あけましておめでとうございました。
あわただしい年末年始、皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。
旧年中は思いつきで書き始めたこのお話にお付き合いいただき、たくさんの感想や評価を賜りありがとうございました。おかげさまで新しい趣味として楽しんでいけそうで、本当に皆様には感謝しております。
今年もだらだらと妄想を垂れ流してまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
「うまく助けられずに申し訳ありませんでした…」
記者レクがあった翌日、たづなさんは装蹄師の男に詫びるために工房へと足を運んでいた。
「いえ…こちらのほうこそ気が短い上に気の利かない応対しかできずに申し訳なかったです」
男も昨日の対応を詫びる。
昨日の記者レクチャー時の質疑応答で、剣呑なやりとりが生じたことについてだった。
装蹄師の男は蹄鉄を造る立場でありルールの運用や思想まで口にすべき立場ではなかったため、あのような受け答えになるのは必然ではあるにせよ、取材を受ける立場としてはいささかどうかと思われる態度であったことは間違いない。
そして駿川たづなは本来であればあの場を丸く収めるような立ち回りをしなければならなかったが、それは上手く機能しなかった。
結果としてメディアへの対応としては問題が残ってしまい、レクの主催であるURAには当該のメディアから抗議に近い苦言が呈されたと樫本理子から連絡があったのは昨日夜遅くのことだ。
そしてそれ自体は事故のようなものだから気にする必要はない、とも同時に伝えられていた。
それを除けば記者レク自体は概ね成功裏に終わり、記事自体はトレセン学園とURAへ事前に記事を提出、内容確認を経て掲載が許可されるという仕組みのためまだ世に出始めてはいないが、既に数件の記事が内容確認を求めて提出されてきているらしい。
「概ね好意的な記事となるとは思いますし、学園側もそのように努力はいたしますが、ひょっとしたら意図しない内容の記事も出てしまうかもしれません」
たづなさんは少し気落ちしているように弱々しく笑った。
「別に私の方はかまいませんよ。ただ、今回は取材の主語にサイレンススズカがついている話なので…なんとかスズカには傷がつかないようにだけ、お願いします」
昨日樫本理子にも電話口で頼んだ内容をあらためてたづなさんにも話す。
装蹄師の男としてはほかの部分はどうでもいいが、スズカのことだけが気に掛かっていた。
たづなさんは男の言葉にはっとしたように目を開き、強い決意を感じさせる眼差しで頷いてくれた。
◆
リギルのトレーナー室の主である東条ハナは、今夜もチームのトレーニングを終えてデータの整理に勤しんでいた。
データ整理を行い、明日のスケジュールを確認したのち、今日メディアから発信されたニュースを総覧して自らに情報をインプットしてから業務を終了するのがいつものルーティンである。
情報を入れるだけ入れておけばあとは頭の中で勝手に整理されるし、そのあとに僅かながら設けられる個人としてのリラックスタイムにこそ、インプットした情報をベースにした何らかの閃きがおきるものだと、彼女は固く信じているところがあった。
尤も、僅かに設けられる個人としてのリラックスタイムが本当に文字通りの意味の時間なのかと言えばおおいにあやしい。
しかし、仮に文字通りの意味でなかったとしても、それが苦にならないほどには仕事に没頭できており、結果がある程度出せている以上はこれが天職というものなのだろう、彼女は自分自身に対しそう判断していた。
東条ハナが日々閲覧する主要なウマ娘関連メディアについてはいつも巡回コースが決まっており、今日もそのコースに従いヘッドラインから気になったニュースをピックアップしていく。
ちらほらと先日の装蹄師の男のレクチャーに絡んだ記事が出始めており、そちらも合わせて読み込んでいく。
内容は「サイレンススズカの速さの秘密」とストレートに記事にしたものから「蹄鉄の歴史と現状、そして最先端」といった蹄鉄にスポットを当てたマニアックなものまで切り口は様々であった。
その中で、いつもならば優先順位はそれほど高くないWEB媒体のひとつの見出しが目に留まる。
開いて読み進むにつれ、自らの眉間に皺が寄るのを東条ハナは感じた。
「やられたわね…」
眼鏡を外し机にそっと置き、ただでさえ復元力に自信を持てなくなりつつある肌を労わるように細い指で眉間をほぐすと、ためいきをついた。
【 今こそ問う! URAの贔屓体質! 】
無記名の記者コラム的なサイトに載ったその記事は、具体的な取材内容を明らかにせずに抽象化することで読者の想像を煽りつつ、記者の主観を明らかにする形で構成されていた。
いわく、とある装具に関する取材過程において製作者から話を聞く機会があったが、あるひとりのウマ娘にとてつもない労力をかけているのは明らかで、競走の公平と機会の平等という観点で見た時、これは著しくバランスを欠いているのではないか、というものだ。
おそらくあの記者レクの現場にいた人間ならばこれがあの時の装蹄師と記者のやりとりの内容を指すものだ、とわかるだろう。
URAやトレセン学園からの掲載前の確認を回避して発表するために、対象が抽象化されており具体的なウマ娘の名前などが出てこないという巧妙さで、ある意味そこが不幸中の幸いではあったが、それでもスズカの記事を追っているファンからすれば推測のつく書き口ではあった。
このような批判的な記事が出回るのは別に珍しいことではないし、なにか問題やトラブルを叩くのであれば、その対象は庇護されるべき立場であるウマ娘ではなく周囲の関係者にする、というのは暗黙の了解であった。
それがゆえにこの手の批判的な記事であってもある種の紳士協定に基づくプロレス的な部分があるのも確かだ。
しかし厄介なのは今回の記事は最低限その暗黙の了解が守られているような書かれ方であっても、抽象化して書かれている分、内容は尖っているし、容易にどのウマ娘にまつわる話なのか解ってしまう筆致となっていて、ある意味では直接的に批判するよりタチが悪くなってしまっていることだ。
おそらくトレセン学園かURAからは掲載したメディアに対してなんらかのアクションが起こされるであろうが、この書き方であるからしてのらりくらりと言い訳されてしまうことも間違いない。
唯一の救いは発信元が大手というわけではなく、乱立しているWEBメディアの中でも比較的小規模に類されるサイトであることであろう。
「…今のところ打つ手なし、ね…」
東条ハナは一通りの思考を巡らせてそう結論付けると、このことを頭の片隅に留め置いてPCを閉じ、いつものバーへの道順を思い浮かべた。
◆
「やはりあの時、滅しておくべきだったのではありませんか、会長!」
エアグルーヴは生徒会室で静かに、しかし怒気をはらんだ声で訴えた。
「あの時」の主語は記者レクチャー時の剣呑なやりとりを指しており、今朝がたその記事を見つけ、共有したシンボリルドルフとエアグルーヴは、その対応について考えを巡らせていた。
部屋の主であるシンボリルドルフは自席で腕を組み、瞳を閉じたまま黙考して動かない。
「何を今更。それを言ってもどうにもならないだろう」
ナリタブライアンはソファで気怠げに脚を組み、意に介す様子もなくエアグルーヴを諫めた。
「…世に出てしまったものは仕方ない。それに、我々がどうこうできる問題でもないのだ、エアグルーヴ」
シンボリルドルフは目を瞑ったまま静かに言った。
もちろん、彼女の内心が言葉通りであるはずはない。
何かできたのではないか、あるいは今からでも打つ手があるのではないか。
そう思いながら脳を全力で働かせている。
彼女の信念であるすべてのウマ娘たちが幸福に暮らせる世界を、という考え方において公平や平等といった観点は欠かせない。
しかし公平や平等を旨としすぎるのは、競走の世界に生きている彼女たちと本質的に相容れない問題でもある。
自らの生身を以て走り、速さを競う彼女たちにとっての公平や平等というのは、せいぜいが機会の平等、競技上の取り扱いの公平というレベルであって、生きとし生けるものすべてに存在する個体差までを是正するべきという話ではもちろんない。
つまりは議論されるべき階層の違いを認識したうえで考えていく必要のある問題であり、今回の記事にあるような前提をロクに整理もせずに雑に公平、平等などとのたまうような質のモノではない。
そのうえで、この安易な記事をどうするべきかを考えるわけだが、原理原則はともかく心情的に複雑に過ぎるのが問題であった。
ストレートに考えれば兄をかばうための行動を起こしたいと思いつつ、自身の立場を考えればまずサイレンススズカについて何らかのフォローが必要なように思われる。
公私の別の問題もあり、どのような手を取るべきかについて、あるいは何もしないという選択肢も含めて、シンボリルドルフの脳内は混濁していた。
「…エアグルーヴ、サイレンススズカはこの記事に目を通しているのだろうか」
シンボリルドルフは問うた。
「…わかりません。普段からあまりこういうことを気にするタイプではないので、見ていないのではないかと想像はしますが、実際のところは、なんとも」
エアグルーヴは率直に答えた。
その答えを聞いて、シンボリルドルフが抱いているサイレンススズカ像とあまり違いがないことを改めて確認したうえで、今のところ何も思いついてはいないがとりあえずの意思表示をしておくべきだ、とは思った。
「とにかく、この記事を認識していることと、憂慮していること自体は理事長たちとも共有しておく必要があるだろう。エアグルーヴ、ブライアン、理事長室まで付き合ってくれ」
皇帝の雰囲気を纏ったシンボリルドルフはいつにも増して厳しい表情のエアグルーヴと、不承不承といった雰囲気のナリタブライアンを伴って生徒会室を出た。
◆
装蹄師の男は治りかけの右腕を試すように使いつつ、日常業務を行っていた。
先日の記者レクとそれにともなう記事が世に出て以降、なんとはなしに接する人々から話題として話が出ることはあったが、そもそも普段から他人との交流が多くない男にとっては、話題がひとつ増えた、くらいのものである。
もちろん批判的な記事が出たことも承知していたが、原因は自分の対応のまずさであると認識していたし、むしろ迷惑をかけてしまっているだろうことに責任を感じるという表現では生ぬるく、はっきりと罪の意識を感じていた。
彼女たちウマ娘を輝かせるための自らの仕事であるはずなのに、請われたとはいえ自分が出ていった結果、余計な面倒を惹起したとなればなおさらである。
加えて全国に散る同業者にまで迷惑が掛かる可能性があると思えば、胃が痛いどころの話ではなかった。
とはいえあのレクチャーの結果、世に出た蹄鉄関係の記事は基本的に好意的なものがほとんどではあった。
あの記事による公平とやらに即して考えるのであれば、9対1で好意的、あるいは単なる情報として供される記事が多いのであるから、あまり気にする必要はないといえばその通りであるような気はする。
とはいえ刺された内容はそれなりにとがっており、気にするなというには刺激的過ぎるとも思う。
そのような状況であるから、いかにあの時剣呑な雰囲気のやりとりがあったからといって直接的にそれを責められることはないという今の状況は理解できなくもなかった。
むしろ褒められることの方が多かったから始末に負えない。
昨夜もいつぞやの会議ぶりに大黒様のようなみかけの装蹄師の兄弟子から電話がかかってきて、明らかにイイ感じに酔っぱらっている調子で
「よくやった。お前は今の装蹄師界の誇りだ」
とまで言われてしまえば、もはや心情の置き所がよくわからなくなってしまっていた。
「…体調でも、優れないのですか?」
そんな調子であるから作業机でじっと蹄鉄を見つめたまま固まっていて、サイレンススズカから声をかけられるまで、彼女の来訪に気づくことが出来なかった。
「あぁ…いや、別にそういうわけじゃないんだ」
装蹄師の男は固着していた身体を動かし、特に意味もなく元気さをアピールしてみる。
「それならばよいのですが…先生、すこしお話、よろしいですか?」
サイレンススズカは真っ直ぐな緑色の瞳でそう話し、装蹄師の男を誘った。
安物の応接セットへスズカを座らせると、男はふと、あることを思い出した。
それはスペシャルウィークが編入してすぐ、この工房で蹄鉄に関する特別講義をしたことがある。
時期外れの編入だったために正規のカリキュラムが受けられず、それを補うためにここで最低限のことを教え込んだのだ。
終わった後にスペシャルウィークにアイスを出してやり、それをサイレンススズカに話したところ、スズカが羨ましがっていた、という話。確か沖野から聞いた話だ。
すでに夏は過ぎていたが、それを思い出して冷凍庫にひとつだけ残っていた人参アイスを出すことにした。
「ありがとうございます…!」
アイスを手渡すとスズカの顔がぱぁっと明るくなるような気がした。
「スペシャルウィークがここで食ったやつと同じものだ。たまたま残りがあったんでな」
普段あまり表情の動きが大きいほうではないスズカだが、どうやらアイスには心を動かされるらしい。耳と尻尾もせわしなくピコピコしている。
男はそんなスズカの姿を見ながら缶コーヒーを啜っていた。
「スペちゃんがここでアイスをいただいた話を聞いて、何故だかすごく羨ましかったんです」
上品に少しずつアイスを掬いながら、スズカは嬉しそうにそう話した。どうやら彼女にもその時の記憶はあったらしい。
ゆっくりとアイスを食べすすむサイレンススズカを眺める。
こうしてみるとスズカは年頃の美しいウマ娘にしか見えない。
アイスの甘みに目を細め、耳をピコピコさせている目の前の彼女が今のトゥインクルシリーズを代表するスターウマ娘であるというのがいまいちピンとこない。
男はそう思いながらも、アイスを食べるスズカを、その美しい緑の瞳をテレビの中に映る美少女のように眺めていた。
やがて彼女はアイスを名残惜しそうに食べ終えると、小さく「ごちそうさまでした」と手を合わせ、居ずまいを正した。
視線が合う。
「…そんなにじっと見つめられると、恥ずかしいです…」
サイレンススズカはそっと視線を外し、頬のあたりを紅潮させた。
「あ…ごめん。なんかずっと見ちゃってた…」
こういう時に動じなくなったのは、自らが年齢を重ねて図太くなったからだろうか。
すくなくともおハナさんに指摘されるようないやらしい視線とは言われなかったことに安堵はしたものの、安心はできないな、と自らを戒めた。
「…で、今日はどうしたの?」
男はスズカに問いかけた。
「あ、えっと…その…この間のレース後のインタビューのせいで、先生にはご迷惑をおかけしてしまったかもしれないって思って…」
伏し目がちにたどたどしく、彼女は言った。
おそらくスズカのインタビューが発端となって記者レクが開かれたことの一連の流れをどこかから聞いたのだろう。
心底申し訳なさそうに、目の前のスズカは縮こまってしまっている。
「あぁ…そんなこと気にしてくれてたのか。大丈夫大丈夫。むしろあのあとこっちが記者レクやったのが記事になって、逆にスズカに迷惑だったんじゃないかって思ってて」
「いえ…決してそんなことは。私、あまり外で言われることとか、興味がないので…」
なんだかどちらも謝り合うような展開になってしまって視線が合う。
「…っふふっ…」
しばらく視線を合わせていて、どちらからともなく吹き出した。
柔らかな笑顔で、口元を隠しながらスズカは微笑む。
「その様子なら、本当に大丈夫そうだな。いや、本当に心配だったんだよ…」
男はスズカの様子を見て、安堵した。
「その様子なら、天皇賞秋も万全ってところか」
スズカに話を振れば、細めていた瞳を開いて、口角をあげてニコリと笑う。
「…正直、不安がないわけではないですが…レースの前はいつものことですから…」
ちょっと思案顔を見せるスズカ。栗毛が艶めいてさらりと肩から落ちる。
「…先生、ちょっと手を見せてもらっても…いいですか?」
「…手?」
男はスズカに請われるがままに、テーブルの上に両手を差し出す。
これまでの幾多の作業を経て、火傷の痕に鉄粉が刻み込まれ、模様のようになってしまっている。節くれだったごつごつとした手だ。
お世辞にも綺麗な手ではない。
しかし、これまでの男の経験が刻み込まれた手だった。
スズカは華奢な指でそこにそっと触れ、ごつごつとした男の指を握る。
「…私には先生がこの手で誂えてくれた蹄鉄があります。必ず、無事に帰ってきます」
瞳を閉じて、静謐な雰囲気で願を掛けるようにそう呟くサイレンススズカ。
それは誓いや願いといった趣ではなく、自らに言い聞かせるようにも聞こえた。
しばらく男の手の感触を確かめるように握った後、そっと手を離す。
サイレンススズカは呆気に取られて固まっている装蹄師の男を見てふふっと笑うと、立ち上がった。
「天皇賞、必ず観に来てくださいね」
サイレンススズカはそう言い残し、固まっている男をそのままに工房を後にした。
ようやくアプリのスズカストーリーを見終わった結果、ちょっと甘くしたくなりました(下世話な感じで)