夜陰に乗じてトレセン学園の敷地を後にした大型セダンは、装蹄師の男が過ごした街を静かに、滑るように通り抜け、離れていく。
「…で、俺をどこに連れていくんだ?」
装蹄師の男はセダンの後席に深く座り込んで腕を組み、まっすぐ前を向いて動かない。
「…とりあえず、身を隠してもらうっス。仕事は続けられる設備のあるところを用意したっス」
装蹄師の男はふん、と鼻を鳴らして、そのままじっと窓の外を眺めていた。
中央高速を走り、東京と山梨の県境あたりで一般道に降りたセダンはそのままひと気のない山奥へと進んでいった。
さして広くない峠道を横幅の広いセダンをするすると操り登らせていく運転席の若者は、よほど後輩の仕込みが良いと見える。すでに道には街灯もなく、頼れるものはヘッドライトの灯りのみというような道だ。
それにしても随分とひと気のない場所まで来たものだ。
「…このまま山の中に俺を埋めようってんじゃねぇだろうな?」
装蹄師の男はさすがに気になって、口を開いた。
「やだなぁ先輩。そんなわけないじゃないっスか」
そんなやりとりをしている間に、クルマは舗装された峠道を逸れ、未舗装の林道のようなところに入っていく。
こうなるとさすがに装蹄師の男も冷や汗が出てくる。
「あ、ここっスね」
速度を落としたクルマのヘッドライトがなにか、旧い工場のような建物を照らしている。
ゆっくりとそこへ近づくと、運転手はクルマを止めた。
運転手の男はクルマを降りて建物に近寄ると、建物のあかりを灯し、電動シャッターを開ける。
「お…おぉ…」
外観は古い廃工場のようだったが、中はそれなりに綺麗で広い。まるでコンクリ打ちっぱなしの体育館のような空間だった。
運転手の男が戻ってきてクルマごと中に乗りつける。
中ほどまで入ったところでクルマはとまり、後輩と装蹄師の男はクルマを降りた。
奥には軽トラとワンボックスが1台ずつ停められており、その横には男の作業スペースと思われる空間があった。
ガス炉や金床、ベルトハンマーなどの機材がずらりと設えられている。
「すっげぇな。秘密基地みたいじゃねえか」
装蹄師の男は目を瞠る。
「設備の方は廃業した野鍛冶の工房から根こそぎ移植したんスよ。建物は、その昔林業で使ってた作業場の転用で」
そういうと後輩は運転手の男に指示し、装蹄師の男の荷物をクルマから降ろさせると、奥へと誘う。
「奥に生活用の部屋をつくったんで、生活に不自由はないと思うっス。そこの2台のクルマも自由に使ってください」
後輩が部屋をあける。
工場の建物の中にさらに部屋を建てた、という出で立ちの外観だったが、中はしっかりと住居用のスペースとなっており、後輩の配慮なのだろうか、これまで男が住んでいたトレセン学園の寮と全く同じ間取り、大きさが再現されていた。家具も全く同じとはいかないが、ほとんど似たようなものが置かれている。
部屋から運転手の男をさがらせ、後輩は冷蔵庫からビールと茶を取り出すと、茶を装蹄師の男に差し出す。
装蹄師の男はついさきほどまで居た空間に戻ってきたかのような錯覚を覚えるが、僅かに香る新築の建材の匂いが、その願望のような錯覚を打ち消した。
二人はダイニングチェアに腰を下ろし、煙草に火をつけ、一服する。
「…で、これからどうしようってんだ?」
装蹄師の男は改まって後輩に問うた。
「…とりあえず、先輩にはここで仕事をしてもらうっス。これからURAと詰めますが、そう間をおかずに先輩の仕事には問題がなかったというプレスリリースが出ます。同時に、URA管轄の装蹄所を新設する、という内容も発表される手筈っス」
装蹄師の男は煙を吹きあげながら続きを促した。
「装蹄所はウチとURAの折半出資の会社に運営が委託されるっス。そこに蹄鉄メーカーを店子として入れて、URAの装蹄師とともに彼女たちに蹄鉄に関するサービスを提供するっス。まぁこれまでとは違ってスポーツ用品メーカーの宣伝という側面が出てきますが、まぁそれは彼女たちへのサービスの対価という奴で」
後輩はビールの缶を開けるとぐびぐびと呑んだ。
「で、先輩の方は俺が出資する匿名投資組合が買収する潰れちまいそうな蹄鉄メーカーの事業所、つまりココで仕事をしてもらうっス。表面上は、装蹄所の運営とは何の関係もない、そういうことになるっス。そしてもちろん、その蹄鉄メーカーは装蹄所の店子でもある、という訳で。彼女たちへのアクセスは装蹄所を通じて、可能っス」
そこまで聞いて装蹄師の男は煙草をもみ消し、次の煙草に火を点ける。
「それ、商売になんのか?お前が赤字垂れ流すことになるんじゃねえのか?」
装蹄師の男の指摘に後輩は薄く笑う。
「…商売の基本って、知ってるっスか?」
装蹄師の男はきょとんとして首を振る。
「三方よし、っていうんスけどね…自分良し、相手良し、世間良し、っていうヤツなんすけどね。俺んとこはURAに関係持って良し、先輩は仕事を続けられて良し、ウマ娘の皆さんはサービス向上して良し、世間も納得して良し…あ、これじゃあ四方か…とまぁ、幸せの総和が大きければ大きいほど、良いっていう考え方っスね。これができていれば、まぁ利益の方はあとから付いてくるもんっス」
まぁ、親父の受け売りっスけどね、と後輩は苦笑いを浮かべた。
「…ただ、ひとつだけ、俺はよしにできなかったコトがあるんス。それはどうしても、先輩の力を借りなければいけないことなんスよ」
後輩は改まった口調で装蹄師の男に迫った。
「…なんだ?それは。できることはやるぞ」
装蹄師の男は煙草に火を点けながらこともなげに言った。
「…つくづく鈍いっスね、先輩も…。今日、誰と最後の晩餐を囲ったんスか?」
「?」というマークが頭上に出ているかのような表情の装蹄師の男。
ここまですっとぼけられるのも才能だな、と後輩の男は思った。
「今夜、あの部屋に集まったウマ娘たち。彼女たちの心だけは、俺ではどうにもできないっス。先輩が彼女たちに誠意を見せないことには、この一連の計画も立ちいかないっス」
装蹄師の男の煙草がじり、と音を立てた。
「…とはいえ、俺には鉄を打つことしかできんよ」
装蹄師の男はある種の諦観を浮かべた表情で呟く。
「…なら、それでいいんじゃないスかね」
後輩はにこりともせずに続けた。
「先輩がそう言うなら、彼女たちを想って鉄を打ってやってくださいよ、彼女たちのために。それなら、きっと伝わると思うんスよ。良いじゃないですか、それがこの工房での最初の仕事っス」
後輩は出資者の顔でそう、装蹄師の男に告げた。
皆さまご無沙汰いたして申し訳ございませんでした。
仕事が大変に大変な状況でしてここしばらく全く手がつけられない日々でした。
とりあえずは一山超えましたので短いながらも投稿を再開させていただきます。
引き続きよろしくお願いいたします。