男は山の合宿所を後にし、数カ所を数日ずつ転々とした後、最後に海辺にある合宿施設にたどり着いた。
そこは東条ハナ率いるリギルと沖野が率いるスピカ、他にも数チームが合宿を行なっている、いわゆるチーム専用の合宿エリアだ。
いくつかホテルや旅館があり、そこにチームごとに分かれて宿泊している。
男は昼前に現地へ到着すると、ホテルや旅館が共用で使用している駐車場の片隅にこれまでと同じようにテントを張り、サービスポイントを設営する。
「やっときたか」
まだ関係者に挨拶にまわる前から、早速沖野がやってきた。
「早速のところで悪いが、ちょっとチーム全員のシューズの様子を一通り点検してくれないか。合宿もぼちぼち終盤だし、脚の状態も把握しておきたいんだ」
駄賃とばかりに冷えた缶コーヒーを手渡されるのを、設営で汗だくの男はありがたく封を切る。
「…スズカの様子が気になるのか?」
男は煙草に火をつけながら沖野に問う。
「正直な話、な。だから今日は早めに切り上げて点検名目でシューズ回収してチェックしておきたい」
それと、と沖野が付け加える。
「先にお前のスケジュール押さえないと、モテモテの装蹄師サマはお忙しくなっちゃうだろうからなぁ」
その言葉を聞いた男は煙草が苦く感じる。
「なんだかわからねぇけど、めんどくさいのは勘弁してほしいね…」
男は煙と共に感想を吐き出した。
「今日の練習終わりにシューズ届けさせるから、頼んだぜ」
それだけ言い残し、沖野はトレーニングに戻っていった。
その背中を見送り、男も作業を再開した。
夕刻、仕事のための展開を終えたテントでベンチに腰掛けひと息ついていると、まばらに今日のトレーニングを終えたと思しきウマ娘たちが宿に戻ってくる姿が遠目に見える。その中からひときわ長身のウマ娘と数人の集団ががこちらに向かってきた。
「おーいおっちゃーん!」
聞きなれたその声はゴールドシップだ。
「来たか。シューズ持ってきたか?」
するとゴールドシップが不思議そうな顔をして頭上にはてなマークを出す。
「シューズ?なんのことだ?アタシはおっちゃんの匂いがしたからみんなを紹介にきてみただけだぜ!」
男も頭上にはてなマークが出る。
「…ひょっとしておっちゃん、ウマ娘のトレーニング後のシューズフェチとかいう特殊性癖持ちだったのか…?アタシのトレーニング後のかぐわしいシューズであんなことやこんなことを…そうならそうと言ってくれればゴルシちゃんの使用済みシューズくらいおっちゃんにいつでも…」
ゴールドシップの妄想が脳から直で垂れ流されている。これはあらぬ方向に話が行きかねない。
止めなければ、と思ったところで小柄でスレンダーな芦毛のウマ娘が、ゴールドシップにアイアンクローを決める。
「…トレーナーさんが点検のために装蹄師の方にシューズ提出するように仰っていたの、忘れましたの…?」
アイアンクローを解かれて悶えるゴールドシップをよそに、スレンダーな芦毛の娘は男に向き直る。
「自己紹介が遅れまして申し訳ございません。私、メジロマックイーンと申します。以後お見知りおきを。シューズは後程まとめてお届けいたしますわ」
軽く礼をする姿に男もつられて頭を下げる。
ジャージ姿でも気品溢れる立ち姿はさすがメジロ家の令嬢といったところか。そういえば前にも沖野にプロレス技をかけているところを見たような気がする。
「君がトレーナーが言っていた装蹄師?ボクはトウカイテイオー。未来の三冠ウマ娘だから、よくおぼえておいてよね!」
マックイーンに割り込むように男の目の前に立ったのは溌剌としてボーイッシュなイメージのトウカイテイオー。その素質については前から学園内で噂になっており、男もその話を耳にしたことがある。なかなか所属チームを決めなかったとは聞いていたが、沖野のところに納まっていたらしい。なぜか彼女は男を値踏みするように頭の先からつま先までをじっくりと眺めまわしている。
「…スペとスズカはおっちゃん会ったことあるよな。あとふたりいるけど、張り合って追加トレーニングしてるから、またそのうち紹介しにくるぜ…」
アイアンクローの痛みを引きずっているゴールドシップがよろめきながら復活してくる。
「早めに取りまとめて持ってきてくれ。今夜中に点検して明日の朝にはフィードバックしてやるよ」
男はそういうと、トレーニングで疲れた彼女たちを宿に戻って休むよう促した。
男は早めの夕飯を宿でとった後に再びサービスポイントに戻り、静音型の発電機を稼働させて夜間用の照明を灯し、点検作業を開始した。
シューズからくぎ抜きで蹄鉄を固定している釘を外し、蹄鉄とシューズを分離する。
多人数のものを一気に作業していくため、シューズと蹄鉄は対に揃え、持ち主の名を書いたタグを付して整理していく。
次に蹄鉄をひとつずつ綺麗に洗浄する。
水気を切ってよく乾かしたら、ここからは普段は行わない、探傷剤を使った作業になる。
ひとつひとつに溶剤系の洗浄液を使いウエスで拭き上げたのち、赤色の特殊液剤を全体に塗布してまた拭き取る。そののち、白色の現像液を吹き付ける。すると、キズやヒビのある部分に赤色が浮かび上がって見えるようになる。
普段は工房の慣れた照明で作業を行うためにあまりこの手法を使うことはないが、出先での作業となるといつもと環境が違うために微細なキズや割れ、ヒビを見逃さないようにするための処置だ。
合宿はレースではないため何か異常があればすぐに止まることもできるためにあまりシューズや蹄鉄由来のトラブルは多くはないが、なにかの兆候が現れる場合もあるので慎重にひとつひとつを観察し、カルテ代わりのメモに記録しながら判断をつけていく。
幸いにもダイワスカーレット、ウオッカ、メジロマックイーン、スペシャルウィークまでは蹄鉄に問題は見られない。シューズのへたりもそこまでではなく、この合宿は問題なく乗り越えられそうだ。
ゴールドシップの蹄鉄はスピカメンバーの中でもひときわ大ぶりで頑丈なタイプで、全く問題はないが何故か他のメンバーよりも塩水のものとみられるサビが多い。
未来の三冠ウマ娘とのたまったトウカイテイオーのものは蹄鉄というよりシューズとソールのへたりが激しい。おそらく足首や足の指、足裏全体が柔らかくシューズそのものを大きく変形させながら走れる柔軟性の持ち主であろうことが推測される。走る姿をきちんと見たことがないのでわからないが、おそらくフォームもストライドが大きく、一歩の推進力がかなり大きいのではないかと思われる。あの小柄な体格を考えると、体への負担がどの程度か心配になるところではある。
そしてサイレンススズカ。
一見するところ何の問題もなさそうだが、探傷剤を使ったがゆえにところどころにヒビがあることが分かった。そのヒビも左右の蹄鉄で同じような位置に数か所ある。
おそらくはフォームが安定しているがゆえに左右均等に同じような症状が現れるのだろうことは推測できるが、問題はヒビの原因だ。
本来、蹄鉄は大きい力が繰り返し加わった時に折れるのではなく、歪み、曲がる。
しかし歪んだものは蹄鉄の釘を打ちなおしたり締めなおしたりすれば、ある程度は元に戻すことができる。
それを繰り返すとだんだんとひびが入り、最終的には折れる。
スズカの蹄鉄にはおそらくそれが原因と思われるヒビが入ってきているのだ。
そしてそもそも蹄鉄はそう頻繁に歪むほど柔らかくはできていない。
蹄鉄にそれほどの力が繰り返し加わっているということは、本人の完成度が高く出力が大きいことの証明ではあるが、同時に体の負担もかなりのレベルであることがうかがえる。
沖野の不安はこの時点で、正鵠を得ているということになる。
筋力の出力に身体、具体的には骨や関節が耐えうるかどうかが問題となるからだ。
沖野の取りうる策はなんだろうか。
スズカのフォームを改造して脚への負担を減らす策を模索するか。
あるいはこれに耐えられる脚をつくる方策を考えるか。
どういう方針をとるとしても、スズカ本人とよく話し合う必要があるだろうし、骨の強化となると医療スタッフの手を借りてもきちんと効果のある形を実現できるかどうか怪しい。
こうなると、前にアグネスタキオンに話していた怪我の予防策の体系化についても急がなければいけなくなる。
この手の話には時間と膨大なデータが必要になる。
この間のイクノディクタスのシューズはイメージ通りのモノをつくることが出来れば物理的に解決することができたが、今度はそうはいかないだろう。手段を見つけ出す過程自体が未知の領域となれば、仮説を見つけ出すこと自体に膨大な手数がかかってくる。方針を決めて取り掛かってみないとわからないが、すぐに結果がでる類のものではないだろう。
いろいろわかってくればくるほど、あれもこれも足りないと思わざるを得ない。
そして、それでもサイレンススズカのレースはやってくるし、時間は進んでいくのだ。
男は思考を整理するために手を止め、煙草に火をつけた。
「おやぁ。遅くまでこんなところでなにをしているんだい?」
ゆらりと暗闇から現れたのはアグネスタキオンだ。どうやらここの合宿に参加していたらしい。
「お、ちょうどいいところに。今、タキオンのことを考えてたんだ」
男の言葉に彼女はちょっと怯んで耳をぺたんとさせ顔色を変えるが、男の前にあるものがサイレンススズカの蹄鉄とわかると元に戻る。
「君はいきなり何を言い出すんだまったく…この間の件のこと、だね?」
男は煙を吐き出しながら頷く。
「骨を強化する薬か、時間の流れをゆっくりにする薬か、俺たちの頭がとんでもなく良くなる薬、ないもんかね」
男は腕を組んで煙草を咥えたままテントの天井を見上げ、呟く。
「君も真面目だねぇ…しかしそうも視野が狭まってはいいアイデアも浮かぶまいよ」
タキオンはそういうと作業台と兼用のアウトドアベンチに腰掛ける。
「正直、テーマのスケール的に俺の手に余るんじゃないかとは思ってるんだけどね。知っていて何もしなくてコトが起こってしまうのでは寝覚めも良くない」
男は素直に心情を明かす。
タキオンが相手だとどこか沖野やおハナさんと話す様に同年代とのやりとりのようになってしまう。
「つくづく律儀な男だねぇ君は…これも自分たちがやっているビジネスの一部、とは割り切れないものかい?」
タキオンの言葉に、男は少し傷つく。
「ビジネスっちゃあビジネス、仕事ではあるんだが、そう言っちまったら身も蓋もロマンもないな。俺はお前たちを商売の道具と割り切れるほどドライな人間じゃないつもりだよ」
ウマ娘によるレースが興行であり興業であることは否定しないが、それでも男はウマ娘たちの純粋な勝ちたいと思う気持ち、それに向かって努力する姿勢を飯のタネだと思うほどにはスレていなかった。過去に自分自身が種目こそ違うが競技をしていた経験も影響している。
「自分が挑戦したい、勝ちたいって思う舞台が見つけられたウマ娘たちの助けになりたいと思う。だがな、それを叶えられる競技者としての寿命は生命寿命と比較すればひどく短い。なら、競技者を全うして次のステップに無事に進めるようにしてやるのも、俺たちの仕事のはずだよ」
タキオンは俯き加減で光の当たらない暗い瞳で、左手の煙草から立ち昇る煙の向こうにある男の思案顔を観察する。
「クックック…君はこういう話をするとき、実に良い表情をするねぇ…そういうところに、生徒会のトップ2もコロリとやられてしまうのかねぇ?」
男はタキオンからの思わぬ言葉に片眉をあげる。
「いやいやなんなんだよ最近…いろんな奴からイロコイ的な話されるが、こんなおっさんに浮いた話のひとつもあるわけないの、わかるだろうに…」
タキオンはフフッと笑うと困ったような表情を浮かべる。
「いやはや本人がこうも鈍感というか神経が通っていないような有様だと、周りも苦労するわけだよ。まぁ私が特にどうこう言うわけにもいかないが…」
男はタキオンが全く意味不明なことを呟くのを聞き流しながらスズカの蹄鉄を手に取り仔細に観察する。
しかし見事に蹄鉄の限界性能を使いこなし、それがゆえに起こったキズやヒビは、それ以上に男になにかヒントを与えてくれることはない。
「まぁとにかく今は焦れても仕方ないか。タキオンの方も引き続き予防策の具体化、考えてくれよ。お前の研究目的とも合致するんだろう?」
男は蹄鉄の探傷剤をひとつひとつウエスで拭き取り始めながら言った。
「もちろん考えているよ。生徒会も動きだしているし、理事会の方もこの研究テーマに対するディレクターを置こうかと考えているようだ。コトと次第によってはもう少し話が大きくなるかもしれないね」
それならそれでもいいが、時間はかかるかもしれないな、と男は思う。すでにサイレンススズカの状態を課題としてとらえている身としては、時間が惜しいが、物事はそう簡単には進まないことも理解している。
「ある程度形になるまで何も…何もなければいいんだがな…」
タキオンは頷くとおもむろに立ち上がり、男の頭に手を置く。
「…?なんだ?汗で汚れてるから触らないほうがいいぞ?」
男の言葉も気にせず、タキオンは男の頭を撫でる。
「なに…抱え込みすぎている君が、少しは癒されないかと思ってね。人の手のぬくもりは落ち着くものだろう?」
男はよくわからずにタキオンに撫でられている。夜風が涼しい海風を運んできて、不思議な空間だ。
「…よくわかんねぇけど…頼りなく見えたんなら申し訳ないな。生徒のお前にまで気を遣わせちゃって、すまん」
おや、という顔をするタキオン。どうやら男はウマ娘たちの前ではあくまで大人であろうとしているらしいことを理解し、手を引く。
「差し出がましいことをして済まなかったね。まぁ私は私でいろいろやってみるとするよ」
タキオンはそれだけ言い残すと宿舎であるホテルに去っていく。
尻尾だけがせわしなくばさり、ばさりと揺れていた。
大変ご無沙汰して申し訳ありませんでした。
ちょっと書く時間が取れない日々が続いてしまい、品質も不安定ではありますが再開いたします。
細々と続けて参る所存ですので、またお時間のある時にお付き合いいただければと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。