男は本部テントから少し離れた、ステージ作業の人間向けに臨時に設営された喫煙所に赴く。
さすがに作業も終盤となり日も暮れてきたことから人はおらず、男はそこで煙草に火をつけた。
喫煙所からでもステージ全体が見渡せ、今は各機材の動作チェックに入っている様子が伺える。色彩豊かにステージ上を照らし出す照明はとても鮮やかで、眩しい。
「…こんなところで油売ってたのね。作業は終わったの?」
ステージの煌びやかさに目を奪われて、暗闇から近づいてきた東条ハナに気が付かずに、突然聞こえてきた彼女の声に面食らう。
「…さんざんこき使われて、ぐったりだよ。だいたい俺の役割は終わったんじゃないかな」
男は驚いた内心を隠すかのように、胸ポケットから取り出した煙草の箱を差し向け、なんとなくおハナさんに煙草を勧めてしまう。
「…たまには1本くらい、いいかしら」
意外にもおハナさんは男の差し出した箱から一本抜き取り、咥えた。
「ん」
彼女は煙草を咥えたまま男に煙草の先端を差し向ける。
まさか吸うとは思っていなかったのでさらに面食らいながら、咥え煙草を差し出す彼女を茫然と眺めてしまう。
「んっ」
二度目の催促に男は我に返り、差し出された煙草に火をつける。
彼女は満足そうににこりとして、煙草を軽く吸い込み火を行き渡らせた後、ゆっくりと吸い込む。
「っ…!」
久しぶりの煙草に眉間に皺を寄せ、細い煙を吹き出す。
「…あんたこんなキッツいの、良く吸ってるわね…体に毒よ」
クールビューティーを地で行く東条ハナの表情の変化を一連楽しんだ男は、力なくにやりと笑って苦情をやり過ごした。
「…なんかあったの?腐ってる雰囲気だけど」
男に水を向ける東条ハナも、ステージ上に目を向けている。
付き合いが長くなるとこういうところでも変に気取られてしまうな、と男は苦笑する。
「…なんかねぇ…さっき、本部のテントでさ、ルドルフが生徒会長の顔で舞台監督と話してるのを見てさ…」
自分の知っているルドルフと違う、成長した皇帝の姿を見て、なんだかすこし寂しく感じたということを、男は少し婉曲に話した。
「…あんたねぇ…今頃そんなことに気付いたの?」
「知ってはいたさ。俺だってこの世界で飯食ってるんだしな。ただ、それはテレビの中の話みたいに感じてたんだろうな、今まで」
「あっきれた。別にルドルフじゃなくても、誰でもいろいろな顔を持っているものでしょうに。あなたは今までそういう顔を持つ必要がないほど社会性に乏しい生活を送っていたのでしょうけど」
おハナさんの後半の指摘が耳に痛い。
「…沖野みたいに裏も表もないようなのもいるけど…あの娘たち、その中でも特にルドルフは脚と頭脳で大きな夢を追って…いくつもの顔を持たなきゃいけない立場なのよ…」
煙草に慣れてきたらしい彼女は、細く長い指先で器用に煙草をもてあそびながら、一筋の綺麗な紫煙をはきだす。
「まぁ…それは頭ではわかるんだけどさ…なんか複雑なわけですよ…」
男はステージと、ステージから離れたPA卓で何やら相談しているシンボリルドルフを視界に捉えながら呟く。
「…あなたはルドルフの兄のようなもの、っていうのはわかっているけど、その言葉を聞くと、兄というよりは父親みたいね」
彼女の指摘に、そうかもしれないな、と思いなおす。男のシンボリルドルフを見る目の原点は、赤子ではないものの幼少期の、ルナと呼ばれていたころの姿なのを思い出す。
「…父親だったらもう少し素直に、立派になった娘を喜ぶだろうよ…俺はほんとに、なんなんだろうな…」
男はすっきりしないものを抱えたまま、乾いた苦笑いをするほかなかった。
「そういえば」
男はふと、思い出したことを口にする。
「リギルは感謝祭で執事喫茶の模擬店、やるんだろう?」
話の突然の転換に、おハナさんもきょとんとしている。
「…ええ、そうだけど」
きょとんとした表情のまま、彼女は応じる。
「…ってことは、おハナさんも執事のカッコすんの…?」
男はステージのほうを向いたまま、彼女の執事姿を想像する。
うん。わりと似合うんじゃないか。
おハナさんの表情がきょとん顔のまま赤くなり、赤くなったことに自ら気づいて恥ずかしさを含ませて苦々しい表情をつくり、次の瞬間持っていたタブレットの角を男の後頭部に打ち付けた。
「…いってぇ!」
「…ファン感謝祭でトレーナーが仮装してどうするのよ、まったく…」
頭を抱える男をよそに、東条ハナは煙草を灰皿に投げ捨てると、ヒールの踵を鳴らして立ち去った。
タブレットの一撃に煙草一本分の時間悶えた男が気を取り直したころ、ステージ上では音響も含めた機材チェックに移行していた。
ステージ上では何人かのウマ娘が曲に合わせて一部のパートを踊ってみたり、それを追うカメラの動作チェックなども行われている。
聞いている話では本格的なリハーサルは明日以降とのことだったから、今はアタリを取りながらの調整時間といったところだろう。
男はPA卓がみえる位置に移動し、ミキサーを含めた音響設備とステージ上の映像演出のスイッチング機材を眺める。
機械が好きなので、こういったものは裏側が気になってしまう性質なのだった。
舞台監督と一緒に機材のすぐ後ろでなにやら会話を交わしているシンボリルドルフ、エアグルーヴの姿も目に入る。
しばらくして舞台監督が男の姿を認めるや、生徒会の二人を伴って近づいてきた。
「装蹄師の先生!今日はありがとうございましたぁ!おかげさまでなんとか間に合いそうですぅ」
いえいえ、と男は苦笑する。
舞台監督は今回の演出プランを簡単に説明してくれる。なかなかに凝ったもののようで、それに呼応して生徒会のほうでも出演者に工夫を凝らすようだ。
「…いつもは同じチームから同じレースに出走させるのを避けたりすることもあるし、脚質や距離適性の違いでステージ上ではまず共演しないウマ娘たち、というのがあるだろう?今回は敢えて、そういう組み合わせをステージにあげてみようと思うんだ」
エアグルーヴが今回の感謝祭ステージの香盤の工夫について教えてくれる。
「それはいい。ファンたちだってここに来た特別感があるな」
男は普段それほどウイニングライブを気にしていないが、エアグルーヴが説明してくれた狙いは確かにワクワクするものを感じる。
「…そうだ、兄さん。今日のお礼というわけではないが、なにかリクエストはないかい?」
シンボリルドルフが男に申し出る。
「今はテストの最中で、私もこの後ステージに立ってみるつもりだ。兄さんのリクエストなら、応えてみせよう」
傍らで聞いていた舞台監督が目をひん剥いて驚いた顔をしている。それを見た男は本当はそんな予定などないに違いない、と思った。
しかし先ほどから抱えるもやもやした気持ちもあって、少し意地が悪いリクエストを思いついてしまう。我ながら性格が悪い、と思いながらも、リクエストを口にしてみることにした。
「…Make debut! できるか?」
世界広しといえども、登り詰めた皇帝にこんなことを言える人間はそう多くないだろう。その証拠にエアグルーヴも舞台監督も、絶句している。
男はウイニングライブを気にしてはいなかったが、シンボリルドルフがデビューし勝利したときにライブで歌ったこの曲、その姿だけは、鮮烈に覚えていた。
皆、この曲を初勝利の歓喜とともに歌い、それぞれの挑戦へ乗り出していく。
その原点の曲を、男は改めて彼女の声で聴いてみたくなったのだ。
しかし登り詰めた皇帝にするリクエストとしては、デビューしたての娘が歌う曲であるからして、明らかにどうかと思われる曲でもあった。
「…いいだろう。少し、待っていてくれ」
シンボリルドルフは不敵ににやりと笑い、ステージ下手へ向かって歩み出す。そのあとを、慌てた様子でエアグルーヴが追いかけていった。
舞台監督は顔色を変えて音響に楽曲の準備を命じ、トランシーバーで撮影班に簡単な撮影プランを伝え、照明、舞台美術と指図を繰り出す。
「装蹄師さん、あなた、一体…何者なんです?」
一通りの指示を出し終わったあとも気忙しくあたりを見回し続ける舞台監督ははたと、あの皇帝シンボリルドルフにとんでもないリクエストをぶち込んだ男を思い出し、問うた。
「ただの学園の装蹄師ですよ。シンボリルドルフとは昔からの知り合いってだけで」
男はPA卓の前に陣取り、先ほどまでの疲れ切った態度とは一転、どうと構えてその時を待った。
準備ができたようで、会場の照明が落とされる。
アカペラの歌いだしとともにスポットライトがセンターのシンボリルドルフを浮かび上がらせる。
「~♪」
2ndポジションにはエアグルーヴ、3rdポジションには何故か勝負服でキメキメのゴールドシップといった布陣で、男が観たシンボリルドルフの初勝利の時のMake Debut、そのままの初々しさで歌い上げた。
以前と違うのは、シンボリルドルフがステージ上からまっすぐ、視線を男を射抜くように合わせていたことだろう。
もっとも、それはエアグルーヴ、ゴールドシップも同じであったが。
男はMake Debut!を歌い上げるシンボリルドルフの姿に、自らの持つルナとしての彼女との架け橋を見出し、ひとり安堵したのだった。
後日、この様子を録画したデータを入手したアグネスデジタルがあまりの衝撃に保健室に運び込まれる大量出血をしたのは、また別のお話である。
シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ゴールドシップをお持ちの方は、なんとアプリで再現できちゃうんです!(みんな知ってる)
…ホントに神アプリをありがとうございます…!