学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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大変お待たせいたしました。
大変な難産でありました…

引き続きよろしくお願いします。


87:山奥での目覚めと後輩の覚悟

 

 

 

 

 後輩に新たな工房に連れてこられた翌日、男は部屋に差しこむ朝日の明るさで目が覚めた。

 

 起きて部屋を見回してみても、昨日まで居た部屋によく似ており、一瞬どこで目を覚ましたかわからない。

 

 しかし所在地の標高からくる底冷えと、窓から見える景色が全く違っていたことで、昨夜のことは夢ではなかったことを改めて認識した。

 

 新品の建材の匂いのする部屋で今日の一本目に火を点け、遠慮なく煙を吹かしながら、ぼうっと考える。

 

 後輩は自身の遠大な計画を商売の基本になぞらえて説明した。

 そこまでの気配りをしてもなお、満たせなかったものがある、とも。

 

 そしてそれは、本来であれば、装蹄師の男自身が対処するべきことである。

 

 装蹄師の男は煙草を吸いながらベランダに出た。

 

 山の空気は冷たく、その分濃く感じられる。

 

 その空気で肺を満たすと、遠く山の下方に見える平野を見渡す。

 

 朝靄に遮られたその先では、今日も彼女たちが、それぞれの夢に向けて走り出しているはずであった。

 

(あいつらのために、か…)

 

 煙草を数口吸って部屋に戻り、短くなった煙草をもみ消すと、持ってきた荷物の中からノートとPCを取り出し、彼女たちひとりひとりを思い浮かべながら、蹄鉄をスケッチしイメージを書き出した。

 

 装蹄師の男は時間をかけ、とりあえずの思い付きをノートに表現しつくしてしまうと、今度は部屋を出て、新たな工房の中を巡ることにする。

 

 昨夜はさっと見ただけだったが、良く見てみれば部屋と同じように、設置されている設備もおおよそ学園の工房に準じたもののようであった。

 

 炉やベルトハンマーなどの形式や古さ、くたびれ具合まで同じようなものが揃えられている。もちろん、その見た目に反して整備は完璧に行われていた。

 

 廃業した野鍛冶の工房から移設した、と言っていたが、それはおそらく後輩の気遣いであろう。

 

 工房の入り口付近には資材庫が備えられており、中を改める。

 

 おおよそ普段、造蹄に使用する副資材はもとより、さまざまな種類の鋼材が整理されてラックに収められ、すぐに使用可能な状態で揃えられている。

 

 棚には後輩の会社の特殊鋼部門の人間の名刺が貼り付けられており、連絡すればそう間を置かずに資材を届けてくれるらしい。

 まさに至れり尽くせり、といってよい環境であることを改めて確認した。

 

 これだけのものを集め、準備するには相当な苦労があったに違いない。それを昨夜、さらりとあのように流して表現してみせた後輩の気持ちが、今更ながらに伝わってくる。

 

 そして私財をなげうって装蹄師の男本人の社会的な問題だけでなく個人的な関係までも背負い込む覚悟で、この状況をつくりだしてくれている。

 

 全く、とんでもない借りを作ってしまったものだ、と思う。

 

 同時に、自身も後輩の絵図のピース、その中のひとつにすぎない、という乾いた認識もあった。

 

 そこまで考えて、ウェットな部分とドライな部分を兼ね備えてバランスをとってみせた後輩という人間の大きさを改めて感じざるをえない。

 

 ならば自分は自分で、身の丈にあったスケールで応じるしかないな、と自らに言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 装蹄師の男が新たな工房で決意を新たにした翌日の午後、後輩はトレセン学園の生徒会室に居た。

 

 周りには、あの夜に装蹄師の男の部屋に集っていたウマ娘たちが揃っている。

 

 装蹄師の男とあの夜以降連絡がつかないことに気づいたシンボリルドルフが男の部屋を訪ね、そこはもう男の棲み処ではないことに気づいたことが発端であった。

 

 駿川たづなはシンボリルドルフの問い合わせに関して昨日一杯はごまかし続けたが、その翌朝には部屋に集っていたウマ娘が顔を揃えて理事長室に押し掛けた。そうなってはもう、ごまかし続けることはできなかった。

 

 理事長室で装蹄師の男の退職を知ったウマ娘たちは、それぞれの感情をその場ではどうにか押し留め、事情を知るであろう沖野、東条ハナ、そして後輩にそれぞれ連絡を取った。

 

 しかし沖野はただ、あいつを信じてやれというのみで埒があかず、東条ハナは気丈に振舞ってはいたが、その瞳からは光が消えており問いただすのも気が引けるほどに血色がなかった。

 

 エアグルーヴからの連絡を受けた装蹄師の男の後輩だけが、いつものように軽やかに今からそちらへ向かう、と受け答え、そう間を置かずに生徒会室に姿を現したのだった。

 

 

 

「…どういうことだか、説明してもらえるだろうか」

 

 エアグルーヴが代表するように、心まで凍るような声音で言った。

 

 部屋の主たるシンボリルドルフは、あの夜とは打って変わった皇帝そのものの威厳を放ち、生徒会長の席に座り後輩の男を射抜かんばかりに見据えていた。

 

 その傍らにはエアグルーヴが立ち、席の正面にあるソファにはアグネスタキオン、サイレンススズカが感情の感じられない瞳で後輩を見つめている。

 

 唯一、ゴールドシップだけがその雛壇からやや距離を取り、コトの成り行きを見守っていた。

 

「…先輩には、消えてもらったっス」

 

 こともなげに後輩は言った。

 

「…つまり、貴様が先生を連れ去った、と?」

 

 エアグルーヴは耳を前に倒し、今にも襲い掛からんばかりの気迫を内に秘めたまま、言った。

 

「ええ。それが計画に必要だったものっスから」

 

 エアグルーヴの気迫を感じながらもそれに動じることなく、あくまでも世間話のような様子で受け答えをしていく。

 

「貴様が我々に語った話は、嘘だったのか?」

 

 後輩の男は苦笑いを浮かべると、首を振る。

 

「嘘ではないっス。先輩にはあの絵図の通り、小さな蹄鉄メーカーに移ってもらいました。ただ…」

 

「ただ、なんだ?」

 

 アグネスタキオンが先を促す。

 

「…先輩にはあくまで、行方不明になってもらわないといけないっス。それが先輩が仕事を続けるための唯一の条件なんス」

 

 そこまで一気に言ってしまうと、後輩はソファにもたれ、傲慢に脚を組んだ。

 

 ウマ娘たちは彼の言葉の真意を測りかね、黙り込んだ。

 

 それまで瞑目し、だまって聞いていたシンボリルドルフが瞳を開く。

 

「…それが理事会との約束。そういうことか」

 

 シンボリルドルフがゆっくりとそう問いかけ、沈黙を破った。

 

 後輩はシンボリルドルフから刺さる視線を痛いほど感じ、そして覚悟を決めた。

 

「…学生の身分であるあなたがたが知る必要のないこと、っスね」

 

 後輩は彼にできる、できるだけ尊大な態度で、あしらうように言い放った。

 

「なんだかんだ言って、現実ってぇのはきれいごとばかりじゃないんスよ。大金が動き、利権があり、群がる人間がいて。コンテンツを提供する側と消費する側、その間にいる人間が差益を得る。レースという書き割りで綺麗に整え、見せたいものを見せていく。エンターテイメントって、そういうもんじゃないスか?」

 

 煙草を銜え、火を点けずに杖を使って立ち上がり、シンボリルドルフの机に歩み寄る。

 

「あなた方は整えられた舞台の上で精いっぱい、踊ってくれればいい。対価は賞金だ。そしてそのための労は惜しまない人たちが、それを支える。良いじゃないスか、それで。それ以上何をお望みなんスか?」

 

 後輩は皇帝の威圧感に敢えて挑みかかるように畳みかけた。 

 

 しばし視線を交わし合ったのち、後輩は背を向け、ドアに向かって歩いた。   

 

 ドアノブに手をかけ、呟く。

 

「…これからも先輩からの必要な支援はあなたがたの手元に届くっス。今はそれで、我慢してください」

 

 それだけ告げると、部屋から退出した。

 

 

 

 

 後輩が退出した生徒会室は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 

 誰もが、装蹄師の男が居なくなり、再び彼女たちの目の前に現れることはないという現実を噛みしめいていた。

 

 俯いていたサイレンススズカが、しゃくりあげながら静かに泣き始めるまで、そう時間はかからなかった。

 

「…私の…せい…です…ね…」

 

「それは違うぞ!」

 

 サイレンススズカが告げた言葉を、エアグルーヴは即座に否定する。

 

「いいえ…私が…怪我さえしなければ…」

 

 俯いたスズカのスカートに、ぽつぽつと涙の染みが浮かぶ。

 エアグルーヴが歩み寄り、静かにスズカを掻き抱いた。

 

「…会長、このままでいいんですか?」

 

 エアグルーヴは腕にスズカを抱いたまま、シンボリルドルフに問う。

 

 シンボリルドルフは腕を組んで、動かない。

 

「…まぁ、後輩クンの言う事も一理ある。それでも我々は走るしかない、そういう役回り、さ」

 

 アグネスタキオンは力なく、諦めを含んだ微笑を浮かべながら言い放った。

 

「…私は…私は今の気持ちでは、レースなぞ走ることはできない…」

 

 エアグルーヴは苦い表情で呟く。

 

「おや、では引退でもするというのかい?装蹄師の彼が居なくなったくらいで。君のレースへの情熱はその程度だったのかい?女帝ともあろうものが、嘆かわしい」

 

 タキオンがエアグルーヴを揶揄うように応じる。

 

「…アグネスタキオン…貴様…」

 

 エアグルーヴがぎり、と奥歯を噛みしめる。 

 

「おいおいやめねーか。そんなことしてもおっちゃんは喜ばねーと思うぜ?なぁ会長」

 

 ゴールドシップが止めに入る。

 話を振られたシンボリルドルフは、ゴールドシップがこちらを不自然にニヤニヤと眺めていることに気が付く。

    

「…なるほど。ゴールドシップにもそう見えたか」

 

 シンボリルドルフは引き絞られていた耳がもとに戻っていく。

 

「あぁ。間違いねーよ、ったく、さっすがおっちゃんの後輩ってだけあるぜ。一瞬アタシもあれが本音かと信じそうになっちまったもんな!」

 

 シンボリルドルフはくすくすと笑いだす。

 

「…あぁ…私にあれだけ睨まれて引かないというのは、彼も大した男だとは思うよ」

 

 ゴールドシップはさきほどのシンボリルドルフの眼力を思い出し、背筋が冷やりとする。

 

「会長もヒトが悪いなぁ。だったら助けてやればよかったじゃねーか」

 

「いや、私も可能性のひとつとしては思い浮かべていたがな…どうにも感情のほうが勝ってしまっていた。まだまだ鍛錬が足らないようだ」

 

 二人のやりとりを聞いていたアグネスタキオンも笑い出す。

 

「くっふふ…やはりそうなのか。後輩クンもあれでなかなか、芯の強い男だねぇ…」

 

 彼女たちのやりとりを聞いていたエアグルーヴは、わけがわからずに三人を見回す。

 

「…ど、どういうことですか会長!スズカもここまで泣いているというのに、何が可笑しいんです!」

 

「鈍いなーベロちゃん!」

 

 ゴールドシップが悪ノリしてエアグルーヴの綽名を口にする。

 

「すまんすまん…まあ、後輩の彼も本気だということ、だよ。そしてさっきのあれは、彼なりの私たちへの気遣いが生んだ演技さ」

 

「え、演技…ですか…?」

 

「そう。演技だ。彼の言ったことに嘘はないさ。おそらく、彼の描いた絵図通りに、兄さんは学園を離れて、新たなところで蹄鉄を打ち続けるのだろう。そして我々が兄さんと逢うことができなくなるのも、そうなのだろう。だが、後輩氏は我々にすべてを話してURAと対立させたりしたくはなかった。だから…さっきの演技で、私たちが彼を憎むように、仕向けたのさ」

 

 エアグルーヴは絶句している。

 

 そしてサイレンススズカは、泣きはらした瞳でシンボリルドルフの言葉を聞いていた。

 

「だからスズカも泣くこたーねーんだぜ。おっちゃんはおっちゃんなりに、私たちのことを考えて、こうしたってこった」

 

 ゴールドシップは荒っぽい言葉遣いとは裏腹に、優し気な声でサイレンススズカの頭を撫でる。

 

「だから、エアグルーヴ…私たちが彼らに報いるためにはどうするべきか…わかるな?」

 

 シンボリルドルフはエアグルーヴに柔らかな声で問いかけた。

 

 エアグルーヴは芯の強い瞳で、頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 





■本作を楽しんでくださっているSkyjack02さんが装蹄師のおっちゃんキャラをベースにした装蹄師さんを出演させてくれております(20話~)。そちらも是非何卒、よろしくお願いいたします!

「トレーナーは『青空《スカイ》』が見えない」
https://syosetu.org/novel/273727/
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