学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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できたてほやほや
現実逃避してたら書き上がりました。


85:幕間6 トレセン学園史料課研究員の休日 2

 

 

 

「君が調べているのは大学かなんかのレポートとか、そういうことなのか?」

 

 身なりの良い老紳士にいざなわれるままに博物館を後にした下っ端研究員の男は、杖をついて歩くペースに合わせてややゆっくりと歩む。

 

 片足は悪いようだがそれ以外の部分は存外元気らしく、杖を器用に使って歩く老人はとても姿勢が良い。

 

「えぇ…まぁそんなところで。きっかけはまたちょっと別なのですが、調べ物に興味を抱いてくれている人がいまして」

 

 研究員の男は曖昧に返事をした。

 

「…なるほど。その興味を抱いてくれているヒト向けに、あれやこれや調べ物をしてるってわけか」

 

 老紳士の言葉に研究員は少し考え、応じた。

 

「いや、そういうわけでは。調べたものをそのヒトに喜んで欲しいという気持ちも嘘ではないですが、一番は自分の好奇心、ですかね」

 

 研究員は偽らざる本音を端的に表現した。 

 

「なんだ、てっきりコレのために頑張っておるのかと思ったぞ」

 

 老紳士はいたずらっぽい笑みとともに小指を突き立てていた。

 

「あぁ…いや、その方とは立場もなにもかも違いすぎますから」

 

 そう言いながら研究員の男はエアグルーヴ理事長を思い浮かべた。

 

 普段は謹厳実直、時には冷徹とも感じられる雰囲気を纏っており、理事長という雲の上の立場にいるが、ここ最近の一対一のやりとりで感じられたのは金属のような硬い態度の裏側に、寂しさや脆さのようなものが見え隠れする瞬間があるということだった。

 

 そしてその瞬間に研究員の男が艶めかしいものを感じたことも事実だ。

 

 しかし見た目はそれを感じさせないながらも、研究員の男とは親子ほども年齢差があり、さらに組織のトップと下っ端という立場の差もある。

 

 研究員の男個人の嗜好として彼女のことを女性として観ることはあるにせよ、それは恋愛感情というよりも憧れと言ったほうが良いものなのだろうな、と結論付けた。

 

「…あんちゃん、今オンナのこと考えてたな?顔が赤いぞ」

 

 老紳士からずばりと指摘され、研究員の男は慌てた。

 

「まぁまぁそう慌てなさんな…しかしあんちゃん、ちょっとやつれてるな。ちゃんと飯食ってんのか?よし、爺ぃの飯につきあえ。良いところがあるんだ」

 

 

 

 老紳士は東京レース場とトレセン学園の中間あたりにある商店街、その裏通りへと研究員の男を連れて行った。

 そして下っ端研究員の男のような若い男にはややハードルの高い、良く言えば年季は入っていたが小綺麗な雰囲気の、悪く言えば場末のスナックのような空気感の店の前で立ち止まった。

 

「ここだ」

 

 老紳士は慣れた手つきで扉を開けた。

 

「あ、いらっしゃい。今日はまだ仕込み中…って、社長サンか」

 

「もう社長は引退したって言ったろ。今日は若い連れがいるんだが、いいかい?」

 

「社長サンは社長サンでしょ。ってか本名知らないし…大したもんはつくれないけど、それでよければ。どーぞ。はいって~」

 

 店の中から聞こえてくる優し気な声に導かれるがままに、老紳士に続いて店内に入った。

 

 

「狭いとこだけどどーぞ、ってホントに若い子連れてきたね…いいの~?こんなオバちゃんのお店に」

 

 入るとそこはカウンターのみの8席ほどしかない、どこか懐かしい雰囲気を湛えた空間だった。

 

 声の主は妙齢のウマ娘。艶やかな鹿毛が電球色の店内照明によく映える。

 

 老紳士に手招きされるままカウンターに腰掛ける。

 

「なんか栄養のあるもん食わしてやってくれ。俺はいつものやつ、な」

 

「栄養のあるものって、戦後すぐじゃないんだから…って言っても、どうしようかなぁ。好き嫌いとか、ある?」

 

 研究員の男は首を振る。

 

 もとより食への興味が高いほうではないので、とりたててこれが好きというものもないが、食べられないほど嫌いというものもない。

 

「じゃあ、おまかせでチャチャっと作っちゃいますね~。それまでこれで持たせといて」

 

 そういって二人の前には小鉢の突き出しが置かれ、老紳士にはウイスキーと思しき琥珀色の液体、研究員の男にはウーロン茶が入ったグラスが置かれた。

 

 老紳士はグラスを差し向けてきて、それに合わせて研究員の男もグラスをかちり、と鳴らした。

 

「で、社長サン、この子とはどういう関係なの~?まさかお孫さんとか?」

 

 カウンター越しに妙齢のウマ娘が老紳士に話しかける。

 

 研究員の男は盗み見るかのように妙齢のウマ娘を観察するが、年齢はよくわからない。若々しいがこなれた感じというか親しみを感じさせる可愛らしい雰囲気で、矛盾を承知で表現するならばいささかとうが立った看板娘、といったらしっくりくるだろうか。

 

「ん、さっき東京レース場の博物館で行き会った若者だよ。蹄鉄のコーナーで、真剣な目をして長いこと見とった」

 

 へ~え、と老紳士の話を聞いて受け答えする間も、彼女の手はカウンターの下で手を動かし続けている。

 

「ってことは、初対面?お兄さんも変なおじいちゃんに捕まっちゃったね~」

 

 研究員の男は苦笑いする。

 半ば強引にここまで連れてこられていたが、不思議と悪い気はしていなかった。

 

 入ってきたときには気が付かなかったが、店内のほの暗さに目が慣れてくると、背後の壁面には蹄鉄と、レースを駆けるウマ娘の写真が飾られていることに気づく。

 

「これは…」

 

 男が思わず凝視すると、老紳士がにやりと笑った。

 

「このウマ娘なら、ホレ、今、目の前に居るぞい」

 

 老紳士がカウンターにちらりと目線を流す。

 

「もう社長サンやめてよー。もう昔の話なんだから」

 

 写真のど真ん中に映る、ターフを先頭で駆けるクリスマスカラーのような勝負服のウマ娘は、紛れもなく今カウンターで研究員の男の食事を準備している、彼女だった。

 

 

 

「あんちゃんが見ていた蹄鉄やシューズの時代、現役だったのがこの娘さ。歴史の証人だぞ」

 

 社長サンと呼ばれていた老紳士はグラスの中の琥珀色の液体を舐めるように吞みながら、悪戯っぽく笑う。

 

「もうずいぶんと時間が経っちゃいましたね~…まだまだ気は若いつもりではいるんだけど。やだやだ言い回しまでオバサンになっちゃって…」

 

 そういうとカウンターの中で苦笑いをする彼女。

 

「…私がいっくら真剣に走れども走れども、いっつも三着。もう、やんなっちゃうよね~」

 

 その言葉とは裏腹に、飾られている写真は先頭を駆けている。

 

「…それでも一度は、G1取ったじゃないか」

 

 老紳士は穏やかな笑みとともに彼女を讃えるように言った。

 

「残念でした~その頃はまだG2だったんです~そのレース」

 

 彼女は少し恥ずかしそうに、それでもどこか誇らしげに微笑んだ。

 

「って、社長サン、お節介かもしれないけど、こんなところで油売ってていいの?またお付きの人が探しに来ちゃうんじゃない?」

 

 彼女がそう言った刹那、店の扉が勢いよく開いた。

 

「…会長!困りますよ勝手に消えて…!」

 

 黒いスーツにサングラス、短髪オールバックというおよそ堅気には見えない男2人が息を切らして老紳士に詰め寄る。

 

「ホラ~。あんまり部下の人困らせちゃ駄目だよ~」

 

「急いでください!次の予定が…」

 

「仕方ねぇなぁまったく…あんちゃん、ゆっくりしてけ。ここの肉じゃがは絶品だぞ」

 

 老紳士はそれだけ言い残すと、研究員の男を置き去りに、黒スーツにつまみ出されるように連行されていく。

 

「ねえさんすいません!お代、ここに置いときますんで!」

 

 もうひとりの黒スーツがカウンターに万札を数枚置き、慌てて老紳士の後を追っていった。

 

 

 

「あれ。お代多いよ~…って聞こえてないか。あわただしいなぁ…ゆっくりできるときに来てくれたらいいのにね~」

 

 カウンターの中のウマ娘は苦笑いしながら、研究員の男に話すでもなく呟いた。

 

「…あの人はよく来られるんですか?」

 

「時々ね。夜だったり今日みたいに昼だったり。でも、来るたびにいつもこんな感じで帰っていくんだ~」

 

 そういえば研究員の男は、あの老紳士の名前すら聞いていないことに気が付いた。

 研究員の男は老紳士の名前を、カウンターの中の彼女に訊ねてみた。

 

「あぁ~…実は私も知らないんだ。どうも、レース関係者みたいなんだけどね。たまに一緒に来るURAやトレセン学園の人から社長って呼ばれてたから、私も社長サン、って呼んでるんだ。あ、お兄さんはそのまま待っててね。もうすぐできるから」

 

 既にキッチンからは食欲のそそる香りが立ち昇り始めており、研究員の男は香りに反応して胃が蠕動し始めるのを感じていた。    

 

 

「はい、おまたせ~。あり合わせで申し訳ないんだけど…味は、悪くないと思うからさ」

 

 御盆に載せられて定食のような体裁で出てきたのは、山盛りの白米と人参がたっぷり入った肉じゃが、きんぴらごぼうに味噌汁という、独身かつ彼女もいない下っ端研究員の男からは一番縁遠いメニューであった。

 

 研究員の男は手を合わせていただきます、と告げ、勢いをつけて食べ始めた。

 

 

 

 

 

 ご馳走様でした、と手を合わせる。

 

「はい、お粗末様でした~。ほぇ~綺麗に食べたねぇ。オバさん嬉しくなっちゃうな」

 

 手早く下げられたお盆と引き換えに、温かいお茶と灰皿が出てくる。

 

「食後の一服して、ゆっくりしてね~」

 

 食器を手早く洗いつつ、彼女は夜の仕込みなのだろうか、調理の手を止めることはない。

 

 気遣いに有り難く煙草を取り出し、火を点けた。

 

 改めてゆっくり店内を見回すと、先ほど話題になった写真の横に飾られている蹄鉄に目が留まる。

 

 研究員の男は立ち上がって、蹄鉄に目を凝らした。

 

 先ほど博物館で見た蹄鉄と、どことなく似た雰囲気を感じる。

 

 量産品にはない槌痕がはっきりと残っており、生々しささえ感じるその蹄鉄は、彼女の走りをしっかり受け止めたのだろう。接地面は磨り減ってしまっている。

 

「その蹄鉄を履いて、その写真のレースに出てたんだ。私史上唯一のG1勝利…ってその頃はG2だったんだけどね」

 

 先ほどの老紳士との掛け合いは、彼女にとって今は持ちネタのようなものなのだろう、と研究員の男は思った。

 

「…私、ずーっと勝てなくてさ…おっきなレースで三年連続三着とか嬉しくない記録まで作っちゃって…もう勝てないのかなー…なんてちょっと腐りかけてたところに、その蹄鉄が届いたんだ」

 

 気が付くとカウンターの中の彼女は手を止め、蹄鉄を眺める研究員の男の背中に語り掛けていた。

 

「送り主はわからなかったんだけど…たぶん、一度だけ話したことのある装蹄師の先生だと思うんだ。試しに着けてみたら、最初はちょっと変な感じだったんだけど、だんだん馴染んできて」

 

 研究員の男は蹄鉄から視線を離さぬまま、背中越しに彼女の話に聞き入っていた。

 

「その蹄鉄を着けて走った3戦目、だったかな…作戦がぴったりはまって、蹄鉄の感触も良くて…たぶん3年ぶりくらいに、私、レースで勝てたんだ」

 

 振り向くと、彼女は暖かみを感じる微笑みを湛えていた。

 

「あ、ごめんね。オバさんの昔語り。ウザいよね~こういうの」

 

 研究員の男を見て我に返ったのか、急に取り繕うように苦笑いを浮かべる。

 

「いえ、思いがけず貴重なお話が聞けて…今凄く驚いていて」

 

 研究員の男は、慌てて自らのトートバックの中を探りながら話し始める。

 

「今、ずっと調べていることがあって…これ、なんですが…」

 

 研究員の男は今朝までの進捗メモを出力した紙束を取り出し、手渡す。

 

「その、一度だけ話したことのある装蹄師の先生、というのが…が、学園の装蹄師のひと、なのではないかと思いまして…」

 

 研究員の男が手渡したこれまでの研究サマリーを、カウンターの中で彼女は手早く斜め読みして、内容を把握してくれた。

 

「…この、スズカの蹄鉄をつくった装蹄師を探してるってこと?」

 

 探してるのか、と問われればそうなのだろう。

 だが、研究員の男に装蹄師の男と直接会う、という発想はなかった。

 彼が何を成し、彼女たちとどういう関係で、今わかっていることの裏にどのようなことがあったのか。それが彼の興味の対象だった。

 ある意味、完全に歴史として扱っているのだった。

 

「…残念だけど、私も会話したのはほんとに一度きりなんだ。今はどこで、何をしているのか…この資料にまとめられてることがあったのは事実だし、その時、先生が巻き込まれたのも知ってるけど…」

 

 耳をしおれさせながら、うーん、と彼女は唸る。

 

「…そう。思い出してきた。確か、突然いなくなっちゃったんだ。学園の工房が閉鎖された、そのすぐあとに…」

 

 彼女は研究員の男にペンを求め、資料に書き込んでいいか確認を取った後、時系列にまとめられた資料に綺麗な字でいくつか書き込んだ。

 

 それは工房の閉鎖時期と、装蹄師の男が消えた時期、そして彼女に蹄鉄が届いた時期である。

 

「私が先生についてわかるのは、これくらい…かな」

 

 そういうと、紙束を整えて研究員の男に戻した。

 

「まぁ、その蹄鉄が先生のかどうかは、わからないんだけど…たぶん、そうなんだと思う。先生と近かったウマ娘のところにも、時々同じように届いてたみたいだから」

 

 研究員の男は紙束を受け取ると、再び、蹄鉄に注目した。

    

「その、先生との一度きりの会話ってのも…ね、所属チームが決まらなくて、集団の夏合宿に行ってた時の夜で…アタシの悩みを聞いてくれて、先生も、自分の話をしてくれて…その合宿のときにたまたま指導役だったトレーナーがチームをつくるつもりだ、ってこと、こっそり教えてくれて」

 

 彼女は懐かしそうに瞳を細めた。

 

「…その話を聞いて、合宿最終日にトレーナーにアタックして…なんとかチームに入れてもらったんだ。そのおかげで、デビューできて、レースにも、たくさん…成績はパッとしなかったけど、目いっぱい走らせてもらえたんだ…だから、さ」

 

 彼女は唐突に言葉を切る。

 研究員の男は振り向いて、彼女と視線が交わった。

 

「もし…もし、装蹄師の先生に会うことができたら、その時は…ここにも連れてきてくれないかな。いっぱい…めいっぱい、サービスするからさ」

 

 そう研究員の男に話す彼女の瞳は、うっすらと涙を湛えているように感じられた。

 

 

 

 

「お代はいーよ。社長サン、いっつもあんな感じで帰るから、お金いっぱい置いてってくれるんだけどお釣り渡すタイミング無くてさー。結局、社長サン貯金がたまっていく一方なんですよ」

 

 代金を払おうとする研究員の男に、彼女はそう言って受け取ろうとしない。

 

 そういえば、あの老紳士にも礼を言わねばならないが、どうしたらよいだろうか。

 

 彼女に訊ねてみても、どうやら連絡先もわからないらしい。

 

「まぁでも社長サン、時々ここに来るから。お兄さんも気が向いたらまた来てよ。そしたらまた、会えるかもよ」

 

 なんとも飲み屋らしい彼女の返事に、研究員の男は少し大人になったような気がした。

 

 店を出ると、すでに夕方近い。

 

[ 喫茶&スナック ブロンズ ]

 

 おいしいものが食べたくなったら、またここに来よう。

 

 研究員の男は未だ慣れぬこの街にひとつ、通うべき場所を見つけた気がした。

 

 

 

 




今回の話はもともとイメージしていたものから、皆さんのコメントを参考に色々要素を追加して書かしていただきました。

いつもコメント、文字校正、それに評価まで多数の方にいただいており、励みになっております。
いつもありがとうございます。

  
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