学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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45:それぞれのファン感謝祭、その断片

 

 

 

 

 

 

「はぁ…まいったなぁ…」

 

 パーティーの翌日未明、男は自室で天井を見上げていた。

 

 昨夜はあまり記憶にないものの、どうにか暗い学園の中を辿り、自室にたどり着いてベッドに倒れこんだ。

 

 念のために測った体温は平熱とはかけ離れた数値を表示しており、気のせいにするにはあまりにもありありとした不調に客観的な理由付けをしてくれていた。

 

 そのまま悪心と眩暈におそわれつつ、浅く眠ったり起きたりを繰り返すうちに、外は明るくなり始めていた。

 

 

 小康状態の体調の中、昨夜、サイレンススズカに話したことを思い返す。

 夏合宿の言葉通りエアグルーヴが話していてくれたようで、こちらの心配は彼女に伝わっていた。

 そのうえで、やや婉曲な表現にはなったがパーティーの招待客を引き合いに出し、彼女たちがレースを走るうえでの彼女たち自身のリスクを示したつもりだった。それが少しでも、彼女の心の碇となることを願って。

 果たして効果は見込めるか。そこまではまだ、わからなかった。

 

 しかしそれはそれとして。

 

 偉そうにあんなことをのたまった直後に自分がこのような状態に陥ってしまっていることはまったく不細工なことこの上ない。

 

 思えば今年に入ってから一日しっかり休日、という日は数えるほどしかとっておらず、さらに宝塚記念以降はなんだかんだと抱え込んだまま走り続けていた。

 

 もともと身体が強いほうではない上に、こと生活面を軽視する傾向の強い男は、ここにきて身体が限界を迎えてしまったこと自体には何の疑問もなかった。スズカの夢のように大仰なものではないにせよ、のめり込んだら寝食を忘れてなにかに打ち込んでしまうところは年齢を考えればそろそろ自重しなければならないところである。

 

 幸いにも今日から2日間は感謝祭期間で、通常の学園運営状態ではない。工房を開く必要もないタイミングだった。

 

 たづなさんと上司である課長にメールで体調不良の旨を伝えたうえで、今日のところは工房を開けない旨、メールを入れておく。

 

 こうしておけば学園内のイントラネット掲示板にその旨の通知が出て、全校に知れ渡る。工房を開けないことに関しては2~3日であれば特に不都合は生まれないだろう。

 

 男はそこまで段取りをなんとか取り、冷蔵庫に大量に在庫してあるパウチタイプのエネルギーが取れるらしいゼリーを1つ、時間をかけて飲み込むと、再びベッドに横たわった。

 

 

 

 

 

「…なんだこれは」

 

 早朝、エアグルーヴが生徒会室の鍵をあけ、その日の準備を始めつつ学園内のイントラネットで各種の更新情報をチェックしていた。

 

 昨夜、スズカから男が来ていたこと、疲れた様子で先に帰ったことは聞いていた。

 

 その時はエアグルーヴ自身もパーティー自体を切り回すことに忙しく、気にはなったがそれ以上の動きを取ることはできなかった。

 

 一夜明けて感謝祭当日を迎えてみれば、その喧騒に隠れるように工房の休業の知らせ。

 

 ここのところの男の動きは間接的にしか知らなかったが、おそらくあの性格だ。スズカの件で抱え込んでいたことは間違いないだろうし、さらにそこに感謝祭のステージ造作応援など、彼女自身も男に仕事をねじ込んでいた。

 

「…っ…無茶をさせていたのは、私じゃないか…」

 

 エアグルーヴは自身の責を感じる。

 以前にも合同研究プロジェクトで無理をさせてしまったことがあったというのに、一度ならず二度までも同じ間違いを犯してしまっている。自分を責めずにはいられなかった。

 

 今すぐにでも、様子を見に行きたい。

 

 しかしエアグルーヴ自身も感謝祭の本部業務に自身のチームの執事喫茶のシフトも組み込まれ、特別ステージの進行もあるため今日のスケジュールには一分の隙も無い。

 

 身動きの取れない身の上にどうにもやるせない焦れた思いを抱えながら、エアグルーヴは担当業務に忙殺されるほかなかった。

 

 

 

 

 

 シンボリルドルフはいつもどおりの優れない寝起きを迎えた後、身支度を整えながら目を通したスマホで、工房の休業を知る。

 

 こういった休業は前もって予告されることが通例で、当日に告知がなされるということはあまりない。

 

 昨夜会った時には変わった様子はなかったというのに、一晩のうちになにかあったのかと訝しむ。

 

まぁあの兄のことだ。この間のように根を詰めた結果、体調を崩したのであろうことは想像に難くないのだが。それにしても大丈夫なのだろうか。

 

 普段あまり寝起きのよくないシンボリルドルフだったが、既に寝起きであることを忘れて頭が回転し始めるほどには男の身体の心配が先に立った。

 

 しかし今日はファン感謝祭当日であり、シンボリルドルフは生徒会長として、学園の顔役としての役割が多くある。

 

 私事で公的な予定を捻じ曲げるほどには自らに甘さを許していないシンボリルドルフは、思うところをこらえ、支度を整えると部屋を出る。

 

 生徒会室へ歩む間、ふと以前男と交わした会話を思い出す。進路に関する相談をした時のことだ。

 

 男はシンボリルドルフ自身の理想を追う姿勢を認めながらも、もう少し彼女自身の幸せを追ってもいいのではないか、そんなようなことを言っていた。

 

「…このようなときの自儘に動けない身の上というのは、考え物なのかもしれないな…」

 

 シンボリルドルフは自らの夢と、自らの求める心の在りどころとのバランスについて、なにかに気づきそうな予感を感じた。だがその閃きを得る前に、生徒会室に着いてしまう。

 

 しばしその扉を開くのを躊躇い、廊下に立ち尽くす。

 

 しかし今日は感謝祭当日なのだった。  

 精密に組まれたスケジュールに穴をあけるわけにはいかない。

 

 時間という誰にでも平等な流れに圧され、扉を開いてしまえば、いつもの皇帝、シンボリルドルフとならざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 朝方に再度寝入った男が次に目を覚ましたのは陽もだいぶ落ちた夕方だった。

 

 寝汗をしっかりとかいて酷い有様だったが、おかげで身体はかなり軽くなっている。怠さがまったくないわけではなかったが、少しくらいであれば動けそうだった。

 

 起き上がり汗にまみれたシャツやシーツをまとめて洗濯機に放り込んで回し、シャワーを浴びる。

 

 洗濯済みの部屋着に着替えれば、昨夜に比べればかなり身体が復調に向かっていることが実感できた。

 

 ベッドのシーツを張り替え、水分を補給しスマホを確認すれば、数件のメッセージが届いていた。

 

 シンボリルドルフやエアグルーヴからは体調を気遣うメッセージが来ており、以前のように心配をかけるわけにもいかないのでただ少し疲れが出ただけの旨、簡潔に返信しておく。

 たづなさんはどうやら寝ている間に差し入れを持ってきてくれたようで、ドアの外側に袋がかけられていた。

 東条ハナからもメッセージが来ていたので、おハナさんの執事姿が見られないことを悔やむ返信を送って煙に巻く。

 

 

 煙草片手にベランダに出てみれば、いつしか風は涼しくなっており、秋の気配を感じさせる。

 

 遠くに特設ステージで奏でられるライブの音がうっすら聞こえてきた。

 

 男が煙草に火をつけようとすると、下から声がする。

 

 声のしたほうを見やると、なにやら多くの品物がたっぷりパンパンに詰め込まれた袋を手にした見知った顔があった。

 袋を掲げ、差し入れに来たというような身振りを見せる。

 

 男は苦笑いを浮かべ、部屋にあがってくるように、と指し示し、玄関の鍵を開けるために咥え煙草で部屋の中に戻った。

 

 

 

 

 

 

 東条ハナは怒っていた。

 ほかでもなく、自分自身への怒りだった。

 

 今日、装蹄師の男の工房が臨時に閉まっているという情報は、朝の段階で知った。

 チームの模擬店の準備で東条ハナ自身も模擬店に顔を出しており、チームの娘たちで困ることがあればと手助けしているうちに、シンボリルドルフから伝えられた。

 

 彼女自身、男が疲労を溜めていたことは知っていたのだ。

 それなのに自分は何もできなかった。

 それどころかいつものようにあいつを便利使いしていた。まぁ、それがトレーナーの仕事でもあるのだが。

 

 東条ハナと鍛冶屋の男の関係は、一方的ではあるが呼び出して酒を酌み交わしたり、個人的な話もまずまず踏み込んで話せる仲だ。

 

 気の置けない仕事仲間といえばカラッとしているし、対外的にはそういう関係といえば説明がついてしまう。だがそう一言で片づけられるほどには軽い付き合いというわけではなかった。

 

 しかし彼女自身、常勝集団であるリギルを率いているというプレッシャーを抱えながらトレーナーという孤独な職業で生きている。

 

 生きていくうえで、自身の仕事上は地続きでお互いの立場は分かりながらも利害が絡まない相手というのは貴重であった。

 

 結果として彼女自身、リギルのトレーナーという役回りを演じ続ける東条ハナという個人、それを支える一要素として、いつしか男を組み込んでいたのだ。

 

 その片務的な関係の意味合いに、色恋的な感情が絡むのかと問われれば、正直なところよくわからない。

 

 しかしシンボリルドルフやエアグルーヴが温度感や立場の違いはあれ、装蹄師の男に懸想していることに関しては些かの焦りも感じるのは確かだ。

 だからこそ呼び出して彼女たちとの状況を聞き出そうとしたこともある。結果的には私が酒に吞まれてしまうことになったが。

 

 たまに男からの粘ついた視線を感じてもいたし、おそらく男も自分のことを憎からず思っているのだろう。そんな根拠の薄い考えを依り代に、男に甘えていた部分があるのも確かだ。

 

 現に今も、男からの空とぼけたメッセージに男の配慮を感じてしまっている。

 

 なぜ、もっと気を配ってやれなかったのだろう。もっと素直に労わってやれなかったんだろう。

 

 東条ハナは自らへの怒りをうちにおさめつつ、苛々とした態度は隠し切れぬまま、一日を過ごして夕刻を迎えていた。

 

 

 

 

 

 感謝祭は多少のトラブルがありながらも、なんとか事前計画通りに進んでいた。

 

 生徒会は生徒会室と会場に設けた前線基地としての本部テントを使い分けながら、職員たちと分担しつつ現場を切り回している。

 

 その本部テントの指揮実務の中心はエアグルーヴであり、シンボリルドルフは来賓対応などの外交的業務を主に、ナリタブライアンは会場内での機動的な対応にあたっている。

 

 リギルの執事喫茶の出番も交代でこなしながら、なんとかここまでそつなくこなしている。

 今は特設ステージのウマ娘たちのミニライブの時間帯で、今回の場合はステージングについては普段ウイニングライブを担当しているスタッフが揃っている為、ライブが走り始めてしまえば多少の余裕が生まれた。

 

 すでに陽は傾き、夕暮れ時を迎えようとしている。

 

 エアグルーヴは生まれた余裕を最大限に生かすべく、本来ならば今日のプログラムをすべて終えてから取り掛かる明日の感謝祭の調整事にかかっていた。

 

 この業務をこの時間帯に圧縮して済ませられれば、夜にはいくらかの余裕が生まれるはずだった。

 

 そうすれば、男の様子を見に行くことも可能になるはず。

 

 朝に送った様子伺いのメッセージには先ほど返信が来ていて心配無用とのことだったが、安心したのは返信ができる状態であるという事実だけで、内容に関してはそのまま鵜呑みにはできない。

 

 猛然と業務をこなすエアグルーヴ。

 途中から、来賓への対応が終わったシンボリルドルフもそれに加わる。

 

 二人は今朝、顔を合わすなり業務が多忙になる前に、とお互いの心中についてすり合わせを行っていた。

 

 本来ならばすぐにでも男の様子を見に行きたいという欲求と、それが許されない二人の今日の状況は一致していた。

 

 ならば協力してコトにあたるほかあるまい、というのが二人の出した結論であった。

 

 共通の目的を見出した二人の業務を捌いていく様は切れ味鋭く、図らずも文武両道を旨としてエリートが集うトレセン学園、その生徒の質の高さを裏付けるものとして関係者に強く印象付けることとなった。

 

 

 

 

 

「いいかエアグルーヴ、これからの目的だが…」

 

 すべての業務を片付け、暗くなった学園内を歩むシンボリルドルフとエアグルーヴ。

 彼女たちの手には食材や飲料などのほか、彼女たちの遠征用のバッグまでもって、しかもルドルフの手には男の部屋の合鍵までもが握られている。

 ルドルフと男の関係を知るたづなさんから、あれやこれやと理由をつけて借り出すことに成功していた。

 

 そして着替えまで携え、二人とも必要とあれば夜を徹しての看護も辞さない用意を整えていた。

 

「承知しております会長。あくまで我々は学園職員の見舞いにいくのです」

 

 シンボリルドルフは鷹揚に頷く。

 

 彼女にとっては通い慣れた道で、目的地も入り慣れた兄の部屋である。

 そこに自分以外のウマ娘を入れることに抵抗がないといえば嘘になる。ましてや同じ相手に好意を抱いている相手ともなれば。

 

 しかし今日、このタイミングで兄の部屋を訪れることができるのはエアグルーヴの協力、それも獅子奮迅の活躍があってこそである。

 

 本来であれば夜もURA幹部との会食が予定されていたが、エアグルーヴの機転で予定を組み換え午後の茶会で義理を外さず収めてくれていた。

 

 公私の別はあれど、お互いの胸襟を開いて接した結果、そこまでの配慮を見せられてしまえば、さしもの皇帝も気持ちよく度量を示すことができた。

 

「夕方にメッセージも来ていたし、それほど大事ではないとは思うが…ここのところ疲労は蓄積されたままだろうからな」

 

「はい。せめてしっかり休養を取っていただかないと。そのためには、快適な環境と十分な栄養が欠かせないかと」

 

「料理は私が。エアグルーヴは部屋の整理を。お互いの得意分野で、兄さんの負担にならないようにできるだけ静かに、短時間で済ませよう」

 

 共通の好ましい目的の前で、もはや二人に日中の激務による疲労感はなかった。

 

 これが俗にいう掛かりというやつか。

 

 シンボリルドルフはエアグルーヴを傍らに、夜の学園の敷地をやや速足で歩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




しばらくのご無沙汰でした。
ちょっと自分の書いているものに自信が持てなくなって迷子になっておりました。
まぁいつも迷子なんですけども。。

いつも感想や誤字修正ありがとうございます。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします。
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