学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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74:天皇賞 秋

 

 

 

 

 

 

「さぁ本バ場入場が始まっております天皇賞秋…地下バ道を通って続々と、今日の主役たちがターフに現れます」

 

 スタンドからの視線が集まる中、今日のメインレースである天皇賞秋を走るウマ娘たちが現れる。

 

 それを遠くスタンド上部から、装蹄師の男たちは眺めていた。

 

 ひときわ大きな歓声が上がる。

 

「そして今日の本命、サイレンススズカの入場!スタンドが揺れるような歓声がこの府中に響き渡ります」

 

 注目度の高さはそのまま、歓声の大きさとなって現れる。

 

 サイレンススズカのそれは、はっきりと群をぬいていた。

 

 アグネスタキオンは再び装蹄師の男の横顔を盗み見る。

 

 表情からは、やはりなにも読み取れるものは浮かんでいなかった。

 

「あれ。先輩、コレ…」

 

 後輩がスマホを男に差し出す。

 

「…?…あぁ…ん?」

 

 後輩のスマホ画面に表示されていたのは樫本理子からの簡潔なメールであった。

 

[天皇賞秋 レスキュー 出走変更 エアグルーヴ]

 

 男は部屋に備え付けの双眼鏡を覗き込み、スターティングゲート後方に待機するレスキューウマ娘3人を見つける。

 

「…あれ、か…」

 

 3人は頭部全体を覆う目出し帽のようなメンコを付けているが、そこからすっくりと優美に伸びた耳と、レスキューパックを背負っても腕を組んで堂々と立つその姿勢は間違いなくエアグルーヴだ。

 

 男は双眼鏡をおろすとほっと一息ため息を吐いた。

 

「…みんな、できることをできるだけやってるんだな」

 

 遅ればせながら後輩のスマホあてに届いたメッセージを見たアグネスタキオンは、男の言葉にいくらかの安堵を見出した。

 

 

 

 

「…

 

さぁスターターが位置に着きました。ファンファーレが鳴り響きます東京、府中レース場。13万以上の観衆、割れんばかりの拍手に送られて枠入りが順調に進んでおります、12人のウマ娘たち。

 

 エルコンドルパサー、ヒシアマゾン、ウイニングチケット、メジロライアン、ナイスネイチャ、キンイロリョテイ…。

 

 やはり注目は1枠1番サイレンススズカ。圧倒的1番人気に推されております。果たして彼女を捕まえることができるのか。すでにゲートに収まりじっとその時を待っております…。

 

 さあ全ウマ娘スターティングゲートに収まって態勢完了です。

 

 今、スタートを切りました!サイレンススズカ、一番いいスタートを切りました!

 

 スーッと伸びてまずは1番サイレンススズカ、すでに後方と3バ身4バ身と引き離していく。2番手の位置にはエルコンドルパサーが行きます。

 

 サイレンススズカ、さらに後方を引き離す。なんというスピードだ!後続とはすでに大きな差。

 

 3コーナーを見据えていくが、すでに後方とは何バ身開いているのかわからないほどだ。2位エルコンドルパサー、メジロライアン、キンイロリョテイと続いていく。

 

 まもなく1,000m、前年は58秒5で走ったサイレンススズカ、今年は一体どんなタイムで走るのか。

 

 今、1,000m通過!

 

 なんと…56秒台!56秒9で過ぎていった!

 

 とんでもないスピードだ!

 

 敵は己自身、サイレンススズカ!これは後続もとてもついていけないラップを刻んでいく!

 

 大欅を越えていく。快速を保ったまま4コーナーに入っていきますが後方とは約15バ身。逃亡者サイレンススズカを追ってエルコンドルパサーも加速する。さらにキンイロリョテイ、メジロライアンと続いていくぞ。果たして捕まえることができるのか。

 

 先頭サイレンススズカ、リードを保って直線に入ってくるが後方との差がちょっと詰まってきたか。

 

 後続が迫ってきているサイレンススズカ!距離を詰めるエルコンドルパサー!その差はもう10バ身を切ってさらに縮まる!

 

 しかし逃げて差すサイレンススズカ!今回もその差し脚が炸裂するか!

 

 残り400の標識に向かっていくサイレンススズカ!いっぱいになったか!いつもの差し脚はまだこないか!

 

 後続が迫ってきているぞエルコンドルパサー、猛烈な追い上げ!

 

 残り400を切った!メジロライアン、キンイロリョテイも一緒に上がってくる。サイレンススズカとの距離は詰まっているぞ!

 エルコンドルパサーとの差はもう4バ身!

 

 サイレンススズカ、伸びない!苦しそうな表情を浮かべているぞ!大丈夫かサイレンススズカ!エルコンドルパサーが並びかけていく!

 

 サイレンススズカ、ついに捕まった!エルコンドルパサーがあっさりと前に出た!失速!失速です、サイレンススズカ!

 

 残り200!…サイレンススズカが後続バ群に呑まれていきます!変わって先頭に立ったのはエルコンドルパサー!

 

 メジロライアンも続くがキンイロリョテイが突っ込んでくる!

 

 先頭エルコンドルパサー!キンイロリョテイ届かないか!エルコンドルパサー、エルコンドルパサーです!今1着でゴールイン! 

 

 勝ったのはエルコンドルパサー!見事毎日王冠の雪辱を果たした!2着キンイロリョテイ!

 

 圧倒的1番人気サイレンススズカは連勝ストップ!これは大波乱!着外に沈みました!

 

 ああっとゴール後、サイレンススズカが倒れ込んでいるぞ!レスキューウマ娘たちが駆け寄っていく…

 

…」

  

 

 

 

 約2分間のレースの間、装蹄師の男たちのボックスは、誰一人声を発せずに固唾を呑んで見守っていた。

 

 サイレンススズカの絶好のスタートから、1,000m通過タイムによる観客の歓声、4コーナーを先頭で駆けてきたスズカにさらにスタンドは沸き、そのまま絶頂を迎えるかに思えた。

 

 そして異変に気付き静まっていく歓声、続くどよめき。

 

 その歓声の変化が、どこか別の世界のことのようでもあり、3人の内心を表しているようでもあった。

 

 ゴール後のターフの上ではサイレンススズカにレスキュー姿のエアグルーヴが駆け寄り、担架を持ってくるように指示を飛ばしているように見える。

 

 ほどなくしてコース脇のポストから担架が用意されるが、サイレンススズカはそれに乗ることを拒否しているようだ。

 

「…サイレンススズカ、倒れ込んでいましたが今、レスキューウマ娘の肩を借りて立ち上がります…表情はどうでしょうか…」

 

 場内実況もスズカの状況を気にしている。

 

 それに気づいた彼女は、エアグルーヴの肩を借りながら気丈にも笑顔を作り、スタンドに控えめに手を振り、静かにターフから去っていった。

 

 その様子を見て、装蹄師の男はようやく息を吐いて、脱力し席にもたれた。

 

 後輩とアグネスタキオンは、かける言葉が見つからずに、空間に満ちる重苦しい空気をただ、共有することしかできなかった。

 

 

 

 

 レースの後、いつ後輩たちと別れ、どこをどう歩いてきたものかは記憶になかったが、気が付けば男は工房に居た。

 

 すでに日は暮れており、工房の中は暗い。

 

 そこで男はいつもの作業机に座って机上の作業灯をひとつだけつけていた。

 

 目の前には予備のさらに予備として手元においてあったサイレンススズカ用の蹄鉄。

 

 なにがあったのか、なにが起こったのか。

 

 ここまでやってきたことは、果たして正しかったのか。

 

 蹄鉄を見つめながらじっとして、先ほどから考えても答えの出ない問答を脳内で繰り返していた。

 

 師匠格の老公から聞いたトキノミノルの話を思い出す。

 

 ダービーに勝って消えた、トキノミノル。

 

 老公は言っていた。

 精いっぱいやった、と。

 

 だが、それが彼女に対しての行いとして、正しかったかどうかは、わからない、とも。

 

 物事の正誤はいつだって、捉え方でどうとでも変わる。

 物事に絶対はない。すべては相対的な問題なのだ。

 

 そこまで思い至った時、ふと我に返る。

 

 そういえば随分と煙草を吸っていない。

 

 男はポケットから形状の崩れかけたパッケージを取り出し、曲がってしまっている煙草にも構わず咥え、火を点けた。

 

 肺に染み渡ったニコチンが全身に運ばれていくのをじっくりと感じ取る。

 

 これだから煙草はやめられないのだ、と誰に対するでもなく喫煙を肯定したところで、そういえばスマホを見ていないことにもようやく気が回り、取り出した。

 

 不在着信やメッセージがおびただしい量、来ていたようだった。

 

 しかしそれをどうにも直視する気になれず、男はそのまま机の上に放り出した。

 

     

 

 

 翌日のスポーツ紙の一面は天皇賞秋の勝者であるエルコンドルパサーが飾った。

 

 前走の雪辱を果たしたという彼女の名声はいよいよ高まり、凱旋門賞も視野に入る彼女の活躍をどの紙面も讃えていた。

 

 そして裏一面には、サイレンススズカの大敗、そして故障と思われる結末に対し、各紙さまざまに書き立てていた。

 

 レース後、深夜にはサイレンススズカの故障について公式発表がなされていたが、翌日朝刊の締切には間に合わなかったのだ。

 

 スズカの敗因や故障個所の推定を行うメディアも多かったが、その中で触れられていた要素のひとつとして使用実績の少ないオリジナル蹄鉄がよくなかったのではないか、とする指摘があった。

 

 当然といえば当然の指摘だった。

 

 前走毎日王冠をその蹄鉄を使用して勝っているとはいえ、実戦使用は2戦目。実績不足は否めないし、なにか思いもよらない事態が起きても不思議ではない。

 

 だがそれはあくまで予測された要素のひとつでしかなく、本来であれば正確な情報があきらかになっていく時間経過によって埋もれていくはずの要素だった。

 

 

    

 しかしURAの理事会はそうは捉えなかった。

 

 これからレース界を引っ張っていくはずのサイレンススズカがこのような結末を迎えたことをとても重い事態として認識していたのだ。

 

 これからもさらにサイレンススズカを軸として盛り立てていこうとした矢先の出来事で、世間の関心も高い。

 

 その関心はレース翌日のみならず、しばらく続きそうな気配だった。

 

 事実、メディアからは取材の要請が殺到しており、URA上層部にもさまざまなルートからの要請、要望が引きも切らず、遂にはURA本部前での出待ち取材を試みるメディアが多数出る事態に至っている。そしてそれはトレセン学園でも同様であった。

 

 

 日に日に高まるサイレンススズカの故障に関する原因究明を求める声に、遂にURA理事会は折れ、原因について調査するよう各所に指示を出したのはレースの3日後のことであった。

 

 

 世論に押されURAが動いた、とメディアは喧伝した。

 

 

 

 

 URAの技術委員会から装蹄師の男に呼び出しがかかったのは、レースから1週間後のことであった。   

 

 

 

 

 

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