抜ききり左車線に飛び込むように戻ると、右からは再び咆哮のようなエギゾーストノートを奏で、張り付かれていた赤いクルマに抜き去られる。遠ざかり際、道を譲った礼なのかハザードを3回焚いて、あっという間に遠ざかる。

 

「…あれ、あのクルマ、どこかで…?」

 

 どこかで見たことのある赤いクルマは、照明のない中央道の山間部を甲高い排気の響きを残し、走り去った。

 

 

 

 一度給油に寄ったほかは、ほぼペースを一定に西へと走り続けた男は、夜明けまでまだいくばくかある午前4時ごろ、阪神レース場までの道のりの6割程度を消化していた。

 

 出発時のテンションもやや落ち着いてくるこの時間、どこか静かなパーキングエリアで仮眠でも取ろうかと思いながら流していると、電光掲示板に「この先 故障車あり 注意」の表示を見かけた。

 

 この時間帯は交通量も少なく、中部と関西を山間部を貫いてつなぐこの道は新しいため道幅も広く、見通しも良い。

 

 男はどんなクルマがトラブってるのか見てやろうと、ややペースを落とした。

 

 数キロ走ると、発煙筒の明かりが見え始める。

 

 発煙筒の規制を気にしながら、さらにペースを落とすと当該のクルマが見えてきた。

 すでにレッカーが到着しており、積載作業にかかっている。

 よく見覚えのある、赤いクルマがトラックの背に乗せられている。

 

「…さっきのあれ…やっぱり…」

 

 男はハザードを焚いてスピードを徐々に落としながら路肩に寄せ、積載車の後ろにつける。

 男のクルマのヘッドライトに照らし出されたのは、積載車の横で心配そうにクルマを見つめるマルゼンスキーと、ぐったりした様子のシンボリルドルフだった。

 

 

 

 

「ほんっとうに助かっちゃった!さっすがお師匠さんね!でも私はタッちゃんに付き添わなきゃいけないから、ルドルフちゃん頼むわね!」

 

 マルゼンスキーはそれだけ言うと、自分はさっさとレッカー車の助手席に乗り込み、発進させる。

 このままどこかの修理工場まで運んでもらうらしい。

 

「兄さん、すまないが、よろしく頼む」

 

 流石にこの時間帯で眠気を抑えきれない様子のルドルフを助手席に収容し荷物は後席に放り込み、男は再び走り出す。

 

「今日の生徒会の仕事とメディアの取材が押してしまってね…明日朝からURAのイベントに出なくてはいけないのだが、新幹線の最終を逃してしまったんだ」

 

 それを聞きつけたマルゼンスキーが私の出番とばかりにクルマを出してくれたらしい。

 まぁその善意も虚しく、このザマではあるのだが。

 

「相変わらず忙しいんだな。あんまり無茶すんなよルナ。身体壊すぞ。後ろに毛布があったはずだから、それ掛けて少し寝ておきな」

 

 この間のルナ手製の夕飯がいかに豪華なことだったのか、男は思い返す。

 

「ちゃんと朝までに阪神レース場に届けてやるから、今はしっかり休むんだ」

 

 思えばこの世界は、どれだけの重荷をこの皇帝に背負わせているのだろう。

 彼女がそうあろうと自ら抱え込んだ業であるとしても、ちょっと重すぎやしないだろうか。

 

 とりあえずルナにシートを少し倒し、休むことを促す。

 

「何から何まで済まない…な…」

 

 男は右手でステアリングを軽く支え、視線は前に向けたまま、謝り通しのルナの頭を左手でクシャりと撫でてやる。

 

 心地よさそうな吐息とともに、ルナが微睡みはじめるのがわかる。

 

「…兄さんは、なんでいつも私の困ったときにあらわれて、助けてくれるんだろうね…」

 

 やや緊張気味だった彼女の耳は頭を撫でてやるうちに段々と力が抜けていく。

 

 眠気のためなのか普段の声音からは想像もつかぬほど柔らかいルナの声だったが、運転中の男はルナのその言葉に、上手く反応することができない。 

 

 たまたま、といってしまえば冷たく感じてしまうし、かといって普段からなにかをしているわけでもない。

 

 強いていうなら昔からの親戚みたいなものなのだろうが、それだけかと言われると違うような気もする。

 

 男が適当な言葉を探り当てる前に、ルナの規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

「全く…夢と責任感に潰されちまうぞ…」

 

 男は改めて多忙なルナの生活の一端を目の当たりにし、なんとかならないものかと思い致す。

 

 しかし彼女が自ら進んで今の立場に君臨する以上、どうにもならなそうだ。

 

 とりあえず今だけは彼女に安らかな仮眠をとってもらおうと、男は運転により慎重を期すことにした。

 

 

 

 朝方、阪神レース場に着くと、関係者用通用門に直接乗りつける。

 警備員に助手席のルナの寝顔をちらりと見せるだけで、顔パスだ。

 

 地下駐車場へ車を滑り込ませ、エンジンを止めると、異変に気付いたルナが小さく呻いた。

 

「着いたぞ。控室まで荷物もってってやるよ」

 

 まだ眠りから覚めず、うにゃうにゃ小声で呟くルナは、まるで昔の幼子の頃の昼寝明けとかわらない。

 

「ん…父さん…起こして…欲しい…」

 

 どうやら父と混同しているらしい。

 小さな頃の夢でも観ているのだろうか。

 

「…仕方ないな…」

 

 助手席でルナを眠らせたまま、男はそっと車外に出、おハナさんに電話をする。

 

 起こしてしまうことになるかと思いきや、1コール鳴りきる前に彼女は出た。

 

 事情を説明し、今日のルナの控室を聞き出す。

 

 彼女も近隣のリギルの定宿にいるようで、すぐにこちらに向かってくれるようだ。

 

 男は助手席をそっと開けると、毛布に包まったルナを横抱きに抱える。ここのところの造蹄作業で鍛えられた男の身体には、ルナの身体は思ったよりも軽かった。

 

 横抱きにされても力なくだらけたままの耳の様子といい、男の腕の中ですぅすぅと心地よさそうな寝息を立て続けている。

 

 男は地下駐車場の警備員に来意を告げ、ルナの控室までの先導を頼む。

 控室のソファに彼女を寝かせたところでちょうど到着したおハナさんに後を任せ、部屋を出た。

 

 

 

 東条ハナは男の去った部屋で安らかな寝息を立てるシンボリルドルフを眼前に、深いため息をついた。

 

「こういうところなのよね、アイツ…」

 

 行きがかり上仕方なかったとはいえ、傍目にも複雑な状況が現出したような気がしている。

 

 シンボリルドルフとエアグルーヴがどこまでお互いの状況を理解しているかはわからないが、エアグルーヴの耳に入れば明日のレースにも影響があるようなことではあるだろう。

 

 どうするべきか、東条ハナの冷徹な部分が計算を巡らせる。

 さらにそこには自身の私情も挟まれ、さらに複雑化していく。

 

 結局、考えをこねるだけこね、出した結論は黙っている、であった。

 

「全く、ヒトの気も知らないで…いい気なものね」

 

 再びため息をついた彼女は、今頃喫煙所でくしゃみをしているであろう男の姿を思った。

 

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