勉強会のあった翌日午前。
男はウマ娘たちが登校し終えた時間を狙って工房から簡易的な鍛冶道具を軽トラへ積込み、学園内を移動していた。
校舎から離れた練習用トラックに着くと、軽トラをコーススタンドのピロティ的な空間にそっと停める。
「おう、こっちだ」
出迎えたのは沖野と、サイレンススズカだった。ほどなくしてシューズ課長もやってくる。
今日は急遽、完成したシューズと蹄鉄の最終調整を行うことになったのだ。
スズカの新しい足回りに慣れさせるために少しでも時間が欲しい、という沖野からの要請だった。
あまり人目につかないほうがいいだろうと理事長と沖野の間で話があったらしく、授業中の時間帯である午前に行われることとなった。
すでにシューズと蹄鉄の結合は終わっており、スズカの脚に履かせて課長が最終調整中だ。
「じゃあ、準備してきます…」
ほどなく調整も終わり、スズカは着替えに向かった。
「急に調整に呼び出して、申し訳ない」
スズカがいなくなったタイミングで、沖野は課長と男に頭を下げる。
「構いませんよ。我々の宿題の成果、早く試してもらいたいですから」
課長はそう沖野に応じると軽トラの荷台に搭載してきた煙缶を開いて、煙草に火をつけ男とともに一服する。
沖野はそれを羨ましそうに眺めていた。
「…で、なんでスズカ、キメキメに勝負服なの?」
「そのほうが気分が出るんだとよ」
着替えから戻ったサイレンススズカは、普段はG1でしか着ることのない勝負服姿でばっちり決めていた。
今はトラック外周を流して走り、体を温めている。
シューズ的には、最初の慣らしといったところだった。
「しかし彼女の走りは、まさに機能美って感じがですねぇ…」
沖野でも課長でも男でもない声が、急に三人に降りかかる。
驚いて振り向けば、どこかで見た顔で、カメラを構えている人間がいた。
「あっと、驚かせてしまいましたか。私、こういうモノでして…沖野トレーナー、ですよね」
カメラの構えを解いて、沖野に名刺を差し出している。胸にはしっかりプレス向けの入構許可証が下げられている。
「ははぁ…ライターさんでしたか。驚かせないで下さいよ」
沖野は参ったな、とでも言うように後頭部を掻いた。
男はどこかで見た顔だな、と思いながらそのやりとりを眺めている。
そのうち、記憶に思い当たった。
「…あ、理事長室の前で会った…」
「あぁ!エアグルーヴさんとゴールドシップさんと一緒にいた装蹄師の先生、でしたね」
にやりと笑う性別不明、年齢不詳のライターは、不意にカメラを構えるとパシャリ、と男を撮った。
「そちらは服飾部のシューズ課長さん、でしたか。お久しぶりですね。すっかり出世なされて」
ライターは今度は課長に向けてシャッターを切る。
課長はあやふやな、どちらかと言えば苦々しい表情をしていた。どうやら会ったことがあるらしい。
「…今日はなにをされているんですか?サイレンススズカさんは勝負服姿ですが…」
「…今日は、新しいシューズの慣らしです。一応、念のためにシューズ課長と装蹄師にもご足労願ってます」
嘘は言っていないが必要以上に情報も与えないよう、沖野は慎重に言葉を選んで答えた。
「なるほどぉ…では私も少し見学させていただきましょうか」
ライターは少し遠慮したように男たちから離れ、それでも遠すぎない距離でサイレンススズカを眺めていた。
「まぁ、害はないだろ…特に珍しいことをしているわけでもないし」
沖野はサイレンススズカを呼び寄せると、テストを始めるよう告げた。
次の毎日王冠、そのあとに続く天皇賞秋を想定しながら、沖野はスズカに8割程度の力で走るように言い、試走をこなしていく。
スズカが走るたびに男たちにフィードバックがあるが、今のところは調整の必要はなさそうだった。
むしろ以前使っていた蹄鉄のフィーリングとほとんど変わらないため、驚かれたくらいである。
さらに数度の試走のあと、男は少し気になることがあり沖野とともにサイレンススズカをピロティに向かわせた。
「どうしたんですか?」
不安そうなサイレンススズカに、男は告げた。
「このコンクリートのところを、向こうから普通に歩いてきてくれるか?」
たっぷり余力を残した試走を繰り返しているため、特にスズカに疲れはみられない。
こつん…こつん…と蹄鉄の音がピロティに響く。
「ん…もう一回、お願い」
男はスズカの歩く音に集中する。
こつん…こつん…
男はうんうんと頷き、スズカにシューズを脱ぐように告げた。
「…どうしたんだ?何か不具合か?」
沖野は不思議そうに尋ねてくる。
「いや、たぶんだけど、スズカの脚の長さ、左右で少し違うんだよ。だから、左右で蹄鉄の高さを少しだけ調整してやろうと思って。少し、右足の接地でつっかかるだろ?」
スズカは目を丸くし、不思議そうな顔をしたあと、こくんと頷く。
男はバッテリー式のリューターを使い、わずかに片側の蹄鉄の接地面を撫でる。
「そんなん音でわかるのか…」
「まぁ、なんとなく…カンですな」
ほら、とスズカにシューズを戻す。
スズカはシューズを再び履いて、左回りにぐるっと一周歩く。
「…すごい…いつもなら、新しい蹄鉄をつけると最初は右足がちょっとだけ突っ張る感じなんです…それは、しばらく走るとなくなって、馴染むんですが…今はもう、馴染んだあとみたいになってます」
いつもなら走った摩耗で自然と調整されていたものを、男が見抜いて合わせたようだった。
「お前…すげえのな…そんなの俺でもわからんぞ…」
「そうなのかな?老公はよくやってたよ、こんなこと。まぁ手作りで品質が揃わない蹄鉄の時代だからかもしれなけどね」
男は特別なことをしたという意識はなく、淡々と道具を軽トラの荷台に戻した。
「職人技とは、たいしたもんですねぇ…」
少し離れたところでライターがその一部始終を捉えていたことには、誰も気が付かなかった。
それからしばらくして、無事調整は終了した。
男は軽トラでちらほらとウマ娘が行き交う構内をゆっくり走り、工房に戻ってきた。
搭載した工具を片付けたあと、作業机にどっかりと座り、ひと心地着く。
右手が気になった。
やはり、震えている。
じっと手を見つめていると、ふっと視界が暗くなり、身体が持ち上げられる。
「…!」
驚きのあまり言葉も出ないが、宙に浮いているらしい足をじたばたさせる。
なにかに担ぎ上げられたような感覚だ。
「おーし!11時46分、おっちゃん確保!スペ!工房の戸締りは頼んだぜ!ゴルゴルタクシー、しゅぱぁーつっ!」
男は事情を解さぬまま、俵のように担がれている体に加速Gを感じた。
「おい!ちょっ…まっ…て…!!」
どうやらゴールドシップに担がれていること以外全く理解が出来ぬまま、男はスピカの部室に連行されたことのあるウマ娘たちの経験談を思い返した。
たっぷりとゴールドシップのパワフルさを体感し、もうどうにでもなれ、と諦観に支配されてからどのくらい経っただろうか。
不意に、どさりと降ろされて視界が開けた。
明るくなった眩しさに目がついていかないが、そのうちに慣れて視界を取り戻す。
「どうよ!ゴルゴルタクシーの乗り心地は。快適だったろー?」
視界一杯にいるのは走りで顔をいくらか赤く上気させた肌でドヤ顔をしているスタミナ上等天才美ウマ娘、ゴールドシップだった。
「あぁ…麻袋のチクチクしたのさえなければ快適だったんだがな…」
途中気が付いたのは、どうやら手加減してくれているというか、揺らさないようにかなり気を使ってくれているのだろうということだった。
麻袋を通じて風音が聞こえてくるくらいにはスピードを出していたはずなのに、揺れは恐ろしく少なかった。
男のクルマのガチガチに固められているサスペンションよりも、よほど上等な乗り心地と言える。
「で、ここは…?」
男はあたりを見回す。
周囲からは好奇の視線が集まっていたが、今はそれを無視する。
「おっちゃーん、昨日センセイに言われたろ?病院いけって。だから連れてきてやったんだZE☆」
そこは昨日、ウマ娘専門医に紹介された病院、しかも指定された神経科の待合だった。
トレセン学園からは5~6キロは離れているはずで、時計は12時5分ごろを指している。
「もうトレセン学園から連絡入ってるから、ここで待っとけばいいらしいぜ!しっかり診てもらってこいよな!」
言いたいことだけ言うとゴールドシップは、腕時計なんか嵌めていないのにわざとらしく手首を見て、「あ、バイトの時間だ!」とひとりごちて駆け去った。
男は色々なことを諦め、周囲から寄せられる好奇の視線に目を閉じて耐え、呼び出しの時を待った。
夕方、男は学園の敷地内にある自室に戻ってきていた。
病院では問診に始まり、MRI、CTといった検査機器を一通り巡らされ、いくらかの運動機能の検査をさせられたところで、診断は明日、と言われて帰されてしまった。
病院を放り出されたところでスマホを見るとたづなさんからメッセージが来ており、今日の直帰と明日の病院の診察を強く指示する内容が記されていた。
まだ日の明るさがある時間帯に自室にいるのは不思議な感覚がする。
問題の右手の震えは収まっていなかった。
午前のシューズ調整の時には、いくらか握力がおかしいことも自覚した。槌を振るう必要がなかったのは偶然とはいえ、運がよかったと言える。今の状態で、狂いなく槌が打てたかどうか。
男はソファに身を沈めて、オレンジ色に染まる室内に焦点の合わない視線を遊ばせる。
自分の身体になにがあったとて、今更自分自身はそれほど気にはならない。
気掛かりなのは、今取り組んでいるさまざまなことが滞らないか、ということだ。
しかしそれも、ルドルフとタキオンとたづなさんあたりに託せばなんとかなるような気がした。この世に替えの利かない役割なぞ、そうそうあるものではないのだ。
そういった意味では自分はもう、役割を果たしたのかもしれない。
替えの利かないサイレンススズカの脚に、精いっぱいのことをしたはずだ。
そこまで考えて、男は思わず笑ってしまう。
まだ何かわかったわけでもないのに、病気の疑いだけでひどく弱ってるじゃないか、俺は。
男は煙草を咥え、かちりと火をつける。
一口吸って、灰皿からまっすぐに立ち昇る煙をじっと見つめて、動かなかった。
傍らでスマホが鳴動していることには、気が付かないでいた。
皆様、割と暗くて地味な前回のお話に連載始めて以降最高のコメント数、ありがとうございました。
おっちゃんの愛され度合いがすごくて、とても驚きました。
比較的ここまで色がつかない感じの人物として書いてきたつもりでいたので意外でしたが、とても嬉しかったです。
また、今回はコメントでいただいた様々なアイデアをパク…活用させていただいております笑
皆様重ね重ねありがとうございます。
そろそろ区切りも見えてきた気がしないでもないですが、相変わらず無計画に書き綴ってまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。