学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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59:後輩、来襲(1)

 

 

 

 

 

 後輩のトレセン学園見学の許可はあっさりと降りた。

 

 もともと全寮制のトレセン学園は、生徒たちの血縁による見学の要請が後を絶たない。

 

 その大半は春秋に行われる志望者向けイベント時などに消化されるのだが、さまざまな都合でその時期からはずれた通常期になることも少なくはなかった。

 

 職員の関連による見学、というのはそれにくらべれば数は多くないが、働くものにとっては何かと過酷となりがちな環境であるトレセン学園において、職員たちのプライベートサイドの人間たちにも理解を得ていくというのは、ある種の人員確保、離職防止という面において欠かせない施策でもあった。

 

 今回はその職員向け施策枠での見学許可ということで、理事長はあっさりと書類に判を押して裁可し、男の許に入校許可証とともに書類を寄越した。

 

 そこには様々な決まりごとが書かれていたが、いわゆる世間一般の常識の範疇を越えないものであり、特段気にかけるような内容はなかった。

 

 しかし一点、書類の最後に手書きで追加された文言があることに気が付いた。

 

 

「校内見学ののち、見学者と理事長室に必ず来ること(秋川やよい印)」

 

 

 達筆な筆文字で書かれており、立派なフルネームの角印が少し傾いてバチン!と押されていた。

 

 理事長とは休養を言い渡されて以来、顔を合わせていない。

 

 そもそも普段からそう交流があるわけでもないのだが、見学者とともに来るようにというのはどういう意味なのだろうか。

 

 少々訝しみながらも、まぁ挨拶に来いという程度のことだろうと男は一人、納得することにした。

 

 

 

 後輩に許可が出た旨を伝えると、電話越しでも伝わる純粋な喜びの雄たけびが聞かれた。

 

「持つべきものはデキる先輩っスね!テレビやレース場で客として見る側でしかなかった俺が、こんな風に内側を見学できる日が来るなんて…!」

 

 遠足か修学旅行を控えた子供か、と言いたくなるようなテンションである。

 

 幸か不幸か男も休業中で暇であるため、近い日程を定めて、当日は男が駅まで迎えに出る段取りとした。

 

 

 

 

 

 見学の当日朝、男は駅のロータリーで後輩を待った。

 

 約束の時間通りに後輩は現れた。

 

「ちわ!今日はよろしくおねがいします!」

 

 見た目は現役時代とほとんどかわらない後輩が、その記憶通りのそこそこのイケメン顔でよく言えば爽やか、悪く言えば軽薄な表情で男に挨拶をする。

 

 その姿を見た男は絶句した。

 

 最後に会った時は退院し、彼が実家に戻るときだった。

 

 車椅子姿が痛々しく、両親に連れられ迎えの車に乗り込む姿を、他の現役部員たちと一緒に見送った。

 車椅子というあまりに厳しい状態を目の当たりにし衝撃を受けていた男は、あまり言葉を交わした記憶はない。

 

 それ以来、たまに人づてに話を聞くことはあったが、男が修行生活に入り部活自体と疎遠となっていったこともあり、行き来はこの間の電話まで途絶えていた。

 

 だが、電話での様子は現役時代と変わらずの様子で男を慕ってくれていた。

 

 そして今、目の前に現れた後輩は車椅子姿ではない。

 左膝に装具をつけ、杖をついていたが自らの力で立って、歩いて現れたのだ。

 

「…おお…お、お前、歩けるのか…?」

 

 男は、驚きの余り言葉が上手く出てこない。

 

「あれ?言ってませんでしたっけ?なんとか歩けるようになったんスよ。まぁさすがにクラッチは踏めないんすけどね」

 

 後輩は少しはにかみながら笑う。

 男はそう言って立つ後輩の姿を見ながら、胸の奥が少し熱くなった。

 

「…って先輩、まだコレ乗ってたんですか。モノ好きですねぇ…」

 

 後輩は懐かしそうに男の車を見ると、杖でバンパーをつつく。

 

 男は苦笑いしながら胸の奥の熱を悟られないように大学時代の関係そのままに振舞い、後輩を助手席へのせ、杖と荷物をリアハッチに放り込んで出発した。

 

 

 

 

「懐かしいなー。車外は静かなのに車内がアホほど煩いのも変わってないっスねー」

 

 後輩はクルマに乗っても上機嫌だった。

 

 男のクルマはマフラーは純正品だったが、軽量化のために遮音材やアンダーコートの一切を取り払ってしまっており、強化エンジンマウントの影響で車内は煩く、振動も酷い。

 

「外がうるさいクルマは嫌いなんだよ。他人様に迷惑だろ」

 

「今でもコイツで走ってるんスか?」

 

「今はちょっと近所流すくらいだよ、気分転換に」

 

「俺たちも歳食っちゃいましたもんねー。丸くなっちゃいますよねー」

 

 男は信号待ちで右腕の可動域制約のために不自由そうに煙草を取り出すと、器用に咥えて火をつける。

 

「そういえば先輩、怪我で休業とかいってましたけど、その腕っスか?」

 

 男は窓をあけて車外に煙を吐きだしながら言った。

 

「そうそう。剥離骨折だと。痛くはねぇんだけどね、震えがあって。自分では気が付かなかったけど仕事関係の医者が気づいてくれた」

 

「装蹄師って先輩から聞いて色々調べたりしたんすけど、やっぱあれっスか。鉄の打ち過ぎっスか」

 

 後輩も煙草に火を点け、うまそうに吸う。

 吸っている銘柄は二人とも学生の頃から変わっていなかった。 

 

「多分な。ちょっと忙しくて無理したらこれだよ。弱っちいよなー俺」

 

「なに言ってるんすか、昔からそんなんばっかじゃないですか先輩。ほら一度、作業中にミッション落ちてきたの受け止めてあばら折ってたのに、レース出たことあったでしょ。あんたバケモンですよ」

 

 そういえばそんなこともあった気がする。

 

「まぁ怪我なんて治りますし。死ななきゃなんとでもなりますよ」

 

 狭い助手席で装具をつけた左足を上下にピコピコさせ、後輩は自信たっぷりに言う。    

 

「お前が言うと説得力違うなぁ…」

 

 男は苦笑いしながら、クルマを学園へ進めた。

 

 

 

 

 学園に着き、一旦男の部屋に後輩を連れていく。

 

 まだ時間は午前で、学園の生徒たちは授業中の時間帯だ。

 

 今のうちに見学の心構えなどを一通り、説明しておく。

 

「…まぁ、いろいろ言ったけど俺と一緒に居て煩くしなけりゃ大丈夫だ。入校許可証は下げておけよ」

 

「うっす。承りましたっス。しかしまぁ、殺風景な部屋っすねー」

 

「基本、寝るだけの部屋だからな。だいたい職場の工房にいつもいる。まぁ今は立ち入り禁止にされちまってるが」

 

「イイっスね。職場が秘密基地みたいじゃないすか。憧れるわー」

 

 男は大学生時代の部活の雰囲気を思い出し、懐かしさと嬉しさで久しぶりに自分がリラックスできていることを感じていた。

 

 しばらくお互いの近況報告が続く。

 

 後輩は実家に戻ったあと、家業を継ぐべく親が経営する会社に入り、今はそこそこのペースで働いているらしい。

 

「うちの実家は案外太いんスよ」

 

 昔からことあるごとにこう軽口を叩き、ボンボンであることを公言していた。

 

 これが嫌味に聞こえないくらい誰にでもフレンドリーな人柄であるため、後輩は愛されキャラとして部に欠かせない存在であった。

 

 そんな後輩を男はいつも眩しい思いで眺めていて、そして男は何故か、よくこの後輩になつかれていた。

 

 二人はひとしきり語らった後、少し早いが学園のカフェテリアで昼食を摂ることにした。

 

 

 

 まだ午前の授業終了前であるため、学園のカフェテリアは閑散としている。

 

 男はあまりここで食事を摂ることはないが、基本的には職員でも利用可能であり、食事代もかからない。それは来訪者に関しても同じであった。

 

「さすが設備がとんでもなく整ってるっスね…大学の学食みたいなのかと思ってましたが、これは…」

 

「まぁさすが中央トレセン学園ですよ。俺も初めて来たときは驚いた」

 

 二人は思い思いのメニューを取ると、片隅のテーブルで食事をはじめた。

 

 すると、校内にチャイムが響き渡る。

 

「…来るぞ…」

 

 男がぼそりと呟く。

 

「は?何がっスか?」

 

 後輩が返すその瞬間、遠くから地響きのような足音が迫ってきた。

 

「お昼だぁぁぁぁぁ!」

 

 姦しい黄色い声とともにお腹を空かせたウマ娘たちがカフェテリアに殺到する。

 

「おおぉっ…!」

 

 後輩がウマ娘たちの大群に思わずたじろぐ。

 

 その中でひと際目立つ芦毛のウマ娘が急ブレーキをかけて二人の前で止まった。

 

「うぇっ!?おっちゃんじゃねーか!こんなところにいるとか珍しすぎだろ!今日は槍でも降るのか!?午後はフルアーマーゴルシちゃんでトレーニングしなくちゃだな!」

 

 目敏く男を見つけるのは絶対美人奇行ウマ娘、ゴールドシップである。後輩には目もくれず男に食って掛かるように絡んでくる。

 

「てか腕は大丈夫なのか腕はよー!」

 

「大丈夫大丈夫。痛くないから。震えるだけだから。このあいだ病院連れてってくれてありがとうな。今度はもう少し優しくしてくれると助かる」

 

 男は食べながら答える。

 そういえばゴールドシップに拉致されて病院にいったが、お礼ができていなかった。そのうちなにかきちんとしてやらなければ。

 

「ったくよー早く治してくれなきゃ困るぜー。ゴルシちゃんの脚元任せられるのはおっちゃんだけなんだからよー…って、コイツ誰?」

 

 ようやく後輩に気づくゴールドシップ。

 

「こいつ、俺の大学時代の後輩。トレセン学園見学したいんだって」

 

「ほ…ホンモノのゴールドシップさんだ…!」

 

 後輩はゴールドシップを間近に見て、ワナワナ震えている。

 

「おう、ゴルシちゃんだZE☆なんだーアタシのファンかーしょうがねーなー!デコでよければサインしてやるZE☆」

 

「え!いいんですか?」

 

 後輩は手提げをゴソゴソし、マッキーを取り出して額を差し出す。

 

「デコはやめたれやデコは。ゴールドシップや、まだこいつは見学に来たばかりだ。サインは欲しいみたいだからあとでちゃんとしたもんに書いてやってくれ」

 

 男は冷静に止めに入る。

 

「先輩!止めないでください!せっかくのチャンスなんですから!」

 

 後輩は何故か書いてもらいたがっている。額に。

 正気かコイツ。

 

「お前…せめてシャツとかにしとけよ。これから校内回るんだぞ」      

 

 男のとりなしにより、ゴールドシップは後輩のシャツにサインをしてくれた。

 

「おっちゃんにもなんか書かせろよ!あ!せっかくのその肘のサポーターになんか書いてやるよ!」

 

「あ!ちょっ…あ…」

 

 ゴールドシップは制止する間もなく男の手を取ると、ささっと何事かを書き付けた。

 

「これでよし!じゃ、昼飯食べてくるわ!またあとでな!」

 

 いつも通りやりたい放題して、ゴールドシップは嵐のように去っていった。

 

 男はサポーターに書きつけられた何事かを確認しようとするが、肘の裏側に書かれているためにうまく見ることができない。

 

「なぁ、これなんて書いてあるの?」

 

 後輩に腕を差し出し、見てもらうことにする。

 

「え…これは…まぁ…自分で見たほうが…」

 

 いつも明朗活発な後輩が言いよどむ。

 

「なんだよ。言えよ」

 

 それでも後輩は何故か顔をやや紅くさせて言を左右にしてぼかし続け、ついぞ書かれた内容を伝えてはくれなかった。

 

 

 サポーターにははっきりくっきり大きな文字で、

 

「ゴルシちゃんの!」

 

 と書かれていた。

 






なんだか訳わからないテンションと状況になりつつありますが、全ては私の脳内妄想なので仕方ないですね(開き直り)

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