学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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38:リギルの会議室で囲まれる男

 

 

 シンボリルドルフは装蹄師の男に話を聞く場をセッティングするための方法を思案した。

 しかし正面からぶつかって沖野との話を聞いてしまったことを持ち出すわけにもいかず、かといって合宿中である現在、なんの脈絡もなくアグネスタキオンとの研究の話を持ち掛けるのも不自然であり、どうするべきか悩んでいた。

 悩んだ結果、沖野と男が言い争う現場を一緒に見ることになった自らのトレーナー、東条ハナに助力を請うことにした。

 

 東条ハナも男と話す必要性を感じていたらしく、リギルとして装蹄師の男と打ち合わせをしたいという建前をつくり、そこにルドルフやエアグルーヴも同席するという形で呼び出すことを提案してくれた。

 

 シンボリルドルフはその提案に乗り、夜にホテルの会議室をおさえて場をつくった。男と沖野のやりとりを一緒に目撃することになったマルゼンスキーにも声をかけたが、人数が増えるとこういう話はうまく聞き出せないものだ、と彼女は同席を遠慮するとのことだった。

 

 

 そのような経緯とは知らずに男は夜、東条ハナからリギルの宿泊するホテルに呼び出されていた。

 さすがに日中作業したままの格好で行くのも気が引けたため、自らの宿に戻りシャワーを浴びて着替えてから、指定の場所に出向く。指定された場所は会議室で、てっきりまた以前のように酒でも飲みながらの軽い打ち合わせと思っていた男は多少面喰らいながらも、どこかに移動でもするのだろうと軽い気持ちで入室する。

 

 ところが会議室に入ってみれば、そこには東条ハナとシンボリルドルフ、エアグルーヴがいた。

 

「あれ…まだ来るの早かったか?」

 

 リギルの打ち合わせの中に来てしまったかと思い、男はとぼけた様子で東条ハナに問う。

 

「いいのよ。この2人にも同席してもらうから」  

 

 トレーナーとの話をする上で生徒が同席するのは不自然ではあったが、そもそも大人の領域に片足以上突っ込んでいるシンボリルドルフとエアグルーヴである。男はさしたる疑問も抱かず席に着く。

 

「で、リギルとしての依頼ってのはどんなことなんだ?」

 

 開幕一番この間のバーでのおハナさんの酒乱ぶりをいじりたい気持ちもあったが、会議室という空気とシンボリルドルフ、エアグルーヴという生徒の前であることから自制する。

 

「あなた、スピカの全員分のシューズと蹄鉄の点検をしたんでしょう?ぜひそれをうちのチームでもやってほしいのだけど」

 

 男は頷く。もっともスピカに比べればリギルは全体的に優等生でまとまっており、シューズや蹄鉄の管理についても同様であろうと予想された。引き受けたところで、あまり男の出番は多くないだろう。

 

「やるよ。だけど全員一気にってのはちょっと時間が厳しいから、半分ずつ、2日に分散してくれると助かる。それなら練習終わってから夜間に作業して、翌日朝には戻せる。量を抱えて作業中に力尽きて朝、ルドルフに見つかるのはさすがにアレだからな」

 

 男はそう言ってルドルフを見やると、彼女は苦笑いのような表情を浮かべている。

 

「なにか特に注意しておいてほしい点とか気になる点があれば、持ち込み時にでもオーダーしてくれればそこは重点的に見る。おハナさん的に気になる娘はいるのか?」

 

 東条ハナはふぅ、と一息入れる。

 男の仕事のスタンスは今のやりとりで概ね理解できた。スピカにも同じようなクオリティでやりとりしているだろうことも推測できる。

 

「…そうね…グラスワンダーとフジキセキに関しては少し注意してもらいたいわ。それ以外は今のところ脚部不安はないけれど、私が気づかないような癖が出ているようなら、それは報告が欲しいわね」

 

 男はコクリと頷く。

 

「じゃあ、早速明日からかな。話は、それだけ?」

 

 昨夜の睡眠不足もあり、早々に話を切り上げようとする男に、シンボリルドルフとエアグルーヴは慌て、東条ハナは男を手で制止する。

 

「待って。その…まだ聞きたいことがあるのよ」

 

 男は浮かしかけた腰を椅子に戻す。

 

「…ま、そうだろうな。これだけの面子がいて、話がこれだけってこともないか」

 

 男は胸ポケットから煙草とライターを取り出し、卓上に置く。無意識に行った行動だったが、腰を据える意思表示のようなものだった。

 

「…気を悪くしないで欲しいんだけど、聞いてしまったのよ。昼間の貴方と沖野との話をね」

 

 東条ハナはバツが悪そうに視線を逸らしながら告げる。

 男はため息をついた。

 

「そうか…聞かれちまってたか。どうする?URAにでも報告をあげるか?」

 

 トレーナーはURA主催のレースに出場登録のあるウマ娘たちの状態について、健康状態やトレーニング記録、競争能力についての報告義務を負っている。

 基本的には自らのチームのウマ娘たちに対してその義務をこなした上で各レースへの出走登録を行なうなど、各種手続きを行っていくのだが、トレーナー全般に共通する基本的な義務として、ウマ娘たちの健康管理がある。これは自分が担当であろうがなかろうが関係なく、全トレーナーがすべてのウマ娘に対してもっている基本的なものである。

 しかしチームを持つようなクラスのトレーナーの場合はそれはほとんど建前と化しており、他チームのウマ娘に対しての報告を行うことは越権とみられる雰囲気がある。お互いの利害が直接衝突するような関係性であるため、不文律として他チームのウマ娘のことで気づくことがあっても報告をあげることはまずない。せいぜいがトレーナー同士の信頼関係に基づいて、情報交換と称してこっそりと伝え合う程度だ。

 

「まぁそれは最後の手段ね…もっとも、私が報告をあげたところで、今のスズカの人気を考えれば握りつぶされるのがオチでしょうけど」

 

 URAは興行組織だ。営利団体ではないことになっていて、法律で規定されている存在である。

 それは未成年のウマ娘たちをレースで競走させ、歌い踊らせるという普通に考えればなかなかに際どいことを開かれた形で行うために、彼女たちの本能的な競走本能と学校教育、さらにはウマ娘という存在の社会的地位を向上させるという目的のもと、文科省と厚労省が捻り出したウマ娘振興基本法という法律に基づいて設置された特殊法人がその存在の元締めだ。

 レース開催に伴う興行収入やグッズ販売などから得られる収入はさまざまに分配され、トレセン学園の運営やレース場の運営、ウマ娘社会の振興などに役立てられ、最終的には一定割合が国庫に納付されるという仕組みで、現代版のパンとサーカス、そのサーカスの部分といえた。

 サイレンススズカはそのサーカスにおいて現在最も注目されている一人であり、人気商売であることを自覚しているURAが根拠薄弱な報告をもとに何か措置を取るかと言えば、URA側もなかなかに難しい判断となり、すぐに動くことはないだろう。

 

「…ここにルドルフとエアグルーヴがいるってことは、お前たちも聞いたのか?」

 

 男の問いに、ふたりはこくりと頷く。

 

「その…沖野トレーナーに詰め寄る姿は、なかなか雄々しくて勇壮だったぞ」

 

 シンボリルドルフは何故か頬を赤らめながら褒めてるんだかなんだかわからないコメントを繰り出してくる。

 

 男は天を仰いで、無意識に煙草に手を伸ばす。

 ここは禁煙ではないようだったが最低限の配慮をして、席を立ち窓際に寄り、窓をあけて火をつける。

 エアグルーヴが会議室の隅に固められている備品の中から灰皿を取り出すと、窓辺の男に差し出してくれた。

 

「恥ずかしいところを見られちまったってのはこの際置いておくとして、その上で、俺に何を聞きたい? スズカのことはおハナさんが懸念してたことが現実化しただけだし、それ以上のことは今のところ考えられるリスクについて沖野と俺が見解の相違を起こしてるだけだ。他チームのことだし、ここで何かを語るのもあまり行儀のいい話とは言えないぜ」

 

 男は不機嫌とまではいかないが、あまり探られたくないところを探られるのを警戒してしまい、口調は少し斜に構える格好になる。

 

 東条ハナは窓際で外を眺めながら煙を細く吐く男に向き直り、口を開いた。

 

「…この子たちの前で話すのも気の引けることはあるのだけど…ドライにいえば、勝負の世界に生きてるウマ娘も、私たちトレーナーも、さまざまなリスクをとって戦っているわ。怪我は避けられない定め、身体の作りも、足の強さも、生まれ持った体は才能の一部、という言葉で片付けて、ある意味運任せにしている部分があるのは否定しない」

 

 おハナさんはいつもの冷徹そのものの表情で語る。

 

「でもね、彼女たちが競技者として輝くのは生まれてから死ぬまでの長い時間の中の、ほんの僅かな期間だけ。そこに全てを賭けて、引退後の日々に支障が出るような怪我、ましてやレースで命を失うなんてことは当然望んでいない。だけど、ほんの僅かな期間がものすごく濃密であるからこそ、後悔させるような選択もしたくない。いつもその狭間で揺れて、悩んで、眠れなくなるのがトレーナーという職業の一側面よ」

 

 冷徹に見えるその表情、その印象をさらに強くしているのが眼鏡だが、実はその奥にある彼女の瞳は、はっきりと憂いを湛えて男に視線を向けている。

 

「沖野はメンタルコントロールの難しいスズカをよくここまで導いてると思うわ。正直、私にはできないことをやってくれて、感謝しているのよ。これまでの経緯も含めて、怪我のリスクを踏まえてスズカを導こうとしてると思う。怪我を恐れてはレースはできない。それは貴方もわかっているはず。それでもなお…沖野と対立してでも止めようとするのは何故?」

 

 男は灰皿に煙草を揉み消し、二本目に火をつける。

 東条ハナ、シンボリルドルフ、エアグルーヴはその男の背中を見つめている。

 

 少しの間静寂が流れ、男はぽつり、と呟いた。

 

「ダブるんだよなぁ…今の沖野と、スズカ。昔の俺と、俺が怪我させちまった後輩と、さ」

 

 簡潔に話すのが難しいから、ちょっと長くなるけどいいか?と男が問う。

 三人は言葉を発せず、代わりにこくりと頷いた。

 

 男はこれまで、沖野以外には話したことのない自分の過去について話し始めた。

 

 

 男が装蹄師の師匠格である老公と知り合う前の話だった。

 学生時代に男が取り憑かれたレースは、ウマ娘のレースではなくクルマで行うレースだった。

 

 男はクルマのレースがしたかったが故に、大学に入学するなり自動車部に入部した。

 部活動を通して車両整備やレースカー製作を学んでいきドライバーとしても活動したが、運転の腕は同期の中でも真ん中かやや下で、どちらかといえばメカニックや車両製作の領域を得意とした。

 鉄の加工の基礎はこの頃の経験が元になっている。

 部は弱小かつ少人数であり、大会に参加することは楽しかったが、成績は常に参加賞レベルという状況だった。

 男はやるからには勝ちたいという思いを募らせていった。

 

 最終学年時には大会を絞って取り組んだおかげでどうにか入賞圏内に入る結果を残せたが、それでも表彰台には届かず仕舞い。

 悔しい思いをしたが、弱小でもやりようで勝負ができるという背中を後輩に見せて、引退。

 

 しかし男は部活にのめり込みすぎたが故に留年してしまい、時間を持て余した結果、翌年も部にアドバイザーのような立ち位置で関与していた。

 男たちの代の奮闘を見ていた後輩たちは、その意思を引き継いで活動していく中で、その年の大会参加スケジュールは男たちが結果を残した大会も当然参加予定だった。

 

 ある日、後輩の主将から、相談を受ける。

「どうしても今年、あの大会で勝負しに行きたいんです。勝ちたいんです」

 男はその熱意を買い、積み上げてきたノウハウも全て後輩たちに伝え、その上でさらに攻めた車両製作の指揮を執った。

 

 作り上げた車両は攻めたといえば聞こえはいいが、その実態は極限まで耐久性を犠牲にした超軽量マシンだった。

 

「…そのクルマで後輩たちをレースに送り出したんだよ、俺は」

 

 結果はマシントラブルによるリタイヤならまだよかったが、実際は競技中にボディの剛性不足でメンバーが裂け、足回りが脱落してクラッシュ。

 ドライバーはコントロール不能になったクルマで、そのままサーキットの壁に激突。

 その時ステアリングを握っていた後輩は一時は生死の境を彷徨い、奇跡的に一命は取り留めたが後遺症が残った。

 後輩は二度とステアリングを握れない体になってしまった。

 

「いける、いけるはずだ、なんとかレース中は持ってくれ…そんな運を天に任せたクルマを作ってしまった。

 リスクをかなり取って競争力を高めている、本当にギリギリ、いや、超えちゃいけない一線を超えたクルマだった。

 それでも勝ちたいという欲求に抗えずリスクを取って、後輩たちを送り出した。

 その結果が、これだよ。後悔してもしきれない」

 

 男はすっかり燃え尽きてしまった煙草に気づかず、涙こそこぼさぬものの目を赤くしていた。

 

「怪我はつきもの、だよ。どんなスポーツでもな。だが、それは偶発的な出来事で、安全にどれだけの万事を尽くしても防ぎようがなかった上で、納得するための言葉だと思う。沖野とスズカの今の姿は、あの時の俺と後輩そっくりで、見てられないんだよ」

 

 男は一息ついて新たな煙草に火をつける。

 

「その後、何もやる気が起きなくてしばらくフラフラしてたところを、人づてに紹介された装蹄師の老公に拾われて今に至ってる。なんの因果か、中身は違えどレース関係、しかも生身が走る競技ときた。ならば今俺にできることは、同じ間違いを犯さないようにすることだと思ってやってるよ。長くなったけど、これが俺の答えだ」

 

 会議室に静寂が訪れる。

 

 東条ハナは眼鏡を外し、左手で目を覆うようにして動かない。

 シンボリルドルフは切なげな表情で、耳をしおれさせていた。

 エアグルーヴはいつもの怜悧な表情を崩していなかったが、瞳からボロボロと涙を流している。

 

「…別に御涙頂戴で話したわけじゃないぞ。だいたい、こんな話はごまんとあるだろう。この世界でも」

 

「…聞いていて、私も過去の教え子のことを思い出してしまって…」

 

 東条ハナは目元を拭う。幸せな結末ばかりではない勝負の世界でここまで実績を残し続けるには、それなりの修羅場もくぐってきているだけに似たような経験を男よりも数多くしてきたはずだ。

 

「…沖野には私からも話してみるわ。何よりもスズカの意思が大事だけれど、沖野にスズカとコミュニケーションさせることも含めて私の仕事ね」

 

 おハナさんは眼鏡を掛け直すと、表情を引き締めた。

 

「私も…スズカと…話してみよう…数少ない友人を不慮の…事故などで失いたくはない」

 

 エアグルーヴは涙を拭いつつ、えぐえぐしながら申し出る。

 普段感情を表に出すタイプではないが、男はここ最近、随分と彼女の感情の振れ幅を目にしている気がする。

 泣き顔のエアグルーヴはいつもの美形が引き立ち、美しいなと男は場違いな感想を抱いた。

 

「それなら私は、URAへの働きかけとタキオンの研究のさらなる加速に尽力しよう。志を同じくする兄さんの悲しい過去を聞いたなら、その思いを無碍にするようなことはあってはならないな、妹としては」

 

 綺麗事ばかりでは済まないことを知りつつある立場のシンボリルドルフは、今こそ力の使い時と考えた。

 もちろん男の思いを形にしたいという感情もあったが、それ以上に己の願うウマ娘たちの幸福のためにも、取り組むべきだと思った。

 

「まぁ…とはいえ、一番はスズカがどうしたいか、だろうな…」

 

 彼女たちの助力を得ることで、安全に万事を尽くすことはできるだろう。

 それでもレースを走るサイレンススズカは、男が積み上げる状況証拠で歩みを緩めるとは思えなかった。

 

 一同はサイレンススズカの行く末を思い、共有した悩みをより一層深くした。 

 




みなさまいつもお読みいただき、コメント、誤字修正等ありがとうございます。
なかなかバキバキに硬い展開で恐縮です。
そのうちまたしっとりしたりもするはずなんで、引き続きよろしくお願いいたします。
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