皆様のリアクションを燃料になんとか書き続けられております。
気がつけば30をこえてきまして、ここまで失踪せずに続けられてることに自分でも驚いております。
今後ともよろしくお願い致します!
男はアグネスタキオンを訪ねた後、数日間にわたりもやもやしたものを抱え続けていた。
しかし自分にできるウマ娘たちの怪我の予防になるようなひらめきが降りてくることもなく、淡々と日々の業務をこなしている。
しかしすこしだけ、生活には変化が生まれていた。
業務時間後、しばしば七輪を引っ張り出してその日の夕飯を焼くという行動にでるようになったのだ。
以前ゴールドシップが持ってきたサザエを七輪で焼いてみたところ妙に旨く感じ、それ以降クセになってしまっている。
工房は幸い学園の最奥にありヒトもウマ娘もあまり来ないという立地で、七輪での焼き物で煙を出しても苦情が来ないという非常に都合の良い事情も味方した。
そんなわけで今日も自室から食材を工房に持ち込んでおり、業務終了とともに外へ七輪を引っ張りだして燃料に着火する。
近隣のホームセンターの安い木炭の為着火に多少の難があるが、男は装蹄師の修業時代に木炭を燃料とする炉の管理をしていた経験があったため、特にこの手の作業は苦ではない。むしろ火の管理こそ仕事の質に直結するため、得意分野ですらあった。
ほどなくして木炭は白くなり徐々に下面に赤い熱の塊がゆらめきだし、熱源の準備が完了する。
男は工房の中から網と冷蔵庫にしまっておいた食材を取り出すと、ひとり晩餐の準備を始めた。
アグネスタキオンの研究室を後にしたシンボリルドルフとエアグルーヴは、二人きりで気まずい思いをしながら歩いている。
「…会長の初恋の人、だったんですね…」
エアグルーヴが耳をしょんぼりさせながら独り言のように呟く。
「黙っていて、済まなかったな…」
シンボリルドルフの耳も、エアグルーヴと同様にしょんぼりしている。
「…いえ…私の身勝手で、会長には不快な思いをさせてしまったかもしれません…」
冷静になったエアグルーヴはこれまでの経緯とシンボリルドルフの心境を慮り、落ち込んでいる。
「いや…人を想う気持ちは等しく尊いものであるはずだ。誰がどういう想いを持とうが、自由だ。気に病む必要はないぞ、エアグルーヴ」
ルドルフはエアグルーヴを気遣う。
ここまでずっと内心は複雑だったが、さっきのアグネスタキオンの尋問に答えたことで、今はいくらかほぐされていた。
エアグルーヴに対する嫉妬心がないわけではないが、一番強くルドルフを縛っていたのは自らの気持ちを押し隠すことだったのだと今更ながら理解したのだ。
「…会長の…その…お気持ちは、彼は知っているのですか?」
ルドルフは苦笑しながら首を横に振る。
「学園に入学して彼の講義を受けたとき、彼は私の存在に気がつかなかったよ。その後も私は生徒、彼は職員だ。兄妹のような付き合いはできても、それ以上は望むべくもないさ」
さすがに彼の自室にまで行ける関係であることまでは言えない。そこまで行っても関係性は兄妹であることに変わりはないのだが。
「どうやら私たちは、ターフの外でもレースをしなければならないのかもしれないな」
シンボリルドルフはそう言って、エアグルーヴに向き直る。
その表情は凛々しい笑顔で、まるでゲートに入る前に観客に向けるような余裕と気合いの入ったもののようだ。
エアグルーヴもそれに応じる。
「皇帝に挑む権利をいただけて光栄です。しかしこのレース、私も負けるわけには参りませんので」
向かい合う二人の間を、風が通り抜ける。
その風が、彼女たちの嗅覚に異変を伝えてきた。
二人同時に、眉間にしわをよせる。
「…?…この匂い…なにかが焦げているような…」
風上の方向を確かめ、二人は目を合わせる。
「まさか…火事か!?」
彼女たちは駆け出した。
「おっちゃーん!ちょっとニンジン焼かせてくれよー」
男が七輪で干物をじっくり焼いていると、聞き知った声がした。
顔をあげると絶世の珍行動美女ゴールドシップと、そのとなりにどこかでみたような可愛らしいウマ娘がひとり。背中になにか背負っている。
「七輪で焼いたものが旨いって話してたらさー、七輪でニンジン焼きつくりたいって食いついてきたんだよ。なぁスペ?」
ゴールドシップの言葉で男は思い出す。
「あぁ…お前はたしか、スペシャルウィーク、だっけ」
ボブカットの可愛らしい頭をぴょこんと下げる。
「この間はお世話になりました!その…ゴールドシップさんの話聞いてたら、七輪でニンジン焼いたらいつもよりももっと美味しいんじゃないかって思って…」
それでゴールドシップに連れられてやってきたらしい。
「なぁいいだろおっちゃん。おっちゃんにも分けてやるからよ!」
ゴールドシップも焼きたくてたまらないようだ。
「別にいいけど…野菜の焼き加減は俺わかんねえから、自分たちでうまくやれよ」
「さっすが話がわかるおっちゃんだぜ!」
そういうと、さっそく七輪に取り付くゴールドシップ。スペシャルウィークは背中に背負っていたものを降ろす。
どうやら背負子のようなものに段ボールを一箱くくりつけていたらしい。
「実家のお母ちゃんが送ってくれるニンジンです!すっごく甘くておいしいんですよ!」
中身は段ボールいっぱいのニンジンだった。
「よっしゃー焼くぞー!」
ゴールドシップは気勢をあげている。
もはや炭火でじっくりゆっくり、みたいな雰囲気ではなく、テンションはバーベキューのそれだ。
男は焼き上がった干物を引き揚げると、出してあった紙皿に分け、二人にも出してやる。
「ほれ。少なくて悪いけどこれでもつまみながら、ニンジン焼けるまでつないどきな」
「わぁ!ありがとうございます!」
「おおー!ホッケの干物じゃねえか!うめえんだよなぁ」
男は煙草に火をつけ、七輪でわいわいとニンジンを焼く二人を少し離れたベンチに腰掛け眺める。
心地よい風と、適度に満たされた胃袋のおかげで眠気が襲ってくる。
「出してある食材、食いたかったら食っていいぞ」
男はそれだけ言うと、自分はベンチでうとうとし始めた。
「やっぱ七輪で焼いたニンジンうめーだろ!」
「はい!炭火で焼いたスモーキーな感じとホクホク感のあるニンジンの甘味がたまりませんね…!」
「今度はおっちゃんのモチも焼いてみようぜ!」
「あ、鶏肉もありますよ!」
「おいスペ!ニンジン焦げてるぞ!」
「あぁ〜!炭みたいになっちゃってる!」
「け、煙が…ごふっ…」
「おい!そこで何をしている!」
低めのよく通る凛とした美声に、男ははっと目を覚ます。
「会長さんとエアグルーヴさん!」
見ると、煙の立ち昇る七輪を間にゴールドシップとスペシャルウィーク、シンボリルドルフとエアグルーヴが対峙していた。
「すすすすいません!ニンジン焼いてたら焦がしちゃって…」
スペシャルウィークが慌てている。
「あーごめんごめん。俺がちょっと目を離しちゃったんだ」
男が割って入る。
男がベンチでうとうとしていたことに、シンボリルドルフとエアグルーヴは気づかなかったようで、突然現れた男に驚いている。
「この子たちが七輪でニンジン焼きたいっていうから焼かせてたんだけど、ちょっとそこでうとうとしちゃって」
そう言いながらトングで煙を吹くニンジンを火消し壺に放り込み、消火する。
「ほら、もうこれで大丈夫」
いつのまにかスペシャルウィークとゴールドシップは男の後ろに隠れるように動いている。
火消し壺の蓋を閉じて顔をあげればそこには腕を組み仁王立ちのエアグルーヴ。表情まで仁王様である。
顔立ちが端正で切れ味鋭い美人であるが故に迫力が違う。
シンボリルドルフは後ろに控え、苦笑いを浮かべている。
男はがっくりとひざを地面につけ、大仰に土下座をしてみせる。
「まことに申し訳ございませんでした…」
エアグルーヴは自らの足元に土下座する男に、思わず赤面してしまう。
「全く貴様という奴は…男子たるものそう軽々に土下座などするものではない!」
決め台詞のようにエアグルーヴの声が響く。
同時に、いつかも聞いた音が響く。
[カシャシャシャシャシャシャシャシャシャ]
「よかったなおっちゃん、許してくれるってよ」
いつのまにか少し距離を取っていたゴールドシップが要らぬ半畳的なセリフとともにスマホを連写モードでシャッターを切っている。
事態を理解したエアグルーヴの仁王フェイスがみるみる赤らみ、今度こそ本物の仁王像と化す。
「ゴールドシップ…また貴様かぁぁぁぁぁぁ」
抜錨したゴールドシップは砂塵を巻き上げて逃走を図り、エアグルーヴがプライドを賭けて差しに駆け出した。
七輪の周りには土下座したままの男、シンボリルドルフ、スペシャルウィークが残された。
顔をあげた男は、苦笑したままのシンボリルドルフに声をかけた。
「ニンジン焼き、食べてく?」
スペシャルウィークは男の声に呼応するように、新たなニンジンを七輪の網にのせた。