学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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46:祭りの後の悶着

 

 男は夜には食欲も戻り始め、差し入れられたゴールドシップ謹製の焼きそばを平らげた。

 

 リビングでなにをするでもなく、過去のレース映像がまとめられたDVDをテレビに映しだして眺めている。

 

 持ってきた人物は差し入れを男に押し付けると、見舞いの言葉もそこそこに勝手にシャワーを浴びたのち、持ってきた酒を呷りながらレコーダーでこのDVDを再生しだしたのだった。

 

 男に対しDVDを見ながらひとりごととも議論ともつかないあれやこれやをぶつけてひとしきり熱く語った後、リビングの続きの間にある寝室にずかずかと入り込んでシーツを張り替えたばかりの男のベッドに倒れこむとそのまま寝てしまった。

 

 どうやら相当に疲労しているようで、また心労も並大抵ではなかったのだろう。

 

 事情がわからなくもない男は特に責める気にもならず、放っておくことにした。

 

 男は一人リビングのソファに取り残され、何を見るでもなくテレビを眺めていた。

 あれだけ睡眠をとったにも関わらず、次第に睡魔が襲ってくる。

 

 まだ、体調が完全に復したわけではないことを自覚した男は、そのままソファで微睡みはじめた。

 

 

 

 

 

 シンボリルドルフとエアグルーヴは男の部屋の鍵穴に鍵を差し込み、音がしないようにゆっくりと回す。

 

 かちり、と音を立てて解錠されたことを確認すると、極力音を立てずに玄関に滑り込んだ。

 どうやらリビングではレースの映像を再生しているようで、音が漏れ聞こえてくる。

 

「兄さん、起きているのか…?」

 

 呼びかけるが返事はない。

 

 シンボリルドルフは微かな違和感を感じる。違和感の理由はわからない。

 

 リビングの灯りはついたままで、それを目指し短い廊下を侵攻する。

 

 先頭はシンボリルドルフ、後続にエアグルーヴだ。

 

 リビングのドアをゆっくりと開けると、ソファに横たわる男が目に入った。

 

 安らかに寝息を立てている。

 

 シンボリルドルフは安らかな表情で眠る男を見て安堵し、少し遅れてシンボリルドルフの肩越しに男を確認したエアグルーヴもため息を漏らした。

 

「…とりあえずは起こさぬように予定通り行動しよう。エアグルーヴは寝室の掃除を頼めるか?」

 

 エアグルーヴはこくりと頷くと、初めて入る男の部屋に些か緊張しながら、慎重にあたりを見回しながら歩を進める。

 

 

「…!?」

 

 エアグルーヴが寝室への引き戸に手をかけたとき、中から人の寝息がすることに気づいた。

 

 驚きのあまり悲鳴を漏らしそうになるが、男を起こすまいとしてぐっとこらえる。

 

 シンボリルドルフに伝えようにも、彼女はキッチンで手を動かしており、声を出さずには伝えることは難しそうだ。

 

 警戒心が高まり、耳が引き絞られる。

 指向性を持たされたエアグルーヴの耳に確かに届く、規則的で深い寝息。それに狙いを定めるかのように、静かに聴覚を集中させていく。

 無意識のうちにその寝息と呼吸を合わせ、意を決して、ゆっくりと引き戸を開けた。

 

「…?」

 

 暗がりに目を凝らす。

 

 濃縮されたかのような男の匂いにくらりとしながら、そこに混じる知らない匂いに、エアグルーヴは自らの心臓が一度、大きく脈を打つのを感じた。

 

 暗がりに目が慣れると、乱れた寝具の中にうっすらと素肌の肢体が浮かび上がる。

 

 素肌…?

 服を、着ていない…?

 

 エアグルーヴの脳に衝撃が走る。

 刹那、彼女の許容量を大幅に超える妄想が爆発した。

 

「ぁ……っ」

 

 顔を真っ赤にしたエアグルーヴは、膝から崩れ落ちた。

 

 

 

 それなりの質量を持った身体がくずおれた音に、男は目を覚ます。

 

「ん…?」

 

 男が半身を起こしたところで、目に入るのはカウンター越しにキッチンに立つシンボリルドルフ。しかし視線は男にあっておらず、違う方向を見つめている。

 

「あ…ルナ、どうしたんだ…?」

 

 シンボリルドルフは男の声に反応し視線を行ったり来たりさせながら、焦った様子だ。

 

「い、いや…見舞いに来たのだが、その…」

 

 ルドルフの視線の先を追うと、寝室の入り口でがっくりと膝をついて顔を俯けているエアグルーヴがいる。

 

「…エアグルーヴまで。心配してきてくれたのか…?」

 

 男はソファから立ち上がり、しゃがみこんで動かずにいるエアグルーヴの頭にポンと手をのせる。

 

「どうしたんだ…?」

 

 引き絞られたままの耳も気にせず、膝をつき俯いたままの優しくエアグルーヴの頭を撫でる。

 

 が、その手は力強く払われた。

 

 そして顔を上げたエアグルーヴは、顔と瞳を真っ赤にしたまま、こぼれかけるほど涙をためて、男を睨みつける。

 

「…このっ…不埒者!」

 

 次の瞬間、男の右頬にエアグルーヴの平手が飛んだ。

 

 バシッという芯を食った音とともに、予期していなかった男は元居たソファまで吹っ飛ばされる。

 

 エアグルーヴは男を一顧だにせずに玄関へと駆け、そのまま出て行ってしまった。

 

 一連の一瞬の出来事に、シンボリルドルフはなすすべもなくその一部始終をただ茫然と眺めていた。

 

「…なんだぁ…どうしたんだ…?」

 

 物音を聞いて半裸のまま寝ぼけた表情で寝室から顔を出したのは、沖野トレーナーだった。

 

 目にしたのはソファでめり込み、気を失って伸びる装蹄師の男、キッチンでエプロンをつけかけたままの姿で固まるシンボリルドルフの姿だった。

 

 今度は沖野が悲鳴を上げる番だった。

 

 

 

 

 

 エアグルーヴは薄暗い学園内を駆けた。

 

 行く当てもなく駆けるその足音は、夜の学園内に響き渡る。

 

 祭りの後で学内に人気がなかったことは、涙を溢れさせながら走る彼女にとっては幸いだったかもしれない。

 

「…エアグルーヴ!」

 

 たった一人、自分の所属チームのトレーナーに見咎められてしまったことは、彼女にとっては予想外であったが、同時に幸運でもあったかもしれない。

 

 エアグルーヴの泣き顔を見た東条ハナは、驚きを隠せずそのまま表情に出してしまっていたが、それはお互い様というところだった。

 

 

 

「…で、何があった?」

 

 東条ハナの胸でエアグルーヴはひとしきり泣いた。

 落ち着いた後、手近なベンチで二人並んで座り、エアグルーヴは耳を垂らしてしょんぼりとし、泣きはらした瞳はおハナさんのハンカチで覆われていた。

 

「…話したくなければ、話さなくていい」

 

 おハナさんは優しくエアグルーヴの背中を撫でる。

 エアグルーヴになにがあったかは気になったが、それよりも、いつも気丈という以上のプライドを持ち、レースに負けても感情をあまり見せることのない彼女の泣き姿にただならぬものを感じていた。

 東条ハナはエアグルーヴの余程の感情の動きそのものに驚いており、それ故に今は彼女を落ち着かせることを最優先としていた。

 

 エアグルーヴの横顔を見ながら、東条ハナは自分に問う。

 

 いつからか彼女のように泣くことはできなくなった。

 それは自らの精神が鈍磨した結果だろうか。

 それとも、それだけ擦れた大人になってしまったということなのだろうか。

 

 ぼんやりと自分がエアグルーヴくらいの年頃のころはどうだったろうかと思い返すが、うまく思い出すことができない自分に愕然とした。

 

「…装蹄師の先生の部屋に、行ったんです…会長と、お見舞いに…」

 

 エアグルーヴがゆっくりと、話し出す。

 

 この娘たちは今日、ファン感謝祭にあたってとてつもない量の業務に忙殺されていたはず。

 それでも時間を捻出するべく、相当の努力と工夫を重ねたのだろう。

 

 自らの教え子たちのいじらしさに、東条ハナは感動すら覚える。

 

 一方で、今日一日をだらだらと苛々を募らせたまま不機嫌に過ごした自分のいかに惨めなことか、とも内心で反駁せずにはいられない。

 

「…そう…あいつ、大丈夫だった?」

 

 東条ハナの何気ない問いに、エアグルーヴは頷く。耳はいまだにしおれたままだ。

 

「先生は、リビングのソファですやすやと眠っていました。私は寝室の掃除をしようと、そっと戸を開けたんですが…」

 

 エアグルーヴが泣くほどに酷い有様だったのだろうか。東条ハナが過去に沖野と訪れ、知っている男の部屋は基本的に殺風景で、特にひどくなるような要素もないように思われた。 

 

「…ヒトが、寝ていたんです…その…裸、で…」

 

 …?

 

 東条ハナはエアグルーヴの唐突な言葉に理解が追い付かない。

 言葉を発したエアグルーヴは再び顔を俯かせ、ハンカチで瞳を覆う。

 

 東条ハナが知る男に、果たしてそのような甲斐性があったであろうか。

 東条ハナは男のイメージとそぐわないエアグルーヴから告げられた情景に、クエスチョンマークしか浮かばない。

 

 そして仮にエアグルーヴが思い込んでいるような状況であったとして、なぜ同衾せずに男がリビングのソファで寝ているのか。 

 

 そこまで考えて、はたと一つの可能性に思い至る。

 

 過去にそんな情景を見たことがあったのだ。

 

 

「…エアグルーヴ…寝ていたのはだれか、見た?」

 

 エアグルーヴは顔を伏せたまま、首を横に振る。

 

 東条ハナは自分の仮定に確信を抱いた。

 

 

 さて、どう誤解を解いたものだろうか。

 

 あるいは解かずにおくべきか。

 そんな後ろ暗い考えも一瞬脳裏をよぎったが、ここは教え子たちのいじらしさに敬意を表すのも大人の仕事だと、東条ハナは思いなおす。

 

「落ち着いたら、一緒に行くわよ」

 

 東条ハナはエアグルーヴに声をかける。

 エアグルーヴは彼女の意外な言葉に、顔を上げる。

 

「男の部屋に。ちゃんと現実を見せてあげるわ」

 

 

 

 

 

 

 男の部屋のリビングでは、男と沖野が正座をし、仁王立ちのシンボリルドルフが二人を睥睨していた。男の右頬にはくっきりとエアグルーヴの平手痕が残っていたが、意識は回復している。

 

「…つまり沖野トレーナーは見舞いに来て、自らもまた疲労で眠り込んでしまった、と。そういう訳だな」

 

 酔いもさめた沖野はがっくりと項垂れている。

 

 男も訳も分からず、しかしなぜか一緒に沖野の隣に正座させられていた。

 

 リビングには虚しく過去のレースのテンションの上がった実況が流れている。

 

「…後続から抜け出す!そのまま誰も寄せ付けずにぐんぐんと突き放す!シンボリルドルフ、まさに皇帝の走り!一部の隙も無い完璧なレース運びでそのまま先頭…今、ゴールイン!…」

 

 後背で流れるそれは、偶然にもシンボリルドルフが皇帝と呼ばれるようになった理由のG1七冠、そのうちのひとつのレース映像だった。

 

 男はちらりとそのテレビ画面を見やる。

 

 画面の中のルドルフは勝負服姿も凛々しく、走り終わったばかりの上気した顔でスタンドに手を振っている。

 

 視線を現実に戻せば、そこには制服にエプロン姿で、何故か手にはお玉を持ったまま仁王立ちのシンボリルドルフ。

 

 その姿のギャップに、男は思わず吹き出しそうになり、肩を震わせる。

 

 シンボリルドルフはそんな男の様子を見て取ると、視線をより厳しくする。

 

「…何が可笑しいんだい?兄さん」

 

 男は笑いをこらえて唇を波打たせたまま、テレビを指さす。

 

 そこには堂々たる皇帝の姿でレース後のインタビューを受けているシンボリルドルフの姿が映し出されていた。

 

 それを認めたシンボリルドルフは男の言わんとすることを理解し、顔が赤くなる。

  

「…全く。紛らわしいことをするからだぞ。そこで反省しているように」

 

 ルドルフはバツが悪いのか、捨て台詞のようにそう言うと、踵を返しキッチンに戻ろうとする。

 そのタイミングでがちゃり、と玄関の開く音がした。

 

 シンボリルドルフが玄関へ出迎え、新たな来客とともにリビングに戻ってくる。

 

 東条ハナとエアグルーヴだった。

 泣きはらした瞳をしたエアグルーヴは東条ハナの肩越しに、正座する男と半裸の沖野を視認した。

 

「ほら、ね。これで納得した?」

 

 エアグルーヴは再び、膝から崩れ落ちた。

 

   

  

 

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