学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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77:技術委員会

 

 

 

 

 

 URA本部で行われた装蹄師の男に対する技術委員会の聞き取り調査。それは淡々と進んだ。

 

 技術委員会は服飾、シューズ、装蹄などの個人装備の専門家のみならず、バ場の管理をしているURAの土木技術の人間など、多方面の人員で構成されている。

 

 彼らがずらりと並び、視線は装蹄師の男に集まっていた。

 

「…まぁ、楽にしてください。なにもあなたを責めようというのではないのだから」

 

 技術委員長というネームプレートが前に置かれた老人と言っていい年齢の男は、穏やかな声で言った。

 

「とはいえ、緊張するなというほうが無理でしょうね。これだけの人数の強面があなたに視線を向けているんだ」

 

 委員長の言葉に、思わず他の委員からの苦笑が漏れる。

 

 委員会の性格上、そのほとんどが職人上がりであるため基本的に皆、愛想がないことに由来してお世辞にも人相が良いとは言えない。

 

 まぁ、自分も同じような顔をしているのだろうな、と男は内心で自嘲した。 

 

「…あなたにお越しいただくにあたり、こちらで把握しているこれまでの経緯については今日午前、再精査しました。手続き上については、何ら問題がないことを先に申し伝えておきます」

 

 委員長はそう言うと、一旦言葉を切り、そして続けた。

 

「…そのうえで、手続きに至る前段階でどのようなきっかけからこの蹄鉄を造るに至ったのか。手続きに含まれないこの部分について、今日はお話を伺いたい。まずはサイレンススズカさんとの出会いから、話を始めてもらってもよろしいかな?」

 

 委員長はそう述べると、装蹄師の男の発言を促した。

 

 

 

 

 同時刻、生徒会室には静かな、しかし不穏な時間が流れていた。

 

 装蹄師の男がURA本部に呼び出されていること、技術委員会でなんらかの調べを受けていることは生徒会でも把握していた。

 

 しかし生徒会の威光が通じるのは学園内まで。

 

 URAという上部組織に対してはレース運営まではなんとか主張ができる程度で、それ以上となると隔絶された世界である。

 

 競技者であると同時に生徒でもあり、生徒会の面々は実績からいってもそれなりの発言力はあるが、政治力となるとまた別なのであった。

 

「こういうときは、己の無力さが身に染みるな…」

 

 自席で腕を組み瞳を閉じたまま、シンボリルドルフが呟いた。

 

「高い理想を掲げてはいるが、それを実現するにはまだまだ、足りない…我々の為に尽力してくれている人一人、助けることができないのだから」

 

 今回の件に関して理事長サイドと生徒会は、メディアへの発言は控えることで合意していた。

 

 現在の論調の中ではどのような態度をとってもメディアに曲解される危険性があったし、その場合の世間に対するイメージ低下が避けられないだけでなく、トレセン学園の生徒たちへの影響も無視できないことになる可能性があるからであった。

 

 今のところ生徒たちは、一枚岩ではないだろうが動揺している、というほどでもない。

 

 生徒たちにとってもサイレンススズカはスターであったし、その怪我についてはそれぞれ思うところがあるのは事実だが、それは自分自身に起こってもおかしくないことであり、それがレースで起こったというだけのことだ。

 

 怪我の原因がどこにあるかということが容易にわかることではないことも、彼女たち自身が競技者であるため、理解の次元が世間とは異なる。

 

 サイレンススズカの蹄鉄が彼女の為につくられた一品物であったことも、特別なこととは捉えられていない。

 

 ルール上そういうことが可能であることは装蹄師の男の授業で皆が知っていることであったし、そもそも生身で危険な速度域で走る彼女たちは、蹄鉄やシューズの重要性は身に染みており、基本的にはそれらが原因でなにかトラブルが起きることは自己責任であるからだ。

 

 だから皆、自らの身体の一部としてそれらを取り扱い、程度の差こそあれメンテナンスを自ら行う。

 

 メディアや世間が騒ぎ立てる蹄鉄への関心は、何を今さら言っているのだ、というレベルの話であった。

 

「…我々の居るこの世界はレースやウイニングライブという華やかな一側面でだけ、社会一般と繋がっています…建設的に考えるならば、我々の日常や、我々の居るこの世界というものの理解の促進は、今後欠かせないものかと…」

 

 エアグルーヴは個人的な感情をその内に押し留め、現在の状況から得られる教訓を口にする。

 

「…我々の常識が世間に浸透していなかった結果、今回のことが引き起こされたのは事実だな」    

 

 ナリタブライアンが珍しく意見を口にする。

 

「尤も、見る方の自由というのもある。レースをエンターテイメントとしてのみ捉えられているうちは、改善しないだろうな」

 

 ブライアンが続けた言葉に、シンボリルドルフの耳が反応する。

 

「シビアな見方だがその通りだな、ブライアン…」

 

 シンボリルドルフの内心には、もう遠い昔のことに思える、装蹄師の男へ進路相談した夜のことが思い出される。

 

 あの時兄は、私個人の幸せをどう考えるか、と私に問うた。

 

 しかし、私個人の幸せを守るためにはさらなる力が必要だ、と今現在突きつけられている。

 

 私個人の幸せ、その一部分は彼が担っているのだから。

 

 それに思い至った時、うっすらと自らの進むべき道が靄の中に浮かんできた気がした。

 

「やはり、兄さんはいつも新鮮な刺激を与えてくれるな…」

 

 小声でそう呟いたシンボリルドルフは場違いに晴れやかな表情で、微かに笑っていたと、のちにエアグルーヴは懐述することになる。

 

 

 

 

 技術委員たちを目の前に、装蹄師の男はサイレンススズカの蹄鉄に取り組むことになったきっかけを淡々と述べた。

 

 はじまりは彼女の相談から。

 

 サイレンススズカの能力については前チーム時代から疑いがなく、怪我の危惧は常にあった。

 

 それに関して担当トレーナーとも協力し解決策を模索していたこと、怪我の回避を目的に多方面の協力を得ていたこと、最終的に蹄鉄をつくることになったのは既製品ではすでに対応できない走行能力となっていることが確認された故。

 

 簡潔にまとめてしまえばそれほど難しいことでもなかった。

 

 技術委員の中にはトレセン学園が関係各所を巻き込みぶち上げた研究プロジェクトに多少なりとも関わりのある人間もおり、話の筋の理解は概ね得られているようだった。

 

「…なるほど。よくわかりました」

 

 委員長は一通りの男の話と、委員たちから出たいくらかの質問を捌き、一息入れた。

 

 窓のないこの会議室では時間の流れが感じづらかったが、男がちらりと腕時計を見れば、すでに開始から2時間が過ぎている。そろそろ外も暗くなり始めた頃だろう。

 

「…今日の会合はここまでとし散会としますが、今後の見通しについては共有しておきたいので、申し訳ないがこの後、私の部屋にお越し願えますかな?」

 

 装蹄師の男は委員長の言葉にこくりと頷いた。

 

 

 

 移された場所はURA本部の最上階、その一隅にある技術委員長の部屋であった。

 

「…やぁ、今日は済まなかったね」

 

 技術委員長の老人は、装蹄師の男を迎え入れながら応接セットへの着席を促した。

 

 先ほど委員会を仕切っていた時とはオーラが違い、今は二回りも小さなただの老人に見える。

 

「君も遠慮せずに吸うと良い。緊張のあとの一服は格別だ」

 

 そう言うと老人は昔で言う二級たばこのパッケージを取り出し、一本くわえてマッチで火を点けた。

 

 装蹄師の男も遠慮せず、ジャケットの内ポケットから煙草を取り出し、一服付ける。

 

 二人は無言で向かい合ったまま、しばし煙草の紫煙にじっくりと燻される。

 

「…要は、政治なんだ。私は君のしたことが間違っているとは思わないし、手続き上にも何ら問題はない。君は確実に、彼女たちにとって良い仕事をした」

 

 ゆっくりと一本の煙草を楽しんだのち、短くなった煙草をもみ消しながら、老人は言った。

 

「…だが、振り上げたこぶしのおろしどころは作らねばならない。不幸にもそのこぶしの真下に居る君の希望に、私は出来得る限り沿いたいと思っている」

 

 穏やかな態度とは裏腹に、先ほどの委員会でのやりとりよりも、よほど厳しいことを老人は言っていた。

 

 そして装蹄師の男も、その意味を誤解しなかった。

 

「どのくらいの時間をいただけるのでしょうか」

 

 老人は少し考え込む。

 

「そうだな…1か月、というところだろうか」

 

 思ったよりも時間があるのだな、という冷静な感想を抱けたことに、男は安堵した。

 

「そうですね…願うのは、彼女たちにより良い未来を。私の身分は…まぁ、どうとでも。どのようになりそうかの情報だけは、随時いただけると助かりますが。いざというときに慌てるのは、どうにも」

 

 老人は一瞬、驚いたような表情をにじませたあと、口角を上げた。

 

「噂には聞いていたが…なるほど。欲がないな、君は…。わかった、約束しよう」

 

 技術委員長である老人は愉快そうに笑った。

 

 

 

 

 樫本理子はもやもやとしながら、その日の業務を終えた。

 

 今日は装蹄師の男が本部に来ていたはずだがガードが固く、ついぞ顔を合わすことができなかった。

 

 メールでの問いかけにも、男からの返信はない。

 

(全く…自分の立場をわかっているのですかね…)

 

 明日になれば議事録が手に入るだろうが、今日のところはこれ以上職場で粘ったところで、新たな情報は得られそうになかった。

 

 身支度をし、念のためのメディアを避けて通用門から退出する。

 

 どうやらメディアのほうは杞憂だったらしく、いつも通りのルートを辿り駅へと家路を歩む。

 

 やたらと古い綽名で自分を呼ぶ声を認識したのは、本部ビルに沿って角をひとつ曲がったところだった。

 

「…ぴーん、りこぴーん♪」

 

 行き脚をとめ、あたりを見回す。

 

 見知った顔が、反対側の歩道に居た。満面の笑みで、手招きをしている。

 

 この状況をわかっているのかしら、と思いながら、樫本理子はその手招きに応じた。

 

「りこぴん、今日もお疲れ!」

 

 装蹄師の男の後輩は、何の悩みもなさそうな笑顔を崩さぬまま、理子にねぎらいの言葉をかけた。

 

「全く…先輩といいあなたといい、変わりませんね…」

 

 無表情のまま、静かに樫本理子は言った。

 

「まぁまぁ。クルマで家まで送るからさ、ちょっと話聞かせてよ。俺も先輩のこと、心配なんだよ」

 

 昔と変わらぬ軽薄さのまま告げられた言葉に、樫本理子ははぁ、とため息をついた。

 

「…帰りの道中、だけですよ」

 

 口調はともかく、彼の言葉に嘘がないことは理解した樫本理子は、後輩のクルマ、その助手席に座ることを決めた。

 

 

  




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