学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

57 / 115
55:診断

 

 

 

 

 

 

 ルドルフは勉強会の後、自室に戻った。

 

 部屋で夜のルーティンを一通り終え、日記もつけ終わって、あとは眠るのみだ。

 

 しかし現在、落ち着かない気持ちを抱え、眠れずにいる。

 

 

 勉強会のあとの男と医師とのやりとりを、ルドルフは聞いてしまったのだった。

 

 人間の聴力では彼らのやりとりを聞き取ることは難しい状況であっただろう。それなりに離れていたのだ。

 

 しかしウマ娘の人間に比べて大きくて集音能力に優れる耳は、しっかりとそれを捕捉していた。

 

 そしてそれは、その場に居合わせたアグネスタキオン、ゴールドシップも同様であり、彼女たちの耳の向きがそれを示していた。

 

 

 

 一人部屋で眠れずに、かといって何かをするわけでもなくただ漠然とした不安に尻尾を揺らしていた時だった。

 

 スマホがメッセージの着信を知らせた。

 

 取り上げてみれば、アグネスタキオンからだ。

 

 SNSのメンバー限定グループチャットへの招待リンクが貼られており、グループ名は「鉄の会」とされている。

 

 不審に思いながらもそっと参加をタップする。

 

 そこはアグネスタキオンをルーム主催者としてゴールドシップ、エアグルーヴが参加していた。

 

[やぁ、生徒会長さん。もう眠っているかと思ったが、さすがに素早いねぇ。このルーム名はそれほどまでに効果的なのかな?]

 

 アグネスタキオンの煽りメッセージが飛び込んでくる。

 

[おっすおっす]

 

[会長、お疲れ様です]

 

 シンボリルドルフの登場に、ゴールドシップとエアグルーヴも反応し、グループチャットが賑わう。

 

[今日の勉強会後の話、君も聞いていただろう?装蹄師の彼と、専門医の話のことだよ]

 

 アグネスタキオンがシンボリルドルフに問いかける。

 

 この集いがなんであるかはグループ名でおおよそ見当がつくし、面倒な前置きはなしということらしい。

 

[…ああ。ウマ娘の耳というのはこういうときに便利だな]

 

 しかし、知らないうちにこのようなウマ娘間の繋がりが持たれていたとは。しかも兄を中心として。シンボリルドルフは驚き、目が覚めるようだった。

 

 特にエアグルーヴとゴールドシップは犬猿の仲とまでは言わないが、性格的に反りの合わない部分があるはずなのに、この「鉄の会」という主題から想定される括りの前には、この二人が糾合されてしまうというのは興味深かった。

 

[この中で彼と一番付き合いの長いシンボリルドルフ会長に問おう。彼はおとなしく医者の助言に従って病院に行くと思うかい?] 

 

 アグネスタキオンの問いにシンボリルドルフは瞑目し、兄のイメージを脳内に作りシミュレーションをする。

 尤も、考えるまでもなく答えは決まっている。

 

[…行かないな。あれほど自分に無頓着な人間は、そうお目にかかれるものではない]

 

 ルドルフは苦笑しながら答えを打ち込む。

 

[よっしゃあ!じゃあアタシのプランB、実行でいいよな!]

 

 ゴールドシップの声が浮かぶようなテンションで発言が返ってくる。

 

[…心外だが、致し方あるまい]

 

[そうだねぇ。今回は悔しいが、ゴールドシップ君の案に乗ろう]

 

 元居たメンバーでどんどん話が流れていく。

 ルドルフは、自分が参加する以前の流れもなんとなく想像がついたが、一応確認しておく必要を感じた。単純に興味といったほうが正しいかもしれない。

 

[…きちんと説明してくれるだろうか]

 

 シンボリルドルフの発言を潮に、流れが止まる。

 

[…恐れながら、ご説明申し上げます]

 

 ここでは生徒会の上下関係なぞ関係ないのだがな、とシンボリルドルフは苦笑しながら、エアグルーヴの入力を待つ。

 

 説明は簡潔かつ明瞭になされた。

 

 今夜の勉強会で現場にいたアグネスタキオンも、ウマ娘専門医と装蹄師の男のやりとりを目撃したところから始まる。

 

 最初は単に、スズカの蹄鉄を仕上げた男を労っているのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。

 専門医の手つきは、ウマ娘の脚の故障を探るそれだと気が付いたのだ。

 

 聞き耳を立てていると、専門医が男に受診を勧めていることがわかったアグネスタキオンは、工房を出たところでウマ娘専門医を捕まえ、問いただしたという。

 

 専門医は、専門外であることと個人情報であることを理由に明言は避けたようだが、なにもなければそれでいいのだから、診察は早急に受けるべきだろう、とだけ言ったらしい。

 

 それを受けてアグネスタキオンは同じく事情を察していたゴールドシップとコンタクトを取り、エアグルーヴも取り込んで、いかに男に病院にいかせるかを検討していたというのだ。 

 

 アグネスタキオンはエアグルーヴの心中を知る立場でもあるわけで、なにかを企むにおいても絡めておいたほうが彼女の立場上も得策だろう。

 さすがの知恵に長けた彼女らしい采配と言えた。

 

[それで、プランをいくつか練っていたというわけか…ちなみにプランBとは、どのようなものなのだ?]

 

[アタシがおっちゃんを拉致して病院にお届け!「芦毛のゴルシの宅急便!」プランだぜ~]

 

 ゴールドシップは平成初期あたりの黒猫系宅配便のCMサウンドロゴを流用した節回しでお道化てみせる。残念ながら文字だけではエアグルーヴあたりには伝わるまい。

 

[多少手荒くなりますがこの際、致し方ないかと。病院の方にはたづなさんを通じて手回しをする手筈です]

 

 エアグルーヴがフォローを入れる。下地もしっかり整えるあたり、実務に長けるエアグルーヴらしい。

 

 シンボリルドルフはやり方はともかく、彼女たちの頼もしさに思わず笑みがこぼれると同時に、自らの役割のなさに心に重みを感じる。

 

[…会長、どうでしょうか。許可…というのも可笑しな話ですが、ご賛同いただけますか?] 

 

 エアグルーヴが問いかけてくる。

 

[いいだろう。委細任せる。完了したら、ここで報告してくれ。頼んだぞ、ゴールドシップ]

 

 

 

 やり取りを終えたシンボリルドルフは、ため息を吐く。

 

 今は自らの心境よりも、兄の身体だ。

 

 ライバルが多いことは歓迎できない事態ではあった一方で、悩みをひとりで抱え込まなくてよい、ということのありがたさに、これまでにはない暖かな感情が灯るのを感じた。

 

 

 

 

 

 翌日午前、断続的にゴールドシップからグループチャットに報告が入る。

 

[トレーナーとスズカが午前中、授業を抜け出してシューズと蹄鉄のテストをするらしい]

 

[了解だ。こちらは現在たづなさんに事情説明をしている]

 

[おっちゃんも立ち会うみたいだから、一人になったところを狙う]

 

[誰にも見られるな。誰にも悟られるな]

 

[相棒としてスペを確保。人参焼き3本で契約したから支払いは生徒会で頼む。作戦名は「ゴルゴルタクシー」に変更。行燈も用意した]

 

[生徒会予算を私的流用はできない。行燈は捨てろ。目立つな]

 

[スズカのシューズ試走は無事終了。おっちゃんは工房に戻る模様。一人になったところで作戦を決行する]

 

[丁寧に扱え。安全運行だぞ]

 

[作戦完了。報酬はスイス銀行の指定口座に]

 

[生徒会予算を私的流用はできない。何度も言わせるな、このたわけが]

 

 いちいち突っ込むのも野暮なのではと思い、見るにとどめていたシンボリルドルフだったが、いちいち律儀に反応し返信するエアグルーヴは実はゴールドシップと相性が良いのではないか、と思うようなやり取りだった。 

 

 これで、経緯はともかく、兄を受診させることはできたのだ。

 

 ルドルフは一人、胸を撫でおろした。

 

 

 

 

 

 男へはグループチャットのメンバー各々から病院はどうだったのだ、と探りを入れていたが、診断は明日だ、という情報以上を引き出せたメンバーはいない。

 

 それどころか、一通り返信が返ってきて以降は、誰も既読がつかないという状態になっていた。

 

 グループチャットでのやりとりは各々が心配し、やりとりを重ねるにつれてお互いに感情を高めあってしまっていた。

 最終的には部屋を訪ねてみるべきでは、という話にまでなっていたが、シンボリルドルフは一言、今は兄さんを信じよう、というメッセージを入れて鎮静化させた。

 

 土台、彼女たちが心配をして押しかけたところで、事態が好転するはずもない。

 

 シンボリルドルフの一言は、聡明な彼女たちにそれを想起させ、またそれを理解させた。

 

 図らずも彼女たちも、男と同じようなじりじりとした夜を過ごすことになった。

 

 

 

 

 

 男は翌日、今度は自らの足で病院を訪れていた。

 

 男を診察室に通した医者は、座るなり困ったような表情で、切り出した。

 

「装蹄師、さんなんですよね、ウマ娘の」

 

「…はい」

 

「その…金槌を振るったり」

 

「はい」

 

「鉄を、叩いたり」

 

「はい」

 

「腕を、使う仕事なんですよね」

 

「はい」

 

「力いっぱい?」

 

「力いっぱい」

 

 医者は困ったようにため息を吐いた。

 

「…大変申し上げにくいのですが」

 

「はい」

 

「肘が、ですね」

 

「はい」

 

「剥離骨折しています」

 

「…は?」

 

 男は、自分は今とても間抜けな顔をしているのだろうな、とどこか他人事のように考えていた。

 

 

 

 

 医者の説明は要約すると以下のようになる。

 

 おそらく金槌での打撃を繰り返したことで肘関節の一部が筋肉の収縮に耐えかね剥離骨折状態になった。

 

 しかし長年仕事で鍛えてきた筋肉のおかげか、他の部位がフォローするように働いているようだ。

 

 損傷部位が神経に触っているのか、はたまた炎症が作用しているのか、詳しいことは分からないが、筋肉に作用し震えが出ているのだと思われる。

 

 

 

 

「痛みとかはないんですよね…?」

 

 医師は不思議そうな顔をして男に尋ねる。

 

「特には…違和感程度、でしょうか…」

 

 医師はますます不思議そうな顔をする。

 

「本来、痛いはずなんですがねぇ…これ、本来なら野球選手とかに出るような怪我なんですよ…でもちょっと、あなたの場合は特殊ですね…」

 

「はぁ…」

 

 お互い間の抜けたやりとりが続く。

 

 医師もしきりに不思議がる状況の中、ぴしゃりと一言だけ、断定された言葉があった。

 

「とにかく、しばらく金槌は振るえませんので、そのつもりで」

 

 

 

 

 

 困ったことになったな、と男は病院からの帰り道をとぼとぼと歩いていた。

 

 金槌が振るえないのでは、仕事にならない。

 

 懐には、学園に提出するように言われた診断書があり、内容は封印するまえに確認したが、1か月は金槌等右腕を使う業務の休養を要す、と書かれている。

 

 しかも医師が言うには1か月は目安で、状況を観察しながらさらに延長となることもあるらしい。

 

 そして元のように金槌を振るえるかどうかは、わからない、とも。

 

 スマホには、昨日と同じようにたづなさんからメッセージが入っている。

 

 診断書を持って理事長室に来るように、と昨日と同じ調子の強い指示が書かれていた。

 

 

 

 

 男は学園に帰る道すがら、今はめっきり少なくなった煙草屋を見つけ、気分でいつもより強い煙草を買い求めると、その軒下でかちり、と火をつけた。

 

 ゆっくりと煙で肺を満たし、吐きだす。

   

「…まぁ腕の一本くらい、安いもんだな」

 

 もっともその精算が済むのはサイレンススズカが天皇賞秋を無事に走り切ってからだが、と内心で付け足す程度には、煙草による鎮静効果が効き始めていた。

 

 

 

 




今回もお読みいただきありがとうございます。

いつもいつも思いつくままに書き散らしてロクに推敲もせずアップしてしまうので誤字修正いただいている点が稚拙過ぎて申し訳なく感じております。

悪癖とは自覚しておりますが書いたら出したくなってしまう性分が直りそうもありませんので、これからも皆様のお力添えをいただければ幸いです。
いつも誤字修正ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。