学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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6:アクセルとブレーキ

 

 男は学園内を歩いていた。

 時間はまだ昼前。

 ウマ娘たちは昼までは座学があるので、敷地内は閑散としている。

 もうあと数十分もしたら座学は終わり、昼食のあとはトレーニングの時間となる。

 

 サイレンススズカに何をどのように伝えるのか思索を巡らせながら、特に目的地なく歩いていく。

 

 おハナさんの話によれば、スズカは本能的に走ることが好きなウマ娘の中でも、飛びぬけているらしい。

 その程度は、暇さえあればランニングに出かけてしまうほどだという。

 オーバーワークの懸念があるため、トレーナーとしては自主的なトレーニングさえ制限しなければならない状況のようだ。

 そしてレースでは控える走りを指示され、スズカはさらにフラストレーションを溜めていく。

 悪循環に陥っているといえた。

 

 理論派で通るおハナさんの冷徹なまでの分析は、スズカの脚が限界に近いことをあらゆるデータから導き出していた。

 

 男もその見立てが間違っているとは思わない。

 

 しかし彼女の走りへの情熱、しかもやや偏執的ともいえるこだわりを理屈で納得させることは、頭が理解していても心がついていかない、という次の苦しみを生むことが懸念された。

 

 そもそも男とスズカとの会話は、昨日の朝だけのことだ。

 

 よく考えてみれば年齢は倍ほども違う、(ほぼ)異性と言える彼女に、なにかを伝えることができるのだろうか。

 

 その思考に行き着いた時点で頭を抱えかけた男は、敷地内に響いた座学終了の鐘の音を聞いて、職員用に敷地の端に設置されている喫煙所に針路を定めた。

 

 

 ニコチンによる現実逃避を試みてみても、よい話題、よい案は浮かばなかった。

 

 おハナさんにはトレーニング時間中に返却にいくこと、すこし中断させて時間をとらせてもらうかもしれないことはあらかじめ伝え、了解をとってあった。

 

 結局は、出たとこ勝負になるか…。

 

 男は諦観を軸にした覚悟を決め、トレーニングトラックに向かった。

 

 よく手入れされたトラックに生徒たちが集まってくる。

 

 男はスタンドの隅で立ち見用のバーに体を預けながら、チームごとの練習の様子をどこに注目するでもなく、眺めていた。

 

 その中には東条ハナや、沖野の姿も見える。

 

 それぞれにチーム員を従え、リギルは体育会系そのものの規律のある動き、スピカは…なぜか沖野がプロレス技を受けている。ちょっと嬉しそうに見えるのは男の視力による錯誤なのか現実か。

 

「あの…蹄鉄の先生…?」

 

 背後から声をかけられる。声の主は、サイレンススズカだ。

 

 不意打ちに驚いた表情を隠せずにいると、

 

「鉄の匂いが、したので…」

 

 そうだった。

 彼女たちは並の人間より相当レベルで嗅覚が鋭い。

 男自身はシャワーを浴びたとはいえ工房に置いてある着替え用の服では、洗濯済みであってもその匂いを隠せはしないだろう。

 決して彼自身の匂いでない、と思いたい。

 そもそもここに来る前に煙草を吸っている時点で、という話ではあるのだが。

 男は己の不明を恥じた。パイルドライバーを決められるべきは己だ。

 

「申し訳ない…」

 

「いえ、こちらこそ、わざわざご足労いただいて…」

 

「少し、話せるかな?それほど時間はとらせないと思う」

 

 スズカはこくん、と頷いた。

 

「まずは、コレを返すよ」

 

 蹄鉄を手渡す。

 

「結論から言うと、その蹄鉄には何の問題もないよ」

 

 彼女の表情は手にした蹄鉄を見つめたまま、動かない。

 

「依頼にはなかったけど、以前蹄鉄を預かった履歴とも比較させてもらった」

 

 彼女はびくり、と体を震わせた。

 

「以前よりも減りのバランスが劇的によくなってる。おそらくだけど、走り自体には何の問題もないんじゃないかな?」

 

「…わかってるんです。自分が確実に速くなってる、ということは…」

 

 彼女はぽつぽつと、話し始めた。

 

「…でもレースを指示通りに走ろうとすると、集中できなくて…」

 

 どうやら本人自身も、なぜレースになるとうまくいかなくなるのか理解しかけているようで、答えにたどり着いていないようだ。

 レースでのやり方を変えればまた違った視点も開けるのかもしれないが、そこはチームリギルの掟に反する。

 ましてや、それは仮初の理由に過ぎず、本当の理由は、彼女が限界を超えたときの…考えたくもない事態を懸念した東条トレーナーの心配りだ。

 彼女にどう説明したものか。

 対人スキルも経験も、装蹄技術にすべてポイントを振り替えてしまった男は、どう話すべきなのか、話を聞きながら頭をフル回転させていた。

 

 

「なら一度、大逃げを打ってみるってのはどうだ」

 

 突如、聞きなれた、やや軽薄さのある声がした。

 

「速く走りたい。その気持ちを素直にレースにぶつけてみろよ」

 

 声の主は、いつの間にか背後に立っていた沖野だ。

 

「あなたは…スピカの…?」

 

 突然の乱入者に、男は一瞬、めまいがした。

 非常にややこしい。

 が、沖野の目を見て、スッと心が落ち着いていく。

 声のトーンとは裏腹に、こいつ、真剣に言ってやがる…!

 

 そして沖野のはるか後方、物陰から様子を伺っているゴールドシップ。

 

 こちらに思いっきりピースをくれている。

 

 

 男が懐に忍ばせた古い蹄鉄がちり、と音を立てた。

 

 

 正解は、ないよ。

 

 

 老公の声が蘇る。

 男は今、その言葉の真意を少し、理解できた気がした。

 

 

 そして沖野の言葉に戸惑っているスズカに、男はこう告げた。

 

「…今は悩めばいいと思うんだ。東条トレーナーが君に指示することも、沖野トレーナーが言うことも、それ以外の方法もあるかもしれない。でも、走るのは、君だよ。君のレースを、走ればいい」

 

「私の…レース…」

 

「ひとりではどうにもならなくなったり、困ってしまうなら、その時は相談したらいい。東条トレーナーでも沖野トレーナーでも私でも。我々は、そのためにいるのだから」

 

 スズカはこくん、と頷いた。

 

 

 

 

 その日の夜、少し遅れ気味になっている業務をこなしていると、がらりと入口の引き戸が開いた。

 

「おーっす。精が出るなぁ」

 

 軽薄な声の主は、いささかテンション高く工房に乱入してきた。

 無視して蹄鉄の修正の槌を入れ続ける。

 

 コンビニの袋をぶらさげた沖野は作業台に近寄り、少し離れた位置からこちらの手元を見ている。

 

 治具で固定した蹄鉄に金テコを当てながら、仕上がりをイメージし修正打を入れていく。

 工房内には硬く冷えた金属音が響く。

 

 しばらくして、納得のいく仕上がりとなり、工具を作業台に置く。

 男はようやく、沖野に向き合った。

 

「昼間は割り込んでわるかったな」

 

 意外にも沖野は、謝罪の言葉を口にした。

 

 

 聞けば、沖野はゴールドシップに言われてスタンドへ来たらしい。

「鉄のおっちゃんの匂いがするぞ!事故の香りがする!」

 そんなことを言って駆け出したとか。

 沖野も後を追ったらスズカと男が話していて、聞くでもなく話を聞いたようだ。

 

 男も、昨日からの経緯を沖野に話す。

 なるほどねぇ、と頷きながら、コンビニ袋から出したチューハイを呷った。

 

「おハナさんらしいや。おハナさんがスズカにブレーキをかけていたんだとすれば、俺はさしずめアクセルを床まで踏み込んだってとこかもしれないな」

 

 その通りだった。

 懸念は、ある。

 だがそれを乗り越えていくところに、彼女たちがファンを虜にするような輝きがあることもまた、事実だ。

 

「でもまぁ、それもひっくるめて、彼女たちの夢を叶えるサポートをするのが、トレーナーの仕事なんだよな」

 

 沖野という男のこういった懐の深さには、時々男もはっとすることがある。

 チームの娘たちに気安くプロレス技をかけられるのも懐の深さ故なのかはわからないが。

 

 男は一口煙草を吸って、少し言葉を選んで、言った。

 

「なんだかんだ言って、助かったよ。俺一人ではうまく伝えられたかどうか」

 

 沖野は笑った。

 

「おっちゃん口下手だから絶対事故る!ってゴールドシップが言ってたぞ」

 

 あいつ鋭いな…。

 今回はゴールドシップにも助けられたわけだ。

 あいつのスペシャル蹄鉄、しっかり仕上げてやらないとな。

 

 沖野はとりあえず、スズカのこともできる範囲で気にかけてくれるという。

 これで男は役割を果たせたか、とひと心地つき、その日は自室に帰ることができた。

 

 

 

 





アニメでのスズカさんの移籍って、現実世界での騎手の乗り替わりの流れの置き換えなんですかね。書いてて気づきました。



ガリガリ書くの楽しいんだけど、時間が足りねぇ…
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