文字数がまた多いのですが、なにとぞお付き合いください。
「…しっかし、よくあんな競技形式を咄嗟に思いつきましたね」
後輩は男に話しかける。
ゴール前には装蹄師の男、後輩を中央に、その両端に東条ハナと沖野が陣取る。
「アベレージラリーってあんだろ。アレだよ」
男はこともなげに答える。
後輩も、あぁ…と納得する。
「何それ。ウマ娘の競技にはないわよ」
東条ハナが会話に参加してきた。
「クルマの競技でね、ラリーってあるでしょ」
「あの、土埃あげて派手に走るやつ?」
「そう。あれは今でこそいかに速く走るかを競ってるけど、昔は指定区間を指定時間どおりに走る競技形式が主だったんだよ。で、誤差秒数ごとにペナルティを与えて、一番ペナルティが少なかった奴が優勝、っていう。今回のやり方はそれだよ」
へぇ、とおハナさんと沖野が感嘆する。
「…こんなことであいつらの脚に負担かけてなにかあったら、俺が土下座切腹しても何の足しにもならんからな…とはいえ思い付きだよ」
男は欄干にもたれかかり、ため息をついた。
「…誰が勝ちますかね?」
後輩の言葉に男とトレーナー二人は唸り声を上げる。
「…うちだとこういうのが得意そうなのはルドルフとエアグルーヴだけど…精神的にも強いのはルドルフね」
おハナさんはやはり、レース巧者の絶対的皇帝への信頼が勝るようだ。
「やったことねえからなぁ…ただ、俺たちにも思いつかないような奇策でいい線までいくとすればゴールドシップだな。スペは自爆、スズカは周りに惑わされなければあるいは、とは思うが」
沖野は個性が強いスピカの面々をそう分析してみせた。
「先輩の予想はどうなんっスか?」
後輩は男の横顔を窺った。
「…はっきりしてるのはな、俺の1日が消えることと預金残高が減ることだけだ」
そこには先ほどまでスターウマ娘相手に一喝をくれていた堂々たる姿はなく、達観した仙人のように遠くの空を見つめる男の姿があった。
スターティングゲート前では、出走するウマ娘たちが思い思いに身体を動かしたり、ストレッチをしたりしている。
シンボリルドルフは仁王立ちのまま瞑目し、レースのシミュレーションをしているようだ。
ゴールドシップはコース脇のアリの巣を眺めている。
エアグルーヴとサイレンススズカ、スペシャルウィークは輪をつくり、言葉を交わしていた。
どうにもこの風変わりな競技形式に戸惑っている。
「どうやって走ろうかしら…いつものペースでは大幅に早着になってしまうし…」
サイレンススズカは人差し指を顎にあて、悩ましそうに考えている。
「まずは自分が思う通りに走れること、そしてそれが2分30秒に近ければ近いほどいいわけだが…それほど遅いタイムというわけでもない、スローペースで進めても最後に合わせるのがどうか…」
エアグルーヴが前提条件を整理し、自らの脚質と合わせて走り方を詰めていく。
「…あ!いいこと思いついちゃいましたよ!」
ここまで静かだったスペシャルウィークが突如、声を上げる。
「…みんな一緒にゴールしちゃえばいいんじゃないですか!?」
その言葉を聞いたスズカとエアグルーヴは固まる。
「そうすれば2分30秒からのタイム差がみんな一緒、同着ってことになって…みんな1日占有権がもらえちゃうかもしれませんよ!」
私の占有権はスズカさんに進呈しますね!と満面の笑みで話すスペシャルウィーク。
ほんの刹那、それも一理あるかと思いかけるエアグルーヴ。
「あらぁ~スペちゃん、その話、あの人にできる~?」
話を耳にして割って入ったのはマルゼンスキー。
目線の先には仁王立ちのまま瞑目しコンセントレーションを高め、既に赤黒いオーラを発し始めているシンボリルドルフの姿。耳がこちらを向いている。
スペシャルウィークはその姿を見ているだけで冷や汗が背中を伝い、その感覚に意識を醒まさせられる。
「あ…あははは冗談ですよ冗談!あははははh…」
青くなったスペシャルウィークは慌てて手を振って先ほどの提案を打ち消した。
「そろそろゲートにお願いしまーす」
スターティングゲートを仕切るフジキセキの声が響く。
無情にもスタート時刻は近づいていた。
「そろそろスタートだな」
ゲートに収まっていくウマ娘たちがスタンドから見える。奇数番から収まり、偶数番もうちから順に入っていく。
おハナさんも沖野も冷静そのものだが、そもそもがこの二人も勝負の世界に生きる勝負師である。ターフを見つめる真剣さはいつものレースと少しも違いがない。
後輩は二人のその様子を見て、ぞくりと背筋を震わせた。しかしそれは怖気ではなく、ある種の憧れを抱くような感情だった。
クラッシュして怪我をして以降、競技をすることはなくここまで生きてきた。
しかし、家業を継ぐために仕事をしてもそこには自ら競技をしていたときのような緊張感はなく、延々と続いていく少し張りのある日常に過ぎなかった。
いつしかその心にある欠けた部分を埋めるように、再びウマ娘たちのレースにのめり込んだ。
しかし自らが競技をする前から好きだったウマ娘たちのレースも、観ているとどこかでもどかしさを感じるようになっていた。
自らが競うことの楽しみ、くやしさ、苦労、それらをすべて包括して得られる充足感。
後輩は自らも競技をすることで、その愉しさを知ってしまっていた。
そしてそれは観客側として観る立場では得られないものだった。
ウマ娘たちのレースを観ても、あくまで近くでその雰囲気を感じとるだけ。
そしてそれは自らの中に残っているレースへの渇望をいつでもちくりと刺していたのだ。
「お前は誰が勝つと思うんだよ」
スターティングゲートを遠くに眺めながら自らの内側に意識を落としかけていた後輩が、装蹄師の男の声で我に返る。
「そうですねぇ…いちファンとしてはやはりこういう時でもシンボリルドルフの横綱レースを観てみたいものっスけど…こういう時は意外と冷静そうなマルゼンスキーさんあたり、一発あるんじゃないスかね」
ほう、と意外な目線に声を上げるトレーナー二人。とくにおハナさんは見落としていた観点のようだ。
スタート30秒前、というフジキセキの声が遠くに聞こえる。
4人はゲートに視線を集中させた。
ガシャン!とゲートが開く音が響き、ウマ娘たちが飛び出した。
一斉にスタートを切ったように見えた…が。
「あ…?」
先頭に勢いよく飛び出したのがサイレンススズカ、それを追うようにスペシャルウィーク、少しあいてマルゼンスキーとエアグルーヴが並び、それを睥睨するようにシンボリルドルフが悠然と追走していく。
…ひとり足りない?
装蹄師の男と後輩はあれ、と呟く。
「…ゴールドシップが出てない!」
沖野が双眼鏡を覗きながら声を上げた。
スタンドで様子を眺めていた周囲のウマ娘たちもざわつく。
ゴールドシップは開いたゲートから微動だにせず、目をつぶって腕を組み、じっと立っている。
「ゴールドシップはレース放棄?そんなタイプじゃないと思うけど…」
おハナさんはストップウォッチと彼女たちの進行を交互に確認しながら呟いた。
沖野は様子を伺っている。
「……あいつ、やりやがったな!出るぞ!」
沖野は叫んだ瞬間、ゴールドシップが駆けだした。
「さっき、自分のこのコースの自己ベスト確認しにきたんだよ。あいつ、全力で走る気だ!」
サイレンススズカは悩んだ結果、先頭で走ることを決断し、いつも通り抜群のスタートを決めた。
走り方を乱した結果不本意な結果に終わるよりも、まずはいつも通り出てみて先頭を譲らない程度のペースで走り、最終直線での調整を考えることにしたのだ。
しかし走り出してみればスズカに憧れるスペシャルウィークがぴったりとついてきており、これはこれで走りにくい。
「スペちゃん…」
「スズカさんの走り、間近でしっかり目に焼き付けます!」
すでにレースの目的が賞品ではなくスズカと走ることになっているスペシャルウィークは、そうであるがゆえにサイレンススズカがイメージしていたペースを混乱させ、自然とペースが上がっていった。
その様子を少し後方で展開を窺うエアグルーヴとマルゼンスキーは眺めていた。
エアグルーヴは少しずつペースが上がっていくスズカとスペシャルウィークの関係を推測し、少しずつ距離が開いていくことに安堵していた。
とりあえずあの二人は気にしなくていい。
いつもより絞り気味にしていた自らのペースを信じ、淡々と脚を進めた。
シンボリルドルフはさらに後ろに構え、先を行く4人の動きを視界に捉えながらも、それよりもさらに重視するものとして自らのペースを管理していた。
今回はつまるところゴールの着順には意味がなく、道中のポジションにもさほどの意味を見いだせない。
持つべき視点は自らの計画したペース通りに走り、他者に惑わされずにいること。道中のポジションはそれを可能にする位置にいることが重要となり、計画に従うべき要素だった。
ルドルフは脳内でスタートまでの短い時間、このコースを自らがベストで走ったときのシミュレーションと、それを80%にペースダウンしたときのシミュレーションを組み立てていた。
自らの体内時計に誤差を見込むにしろ、走り込んだこのコースであればある程度補正が効くはずだった。
逸る気持ちを理性で抑えつけ、あくまで目的のために、定めたことを定めた通りにこなしていく走り。
それは皇帝の身体能力と頭脳を以て、長年熟成させてきた装蹄師の男への想いを形にする初めての試みかもしれなかった。
マルゼンスキーは考えていた。
私があの、装蹄師の先生に教えてもらったことはなんだったかしら。
もともと脚部不安を抱えていた彼女は、競走ウマ娘としてのキャリアの中ではたびたび男へ相談することはあった。
しかしそれよりも印象的なのは、彼女が趣味のクルマを手に入れて以来の彼との付き合いだった。
憧れて手に入れたクルマであったがその維持は想像を絶する難易度であり、難儀していたときに手を差し伸べてくれたのが男だった。
念願だったサーキット走行も彼の手引きにより実現し、今では立派に彼女の大好きな趣味となった。
初めてのサーキット走行の時、男がとにかくこれだけ守っておけばそう酷いことにはならないから、と教えてくれたことがある。
「後ろを見ろ。ミラーでとにかく後ろの状況を常に把握しろ」
前は無意識にでも見ているから凝視しておく必要はとりあえず、ない。しかし後ろは意識しないと認識できない。鳥瞰的に自らと周囲の状況を把握し続けろ。それがトラブル回避につながる。
そういうことだった。
その教えのおかげで、彼女はコース上では大きなトラブルに巻き込まれたことはない。
ふとそれを思い出し、改めて周囲をうかがう。
先頭は依然、サイレンススズカ。追いかけるスペシャルウィーク。それを見る私、隣にはエアグルーヴが難しい顔をして走っている。気配を感じる位置にシンボリルドルフ。
(あら…)
ゴールドシップがいないことに気づいたのはこの瞬間、マルゼンスキーだけであった。
ゴールドシップは開いたスターティングゲートの中で黙して動かず、ただ瞳を閉じて数を数えていた。
もともとの脚質は追い込みであるし、ごちゃごちゃした中を走るのは性に合わない。
道中での駆け引きにもそこまで興味はなく、自らが熱くなれるレースでさえあればいい。
タイム縛りがあるなら、その中で自分を追い込んでしまえばいい。アタシはアタシの走り方で、2分30秒に近づいてみせる。
ゴールドシップはそう考えた。
自らのベストタイムと2分30秒の間。
コンディション的にベストが出るとは限らないからそこに補正値を適当にいれたカウントを数える。
焦れた気持ちでカウントダウンをこなし、ゴールドシップは全力で、猛然と駆けだした。
「スタンドで首を洗って待ってろよおっちゃぁぁぁぁん!」
何事か奇声を上げて駆けだしたゴールドシップの姿はスタンドでもよく見えた。
「うわぁ…」
後輩がその気迫に思わず杖を持つ手が震える。
「秒数的にはどうなのよ。ゴールドシップのスタートのタイミングは」
おハナさんは沖野に問う。
「…あいつが全力で走れば2分30…プラマイ2秒ってところじゃないか」
その差異がどれだけなのか、あくまで相対的な差が順位となるために今はわからない。
しかし猛烈な速度で後ろから迫ってくるゴールドシップは少なからず前を走るウマ娘たちにも影響を及ぼすだろう。
「やっぱ見てて飽きさせねぇなぁ、アイツは」
沖野は感心し、かつ呆れたようにゴールドシップを眺めていた。
先頭を走るスズカはすでに裏の直線、その3分の1ほどの位置だ。スペシャルウィークから突かれるような形で、ややオーバーペースかもしれない。
先の行程でのペースの作り方にもよるが、やはりここからどうにでもできる位置を占めて単騎で行くシンボリルドルフが本命か。
見るものは先の見えない展開に手に汗を握る。
サイレンススズカは完全にペースがわからなくなっていた。
スペシャルウィークの足音に気を取られ過ぎ、自らのペースも上げてよいのか下げたほうが良いのか、完全に判断がつかなくなっている。
さらに周囲を探りながら走るという慣れない走り方で、頭はパニック寸前にまで追いやられていた。
当然そうなると後ろに続くエアグルーヴにも影響が出る。広がったり縮まったりするサイレンススズカとスペシャルウィークとの間隔に戸惑いを覚え、自らの行き脚の調整にも不安を感じ始める。
こうなるとこの時点で比較的正確なペースを刻んでいたのはシンボリルドルフだったが、こちらはまだ距離はあるものの、とんでもない速度差で迫ってくるゴールドシップを認識することで、少しずつ感覚に狂いが生じ始めていた。
4コーナーを最初に回ってきたのはサイレンススズカで変わらず、スペシャルウィークは相変わらず追走、そして後ろを走っていたエアグルーヴも差が詰まってきてやや外へ持ち出す。
後ろから迫るゴールドシップは3コーナーを回りはじめたところだ。
「だっしゃーーーい!全開でいくぜぇぇぇぇ!」
ゴールドシップが吼えた。
もうその声は前を走る彼女たちにも届く。
そして自らのペースに疑心暗鬼になっていた彼女たちを更なる混乱に陥れるに十分だった。
たった一人、ゴールドシップの作戦を見抜いたマルゼンスキーを除いて。
「来たぞ…!」
4コーナーを立ち上がり駆けてくるウマ娘たち。
先頭はサイレンススズカだったがいつもとは様子が違う。
すでにスタミナを切らしているかのように汗をかき、後ろについているスペシャルウィークのギラついた視線に炙られてしまったかのようだ。
少し遅れてエアグルーヴが二人の外を狙うかのようにラインを取る。さらに加速しようと脚を踏み込んだ。
シンボリルドルフもエアグルーヴに続くように駆けてくる。
マルゼンスキーは内をあけ、あえて大外にラインをずらしていく。
まだ脚は溜めてある。
後ろから迫るゴールドシップとの間合いを図りながら徐々に加速し、最後は彼女と並走するくらいのつもりでゴール板を駆け抜けるイメージを作っていた。
すでにシンボリルドルフも先に行き、4コーナーを回ってくるゴールドシップとの距離を慎重に図りながら脚を進めていた。
地響きにも似たターフを蹴る力強い足音はタイムレースという状況でもいささかも変わることなく、迫力たっぷりに直線を駆けてくる彼女たち。
その姿を男は固唾を呑んで見守る。
頼むから、無事に走り切ってくれ…!
結果よりもその一念だった。
レースペースは意図した通りかなり落とせており、本人たちの精神的な部分を含めたスタミナの消耗はともかく、故障の発生の可能性は低いだろう。
それでも、男は彼女たちが無事に帰ってくることだけを祈り続けた。
次々にゴール板を駆け抜ける彼女たち。
そのたびにストップウォッチのラップが押され、電子的な音を立てていた。
表面上の着順は以下のようになった。
1着 スペシャルウィーク
2着 サイレンススズカ
3着 エアグルーヴ
4着 シンボリルドルフ
5着 ゴールドシップ
6着 マルゼンスキー
しかしこの競技形式では表面上の着順に意味はない。
基準タイムの2分30秒に対する差異が着順を決めるため、すぐに結果がわかるわけではなかった。
ゴールした彼女たちがターフ上で息を整える。
結果として全力で走ったゴールドシップはターフ上に大の字に寝転んで、その立派な双丘を大きく上下させていた。
ほどなくして、レースタイムが書き込まれたメモ用紙がゴール前で計測していたダイワスカーレットから男に手渡された。
男の手元をおハナさんと沖野が覗き込む。
そのタイミングで、男のスマホが着信を告げた。
「…そろそろ、理事長室へお越しいただけないでしょうか」
通話の相手は学園を司る緑の人、駿川たづなさんであった。
「わかりました。伺います」
男はそれだけ告げて通話を切ると、結果の書かれたメモ用紙を沖野に押し付けた。
「結果発表と食事会の店の手配、頼む。呼び出されたから、行ってくる」
「おい!行ってくるって、何処に!」
「理事長室だよ」
男は後輩についてこい、と促すと、踵を返して歩き始めた。
「で、結果はどうだったの?」
おハナさんの問いに、沖野はメモを差し出す。
「あら、これは…。まだ一波乱ありそうね」
優し気な微笑でため息を吐く東条ハナ。
メモに書かれていたタイムレースの着順は、このようになっていた。
1位 マルゼンスキー +0.3秒
2位 ゴールドシップ -0.5秒
3位 シンボリルドルフ -0.9秒
4位 エアグルーヴ -1.5秒
5位 サイレンススズカ -2.4秒
6位 スペシャルウィーク -2.9秒
書いて出しで恐縮です。
皆様コメントありがとうございます。
同着もいいかな、と心が揺れましたが当初案でまとめてみました。
いつも修正いただいている皆様、大変感謝しております。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。