皆様前回は幕間回への感想をたくさんいただきましてありがとうございました。
思いのほか好意的なコメントいただきましてほっと胸をなでおろしております。書きながら書いてる本人は面白いんですが、なにせ地味だなぁ…と…。
またアイデアが上手く熟成できたらやりたいと思いますので、その時はよろしくお願いいたします。
というわけで今回は本編に戻らせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
沖野と東条ハナを工房に呼んでの相談の数日後、アグネスタキオンに蹴られたことに端を発した男の私的な勉強会は開かれた。
メンバーはあくまで男の交友範囲内となり、以前イクノディクタスの件でチームを組んだウマ娘専門医、理学療法士、男の上司であるシューズ課長は一も二もなく賛同し、参加を表明してくれていた。
それに加えてトレーナーからは東条ハナ、沖野。
現役でレースを走っているウマ娘として、東条ハナ配下となるシンボリルドルフ、そしてバランスをとるためにエアグルーヴではなく沖野配下のゴールドシップに白羽の矢が立った。アグネスタキオンは現役のウマ娘ではあったが、立場としては専門家寄りの立ち位置での参加である。
基本的に男がハブの立場であるため、まず勉強会の始動をしなくてはならないのが苦痛であった。
「…勉強会、と銘打ってはいるけど、要は俺の相談事を皆さんの知恵をお借りしたい、というのが本音です」
工房に集まった面々を前に、男はこれまでの経緯を説明する。
サイレンススズカの脚への不安に端を発して見出した課題であること、装蹄・装具技術では限界があると思われること、将来的には怪我の予防技術の発展を目指したいが、目下のところはサイレンススズカに怪我をさせないことが短期目標であることを、できるだけ飾らずに伝える。適宜アグネスタキオンが補足というか口を挟んでくれるので、専門家の方々にも焦点ははっきりさせることができている。
「扱う事象が現役の、しかも今最も注目を集めているウマ娘のことなので、ここでの話は厳重に秘匿したい、という要素もあることを忘れないでいただきたい」
男は結びに敢えて厳しい口調で述べておく。基本的にここにいるメンバーは信頼してはいるがゴールドシップだけがやや不安であった。
しかし彼女の表情を見る限り、真剣そのもので男の心配は杞憂であることが理解できた。
「とはいえよーおっちゃん。話が漠然とし過ぎててどこから手つけていいかわかんねーよ」
真剣な表情ではあったがゴールドシップの口調はいつも通りだ。しかし彼女の指摘は聡明そのもので、あっさり芯を捉えてくる。
「ゴールドシップ君の言う通りだ。だからまずは今日はブレスト形式で自由に話してみて、いろんな種を見つけてみるところから入るというのはどうかね」
そういって、アグネスタキオンは携帯型のプロジェクターとスクリーンをどこからともなく取り出した。
「怪我を予防する、となると、まずは怪我の原因を探らなくてはいけないね。これは学園の資料VTRから見つけた基礎的な走行フォームに関する研究映像なのだが…」
どうやらアグネスタキオンもこれまで進めていた自らの研究を問うてみたかったらしく、自説を交えながら話題を提供してくれ、話が進んでいく。
いったん話が走りだせば、そこは志を同じくした者たちの集いであるから、男は特に何を意識せずとも話が展開していくのだった。
アグネスタキオンはフォームの話から筋肉の話に展開していき、そのあたりから専門医や理学療法士も本格的に参戦してくる。
東条ハナは積極的に発言するわけではないのだが、飛び交う情報にはトレーナーにはない視点が多いのか、しきりにメモを取っている。
男はその様子を眺めながら、案外これは画期的な試みに発展していくのでは、と漠然と感じていた。
「…これはトレーナーももっと勉強しないといかんな…」
勉強会がいったんお開きになり、メンバーが三々五々引けていった後、残っていた沖野はぽつりと呟いた。
終わってみれば2時間半、息つく暇もない激論が交わされ、様々な角度からもたらされる情報量は膨大なものとなっていた。
「あん?トレーナー、自信喪失しちまったか?」
ゴールドシップがからかうが、沖野の表情は真顔のままだ。
「そんなんじゃねえけどな。まだまだできることがたくさんある手ごたえは感じた。みんなお前みたいに頑丈じゃねえからな」
「あんだよーまったく。こんな華奢な乙女捕まえてなんて言い草だよ。今日の呼び出しは高ぇからな!」
ゴールドシップは手荒い言葉で沖野を責めるが、それは仲間を大切にするゴールドシップの照れ隠しのようでもあった。
「今まで経験則的なカンで指導してきたところが多いからな…それだけじゃあ足りないってことが身につまされたよ」
沖野は男にそう語ると、片手で手荒くじゃれつくゴールドシップをあしらいながら帰っていった。
「…兄さん、今日はお疲れ様」
最後まで工房に残ったシンボリルドルフは、男に語り掛けながら茶を手渡してくれた。
「ありがとう、ルナ」
作業机にもたれかかりながら、男はそれを受け取る。
脱力して思わずため息が漏れてしまう。
「…こんなんで、何か変わるんだろうか…」
男は思わず本音を漏らしてしまう。
それを聞いたシンボリルドルフは苦笑いしながら、言葉を選んでいるようだ。
「…使い古された言葉だが、千里の道も一歩から、というところだろうね。それに、さっきの沖野トレーナーの言葉も、おハナさんのメモを取る様子からも、発展の余地がある手応えはあっただろう?」
ルドルフの言う事はその通りなのだが、男の根底にあるのは焦燥感だった。
「兄さんの焦りも理解できる。でも結局、それは本人とトレーナーがどう考え、判断するかだろう。冷たいと思うかもしれないが勝負の世界では結局、自分次第だ」
男はルドルフの言葉に、己の置かれた立場との違いを見出した。
「結局そこなんだろうな。そういう意味では所詮俺は、外野だ」
男は気分が沈んでいくのを感じた。
今やっていることは自己満足なのではないか、という疑念が内心で大きくなっていく。
「…そこまで卑下する必要はないだろう。かかわり方は人それぞれあるものだし、立場に囚われすぎる必要もない」
ルドルフは自らも茶を飲みながら、尻尾を悠然と揺らし、耳は落ち着きなくピコピコとうごめいている。
男はそんなルドルフの姿には気づかず、言われたことを反芻していた。一回り以上年下の娘に諭されているという現実を忘れてしまえるほどには貫禄を感じていた。
「…すまんな。愚痴だった。どうしても、スズカをなんとかしたくてな。だけど、ここで迷うようなら、やっぱり置いていかれるだけなんだってわかったよ」
男は椅子の軋みも気にせず、反り返り、目をつぶって天井を仰ぎ見るように伸びをした。
ルドルフは立ち上がり、上から男の顔を覗き込むように立つ。
目の前が暗くなったことに気づき、男が目をあけると目の前には、眩しい蛍光灯を背に、見下ろしてくるシンボリルドルフのシルエットが浮かび上がる。
「……?…ルナ…?」
急に距離が近くなったルドルフに戸惑いながら、男は問う。
返事の代わりに、男の髪にルドルフの手がふわりと触れた。
「…少しだけ…少しだけ、私にも兄さんを分けてくれ…」
彼女は男の頭をかき抱くと、自らの顔を男の頭髪に埋めた。
どれくらいそうしていただろうか。
長かったような気もするし、一瞬だったような気もする。
男は力を抜いて、言葉を発することなく彼女の好きなようにさせた。彼女の優秀な心臓は、男にもはっきりわかるくらいの力強さで、規則正しい鼓動を伝えてきていた。
シンボリルドルフは胸いっぱいに男の匂いを満たし、抱いていた男の頭をそっと解放した。
「…どうしたんだ?ルナ…」
しばらくぶりに男の視界に捉えられた彼女は顔をやや赤く、耳をしおれさせたまま瞳は潤み、アルコールに酔ったような表情をしていた。
「…たまには、鉄分を補給したくなったんだよ」
すこし躊躇うようにそれだけ言うと彼女は踵を返し悠然と工房から退出した。
シンボリルドルフは夜も更け人気のない学園を、火照った顔を夜風に当てて冷ましながら足早に歩いていく。
(エアグルーヴ、許せ…)
抑えきれずにしてしまった行動に、罪悪感を感じてしまう。
今夜の勉強会の話をおハナさん経由で聞いた時、エアグルーヴは表情にこそ出さなかったが唇の端はわずかに戦慄き、何故自分が呼ばれないのか、そう思っていることが見て取れた。
あろうことかその状況を利用してしまった自分への自己嫌悪も、そう簡単に拭えそうにはなかった。
以前ならこうした悩みはなかったんだろうな。
歩くうちに少し頭が冷めて、自らと男を取り巻く環境という俯瞰した思考を取り戻すと、いつのまにか歩む速度が緩む。
シンボリルドルフはまたひとつ、自らの手で悩みを深くしたことを自覚せざるを得なかった。
トップページにも書かせていただきましたが、本作の良き理解者(被害者)であらせられますzenraさんが、本作をベースに三次創作を執筆されております。
別角度から描かれる(浮き彫りにされる)おっちゃんの姿が新鮮で、かつ豊富な現実競馬知識に裏付けされたストーリーはとても美味しい感じに仕上げられておられます。
ぜひこちらも何卒、お楽しみいただければ!
三次創作 とある装蹄師に自覚と反省を促す取材記録
https://syosetu.org/novel/270326/