学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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79:親子の宿願

 

 

 

 

 

 

 装蹄師の男はソファの上で、部屋に差しこむ朝日によって目覚めた。

 

 昨日URA本部で技術委員会の聞き取り調査を終え、委員長の老人からこの学園での残り時間を告げられた。

 

 部屋に戻ってから改めてその事態の重さを実感し酷く落ち込み、そのままいつしか眠ってしまっていたようだった。

 

 傍らに落ちていたスマートフォンを見れば、時間は7時前である。未読のメッセージが数多溜まっているのが通知から見て取れたが、今はそれを開かずにおくことにする。

 

 男はシャワーを浴び、目を覚ました。

 

 酷く気落ちしていたとはいえ、それなりの時間をしっかりと眠った頭はそれなりにすっきりと働きだす。

 

 そういえば良い食事と良い睡眠が大事だ、と最近聞いた気がする。

 

 少し思い返してみれば、エアグルーヴに言われたのだった。

 

 彼女に言われた言葉は、もう若くはない今だからこそ身に染みる。

 

 彼女の言葉に従うのならば、次に行うべきは栄養補給だった。

 

 冷蔵庫を覗くが、ロクなものは入っていない。

 

 男は身形を整えると、今日の朝食は学園のカフェテリアで摂ることに決め、部屋を出た。

 

 

 

 

 カフェテリアは朝でもそれなりにウマ娘たちが居る。

 

 熱心な娘たちは朝練ののち登校し、ここで二度目の朝食を摂ることもあるからだ。

 

 職員たちへの朝食はそのついでといったところだったが、装蹄師の男のように自分に無頓着な人間にはありがたいサービスである。

 

 しかし、ここに来てそれなりの年月が経ったが、未だにここで食事を摂ることには慣れない。

 

 どうにも自分が場違いな世界にいる印象が拭えず、気恥ずかしくなってしまうのだ。

 

「蹄鉄の先生、おはようございます~」

 

 それでも彼女たちは男のことを認識すると、このように挨拶をしてくれる。

 それはこの学園に来てすぐの時期に少なくとも数時間は彼の授業を受けており、生徒によっては覚えていてくれているからだ。 

 

 それがどんな意味を持つか、ここに居られる刻限を定められた今ならば、はっきりと理解することができるような気がした。

 

 朝食にしては意識してカロリー高め、肉多めのメニューをチョイスし、カフェテリアの隅で黙々と体内に取り込んでいく。

 

 徐々に栄養が回り始めた男の脳は、昨夜意図せずに多めに休息を取ったおかげか、順調に回り始めた。

 

 

  

 自分は技術委員長に言ったのだ。

 彼女たちにより良い未来を。

 

 その希望に嘘はないし、それを願ってこの学園で禄を食んできたのである。 

 

 ならば、自らもそれに沿って為すべきことがあるはずだ。

 

 栄養補給によって導き出された答えはそれであった。

 

 まずは、理事長へ昨日の報告を済ませてしまおう。

 

 そのうえで、やるべきことを整理し、取り掛かる。

 

 悩んで立ち止まるほどの時間の贅沢な消費は、今や男には残されていないのだった。

 

 

 

 

 

 

「なぁおい、なんとかなんねーのかよぉ」

 

 ゴールドシップは生徒会室でシンボリルドルフとエアグルーヴ相手にくだを巻いていた。珍しく、アグネスタキオンもこの部屋にいる。

 

 チャットグループ「鉄の会」のメンバーがリアルで勢ぞろいすることは珍しい。

 

 もちろん、共通の話題である装蹄師の男の置かれた状況があるからであった。

 

 

 先ほど理事長室で、昨日の顛末を直接、装蹄師の男から聞くことができた。

 

 生徒会の面々は理事長の配慮から参加を許され、直接話を聞くことができた。そこには東条ハナや沖野、アグネスタキオンの姿もあった。

 

 そこにゴールドシップも紛れ込んでいたことには、もはや突っ込む者もいなかった。

 

「…署名活動やURAへの嘆願はいつでも出せるように準備しているが…下手にURAに直訴することで、逆に状況が悪化する可能性も考慮しなければならん」 

 

 エアグルーヴは努めて冷静に状況判断を告げた。

 

 エアグルーヴとゴールドシップは決して仲良く馴染む関係ではなかったが、この状況に臨むにあたっては同じ目線、同じ立ち位置で無力感を味わっていた。

  

「我々も手をこまねいているわけではない…正直悩んだが、私の実家やメジロ家にも話を通して、こちらの意思表示はしてある。どう動くかは、わからんが…」

 

 シンボリルドルフがそう言って、ゴールドシップを宥める。

 

「しっかしよー、世の中なんかおかしいんじゃねえか?ルールに沿ってやってるのになんでこーなっちまうんだよ!やっぱここはゴルシちゃんが一発テレビで演説するしかねぇんじゃねえか?」

 

 いつものように本気とも戯れともつかない口調でゴールドシップは生徒会席に堂々と陣取り、その立派な胸を反り返るように張り出した。

 

「全国民に告ぐ!今すぐ弾圧を止めよ!サイレンススズカの脚は現在、おっちゃんの手で黄金で造り替えられつつある!まもなくトゥインクルシリーズをその黄金の脚で席巻し、皆はサイレンススズカの脚元にひれ伏すことになるであろう…!皆のモノ、崇めよ!讃えよ!」

 

 どこかの地球軌道上での演説の如く振舞うゴールドシップは今日も奇言で皆を惑わせる。

 

 しかしその堂に入った演技と、それを敢えて行う彼女の心意気に、ここのところ暗くなりがちだった生徒会のメンバーは救われる思いだった。

 

「そういえば、サイレンススズカくんの様子はどうなんだい?」

 

 アグネスタキオンがゴールドシップに話を振ると、彼女は突然素に戻る。

 

「どーってもよー…世間で騒がれるほど重大な怪我って感じでもねーんだよな。割と病院の先生も楽観的だぜ」

 

 それを聞いてアグネスタキオンは安心したようにため息をついた。

 

「それは重畳だねぇ。まぁ彼女の心肺能力なら血流量も問題ないだろうから、意外と早く治るかもしれないねぇ」

 

 そのやりとりを聞き、シンボリルドルフとエアグルーヴもホッとする。

 

 仲間の怪我は残念ではあるが、それが軽度で済んでいるとなれば、また駆けられるようになる日も来るのだ。

 

 そして、そうであればこそ、今彼女たちが取り組むべき課題はより明確になる。

 

「ならば、あとは兄さんに我々が何をできるのか、だな…」

 

 シンボリルドルフは、自らの奥底にあるルナの部分の感情を原動力に、皇帝の頭脳を働かせ始めていた。 

 

 

 

 

◆   

 

 

 

 

 東京都心、京橋にほど近い銀座の裏路地にひっそりとある9階建ての雑居ビル。

 その上から3フロアほどに収まっているのが後輩の実家が営む会社だ。

 

 世間的には全く無名と言える企業だが、取引関係のある会社からの評判は、良心的な同族が穏やかに君臨統治する手堅く良心的な老舗商社、という評判であった。

 

 

 

 

 後輩の男は部活の大会中にクラッシュし大怪我をして以降、実家に戻り、大学を休学ののち復学、樫本理子たちの手助けもありなんとか卒業した。

 そしてしばらくフラフラとした日々を送ったのち、代々の家業であるこの会社に就職した。

 

 後輩自身が現社長の実子であり、さらに怪我によるハンディキャップもありということで、当初、周囲は腫れ物に触るような扱いであったのは間違いがない。

 

 しかし彼は、その持ち前の愛すべき軽薄なキャラクターで、誰とでも分け隔てなく接することができる人柄の良さから、年上からは可愛がられ、年下からは頼られるという大学時代と変わらぬ円滑な人間関係を会社でも築きあげていった。

 

 そして能力においても、さすがオーナーの血筋と周囲が認めざるを得ない片鱗を随所に発揮し、いつしか仕事においてもいくつかの成果をもたらし、このまま順調にいけば将来の社長としての器に育つであろうことを周囲に忖度なく抱かせる存在となっている。 

 

 現在は帝王教育の一環として部長職にあり、日々業務に当たっていた。

 

 

 

 

 商社というのは売り手と買い手を繋ぐ存在であるから、常に情報を収集し、分析し、必要な情報を選り分けた上で顧客に提供し、売り買いを仲介することで利益を上げる。

 

 五大商社の情報収集能力は一説によれば国家の情報機関を凌ぐレベルという見方もあり、それほどまでに情報が彼らの商いの本質と言える。

 

 後輩の実家の家業である商社は、いわゆる五大商社のような規模では全くなく、存在感からすれば零細から中堅といったところであった。

 しかし特定の業界においてはめっぽう強い老舗、困った時の駆け込み寺という評判を確立している。

 

 その評判を支える実態は、創業初期から続いている少数精鋭部隊の情報収集能力であり、現在後輩の男が率いる特務部門がそれであった。

 

 

 後輩の男は、定時もだいぶ過ぎて誰も居なくなってしまった自部署の島で、続々と送られてくる報告に目を通していた。

 

 

「若、少し休まれてはいかがですか?」

 

 この会社で長く番頭役を務めている専務に声をかけられる。年のころは70代で、後輩の男の祖父のような年齢のはずだが、見た目は50代にしか見えない若々しさを備えている。

 

 「若」という後輩の男の綽名は決して嫌味ではなく、自他ともにその能力を認められているからこその社内呼称だった。

 

「ありがとう。でも俺の個人的な興味について調べてもらってるから…そうもいかないんっスよね」

 

 後輩の男は社長である父親にあらかじめ断った上で、会社の調査能力、その一部を今回のURAの騒動についての情報収集に振り向けていた。

 

 樫本理子に接触して得た情報をもとに、URA内部、外部問わず今回の騒動の原因からその流れ、キーマンたちの動きを纏め、これからどうなっていくのかの予測を立てる。

 

 樫本理子の情報をベースに調べ始めたため、情報源の秘匿などの観点からいくつかの緩衝役を挟んで指示を出し、そのレスポンスを得ている。

 

 その為に情報の確度については若干のズレを意識しなければならないが、これまでの調査ノウハウから定性情報の補正をかけつつ、予測精度を上げていく。

 

 積み上げた情報は、未だURA内部において混乱が続いていることを示していたが、日を追うにつれ少しずつ方向性を定めつつあるように見えた。

 

「若も…そろそろ、頃合いですかね」

 

 後輩の男の様子を眺めていた専務が言った。

 

「そうかも…しれないっスね。今調べているこれが、そうなればいいな、とはとは思っていんですが」

 

 彼の家には代々続く決まりごとがある。

 

 それは「一代一領域」の家訓として、これまで連綿と続いてきたものだ。

 

 明治期に創業したこの会社は、最初は米穀商からその業歴をスタートさせた。

 

 そして二代目が米穀商をベースに石炭を取り扱いはじめ、本当はその流れで鉄鋼や金属を取り扱いたかったようだが、当時すでに財閥が形成されつつあり、資本の差や当時の政府統制によりそれが叶わず、三代目は石炭から生み出される化学産業に注目、領域を拡大することに成功した。

 

 四代目は戦前、戦中、戦後の激動期を生き、戦前から電気部品等を軍へ納めることでさらに事業を拡大させ、5代目である彼の父は2代目の宿願であった金属の分野に、希少金属で進出を果たした。

 

 そうして取り扱い領域を拡大して今日があるのだが、決して平たんな道のりであったわけではない。

 

 それでも現在、こうして銀座に古いながらも自社ビルを構えていること自体、彼ら一族がいかに手堅く商いをしてきたかを示していた。

 

「何をそんなに熱心に調べられているんです?」

 

 専務は資料を覗き込んでくる。

 

「まぁ、ちょっとURA関係をね…大学の先輩やら同期やらが、今の騒動に巻き込まれてるんです。もうけを出したきゃ火の粉が飛んでくるくらいにいるのがちょうどいいかと思って調べ始めてみたんですが、どうしようかと…」

 

 資料をざっと眺めながら番頭は呟いた。

 

「ほう、ウマ娘ですか…昔、大旦那様とまだ幼かった旦那様と、見物にレース場に出かけたことがありますなぁ…」

 

 大旦那様というのは後輩の祖父を指しており、旦那様は当代、つまり後輩の父のことを言っていた。

 

「トキノミノル、と言いましたか。当時のスターを一目見たいと、旦那様が仰ったものですから…それはすごい人気でしたよ」

 

「へぇ…親父が。意外だなぁ」

 

「ウマ娘の皆さんは見目麗しいですからね。それは今も変わらないでしょう?」

 

「先輩のツテでこの間トレセン学園を見学させてもらったんスけどね…それはもう。今も変わりませんよ」

 

 番頭と若は顔を合わせて笑いあった。

 

「…昔、旦那様もURA…当時で言う日本中央ウマ娘レース会に食い込もうとしたことはあるんですが…うまくいかなかったのです。若がそれを実現すれば、親子二代の宿願を果たすことになりますな」

 

「…まぁ商いとしてはスケールはそれほどにはならないと思うっスけど…一度食い込めば長く続けられるのがこういうところと取引する旨味でもありますんで。ちょっと絵図を描いてみようかとは思ってるんスけどね」

 

 若と呼ばれた後輩はそう、番頭に告げる。

 

 番頭はそれを、たくましく育った孫を見るような優し気な瞳で見守っていた。

 




九州、中四国の方は地震、大丈夫でしたでしょうか…
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