ちょっと酷い突き指してしまいまして…普段から書き物する仕事なので、生業こなすのにも四苦八苦しておりました…(言い訳)
学園からURA本部に戻った樫本理子は、今日の報告書をまとめている。
予算が付いたことで、URAとして正式に学園との調整を始めることができる。
URAはレース運営についての実務的な面を取り仕切るため、理子の仕事はこれからはエアグルーヴの発案したトラブルに対応するためのウマ娘をレース中に走らせるというアイデアを実現させるためにURAのさまざまな部署に話をねじ込み、調整し、実現へのステップを踏んでいく。
学園はその器に合わせた人材選定、教育、訓練の準備をはじめていく。
いわゆるハードウェアとソフトウェア、その両面からのアプローチの調整役を樫本理子が担うのだ。
予算が付いたことでようやくスタートラインに立った、そんなところであろうと彼女は改めて気を引き締める。
(しかし…)
立ち寄った蹄鉄の工房では、ひさしぶりに男に直接、会うことになった。
怪我をしたこと、それにより業務が府中へ委託されていることは知っていたが、印象的だったのは彼を取り巻くウマ娘たちの様子だ。
特に何かを意図したわけではなく、生徒会室での打ち合わせの後、工房に立ち寄ると言った自分に同行したシンボリルドルフとエアグルーヴの様子。
そして男と自分の会話を一言も漏らすまいと聞き入るその姿。
基本的に他人の感情にそこまで関心を払うことのない自分であっても、異様な雰囲気を感じ取れた。
(気になりますね…)
樫本理子は頭を切り替えてこれまでの作業を一旦仕上げ、その後改めて、学園のさまざまな記録や報告書に目を通していく。
(なるほど…そういうこと…)
その中でも目に留まったのは、リギルとスピカより提出されていたトレーニング記録だ。
(色々、噂は聞こえてきたけれど…ここまでとは)
樫本理子はこれまでも折に触れ、学園からの報告書の端々に男の存在をうかがわせる記載を見つけては、その振る舞いについてなんとなく想像はしていた。
しかし今日、本人の実態を久しぶりに目の当たりにし、かつ男の肘に書き込まれていた数々の言葉から、想像以上に男が生徒たちから好かれていることを現実のものとして認識した。
そしてこのトレーニング記録。
一見するとスピカとリギルが模擬レースをした、という記録だ。
しかし出走者が異様である。
すでに実績のあるメンバーで、今更模擬レースをするまでもない、いわゆるドリームレースのような出走者。
そしてタイムレースという普段あまり見られない競技形態。
記録上はそういうトレーニングを試行した、という形でリギル、スピカ双方で口裏を合わせたような表現になっている。
しかし男の肘に書き込まれていた数多のメッセージとその書き込み主を考えれば、関連性は明らかだ。
(もう少し…状況を掴む必要がありそうですね)
点と点を繋ぎ合わせれば面ができる。
朧気ながらもその面を認識し、その重心を男に見出した樫本理子は、スマホを取り出し、ある所へ電話をかけ始めた。
工房の前で樫本理子と別れ、生徒会室に戻ったシンボリルドルフとエアグルーヴは、重苦しい空気のまま、生徒会室の応接セットで黙考していた。
何がどう、というわけではないのだが、先ほどまで目の前で繰り広げられていた会話が頭から離れない。
そしてそれは彼女たちの心を重くするに十分であった。
「…先生は、ご結婚されていたんですかね」
エアグルーヴが呟く。
「まぁ…それはないと思うが…子供がいるような様子のやりとりがあったな」
シンボリルドルフは外の風にあたり冷静さを取り戻しており、先ほど工房内で放っていた赤黒いオーラはかき消えている。
「まぁ過去は過去、今は今と考えればいいのかもしれませんが…」
エアグルーヴがテストで解けない方程式を諦め、別の問題に取り掛かるように頭を切り替えようとする。
しかしシンボリルドルフはあくまでこの問題に拘泥するようだ。
「時間軸としては兄と私が知り合うよりさらに前の話だ。この間の兄さんの後輩とも、つながりがあるようだったな」
その部分はエアグルーヴも気になった点だった。
「…ヒトに歴史ありとはいうが、わからないものだな…」
シンボリルドルフはため息をついた。
考えてみれば当然のことでもあった。
自分が出会ったころにはすでに男は大人であったのだ。
すでにある程度、現在の男の雰囲気を纏っており、その頃からルドルフの中で大きく印象が変わったわけではない。
つまり、出会った時点でほぼ完成されていたのだ。
それを自覚した瞬間、シンボリルドルフの中でこれまでもやついていた感情の断片が音を立てて組み上がり、像を結ぶ。
そしてその像を自分の中で眺めた時、自らの中に激しく嫉妬と言える感情が湧きあがった。
それはエアグルーヴやそのほかの、この学園の中で兄を慕う他の誰かの影を感じた時とはまた違う性質のものだ。
今の兄が完成するための一部分を、あの樫本理子という女が担ったのだ、そう直感する。
胃が蠕動するのを感じる。
その心地悪さに、瞑目していたシンボリルドルフはわずかに表情を歪める。
「…どうするべきか、なにを知るべきか、知らずにいるべきか…難しいものだな、心というのは…」
そう呟くシンボリルドルフを眺めるエアグルーヴは、ルドルフの内心を推し量りつつ、応えた。
「知らないよりは知っていたほうが、と思うのは傲慢でしょうか」
ルドルフはふっと息を抜くように薄く笑う。
「…どうだろうな。知らないほうが幸せということも多々あるのだろうが…この件に関しては、どうにも知りたい、知らずには居られないという感情が勝ってしまうのは…我々が掛かってしまっているから、かな」
その言葉にエアグルーヴも苦いものを感じながら、微笑を浮かべずにはいられなかった。
男は工房で再び一人になった後、久しぶりに七輪を引っ張り出して夕餉の焼き物をしていた。
そして隣には焼き物の香りに導かれたのか、ゴールドシップがいる。
「なぁ、おっちゃんよー」
ジャージ姿のゴールドシップはベンチにもたれながら気だるげにイカの身を齧っている。
「あんだ?」
男も硬く焼けてしまったイカの足にとりつきながら応じる。
「その腕、いつ治るん?」
男はイカの硬さに悪戦苦闘しながら唸る。
「どうだろなぁ…俺もあんまり実感ないし、よくわかんねぇんだよな」
治る、というのが怪我の完治という意味なのか、装蹄師としての腕としてなのかでも変わってくるが、どちらの意味でも今の時点では先が見えていない。
「まぁ…この落書きされたサポーターが外れるのはそんなに先じゃないだろうよ。ただ前みたいに金槌振れるかっていうと、どうなんだろうなぁ」
ゴールドシップはふーん、といって何かを考え込んでいる。
「…この右腕は、俺のだからな。お前にはやらんぞ」
ゴールドシップに書かれた文言の意趣返しとばかりに、男は悪戯っぽく笑う。
「その右腕はおっちゃんについてるから価値があるんだろー。ゴルシちゃんはおっちゃんにくっついてる右腕が欲しいんだZE☆」
相変わらずわかるようなわからないような言葉を投げつけられ、男は曖昧に笑って流す。
「そういえばこないだのレース、お前、最っ高に面白かったな」
男はゴールドシップに焼けたソーセージを与えながら言った。
「だろー?ゴルシちゃん天才だからなー。ちょーっとだけ力が入り過ぎちまったみたいで、速く走っちまったけどな」
ゴールドシップのタイムは正確ではないものの、ベストかそれをやや上回るくらいのタイムが出ていたはずだと沖野が推測していた。
「でもな、お前俺があのタイム設定した意図を無視してんのはいただけねぇぞ。怪我しないようにあのタイムなのに、結局全力で走っちまって…なんかあったらどうすんだよ。俺の土下座切腹じゃ追いつかねぇぞ」
焼けたソーセージを頬張るゴールドシップに、男は軽くチョップを入れる。
ゴールドシップは機敏にその手を捕まえ、ソーセージから口を離し悪戯っぽく笑った。
「それは悪かったって。でも、最っ高にアツいレースが出来てアタシも楽しかったぜ」
ゴールドシップは男の手を離さない。
「それに、もし何かあったら、おっちゃんアタシのこと弟子にしてでも食い扶持つくってくれるだろーなって。だからアタシ、安心して全力で走れたんだぜ」
男はため息を吐く。
こうまでこの絶対的天才美女ウマ娘に言われてしまえば返す言葉もない。
男はそれでも悪い気持ちはせず、ゴールドシップを手荒く撫でてやった。
「…もうあんな無茶するんじゃねーぞ。俺たちはお前たちが練習でもレースでも無事に帰ってきてくれることを祈ってるんだ。順位はその後なの、忘れんな」
ゴールドシップはあーい、と気の抜けた返事をしてソーセージに再びかじりついた。