学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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89:速さは、孤独か

 

 

 

[ 早速届いたよ!先生からの蹄鉄が! ]

 

 久しく沈黙していた鉄の会のチャットルームに、アグネスタキオンのコメントが書き込まれた。

 

[ 私の方にはまだ来ていないが。]

 

[ 会長もですか。私のところにもまだ… ]

 

[ あんだよーなんでゴルシちゃんとこにまだこないんだよー ]

 

 瞬時に沸き返るチャットルーム。

 

[ アグネスタキオン、君のところにはどんなモノが届いたんだ? ]

 

 シンボリルドルフからの冷静な質問が入る。

 

[ 練習用の蹄鉄なのだけれどね。一定の力以上がかかると破断するのさ。安全にね。そうなることで私は自分の脚の能力向上と同時に負荷の増大に気づくことができるという仕掛けさ。一種の安全装置だね。これは彼が私の脚をそれだけ気遣っているという証拠のようなもので、造りこそシンプルだが蹄鉄にかかる力を正確に見抜けなければ設計すらできないし、さらに加工となると素材の鍛錬度合いから推定して応力の限界点とせん断ひずみエネルギーを直観的に見抜いて造られたまさに私のためだけに造られた一品だよ。いやぁウマ娘冥利に尽きるねぇ… ]

 

 明らかにテンションがブチ上がっているのがぎっしりと詰め込まれた文字の羅列から推測できる。

 今のアグネスタキオンは完全に舞い上がっているようだ。

 

[ それで君が走る気になるのなら、兄さんも喜ぶだろうな ]

 

 

 

 冷静にそうコメントを入れたシンボリルドルフの心中は、いかばかりか。

 

 

 自らもまた、焦燥感に身を焼かれるような思いに駆られながらも、エアグルーヴは静かにシンボリルドルフの心中を慮った。

 

 

 

    

 

 

 

 

 装蹄師の男はアグネスタキオンの蹄鉄を仕上げた翌日、早速次の蹄鉄の仕込みに入った。

 

 いくつかの鋼材を資材庫から取り出し、組み合わせを考える。

 

 次に造るのは、サイレンススズカの蹄鉄だ。

 

 以前造った蹄鉄も試行錯誤の末に生まれたが、今回は以前のコンセプトはそのままに、さらに進化させるつもりでいた。

 

 そのためには、これまで以上に下準備が欠かせない。

 

 装蹄師の男は二種類の鋼材を鍛接するために使用する薬剤の製作にたっぷりとその日を費やした。

 

 

 

 翌日、選び抜いた鋼材二種類を並べて熱し、昨日用意した薬を接合面にさっと振りかける。

 

 薬剤は溶けてガラスのような様相となり、そこに鍛接するもう一種類の鋼材を乗せ、槌で叩いて接合させていく。

 

 接合面の薬を追い出すようにしっかりと叩き込み、二種類の鋼材を一体化させ、伸ばしていく。

 

 昨日の薬づくりに新たな手法を取り込んだこともあり、以前製作した時よりも鍛接の成功率は向上させることができた。

 

 以前の怪我のこともあるので、ペースは落とし気味に作業することにして、その日は鍛接した鋼材を5セットほど仕上げたところで打ち止めとした。

 

 

 

 3日目にしてようやく、蹄鉄自体の製作に入る。

 

 鍛接した二種類の鋼材に慎重に熱を入れ、慎重に蹄鉄を叩きだしていく。

 

 今回イメージしているものは、ただ二種類の鋼材を使い弾性と剛性を兼ね備えるだけでなく、さらに工夫をくわえ、蹄鉄を形作る構造そのものにも衝撃吸収機能を設けよう、という試みだ。

 

 それを精緻に実現するためには、これまでの経験だけでは足りなかった。

 

 イメージを形に落とし込むことを可能にしたのは、イクノディクタスの蹄鉄で悩んでいた時に天才珍奇美ウマ娘ゴールドシップ神が授けてくれた「大きく叩き出し、削って合わせる」手法があってこそである。

 

 じっくりと形状を詰め、80%程度の精度で叩き出したところで終わりにして、次の蹄鉄に取り掛かる。

 

 そうして用意した鋼材で蹄鉄もどき5対を仕上げたところで、その日の作業は終了した。

 

 

 

 4日目、叩きだした蹄鉄を削り、大きさや形状を狙い通りに仕上げていく。

 

 ひとつずつが鍛接した素材から手作業であるため、蹄鉄ひとつひとつが2種類の鉄の厚みに僅かな違いがある。それもこの局面でできるだけ品質を揃えていく。

 

 目標のイメージに一番近いものをマスターとし、他の叩き出し蹄鉄はそれを目標に切削することにして、まずはマスターモデルを完成させるまでに午前一杯かけていく。

 

 午後はそのマスターに沿って他の蹄鉄もじっくりと調整を重ねて仕上げる。

 

 以前のモデルならばここでほぼ完成となり、表面仕上げなどの詰めに入るところだが、今回はさらにもう一工程入れるため、ほどほどのところでその日の作業を切り上げた。

 

 

  

 5日目は、未知の領域に着手した。

 

 昨日まででほぼ完成した蹄鉄に、さらに剛性をコントロールし、衝撃を和らげるように機能させるための横穴をあけていく。

 

 軽量化と左右の重量合わせのために穴をあける加工をすることはこれまでもあったが、蹄鉄自体に適度なしなりを持たせることを目的として穴をあけることはこれまではあまりしてこなかった。

 

 また、この手のセッティングは本来であれば個人の好みも入ってくる部分であるため、コミュニケーションが重要になる部分でもある。

 

 しかし今の装蹄師の男の立場ではそれは叶わぬことであるし、第一サイレンススズカ自身は怪我で療養中であった。蹄鉄に関して走って試せる状況ではない。

 

 なのでここは開き直って、あくまで装蹄師の男がイメージする剛性感と衝撃吸収能力を与えることにする。

 

 また、スズカが走れるようになる日を彼女自身が心待ちにするような、美しく、彼女の緑の瞳に映えるような蹄鉄に。

 

 そんな感情を込めて、装蹄師の男は鉄の粉にまみれながら蹄鉄に穴を穿ち、磨き上げていく。

 

 慎重に、熟慮を重ねて行う作業に男は時間を忘れて作業に没頭した。

 

 

 

 すべての蹄鉄を研磨して鏡面に磨き上げ、仕上がる頃には6日目の陽が空に昇りはじめていた。

 

 

 

 

 

 

「スズカさーん、なにかお届け物が届いてますよー」

 

 夕方から夜と呼ぶべき時間帯へ移ろおうとするころ。

 

 トレーニングから帰ってきたスペシャルウィークが木箱を抱え、部屋に戻ってきた。

 

 静かに読書をしていたサイレンススズカは、スペシャルウィークを暖かな笑顔で出迎えると、その木箱を受け取った。

 

 木箱に貼られたラベル、その発送元はサイレンススズカとは縁のない、大手の蹄鉄メーカーの名が記されている。

 

「これは…?」

 

 ずっしりとした重さが感じられる木箱を丁寧に開ける。

 

 中には緩衝材に埋もれて、蹄鉄がおさめられていた。

 

 緩衝材を払い、目線に持ち上げてよく観察してみる。

 

 となりで見ていたスペシャルウィークが感嘆の声をあげた。

 

「わぁ……」

 

 その蹄鉄は磨き上げられ、普段目にする蹄鉄とはあきらかに違う雰囲気を放っていた。

 ところどころに穿たれた穴の中まで、隙なく鏡面に仕上げられ、鈍い光を放っている。

 

「スズカさん、これって…」

 

 スペシャルウィークはスズカの手元を覗きこむと、目を丸くする。

 語り掛けられてもそれが耳に入らぬほどに、サイレンススズカはその蹄鉄に魅入っていた。

 

 今年の彼女の快走を支えた二種類の鋼を接合してつくられていた蹄鉄。

 

 そのくっきりとした二層に分かれる側面の紋様はそのままに、不規則に穴が穿たれて鈍く光るさまはある種の有機的な、洗練された生物のような機能美と力強さを纏っていた。

 

「…綺麗……」

 

 サイレンススズカは自らのエメラルドグリーンの瞳が表面に映りこむほどに近づき、眺める。

 

 鋭さと柔らかさ。

 

 一見相反する要素を兼ね備えた蹄鉄であることは、同じ人物の手で造られた蹄鉄を履いて走ったスズカ自身が一番良く知っている。

 

 そしてそれを履いて走ったレースの、胸のすくような気持ちのよい走り心地もまた、彼女だけが知る感覚だった。

 

 蹄鉄の温度を指先で感じたまま瞳を閉じれば、その感覚はすぐに思い出せる。

 

「…先生…」

 

 その蹄鉄を造った人物の表情を思い出す。

 

 不愛想で不器用でとっつきづらく、いつも何を考えているかわからないようなひと。

 

 でも、話してみれば返してくれる言葉は多くないけれど、その奥に暖かな安心感を抱かせてくれる存在。

  

 そして先生と話した工房の、あの空間。

 

「…っ…」

 

 今や永遠に喪われてしまった。

 その事実に思い至り、ぎゅっと胸が締め付けられるような苦しさを覚える。

 

 

 それでも…それでも、あの空間の主が新たに私に与えたもうたのは、あの工房で生み出された蹄鉄よりも、さらに洗練された、この蹄鉄。

 

 それが今、自分の手の中にある。

 

 

 表面の、ひんやりとして滑らかな肌触りの奥にある、芯のしっかりとした、硬く、それでいてどこか安心感を与えてくれる重さ。

 

 それは、あの時触れた装蹄師の男の指を思い起こさせた。 

 

「…スズカさん…」

 

 ここ最近の様々な思いに浸るように瞳を潤ませるサイレンススズカを、スペシャルウィークはそっと気遣う。

 

「…大丈夫よ、スペちゃん」

 

 目じりの涙をそっと指でぬぐい、サイレンススズカは微笑む。

 

「…でも、走りたくなっちゃうわね、この蹄鉄を着けて、早く…」

 

 スズカのその言葉に、スペシャルウィークは顔色を変える。

 

「まだダメですよ!スズカさん!焦っちゃダメなんです…!」

 

 スペシャルウィークの狼狽ぶりも、今のスズカには微笑ましい。

 

「冗談よ、スペちゃん。この蹄鉄をしっかり使いこなせるように、まずはちゃんと治さないと、ね」

 

 胸に蹄鉄をかき抱くと、締め付けられていた苦しさが和らぎ、静かに、小さく、しかし熱量の高い炎が宿る気がした。

 

「私の速さは、孤独なんかじゃないって…もう…解かったから…私、もっと速く、駆け抜けてみせますっ…」

 

 サイレンススズカは瞳を閉じて、蹄鉄に誓いを立てるように、呟いた。 

 

 

 

 

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