いつのまにやら50話目に達しました。
三日坊主を自認する私がここまでつらつらと書いてこれたのもひとえに皆様の暖かいコメントや評価や誤字修正等の支えによるものであります。
本当にありがとうございます。
そんなひとつの区切りだというのに、多分あまり評判はよろしくなく需要もないであろう(とUA数から判断している)幕間回が今回であります。まことに申し訳ございません。でもやりたくなっちゃって書いちゃいましたので投稿いたします。お許しください。
だいぶ前の幕間回からの続きとなっておりますので、お読みいただけるけど前のなんて覚えてないよという方はこちらからどうぞ。
トレセン学園の敷地は時代を経るに従い少しずつ拡張し、存在する街を取り込むように拡大していった。さらに周辺の土地には飛び地となっているグラウンドや施設などもある。
学園管理本部 施設統括管理部はその大仰な名前の通り、土地からその上に立つ数々の施設を横断的に管理し、短期的な修繕から長期的な施設の更新までを一手に引き受ける組織だ。
そしてその組織の末端に連なる史料課は、学園本校舎の地下に広大な資料庫を有し、これまで長年の歴史を積み重ねた学園に在籍していたウマ娘たちのありとあらゆる教育、トレーニング記録、日記などを保管している。
長年積み重ねられたそれらはまさに歴史の断片であり、研究の対象でもある。
そう表現すれば重みも感じられるだろうが、実際のところは数名の研究員という肩書が与えられた課員が配置される、サラリーマンの左遷先として言われるような社史編纂室的な存在でもあった。
地下の資料庫にあるさまざまな記録たちや収蔵物も、価値があるものはレース場併設の資料館や博物館に展示されており、ここにあるものはまさに残骸と言えた。
そんな部署であるから、華やかなウマ娘レース界にあっても地味であること極まりなく、その日もメディアからの問い合わせに回答する資料などを探したり作成したりしながら、何事もなく過ぎていくはずであった。
昼過ぎに課長席の内線が鳴り、食事後の午睡を邪魔された課長が不機嫌に二言、三言対応し当たり散らすように電話を切ると、下っ端の研究員が呼び出しを受けた。
課長曰く、電話は学園管理本部の本部長からで、学園本校舎奥の、朽ちるに任せてある掘っ立て小屋のような建物のある土地を整地し、新たな倉庫を立てる計画が持ち上がっているらしい。
しかしその小屋の素性がわからず、往生しているという話だ。
課長はどうやらその掘っ立て小屋の調査をしてこい、と下っ端に言いたいらしかった。
下っ端は下っ端で、理事長あてに定期的に報告を入れている、最近書庫から見つかった往年の名バたちの日記について報告書を執筆しており、中断させられるのはあまり良い気分ではなかった。
しかし彼は下っ端である。
ほかの数名の研究員たちも、話は聞こえているだろうが助け舟を出す気配もなく、息を殺している。
皆、面倒事は御免なのだった。
それと悟られぬようにため息をつき、承知した旨を伝えると、下っ端は施設系の資料を揃えて件の現場へ向かった。
下っ端は現場のおおよその場所は把握していたが、歩きながら持ち出してきた学園の詳細地図を確認する。
目的の場所は本校舎裏へ回り込んでさらに奥へ進み、森のようになっている学園裏手の土地の深部に位置していることを確認する。
本来は記入されているはずの施設名は持ってきた地図にはなにも書かれておらず、ただそこに建物があることだけが記されていた。
本校舎は10年ほど前に数年かけて旧本校舎を解体、建て替えを行っており、その時にも特に手をかけられなかった建物であろうことが伺えた。
しかし、こんなところに新たに倉庫を建てて一体何に使うというのだろう、という疑問が湧くような場所である。
目的の場所に近づくにつれ、道はあまり手入れされておらず、軽トラがやっと、というような申し訳程度に草が刈りはらわれた道を辿ることになった。周りの木々は大きく成長しており、昼であっても道は薄暗い。
そして指示された建物にたどり着いて全体を見渡してみれば、周囲の鬱蒼とした森が建物を飲み込もうとするかのように緑に侵食されはじめており、あと10年も放置すれば崩落し、跡形もなく草木に飲み込まれてしまうのではないか、そう思われるような有様であった。
一言でいえば、紛うことなき廃墟だった。
ぐるりと見える範囲で周囲をうかがうと、奥にはさらに古いレンガ造りの建物があり、手前の廃墟よりさらに緑に飲み込まれかけているが、まだなんとか軽い草刈りで入り口までたどり着けそうだった。
そしてその手前には見たこともないような古い小さな車が一台、苔と錆に覆われて錆の涙を流しながら鎮座していた。
下っ端は作業着を着てくるべきだった、と後悔しつつもすぐに入れそうな手前の建物に足を踏み入れることにした。
正面に戻り入口と思われる引き戸の前に立つ。脇にはすでにフレームのほかは大地に還ってしまったと思われるベンチの残骸があり、そのかたわらには青い野生のサルビアが群生している。
下っ端が入り口の把手に手をかけて少し力を入れると、見た目に反して思いのほかスムーズにその引き戸は開いた。
入り口そばにある古ぼけた照明のスイッチを入れてみると、既に国内では生産終了となって久しい蛍光灯が幾たびか瞬きながら、かろうじて明かりを灯した。
明かりが灯ってもなお暗い室内を見回す。
一応窓はあるが、草木に覆われて既に日光はほぼ差し込まない。
しかしそのおかげか、錆のような匂いの立ち込めた埃っぽい室内だが、意外に保存状態は良好なようであった。
一見したところ、雑多なその室内が一体なにをするところなのかすぐには理解できなかった。
入口をはいってすぐのところには昭和の古い映画でしか見たことがないような安物の応接セットが朽ちかけており、低いパーテーションで区切られた向こうには作業机と思しき頑丈そうな木製の机、そして大ぶりな工具類が雑多に散乱している。すこし空間をあけて、金床が数種類あり、その向こうには炉のようなものも見える。
奥に進み作業机を見てみると、手のひらの大きさほどもある錆びついたU字形の鉄の塊が数片、置かれていた。
よく見るとそれがたびたび資料で見たことのある「蹄鉄」というものであることを理解し、ようやくこの建物がなんであるかが分かった。
ここはかつて、蹄鉄の工房であったのだ。
現在でも蹄鉄の形状はウマ娘たちを象徴する形状として、学園内のそこここに飾り物としてのモチーフが存在しているし、制服のデザインの一部としても存在している。
しかしウマ娘たちのレースで鉄製の蹄鉄が使用されなくなって久しく、今はそういった意味での「本物の蹄鉄」は、博物館などで展示されている往年の名ウマ娘たちの記念品などで見ることはあっても、身近に存在するものではなくなっている。
作業机に無造作に置かれている錆びついた蹄鉄を持ち上げてみる。
そのズシリと伝わってくる重みに、下っ端は戸惑った。
角度を変えて細かく観察してみると、どうやら持ち主らしい名前が刻まれている。
下っ端の知らない名前のようであった。
作業机から幾分か離れたところに書棚のようなものがあり、雑多にファイルが積まれている。
背表紙にはおそらく年代が記されており、それはおおよそ40年ほども前の西暦が記されていた。
下っ端が興味を惹かれたのは、ここに来る直前に書いていた報告書、その内容に近い年代が目に入ったからだ。
ひとつを手に取って開いてみると、作業記録をファイリングしたもののようである。
ファイルに綴じられていたそれは意外にも保存状態が良く、手書きで蹄鉄の持ち主と作業をした日付、ひとつひとつにどのような作業を施したかが記されていた。
しかし略号で書き込まれたそれを判読することはできない。
したがって理解できるのは持ち主の名前程度であった。
作業記録をめくっていくと見知った名前を見つける。
下っ端の書いている報告書にも出てくる、歴史に名を遺している名バの名前だ。
彼女の脚を支えた蹄鉄も、どうやらこの工房で造られたか、手を加えられたかしていたらしい。
嫌々押し付けられた仕事とはいえ、意外とつながるものだな、と下っ端は新たな発見に心が少し明るくなるような気がした。
唐突に声がしたのはその時だった。
「そこでなにをしているっ!」
思いもよらぬ鋭い声に、下っ端はびくりと身を震わせる。
「貴様どこの所属だ?まさか学園外からの侵入者ではあるまいな?」
入り口から下っ端に向けて凛と響く声は女性のもので、聞くものを威圧する冷徹さを感じさせる。
ん?
でも、この声、どこかで…。
入口は逆光になっていて、問いかけてくる女性はシルエットにしか見えなかった。
下っ端は両手を上げて所属と名前を告げる。
「ん?その名前、どこかで…」
入口から数歩、入り込んできた人物の素性を、下っ端はようやく理解した。
トレセン学園の現在の理事長であった。
「ここにはまず人はこない。警戒して怒声を出してしまって済まなかったな」
理事長はいつもはスッと立って美しい耳をややしおれさせながら詫びの言葉を口にする。
下っ端はまずこの距離でまみえることのない、雲の上の存在である理事長の存在感に緊張を感じた。
「君の名前はどこかで目にしたことが…そうか、書庫で発見した古い日記の調査報告をあげてくれているな?」
下っ端はコクコクと頷く。
「その君が、どうしてここにいる?」
言葉こそ厳しめだが、口調は先ほどと打って変わって柔らかい。
下っ端はかくかくしかじか、とここに来た経緯を説明した。
「…なるほど。ここには触れるな、と常々言っているんだがな。学園管理本部には私から一言入れておくから、君はもう戻って良い」
スーツ姿で凛とした立ち姿の年齢不詳容姿端麗な理事長は、アイシャドウを引いた瞳を少し伏せ、人差し指を軽く顎に当てて何やら思案している様子だ。
戻って良いとは言われたものの、入り口に向かうには理事長に近づかねばならず、その近寄りがたいオーラに圧されて下っ端はその場に立ち尽くしていた。
「戻って良いと言ったぞ。なにをぼーっとしている…ん…だ?」
理事長は作業机上に開かれたファイルに気づき、視線を向けていた。
下っ端は慌てて言い訳をする。今書いている報告書の年代と近かったもので云々…。
「別にここにあるものを持ち去ったりしなければ、見るのは構わん。ましてや君は、職務上それを見る権利くらいはあるだろう」
意外にも寛大な言葉に、思わず下っ端は恐縮してしまう。
そして少し冷静な思考を取り戻した頭は、現状に違和感を感じだした。
よく考えてみればなぜこの自然に飲み込まれかけた工房に理事長が現れ、なんらかのこだわりがあるかのように振舞っているのか。
毎日大量の書類が上がってくるであろう理事長が、下っ端の書いたものを覚えているというのも、違和感を感じずにはいられなかった。
下っ端は素直に、それを問うことにした。
「…それを知りたければ、今度の報告書は君自らアポイントを取って、私に直接提出しに来るといい。秘書に話は通しておく。だから今日のところは、もう戻ってくれ」
下っ端のような男には恐れ多いことを、いつもの凛とした印象からはかけ離れた陰のある、それでいて艶っぽさすら感じられる口調でそう告げる理事長は、どこか寂しそうに感じられた。
先に工房を出て史料課に戻る道すがら、理事長の姿を思い返しながら、次の報告書提出は必ず直接行おう、と心に決めた。