学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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76:大人たち

 

 

 

 

 

 天皇賞秋の結果は多方面に波紋を呼んでいた。

 

 メディアは今季の絶対的なスターであったサイレンススズカの怪我について書き立てた。

 

 そしてレースの翌々日には、大手メディアが彼女の怪我の原因について明らかにするべきとする社説を掲載し、大きな反響を呼んだ。

 

 反響の種類は多種多様ではあったが、レース前に書かれた弱小媒体のURAへの体質を問うた無記名記事はこの時点で改めて脚光を浴びることとなった。

 彼ら弱小媒体は、過去最大のPVを更新し続けるその記事を出発点に、さらなる戦果拡張を試みた。

 

 それからは、読者の興味を引くテーマがあればどれだけ綺麗ごとを掲げようともそれを追うのが資本主義者たる商業メディアの本懐といえる報道合戦となり、各メディアがそれに続いていった。

 

 こうしてURAに批判的な世論は見事に形成され、その包囲網は確実に狭まりつつあった。

 

 

 

 ウマ娘レース界の総元締めたるURAは、その世論、世相の変化を敏感に感じ取っていた。

 

 そして日々強まる逆風に、このままでは国民的エンターテイメントとして確立されていたこの興行が崩壊しかねない、と危惧するに至る。

 

 URA上層部に名を連ねる人々は、普段は君臨するのみの存在で、現場のことは現場で、とする名誉職のような人々ではあった。しかし彼らの正体は機を見ることに長けたが故にそのポストを得た、URAよりもさらに上の組織にバックグラウンドを持つ人々の集まりでもあった。

 

 そして、URAが直面している世論からの好まざるスポットライトが、彼らのバックグラウンドである管轄省庁、つまり行政までをも巻き込みかねない状況と見て取ると、即座に行動を起こした。

 

 緊急招集された理事会は世論に対する回答を出し、彼らの組織の安寧を取り戻すべく、原因究明指示の発出をすること、そして原因究明を始める意思を対外公表を決意するに至った。

 

 

 

 

「厄介どころの話ではないですね、これは…」

 

 URA本部、総合企画室のあるじである樫本理子は、いつもの無表情のまま誰に聞かせるでもなく呟いた。

 

 尤も、その声を耳にするものは誰もいない。 

 

 今日も不夜城を守るのは彼女一人であるからだった。

 

 彼女は、本日午後に開催された理事会にオブザーバーとして臨席した。

 

 そこで繰り広げられた議論と導き出された結論は、天皇賞秋のサイレンススズカの怪我の件に関する原因究明を行うとする理事会決議となって正式化された。

 

 発言権を持たないオブザーバーである手前、彼女は眼前で淡々と手続きに沿い進められていくその様子を、絶望とともにただ見つめていることしかできなかった。

 

 興行として円滑に回っているうちは、上層部はたいていのことには目を瞑り、現状維持プラスアルファ程度の成果で満足していた。

 

 そして志ある者たちの提案についても、余裕のある組織はかくあるべしといった様子で、彼らの裁量の範囲を越えない部分では寛容であったと思う。

 

 しかし彼らは所詮、平時を謳歌する貴族でしかないのだった。

 

 ある意味での戦時へと変化した今、彼らは茫然と、しかし確実に逃げまどい、責任の回避を第一の目標として猛進し始めた。彼らの人間としての本質、その正体を現したと言っていい。

 

 このように市井におもねる姿勢を取ってしまえば何らかの結論は発表せねばならず、そしてそれが中途半端であればまた更なる窮地に陥ることになる。

 

 つまり、結論はそれなり以上の説得力を持つ必要があった。

 

 それが意味するところは、ひとつ。

 

 

 

 樫本理子は今日の流れを何度辿ってもたどり着くその結論にうんざりとして背もたれに身を預け、眼鏡をはずし、深いため息をついた。

 

 今回、そういう結論に至ってしまうのは最早止めようがないように思われた。

 

 しかしトレセン学園サイドが自助努力として行っている取り組みまで止めてしまうような事態にはならない線で、なんとか食い止めたい。

 

 そこまで考えを進めて、樫本理子ははたと、理路整然とした脳の回転を止める。そのかわりに、胸のあたりにある別の思考回路がうごめきだした。

 

(いや…それが私の本音では…ないですね…)

 

 自らもまた建前で物事を考えていることに気づく。

 

 建前の部分も嘘ではない。

 

 しかしそう考える根源的な部分は、ただただ純粋にウマ娘たちの未来を思うがゆえ、というわけでもなかった。

 

(ここまで這い上がってきたあの人を…ここでまた、振り出しに戻すわけには…)

 

 そう思う心こそが、彼女の本当の本音であった。  

 

 

 

 

「たづなっ!なんとかならんのか!」

 

 秋川やよい理事長は、たづなさんに八つ当たりしていた。

 

 苛々しげに理事長室をちょこまか歩き回る。

 

「あれはっ!あれは…ただのレース中の怪我だろうが!」

 

 今日何度目かわからない言葉を呟く理事長。帽子の上の猫は振り落とされそうな勢いだが、それに構う様子はない。

 

 見た目通りの幼な子のように振舞う理事長であったが、その実、彼女の内面は常人には及びもつかない速さでさまざまな可能性を並行して検討していた。

 

 たづなさんはこのような態度を取るときの秋川やよいの癖を知っていたから、宥めるでもなく曖昧な笑顔を浮かべてただ、その様子を眺めている。

 

 駿川たづな個人の心情としては、理事長に全く同意していた。

 

 

 

 たづなさんは日々のメディアチェックも仕事のひとつであったから、天皇賞秋後の世論の変転を肌で感じながら危惧を抱いていた。

 

 そしてURAが緊急に理事会を招集したという話を聞くに至り、危惧は現実の危機となることを悟った。

 

 先代理事長に仕え出した時から、この世界は外から見るほど夢と希望と輝きに満ちた世界ではないことは、少しずつ見聞きし、知るようになった。

 

 それは彼女の祖母であるトキノミノルの生涯とも、どこかでつながっている、と感じることも数多とあった。

 

 この仕事にのめりこみ、それなりの時間が過ぎた今は、その陰影ははっきりと形として認識できるほどになっている。 

 

 これまでも案件によって陰の濃淡はあれど、運営サイドと現場サイドの本質的な部分での軋轢というものは存在した。

 

 それを理想論や根性論でなんとか体裁を整えて乗り越えてきたことはこれまでも数限りない。

 

 極度に一般化して考えるならば、誰にでも立場はあり、誰にでも正義はあり、そしてそれは他の誰かと共有できるものでは必ずしもない、ということなのだろう、と勤め人としてそれなりの時間を経てきた駿川たづな自身は解釈していた。

 

 そのような見識から全く個人的な見解を述べるならば、今回このような事態に至る前、タイミングとしてはサイレンススズカの怪我の程度を発表する段階で、これはレーシングアクシデントである、とはっきり言い切るべきだったのだ。

 

 彼女たちの肉体をいくら鍛えて、事前準備や身体検査に万全を期そうとも、起こるときは起こってしまう。

 

 それが競技、スポーツの世界である。

 

 しかしその機会を逸し、ましてや世論に押されて態度を決めてしまった今、出すべき結論までも定められたと言っていい。

 

 

 この時、駿川たづなは期せずして樫本理子と根本的には同じ結論に至っていた。

 

 しかし樫本理子と駿川たづなが違っていたのは、頼るべき味方が少なくともひとり、目の前に居ることだった。

 

(それにいざとなれば、前理事長に御出馬願うという切り札も…)

 

「…づなっ!たづなっ!」

 

 理事長が自分を呼ぶ声に、我に返る。

 

 気が付けば目の前には秋川やよい理事長が仁王立ちで、駿川たづなを見上げていた。

 

「…案ずるな、たづな!私たちにできることはきっとある!」

 

 理事長はいつも笑顔を絶やさぬたづなさんが深刻な顔をしていることに気づき、気遣いめいた言葉を口にした。

 

(自らも苦悩の渦中にあるというのに、まったく大した御方なのだから…)

 

 この愛すべき理事長を心配させてしまった己の至らなさを恥じるとともに、ぎこちなくもなんとか笑顔を取り戻した駿川たづなは、頷いた。

 

 理事長室の電話が鳴ったのは、その直後であった。

 

 

 

 

 装蹄師の男は天皇賞秋の翌週も、通常通り工房を稼働させていた。

 

 しかし現在、世間から一身に注目を浴びてしまう身であるため、またトレセン学園周辺では常にメディアが張っている状態であったため、学園敷地外への外出は極力控えるように、との達しが出ている。

 

 もとよりそれほど外向的というわけでもない男はそれほど不自由することなく生活をしていた。

 

 食事に関してはカフェテリアを使うこともできたし、食材の調達も今日び、ネットスーパー等を使えばなんとでもできる。意外と普段の生活はどうとでもなるのだった。

 

 しかし生活面はそうであっても、行動に制約が出ることによる不満というのも、ないわけではない。

 

 例えばサイレンススズカの見舞いにすらいけていない、というのもそのひとつであった。

 

 沖野を通じてコミュニケーションはとれているものの、昨今の世論はスズカの耳にも届いており、その刃が装蹄師の男に向いているということを知った彼女は酷く気落ちしている様子だった。

 

 他方、当の本人、装蹄師の男はというと、それほどショックを受けてはいなかった。

 

 全く何も感じない、といえば嘘になる。

 

 結局何もできなかった、サイレンススズカに予想通り怪我をさせてしまった、ということに対する責任はもちろん感じている。

 

 天皇賞秋の夜、一人で黄昏てしまったのは確かだ。

 

 しかしそのまま工房奧の小上がりで眠り、やがて朝日が差し込んで目を覚ました時、気が付いた。

 

 たかが技術が及ばなかっただけではないか。

 

 ないものは作ればいい、という精神でここまでやってきた。

 ならばこれからも作り続ければいい。

 

 ウマ娘の脚元を支えるために、蹄鉄はあるのだ。

 イクノディクタスの時も、サイレンススズカの時も、ないものを創ってきたのだ。

 

 以前腕の怪我により退職届を出した時、ルナに叱咤されたときのことが思い出される。

 

 すでに肩まで浸かってしまったこの世界で、彼女たちも走り続けるしかないのと同じように、男もまた、彼女たちと伴走し続けるしかないのだ。

 

 行く道を決めたら、進むしかない。

 

 幸いサイレンススズカの怪我が重大ではなく、半年ほどの時間がかかるとはいえ復帰はほぼ問題ないという診断結果は男にとっても救いとなった。

 

 彼女も、また自分も、まだ道の途中なのだ。

 

 男はそう自らに言い聞かせ、工房を稼働させていた。

 

 

 

 

 工房で、その決意がわかるほどに精力的に働く装蹄師の男の姿を見た駿川たづなは、虚をつかれた。

 

 そしてその男の内心にある、サイレンススズカの件を経てもなお前を向く姿勢が、これから伝えなければならない事柄と全く相反するものであったからこそ、胃が捩れるような思いを抱かざるを得ない。

 

 それでも駿川たづなは自らのプロ意識に従い、淡々と工房の応接で男に告げた。

 

 URA技術委員会からの、学園お抱え装蹄師である男への出頭要請だった。

 

 出頭時間は指定されており、それは明日の午後3時となっている。

 

「…内容については、私たちにもはっきりとは聞かされていないのですが…」

 

 たづなさんは言いづらそうに、男に告げる。

 

「まぁ、とりあえず話を聞こうってとこじゃないですかね」

 

 たづなさんの表情に、いつもと違うものを感じた男は、彼女への配慮からいつもより少し、饒舌だった。

 

「大丈夫ですよ。手続きには則っているし、レギュレーション上の問題はないはずです」

 

 装蹄師の男はそう言うと、たづなさんを気遣うように笑ってみせた。

 

「だといいのですが…私たちもURAの意図については情報収集はしていますので、それをまとめて明日、お持ちします。それでも世論がこの状況ですから…くれぐれも…」

 

「大丈夫ですよ。もう逃げたりしませんから」

 

 男は以前の退職願の一連の顛末を引き合いにブラックジョークともつかぬ物言いで、たづなさんを煙に巻いた。

 

 

 

 

 




ちょっとずつでも進めていくんだ(さぐりさぐり)
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