ゴールドシップの来襲からさらに数日。
男は通常業務であるウマ娘たちの蹄鉄の加工・修理を行いつつ、ゴールドシップ専用の海の岩場スペシャル仕様の蹄鉄の試作に勤しんでいた。
通常業務のフローは、一日朝晩の二回、トレセン学園事務局を通じて工房係という、いわゆる日直のようなシステムで担当になった生徒が補修希望の蹄鉄やシューズを届けてくれる。
工房の外には依頼用と返却用のボックスがあり、たいていは依頼品は依頼用のボックスにそっと置かれ、作業が終了したものを納めた返却用ボックスから物を台車に積み替えていくだけなので、工房係の生徒とのコミュニケーションはあまりない。
依頼品にはひとつひとつに作業依頼伝票が付され、その依頼内容に沿って作業を施し、作業終了とともに作業内容とコメントを伝票に書き入れ、事務局を通して依頼主に返却されていく。
金銭のやり取りが発生するわけではないので、もちろん工房への直接持ち込みでも対応可能だ。
伝票は学園側が男の業務量を把握し、修理履歴を保存しておくための存在なので、実態は依頼者と作業者のコミュニケーションツールといった側面が強いものだ。
ちなみにゴールドシップのスペシャル仕様に関しては伝票発行されていない。
そもそも学園側が関知する範疇のモノではないし、男の個人的な趣味で受けたようなモノだからだ。
今朝も工房に、その日の工房係の生徒が依頼品を届けに来たようだ。外で蹄鉄が箱の中でひしめき合う金属音が響く。
「おはようございます」
工房の入り口から声がする。
栗毛の美しい髪をのぞかせた声の主は、サイレンススズカだ。
デビュー前のトレーニングから好タイムを連発し、学内で評判となり、デビュー戦でも鮮烈な逃げ切り勝ちでその評判を確たるものにした。この世代をリードするであろうひとりである。
人との交流が少ない男であっても、その評判は耳に入っていたので、相当なものであることは想像に難くない。
「あぁ、おはよう」
男は声を返す。
たまに丁寧なウマ娘が届けにきたときに挨拶を入れてくれることはあるが、割と珍しいことだ。
もっとも男がいなかったり、作業をしていて気づかないこともあるから、そのせいなのかもしれないが。
「あの…」
サイレンススズカは入り口でもじもじしている。
「ん…どうかした?」
「ちょっと、見ていただきたいのですが…」
男はサイレンススズカに近づいた。
「どうかしたの?」
彼女は競技用の蹄鉄を差し出した。
「その…最近、上手くレースで結果が出せなくて…それで…その…」
彼女は鮮烈なデビューを飾った。
しかしその後、思うような結果を出せずにいた。
「最近…うまくいかなくて…走り方もわからなくなって…それで…」
言葉を選ばずに言えば、薄幸の美少女というたたずまいの彼女の表情から、薄く残った幸すらも消えていくようだった。
「ちょっと見せてもらうよ」
男は伝票のついていない彼女の蹄鉄を受け取る。
「時間はあるの?」
男が聞くと、彼女はコクリとうなづいた。
「じゃあ、ちょっとそこで待ってて」
工房の隅にある低い間仕切りで仕切られたスペースにある古ぼけた応接セットへ彼女を促し、冷蔵庫からペットボトル入りの人参ジュースを取り出し、手渡した。
作業台に蹄鉄を置き、ライトを引き寄せ、蹄鉄を照らし出す。
男は作業台からいったん離れ、伝票の控えが整理されているファイルを開く。確か前に一度、彼女の蹄鉄がここに送られてきたことがあるはずだった。
伝票はすぐに見つかった。
彼女の字と思われる几帳面な字で、歪みのチェックをお願いします、と書かれている。
それに対し彼は
・軽い歪みがあること
・摩耗が進んできていること
・左右非対称な摩耗となってきていること
を指摘事項として記入しており、
・軽い歪みの修正
・左右の摩耗の違いは高いほうを切削し合わせる
の作業を施した、と記録してあった。
欄外に、左右の摩耗の違いが続くようならシューズ、ソールの再検討を、という注記をして、返却していた。
対して、今日持ち込まれた蹄鉄を見る。
歪みもなく、キズも少ない。
比較的最近の製造ロットが打たれているメーカー品だが、ハードなトレーニングをこなしてきていることを象徴するように、摩耗は進んでいる。
しかし、以前あったような左右の摩耗差はほとんどない。
歪みがなく、キズが少ないのは安定したフォームで走れていることを意味している。
左右の摩耗差がなくなったということは、今まで利き足のほうが推進力を強く出力していたために発生していたことが、トレーニングによって筋力の均衡がとれ、正しいフォームによって左右均等に出力されていることを意味する。
レースという結果がすべての場では思うようにはなっていないかもしれないが、結果を求めるための手段として速さを研ぎ澄ませていく段階において、彼女は正しい努力をしていることを蹄鉄は示していた。
低いパーテーションの向こうにある応接セットにちょこんと座る彼女の様子をうかがう。
人参ジュースの封もあけずに両手で包み込むようにもち、不安と所在のなさゆえか、硬い表情だ。
さて、どうしたものか。
事実を述べるのは簡単だ。
だが、その事実は、彼女のうまくいかない現実とは不整合な事実だ。
この学園でもトップの成績を誇るリギルというチーム。その次世代を担うと期待されている彼女。
そしてリギルは徹底的な合理主義と東条トレーナーの統率の上に勝利を積み重ねていくスタイルで運営されている。
蹄鉄が示していることは、リギルの合理主義に基づいたトレーニングは確実に成果を生んでいることを示すのだ。
しかしそれをうまく結果につなげられないということが、彼女本人にはどれだけ堪えることだろう。
勝負師であることを運命づけられたうら若き彼女たちに背負わせるには、あまりにも重たいものでありはしないか。
決めた。
これは、大人の仕事だ。
「ちょっとこれ、預からせてくれないか。明日届けるから」
男は彼女にそう言い、一旦彼女を帰すことにした。
なんかすごい硬派な展開になってしまっているんですが…