インターホンに呼び出され、男が玄関を開ける。
そこには顔色悪く、目の下にクマをつくって疲労困憊といった様子のスーツ姿の後輩がいた。
「おう、どうした…?」
装蹄師の男が心配そうな声をかけると、後輩は苦笑いしながら顔を横に振る。
「あぁ…いや、俺も先輩に用があってきたんスけど、そこでこの娘たちに会っちゃって…」
後輩は装蹄師の男の視野の外に視線を向ける。
「先生、こんばんは!」
そこに居たのはスペシャルウィークと、
「…こんばんは、先生」
松葉杖をついてやや気まずそうに微笑む、サイレンススズカであった。
「スズカ!退院してきたのか!」
三人をリビングに通して最初に声を上げたのはサイレンススズカの親友といって差し支えないエアグルーヴであった。
「ええ…今日の午後。心配かけちゃってごめんなさい」
サイレンススズカは松葉杖姿こそ痛々しいが、制服姿のスカートから覗くギプスはそれほどガチガチなものではなく、顔色も良い。
「お前…今日は寮でおとなしくしてろって言ったろう…」
沖野は苦い顔をしているが、自分がここに居る手前、あまり強くは言えないようだ。
「トレーナーさん、すいません…でも、どうしても我慢できなくて、スペちゃんについてきてもらっちゃいました」
スズカはダイニングの椅子に座ると、装蹄師の男を見据えた。
「先生…」
サイレンススズカの呼びかけに皆、静まり返る。
装蹄師の男は彼女の真剣な眼差しに射竦められたような気分になった。
「その…私、約束…守れなくて…。無事に…帰ってこられなくて、すみませんでした」
スズカは目を伏せ、俯く。
長い睫が本当に綺麗だ、と男は場違いな感想を抱いた。
後輩は二人の様子を見て、なにも口を開こうとしない装蹄師の男を小突いた。
「…あぁ。でも、ちゃんと帰ってきたじゃないか。それだけで十分、だ」
本音であった。
無事とは言えなかったが、帰ってきたのだ。
「…天皇賞のレースで…最後の直線で加速しようと踏み込んだ時、脚にうまく力が入らなかったんです…痛みは、感じなかったんですが…その瞬間、冷静になって…」
部屋にいる全員が、スズカの言葉に集中していた。
「先生とのやり取りを思い出して…帰らなきゃ、って思ったんです…」
そう語るサイレンススズカは、いつのまにか頬が真っ赤に紅潮し、耳はへにゃりと力が抜けて前倒しになっている。
はぁ、と沖野がため息を吐いた。
沖野のため息で我に返った男は、顔を紅くして俯くスズカから視線をはずし、周囲を見回す。
シンボリルドルフは耳を力強く立てたまま、凛々しい顔で硬直している。
エアグルーヴは口を半開きにして焦点の定まらない瞳でスズカを眺め、微動だにしない。
東条ハナは眉間に皺を寄せてチューハイの缶を震えながら握りしめている。
アグネスタキオンはにやついた口元をひくひくと痙攣させながら虚空を見つめ、ゴールドシップはルービックキューブを3面揃えたところで停止しており、スペシャルウィークはサイレンススズカの横で真っ赤な顔をして口をアワアワさせていた。
沖野はそっと装蹄師の男の肩に手を回し、男の耳元で囁いた。
「…ま、そういうわけだから…今、お前に装蹄師を辞められると困るんだよなぁ…」
どういうわけだ、と言い返す力はなく、男は、自らの置かれている状況が飲み込めないまま無意識に煙草を銜えた。
◆
「…で、お前はどうしてきたんだ?」
装蹄師の男は心底不思議な表情で尋ねる。
硬直したり別世界に旅立っていた面々も、そういえば、という感じで意識を取り戻す。
「いやぁ工房が閉鎖されたって聞いて…先輩連絡しても出ないんっスもん。とりあえず来てみるかって」
装蹄師の男のスマホは帰宅してからも、異様な空間となった自室に面食らい続けるあまりずっと部屋の隅で放置されていた。
「しかし、お前耳が早いな。俺だって伝えられたの昨夜だぞ。どっかのサイトでニュースででも情報が流れたのか」
「いやいや先輩、俺の情報網を侮ってもらっちゃ困るっスよ。俺をなんだと思ってるんスか」
「あん?親のスネかじりのボンボンじゃねえのか…?」
不思議そうな表情のまま装蹄師の男は再び尋ねる。
一瞬、お互いを見つめ合う間があった後、「あ」と後輩が間の抜けた声を出した。
装蹄師の男と後輩は突然再会して以来、その身の上について改めてきちんと話したことはなかった。
「先輩…俺、今、家業の手伝いではありますけど、こんな仕事してるんス」
後輩が名刺を差し出した。
東条ハナに差し出したものと同じである。
後輩の苗字のみの株式会社名に、特務部 部長、とある。
「…ぜんっぜんなにしてんだかわかんねぇ名刺だな…」
「あ、会社案内もあるっス…」
後輩は鞄からパンフレットを差し出す。
装蹄師の男はそれを受け取るとパラパラと斜め読みしていく。後ろから、沖野やゴールドシップが覗き込んでいた。
「結構な大店じゃねえかよおい…」
沖野がぼそりと呟いた。
確かに老舗と言える歴史があり、資本金からしても中小企業ではなく、分類上は大企業になるような規模だ。
そして代表的な取引先にあげられている会社は世界に名だたる大企業がずらりと並んでいる。
「お前の実家、すげえのな…」
装蹄師の男の言葉に、何故か後輩はドヤ顔だった。
「で、今日はなんの集まりだったんスか?なんの悪だくみ?」
後輩が悪びれる風もなくフラットに尋ねる。
皆は一様に押し黙っている。
先ほどまでの装蹄師の男オークションに冷や水を浴びせられ、かつ突然のサイレンススズカの登場と天皇賞秋の内幕、特に彼女の内部にある、ある種の先頭の景色は譲らないブッチギリのアピールを目の当たりにしたのだ。無理はなかった。
仕方なく装蹄師の男が口を開く。
「…まぁ、ルドルフとエアグルーヴがこんな状況を心配して飯作りに来てくれて…今後の俺の身の振り方をみんな考えてくれたりしてたんだよ」
おお、と後輩が感嘆を漏らす。
「なんだ~そうだったんスか。そういう話だったら俺っちも呼んでもらわないと!というかちょうどよかったっス」
東条ハナが眉間に指を添えて俯き、シンボリルドルフが後輩の言葉に反応する。
「…ということは、兄さんへの提案があるということだろうか?」
後輩はぐっと親指を立てる。
「もちろん!」
装蹄師の男は怪訝な顔をした。
じゃあちょっと長くなるっスけど…といって後輩は話し始めた。
俺は今週あちこちを飛び回りながら情報収集と事態の収拾について絵図を描いてみたんスよね。ほんとここ3日はほとんど寝ずにあれこれしてたっス。
で、まずは現状を整理してくっスよ。
ひとつめは、URA理事会について。
今回のドタバタで世間からド突かれまくって、こぶしを振り上げたはいいけど振り下ろし先はわからないし、事態にどう落とし前をつけていいのか腹が定まってないっス。これは理子ちゃんの情報をもとに弊社の優秀な情報収集部隊が集めた情報なのでほぼ間違いないっス。
そんで、周辺事情。
まずメディアはもう、仕方ないっスね。誰かが仕組んだり、悪意でこういう風になったというよりかは読者のPVがいいニュースがこれだった、ってことで。
あることないことを書いて読者の気を引こうとして、ここまでのことになってしまったっス。これは今更無理に火消しに走ったりしても無駄なパターンというかもっとおかしな方向に行く可能性もあるんで、さわらずにおくことにするっス。
それでいろいろ組み合わせて考えると、理事会はなんらか手を打たなきゃいけないけど打ち方がわからない。メディアも納得するような形であればなんでもいい、となっちゃってるっス。
実際、スズカさんの怪我のことはあれど先輩の作った蹄鉄に手続き的に問題はない。
でも世間にはなんらかの調査結果の報告が必要で、それなりに悪モンというかスケープゴートが必要な感じになってきてるしで、理事会もその線でまとめようとしている。
ここまではいいっスね?
じゃあ続けるっス。
どうやら技術委員会は先輩を擁護してるっスけど、理事会は先輩をスケープゴートにすることに決めているみたいで、でも悪いことしてないから決定打がない。
ここが延々と平行線なんですよ。
理事会に筋が通ってないから、どうやっても無理筋なんですが、もう後には引けなくなっちゃってるんスね。
そんな状況なんで、技術委員長はコトを動かしていくためになんらかの、新たな仕組みと置き換えてしまうことで公平性と透明性を確保しながらウマ娘の皆さんへの装具のサービス向上を考え出した、という訳で。
あぁ、先輩が技術委員長に頼んだんスか。
えぇ?自分の身はどうでもいいから、って?
ったくもう、そういうことは教えといてくださいよ。でもこれでまたひとつ、つながったっス。
ただ、問題なのは技術委員会はルールをつくったり見直したりすることを技術的見地からすることはあっても、組織からどうこうすることを考えるのは苦手なんですよね、もともと職人さんの集団っスから無理もないっスね。
そこで不肖、俺っちが描いた絵をですね、技術委員会と、比較的話の分かる理事数人に流し込みつつ、俺は俺でそれを実現させるために日夜走り回ってたって訳っス。
…で、俺の絵っていうのはっスね…。
後輩の描いた絵図はこうだった。
今後、競技用蹄鉄やトレーニング用蹄鉄に関しては学園とURAが一括管理するレギュレーションをつくる。
そしてそれを新たに作る装蹄所で一括で管理を請け負う。
装蹄所は蹄鉄を造るスポーツ用品メーカーとURA所属の装蹄師が入り、運営はURAと後輩の会社の折半出資の新会社を設立し、URAからの委託を受ける形で運営をする。
装蹄所の店子として各スポーツ用品メーカーを入れて活動させる形式をとるのだ。
「この形式なら、蹄鉄に関して各メーカーが切磋琢磨して技術的な質も向上するでしょうし、メーカー同士の情報交換もある程度行われるっス。それを仕切るのはURA所属の装蹄師たちですし、URAサイドからは技術委員会の紐付きにしてもらえば今回みたいなことは起きづらくなるっス。透明性も公平性も高められるし、サービスの供給量も増えるので、ウマ娘の皆さんの損にはならないと思うんスよね」
そしてそこに装蹄師の男が入り込むために、後輩は後継者不在のため廃業する予定だった小さな蹄鉄メーカーの買収準備を整えていた。
「で、先輩には店子の会社に行ってもらって、そこを通じてサービスを提供すれば、まぁ今迄みたいに学園内で自由気ままに、とはいきませんが、これまでどおり彼女たちに蹄鉄を供給してもらうことはできるっス。どの蹄鉄を選ぶのかは、個々のウマ娘さんたちやチームトレーナーとの相談で決めていく事っスから」
そこまで話し終えて、後輩は沖野の持ち込んだチューハイの蓋を勝手に開け、ぐびぐびと呑んだ。
「…お前、なんだか壮大な悪だくみしてんな…」
装蹄師の男はため息をついた。
「いや…しかし兄さん、これならば今の仕事をつづけることができるぞ?」
シンボリルドルフがどこからともなく取り出した眼鏡をかけて、後輩が取り出した資料を精査している。
「なんというか…言い方は悪いが、王手がかかって詰んでいたはずの将棋盤に、もう一枚盤をくっつけて、逃げたような絵だな…」
エアグルーヴがよくわからない例えを言い出すが、理解できなくもない。
それほどまでに後輩の描いた絵は悪く言えば荒唐無稽であったし、良く言えば創造的であった。
「これなら、先輩はトレセン学園やURAからは距離を取りつつ、あなたたちへの蹄鉄サポートは続けられると思うっス。ここまでガラッと仕組みを変えてしまえば、世間のよくわからない文句もかわせると思うんスよ。どうっスかね?」
一同は後輩の描いた絵図をそれぞれの立場で検討しながら、唸った。