もともと不定期といいつつ2~3日に1本はなんとか上げてこれたのですが、来週のお盆あたりはすこし更新が停滞するかもしれません…。
おハナさんとのバーでのやりとりがあってから数日後。
男はその日、朝から工房の前にワンボックス車を横付けして、作業をしていた。
4ナンバーのやや古いハイエースはトレセン学園の所有車両で、普段はコースや学園の植栽整備等を司る部門所属の1台だが、学園のウマ娘たちが夏合宿を行うこの時期1ヶ月限定で、男の工房に貸与される。
ウマ娘たちは合宿をしていれば蹄鉄はじめ練習用具などにトラブルが起きることがある。
そこで服飾部のいくつかの班など、ウマ娘たちが使う用具に関わる部門にはこの時期だけサポート用のサービスカーが臨時に配置され、何箇所かに分散しているウマ娘たちの合宿地を巡回してフォローすることになっている。
もっとも今は皆、個人の装備は予備も含めて数セットは用意して行っているので、緊急性のある修繕要望などは滅多に起こらなくなっている。
現在は現地に行ってサポートついでに男であれば蹄鉄やシューズに関してのアドバイスをしたり、ちょっとした講義をしたり、といった具合に合宿のアクセントとして機能していたりする。
男に貸与されているハイエースは、普段から伐採した植物の運搬やそれらを行う機材等を運んでいるため適度に傷んでいて、男の鍛冶屋道具も気兼ねなく積み込める。その車内容積を活かして毎年電気式の小さな炉まで搭載しており、作業効率と精度は工房の作業よりは劣るものの、やろうと思えば一からの造蹄すら可能である。
しかし毎年の機材の積み下ろしは一苦労で、年数を重ねるごとに積載の工夫と機材の効率化を図っているものの、毎年の憂鬱な作業のひとつではあった。
午前いっぱいをかけて8割ほどの作業を終え、あとは消耗品類の積み込みと車内の機材配置の調整、固定作業を残す。
すこし休憩と、男は工房脇のベンチに腰掛けて煙草に火をつけた。
気がついてサルビアの鉢に水もくれてやる。
「おお。今年もやってるな」
声をかけてきたのは沖野だ。
「珍しいな、今をときめくスピカの親方」
苦笑いする沖野。
「この間の宝塚記念、見事だったじゃないか。おめでとう」
沖野もベンチにどっかりと腰を降ろし、ああ、ありがとうと返してくる。
しかし表情にはどこか翳りがある。
「まぁ宝塚記念は良かったよ。でも、いよいよおハナさんとお前の懸念に向き合うタイミングかもしれん、と思ってな」
男は突然の沖野の言葉に、二の句を告げずに黙り込む。
「…ここのところのスズカは体のバランスを取りつつここまで速さを磨いてきたが、どうにもそろそろ身体能力を超えた走りになりつつあると思ってる」
沖野はベンチにもたれて天を仰ぎ、呟く。
男が差し出した煙草を今日は一本とり、咥える。火をつけてやる。
「で、どうするんだよ沖野トレーナーは」
深く吸ってゆっくり吐き出す。今日は風もなく、煙はゆっくりと沖野にまとわりつきながらのぼっていく。
「今すぐに何か、ということはないと思う。しばらくは様子をみるつもりだ。本人の意思を尊重してサポートしていく方針はギリギリまで維持するつもりだ…」
ここのところ上り調子のスピカといえど、順風満帆とはいかないようだ。
「彼女が…サイレンススズカが怪我をするとしたら、どこだ?」
男が問いかける。
沖野の目は競走するウマ娘の才能を見抜く能力はズバ抜けている。
理論に裏打ちされているというよりは様々な情報を暗黙知として彼の中で統合し、ひらめきを得るタイプの、ある種天才的な勘が働くタイプだ。
「多分だが、骨だな。足首から脛あたりのどこか、だと思う」
そうか、と男は飲み込む。
「…沖野、生徒会や理事会がやってる研究プロジェクトの件は知ってるな?」
男は新たな煙草に火をつけ、もう一本を沖野にも勧める。
「実はこの間の宝塚記念、俺も現地に行ってたんだが、彼女のことが気になってな。戻ってきてからアグネスタキオンに相談したんだ。怪我の予防に対する研究をテーマにすることと、俺の分野で何かできることはないか、とね」
まぁ自分でできることが思いつかなかったから相談してみたんだが、という本音の部分も添える。
「話した時点で、タキオンも同じところに課題を持っていた。今は領域を横断した怪我の予防策がない、と言ってたよ。そのあとたぶんタキオンが生徒会になにか話をあげたんだろう。この間シンボリルドルフとエアグルーヴがここに話を聞きにきた」
男は肺を煙で満たし、ゆっくりと吐き出す。
「沖野お前、スズカの話を研究テーマにねじ込め。スズカは現役の競走ウマ娘だし、生徒会のエアグルーヴはライバルだしでかなり扱いが難しいとは思うが、悪いようにはされないはずだ」
沖野は額に手を添え、考え込んでいるようだ。
「…リギルの時でさえ、ちょっとした行き違いが不調の原因になったからな…正直、スズカ自身が研究対象として周りから見られることに耐えられるかどうか…」
沖野の言うことも理があった。
「…まぁ今すぐにどうしろとは言わんよ。でも、困った時には頼るところがあるってことを覚えておいてくれたらいい」
男の言葉に沖野は頷きを返す。
「ところで、夏合宿のサポート巡回はいつ来るんだ?今回ウチは海で合宿の予定なんだが」
「多分後半だと思う。前半は山で合宿してる所属チームのない子たちのところをまわって点検やら講義やらやる予定だ」
沖野はうちのとこに来たら新しいメンバーも増えたから紹介させてくれ、と言いつつにやりと笑う。
「そういえばこの間、おハナさんがひどい二日酔いでトレーナー室に来たことがあってな…お前、何か知らないか?」
男は沖野の様子を見ると、おそらくこれは何かのアタリを付けられてるな、と察する。
「お前が思うような色っぽいことはないぞ。いつものバーに呼び出されて絡まれて向こうが勝手に潰れただけだ」
男は素っ気なく返す。
「ほほう…学園装蹄師サマは今、モテモテらしいからなぁ。俺んとこにもいろんな噂が入ってきてるぞ」
男は天を仰いで煙を吐き出す。
「勘弁しろよ…お前が知ってるってことはだいたいみんな知ってんじゃねぇか。どんな噂か知らねぇけど、だいたいこんなおっさんに年端もいかない娘との色恋話があるわけないだろが」
沖野は人の好い笑みを浮かべる。
「まぁお前さんはなんか間違いしでかすようなタイプじゃねえから、こうやって安心して噂話にできるわな。謹厳実直、職人気質、堅物で仕事の腕も確かときた。たしかに俺らはもうおっさんになっちまったが…でもなぁ、中にはそういうのが好みの奴もいるのかもしれんよ」
はぁ、と男はため息をつく。
「俺、そういうの全くピンと来ないんよねぇ。昔はクルマ、今は蹄鉄をいじってしばいて、気づいたら今だからね…沖野みたいに夢を追ってるわけでもないしな」
沖野はその言葉を聞いて驚いた表情を浮かべる。
「夢なら追ってるじゃねぇか。ウマ娘たちを怪我のないように、あれこれやってくれてるのもひとつの夢、だろ?」
男は煙草を咥えたまま、唸る。
「んー…それはなんていうか…夢ではなく贖罪、かな…」
沖野は男のその言葉を聞いて、表情を硬くする。
「そうだったな…悪い」
男はかぶりを振る。
「別にいいさ。事実だからな。尤も、ここの娘たちには関係のない話だし。俺の個人的な事情だよ」
二人は沈黙の中、改めて煙草をゆっくりと味わった。
沖野が去ったあと、男は作業を再開する。
機材類は粗方積み込みを終了したので、それらを車内でレイアウトを工夫し、出張先で展開しやすいように調整し、余ったスペースに補修用資材やサービス展開用のテントなどを積み込む。
だいたい納得いく形に収まったころには、日が長いこの時期でも暗くなり始める時間であった。
「やぁ兄さん。声をかけてくれればこのくらい手伝ったのに」
ハイエース車内をごそごそしていた時に声を掛けてきたのはシンボリルドルフだった。
鞄を持っていて、もう今日の仕事は終わって寮へ戻る途中らしい。
「こんな力仕事に生徒会長の御助力なんて勿体ない。妹よ、君の能力はもっと生かすべきところがあるはずだ」
男が多少芝居がかって返すと、シンボリルドルフはちょっと傷ついたような表情で、耳をしょんぼりさせる。
「まぁそうしょんぼりするなよルナ。帰りに寄ってくれたのか?」
ルナと呼ばれたルドルフは、わかりやすく耳をぴょこんと復活させる。
「あぁ。ここのところ忙しかったからね。久しぶりに鉄分を補給したくなったんだ」
男はルナが昔からたまに言う「鉄分の補給」という言葉にいまいちピンときていない。
「そりゃいろいろあるよなぁ。こないだの話も、忙しいのにここまで来てもらって悪かったな。今度からは呼んでくれたら出頭するから」
男は先日エアグルーヴがゴールドシップを追って掻き消えたのち、スペシャルウィークがかいがいしくニンジンを焼いてくれる七輪を挟んで、アグネスタキオンの意見書について話を聞かれていた。
その際はスペシャルウィークが居た手前、ルナではなくシンボリルドルフのたたずまいであった。
「この間はスペシャルウィークにも緊張させてしまって、申し訳なかったな…」
ルナは苦笑いしながら言う。
彼女はシンボリルドルフとしての自分が人にある種の威圧感を与えていることを自認している。ゆえに、本人はイメージを柔らかくするためあれこれ取り組んではいたが、それはあまり功を奏していない。
「ちょうどいいや。もう終わりにするから、飯でも食いに行くか?」
夕飯の当てのない男は、片付けたらこのままハイエースで食事にいくつもりであった。そこにたまたま来た妹分は、道連れにするには適任と思われた。
「…同行して良いのか?」
ルナはこのところ男に対する自分と自分を取り巻く人間たちの心情ががらりと変わったことを思い、それに起因する良心の呵責を感じながらも、男に対してこれまで通りの反応をしてしまう。
「いいよ。たいしたもんじゃないけどちゃんとおごってやるぞ。兄だからな。ちょっとそこで待ってて」
男はにこやかにそう話しながら工房を閉め、ハイエースも整えていく。
その姿を見ながら、ルナは自分たちが彼に対する想いを様々に巡らせていることも知らずに、ただ変わらずにいる男を頼もしく思うと同時に、この危ういバランスがどこまでも続くとも思えず、その見通せない先の時間軸に怖さをも覚えた。
男との夕食のひとときは、そんな懸念を心の片隅にしまうシンボリルドルフを置き、ルナとして安らぐことができたひとときとなった。