学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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78:思惑、それぞれ

 

 

 

 

 

 技術委員会での聞き取りの後、男はURA本部からクルマを誂えられ、地下駐車場から人目を忍ぶようにトレセン学園へと戻された。

 

 

 本来の筋で言えば理事長には報告を上げるべきではあったが、疲労を理由にたづなさんへは明日午前に変更を申し出てあった。

 

 

 部屋に戻り、明かりもつけずにリビングへ進む。

 

 普段着ないスーツのネクタイを解くと、緊張の糸が切れてしまいソファに沈んだ。

 

 何を見るでもなく、殺風景な部屋を眺める。

 

 大した家具やモノもなく、愛着と呼べるほどの記憶もないこの部屋とも、あと1か月ほどの付き合いとなるのだ、と思う。

 

 否、記憶ならあった。

 

 ルナがこの部屋を訪ねるようになってからの、なんでもない会話たち。

 

 ここ数か月、幾度となく理由や形を変えて行われたここでの同僚やウマ娘たちとの食事。

 

 エアグルーヴのビンタを喰らったりなんていう記憶もあるが、まぁ笑い話であるし、ファンからしたら垂涎の経験ですらあるだろう。

 

 今回の騒動にどのような結末が待っているかは、まだわからない。

 しかしどうやら自分はそれらの騒々しくも愛すべき日々からは居場所を変えることになりそうだ。 

 

 

 装蹄師の男は煙草を取り出し、火を点ける。

 

 

 世間の様子にそれほど気を配って生きていない男は、天皇賞秋の後の状況について、知覚はしていたが、それだけだった。

 

 それを今日、どれほどのスケールで物事が動いているのかをはっきり認識することになった。

 

 今の事態を自らの身の不幸、とは思わない。

 

 様々な思い付きや偶然が折り重なるようにして連鎖し、動き、流れ着いた先が今日だというだけだった。

 

 もちろんさまざまな壁に当たりもしたし、苦悩することだってあった。

 

 しかしそれらはすべて周りにきっかけを与えてもらってのことだ。これまでの人生と同じように、流されてきたとの認識から少しもズレることはない。

 

 だとすれば、これまでと同じように、これから向かう結末も、唯々諾々と受け入れることができるだろう。

 

 そう。

 いつものことだ。

 

 

 

 右腕が、不意にびくりと動いた。

 

 もう治ったはずの右腕が、何かを主張したようだった。

 

 また、蹄鉄を打てるようになったのに、な。

 

 左手で右腕を撫でる。

 

 その瞬間、自らの内面を冷静に覗くことになった。

 

 今、自分はこれまでのような諦観でもって、自分自身を納得させようとしている。

 

 しかし、本音はまた、違うところにあるのだ。

 

 じっと自分と向き合ってみる。

 

 

 

 できればずっとここに居たい。

 彼女たちの脚を、支え続けていきたい。

 自分もレースを走るひとりで、ありたい。 

 

 

 

 

 今まで自らの奥底に押し留めていた意思の箍が、緩んでいく。

 

 装蹄師の男は久方ぶりに触れる自らの剥き出しの感情に驚き、思いを噛みしめた。

 

「…なんで…いつも…」

 

 続く言葉をぐっと、奥歯を噛みしめてかき消した。 

 

 言葉にしてしまえば、僅かに残った自らの形を支える見栄すらもなくしてしまいそうだった。

 

「…っ……」

 

 外の街灯がほのかに照らす部屋の中で、装蹄師の男は俯いたまま、じっと動かなかった。

 

 

 男の中で何かが、変わりはじめていた。

 

 

 

 

 

 

 アグネスタキオンは自らの研究室に籠っていた。

 

 研究室のテレビでは、繰り返し繰り返し天皇賞秋のレース映像が流されている。

 

 サイレンススズカについて集めていたデータはすべて纏め、たづなさんに託した。必要があればどこへでも出向き、説明する用意があることも伝えてある。

 

 

 天皇賞秋のあと、装蹄師の男とその後輩と別れて以来、ほとんどの時間を研究室で過ごしていた。寮へ帰るのは門限ぎりぎりであり、朝も日が昇る前には研究室に戻ってきている。

 

 

 彼女の聡明な頭脳は、レース中にサイレンススズカの故障を直感で予測していた。

 

 あくまで可能性のひとつではあったが、それをはっきりと感じたのは1,000mの通過タイムだ。

 

 集めていたスズカのデータから、バ場状態、当日レース時刻付近の天候、気温、湿度、気圧という彼女自身がどうしようもない要素まで組み込んで概算した結果の1,000m通過タイムとレースタイムの予測を立てていたのだ。

 

 しかし1,000m通過時点で、アグネスタキオンの予測したタイムよりも大幅に上回ってきていた。  

 

 タキオンの予測タイムは57秒4。

 しかしスズカが実際に走ったタイムは56秒9。

 

 まったくもってアグネスタキオンの予測モデルからは外れたタイム、しかも速いほうに、となれば、可能性のひとつとして瞬時に怪我が浮かぶことは、これまでの研究テーマからしても必然であった。

 

 まだまだ謎の多いウマ娘の身体能力であるとしても、スズカは間違いなく新しい次元へ足を踏み入れかけていたことは疑いようがない。

 

 そしてそれはこれまでの常識では想定以上の、肉体への過大すぎる負荷であり、念には念をいれてきた脚、そのなかでも対策が一番手薄であった大腿骨で破綻した。

 

 彼の蹄鉄がない状態のスズカがあの走りをしたとすれば、彼女はあの府中のコースにおいて大欅を越えられたかどうかすら定かではない。しかもそれは大腿骨のヒビなどといういくらでも救いようのある怪我などではなく、もっと破滅的な結末を迎えていただろう。

 

 しかしそれは研究を重ねてきたゆえのアグネスタキオンの直観でしかなかく、証明することはできない。

 

 

 

 そして、それから繰り広げられた世間からのバッシング。

 

 日々過熱していくそれらを見て、彼女はいっそ手元に集めたデータを公開してしまおうかとも考えた。

 

 しかしこれらのデータの意味を読み解き、誤解なく自分と同じ結論に至れる人間が大衆の中にいるはずもない。

 

 データ自体はたづなさんを通じてURAにも届いているだろうが、もはやコトの真相などどうでもいい状態に至ってしまっていることは、タキオン自身にも理解ができていた。

 

 事態は質量の大きな船が行き脚が付き過ぎているようなもので、その大きな運動エネルギーを打ち消して止めるためにはサイレンススズカの怪我以上の途方もなく大きなエネルギーが必要な状態だった。

 

 

 

 装蹄師の男との最初の出会いを思い出す。

 

 ひどく冷ややかな目で、暴走する私を一刺ししてみせた、あの男。

 

 出会いとしては最悪であったが、その後彼の理解を得てからは、同じ目標を共有する同志として、お互いに良い刺激を与えあえていた、と思う。

 

 何なら間接的に彼女の研究環境や学園内の立場まで、劇的な改善までしてみせたのである。

 

 トレセン学園を中心に対外的なネットワークが組まれることになった研究体は、機材も、知見も滝のようにアグネスタキオンに注がれてくる構造となっている。

 

 そして学園内での扱いは、これまでは校舎の一室を占拠する変人扱いであったところから、一介の研究者としての地位を確立するまでに状況が変化している。

 

 それだけの変化を得てもなお、今の装蹄師の男を救えそうにないことが、彼女の心を重くしていた。

 

 しかし、確かにあの装蹄師の男は、サイレンススズカを救ったのだ。

 

 その過程で、自分までも。

 

 今も研究室のテレビでは、繰り返し繰り返し天皇賞秋のレース映像が流されている。 

 

 

 今やURAまで動き出している。

 

 世論は止められない。

 

 止められない。

 

 止められない…。

 

 止められないの、ならば…。

 

 

 アグネスタキオンは、ピクリと耳を震わせる。

 

 脳のどこかで、なにかが電気的につながる感覚があった。

 

 ぴくりと震わせた耳がセンサーのようにそれを知らせ、彼女の聡明な頭脳の中を覆っていた靄を切り裂いて思考を走らせる。

 

 止めることが目的では、ないのだ。

 

 装蹄師の男は、スズカも、自分も、止めたわけではない。

 

 走らせたのだ。

 

 そのアプローチを、行き先を、少しだけ変えて。

 

 ならば。

 

 

 アグネスタキオンは傍らに起動させたままにしていたPCへ向かいなおすのももどかしそうに、猛然とキーボードを叩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 罪の意識に苛まれている沖野。毎夜その酒量は増え続けていた。

 

 

「…ちょっと…いい加減にしないと…」

 

 いつものバーで顔を合わせていた二人だが、東条ハナは見ていられない、という風である。

 

「…呑まずには…いられないんだよ…」

 

 胡乱な目をした沖野はここのところの世相において、なんとも形容しがたい、気味の悪い立場に置かれていた。

 

 本来であればサイレンススズカの怪我に対し真っ先に責任を負うべき立場であるのだが、その矛先はURAと装蹄師の男に向いてしまい、沖野の周囲は不思議なほどに無風、あるいはやや同情的ですらあった。

 

 おかげで沖野はスズカやチームメンバーのフォローに専念できたし、それはそれでありがたいことではあったが、一方で日々過熱していく世論に苦々しく思っていた。

 

 沖野自身はウマ娘たちのために痛覚を超越してみせた男であるから、自らが痛めつけられることに関しては慣れているし、耐える自信もある。

 

 しかしそれは他者の痛みに対しても鈍感になれる、ということを意味しない。

 

 ましてや彼の愛バに並々ならぬ情熱を注いでくれた同僚が世間からの槍玉にあがっているとなれば、穏やかではいられるはずもなかった。

 

 しかしそれをチームの娘たちにさらけ出すわけには当然、いかない。

 

 勢い、酒量が増えるという循環から、しばらくは抜けられそうになかった。

 

 

「気持ちはわかるわ…でもあなたがお酒に逃げても何も改善しないわよ」

 

 そういう東条ハナの酒量も普段からだいぶ増えている。

 

「おハナさんだって…心中穏やかではいられないでしょ?」

 

 じろりと東条ハナをねめつける沖野の目は、酷く濁っている。

 

「それは…ね…だから、あちこちから状況は把握するようにはしてるし、何も考えていないわけではないわよ」

 

 東条ハナはグラスを傾ける。

 

「…アメリカの友人がね、連絡してきたのよ…」

 

 東条ハナはリギルのトレーナーとなる前、トレセン学園所属のまま1年ほど、アメリカへ研修に出されていた時期があった。

 

「…向こうのウマ娘たちはこっちよりもパワー重視、加速力命の娘たちがたくさんいるのよ。おまけに日本よりも硬いバ場。怪我はこっちの比じゃないわ。今回の騒動は向こうでも話題になってるみたいで、スズカの履いていた蹄鉄のデータを見たい、ってね…」

 

 沖野は話の重要さを即座に理解する。

 

「おハナさん…まさかそれって…」

 

 東条ハナは静かに瞳を閉じて、続ける。

 

「ええ…送ったわよ、もちろん公開されているデータだけだけれど。向こう、乗り気よ。もし本人にその気があるのなら、こちらはいつでも大歓迎だ、なんなら迎えの人間を差し向けるとまで言ってきてる」

 

 そこまで言って東条ハナはグラスに残っていたカクテルを飲み干した。

 

 沖野はその様子を酔いの覚めた目で見ていた。

 

「…はぁ…私もアメリカ、いっちゃおうかしら」

 

 アルコールに火照った肌の色とは対照的に、全く酔っていない瞳で東条ハナは呟いた。

 

 

 

 

 

 URAから樫本理子の家へ、後輩は夜の都内をスマートにスムーズにクルマを走らせていた。

 

 助手席で現状を話す樫本理子の声はあくまで淡々と、事実と推測をきっちりと分けながらこれまでの経緯を説明してくれていた。

    

「なんだよそれ…りこぴん、どうにかならないの?」

 

 後輩は樫本理子の家に向かいながら、呟く。

 

 URA上層部のその場しのぎともいえる判断に、後輩は装蹄師の男の身内としての立場で不満の声を上げた。

 

「…世の中、単純ではありません。善と悪の二元論で語れるわけじゃないことくらい、あなたも理解できる程度には社会経験を積んできたでしょう」

 

 樫本理子の冷静に諭しているような叱っているような物言いが、後輩をひどく懐かしい気分にさせる。

 

「まぁ…伊達に歳は食ってきてないけど…りこぴんに叱られると、昔に戻った気分になるな。うん」

 

 後輩はあくまで丁寧に、まるで美術品を運んでいるかのような運転で都内を縫うように走っていく。

 

「今日の技術委員会でのあの人の受け答えを踏まえて、今後、落としどころが探られていくことになりますが…すべてが元通り、ということだけはないでしょう」

 

「…つまり、最悪は先輩がクビになる、ってこと?」

 

「クビ程度で済むなら、まだ最悪ではないでしょうね。装蹄師資格の取り消し、追放が最悪のシナリオでしょうか…」

 

 そう口にする樫本理子の顔は、血の気が失せて白くなってしまっている。

 

「ままなりませんなぁ…大きな組織というやつは」

 

 その様子をちらりと横目で認めた後輩は少しおどけて口にする。

 

 樫本理子は少しため息を吐き、後輩の配慮に気づいてごくわずかに、口角を上げた。

 

 それからまもなく、後輩はクルマを停める。

 

 樫本理子の住まうマンション、そのエントランス前だった。

 

「おかげでラクに帰宅できたわ。ありがとう」

 

 樫本理子はクルマを降りる。後輩もクルマを降りた。

 

「あ、ちょっとまって」

 

 立ち去ろうとする理子を呼び止め、後輩はリアドアを開けて、小さな包みを取り出して差し出す。

 

「ま、大変だろうけど無理しないようにね。これ、お嬢さんたちと」

 

 樫本理子を捕まえる前に買い求めていたケーキだった。

 

「…あなた、こんな気が利くタイプではなかったと思いますが」

 

 後輩は軽薄な笑顔を浮かべる。

 

「まぁ、そのくらいは大人になったってことかな。また、なんかわかったら教えて」

 

「…今夜の話は、他言無用ですよ」

 

 一言、後輩に釘を刺して身を翻した樫本理子は、ひらひらと手を振る後輩を背に、エントランスの中に消えていく。

 

 その姿を見送りながら、後輩は煙草を取り出し、火を点ける。

 

「ままならない、大きな組織。だからこそスキがあるってもんでしょうね…」

 

 後輩は樫本理子から得た情報を頭の中で整理しながら、紫煙を吹き上げた。 

 

  

 

 

 




85話の感想で腹痛さんから頂いたコメントを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
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