ジャパンカップ。
東京レース場で開催する日本の国際G1である。
近年では日本のウマ娘たちが勝利を挙げることが多いが、今年もアメリカ、フランス、アイルランド、イギリス、ドイツと様々な国から名馬が集まった。
その中で最も注目を集めたのはエアグルーヴ。
マイル距離を主戦場としてきた女帝がジャパンカップの舞台に降り立ったことに、ファンはそれだけで大興奮だ。
各国のウマ娘たちも、勿論日本のウマ娘たちも、女帝エアグルーヴを徹底的にマークする。
しかし―――
「圧倒的な実力差でレースを制したのは我らが日本の女帝! エアグルーヴ! 他の追随を全く許さなかった! 正真正銘の絶対的女帝が今まさに君臨しました!」
―――結果はエアグルーヴが2着のヒシアマゾンを5バ身引き離しての優勝を飾った。
ヒシアマゾンも最後尾から驚異的な追い込みでエアグルーヴに迫ったものの、女帝の末脚の持続力には敵わなかったのである。
「やった……ついにやったぞ!」
女帝が手を大きく空高く挙げると、今日一番の大歓声がレース場を揺らした。
「かぁぁぁっ、届かなかったぁぁぁっ!」
それに対抗するようにヒシアマゾンが大声で悔しさを爆発させる。
当然それはエアグルーヴに「騒ぐな」と一蹴されるが、すぐに二人は互いの健闘を讃えて握手し、それを見た他のウマ娘たちもそれぞれ握手を交わすのだった。
―――――――――
そんな熱狂に包まれたジャパンカップの翌日。
各メディアやマスコミは女帝エアグルーヴの話題一色に染まっている。
しかしその内容はレースの結果や内容のことではない。
「……何故、私と幸福さんが熱愛だと報じられているんだ……?」
内容は女帝エアグルーヴとそのトレーナー伊藤幸福の熱愛報道ばかり。
教室で級友たちから主にウマ娘のことを取り扱うレース新聞を突き付けられ、エアグルーヴは女帝として、生徒会副会長として、まずいことになったと内心焦る。(今更感が強い)
何しろ悲願のジャパンカップ制覇ということで、エアグルーヴは嬉しさのあまり幸福の胸に飛び込んでしまったのだ。
見つめ合う様子はまさに相思相愛のカップルそのもので、各報道機関はビッグカップル誕生に歓喜し、ファンもこの報道に各SNSで昨日からお祭り騒ぎである。当然昨晩は母親から『一度掴んだら手離すな』と言われ、色々と焦ったエアグルーヴ。
学園内外で常に生徒たちの手本となるべき自分が、浮ついた報道をされた。
故にエアグルーヴはこれでは皆に示しがつかないと、内心後悔するのだが、
「やっと付き合ったんだね!」
「おめでとう、エアグルーヴ!」
「焦れったかったけど、ようやくね!」
「結婚式は呼んでよね!」
やっと付き合ったのかとお祝いされ、
「いやいや、私は前から気付いてたよ?」
「あたしもあたしも!」
「報道陣情報遅いよねー」
「もう前からラブラブしてるのにねー」
既に二人の関係を知る子たちは呆れていた。
なのでエアグルーヴはどう反応したらいいのか分からず、らしくもなくオロオロしてしまう。
級友たちからの反応と自分が思い描いていた反応とのギャップがあり過ぎたから。しかも廊下にも他のクラスの同級生たちがその様子を見に来ていて、流石のエアグルーヴもお手上げ状態。
「もう予鈴はなってますよ!」
そこへクラス担任がやってきたことでその場は取り敢えず収まるのだった。
◇
「はぁ……」
「お疲れのようだな、エアグルーヴ」
「はいその、まあ……はい」
座学も終わり、今は生徒会の仕事をこなすエアグルーヴ。
しかし彼女の表情からは疲労の色が滲み出ていた。
何しろ休み時間やお昼休みと、事あるごとに幸福とのことで質問攻めに合っていたのだ。
馴れ初めは、相手を意識したのはいつか、どちらが先に惚れたのか、一目惚れか、その他云々……フジキセキやヒシアマゾン、ファインモーションといった友達らがその都度フォローしてくれてはいたが、それでもこの有様。
しかしそれも仕方のないことだろう。トレセン学園に通っている生徒たちは、常に厳しいレースの世界に身を置いており、仲間意識が強い。
そこに目標的、模範的ウマ娘が自分の担当トレーナーと恋仲になるという恋愛ドラマがあれば、多感で色恋沙汰に飢えている女子生徒であれば誰もが食いつくネタである。
恋愛ドラマや恋愛漫画、恋愛映画、恋愛小説……恋愛をテーマにする作品はいくつもあるが、現実に自分の身近な存在が恋愛していれば、嫌でも意識してしまうのが年頃というやつなのだ。
なので当然、シンボリルドルフもエアグルーヴの恋路には興味を引かれている。
彼女も彼女で現在進行形で自身の担当トレーナー、岡部に片想い中なのだから。
「私も二人の恋愛関連の話にはとても興味が湧いている。何だかんだ今日も君はトレーナー君とお昼を共にしていたしね」
「周りの反応に気疲れしたからとはいえ、彼と過ごさない理由はありませんから……」
一秒でも長く一緒にいたいですし……と若干頬を赤らめてぽつりと零すエアグルーヴは、シンボリルドルフも思わず『可愛い』と感じてしまい、これなら他のみんなも放っておけないはずだと内心笑ってしまう。
「仲が良くて何より。そしてジャパンカップも大勝。まさに順風満帆だな」
「ええ、否定はしません」
「しかし、エアグルーヴのトレーナー君の方はどうかな? 彼も彼で君と同じく、今日は色々と大変だったんじゃないか?」
「いえ、それがそうでもないようでして……彼は何を訊かれても平然と毅然に答えてました」
それがまた格好良くて、惚れ直してしまいました……と恍惚な表情を浮かべるエアグルーヴ。
シンボリルドルフはそんな彼女を見て、思わず口の中が甘くジャリジャリするような感覚を覚えた。
「エアグルーヴのお陰で先生もペンが乗っている。次から次へと新作ラッシュで私は嬉しい。是非とも今後も先生の生けるネタ帳として君臨してくれ」
そこへ書類整理を終えたナリタブライアンがホクホク顔で言うと、エアグルーヴが眼光鋭くナリタブライアンを睨んだ。
自分は貴様の娯楽になるつもりは毛頭ない、と言わんばかりに。
しかしそんなのナリタブライアンには何のそのである。
現にエアグルーヴにそれだけ睨まれていながら、何食わぬ顔でお気に入りのビーフジャーキーをモヒっているのだから。
「順風満帆、と言うことならこれ以上のことはない。これからも仲睦まじくあってくれ」
「ええ、言われずともそのつもりです」
あんないい人は他にいませんので……とエアグルーヴが付け加えれば、シンボリルドルフも「そうか」と満足そうに頷く。
「で、今日はどんな甘々エピソードを聞かせてくれるんだ? 今日の仕事ももう終わったところだしな」
そこへナリタブライアンが相変わらず空気を読まずに容赦なく突撃。
最近は生徒会の仕事が終われば、エアグルーヴの恋愛相談と言う体で彼女からの甘酸っぱい恋愛エピソードを聞くのが仕事終わりのティータイムの肴になってしまっている。
エアグルーヴはイマイチ釈然としないが、ナリタブライアンがサボらずに生徒会の仕事をするのは大変結構なのと、友として信頼している二人に話をすることで何かしらアドバイスをもらえるので、つい話してしまうのだ。
「まあ待てブライアン。その前にお茶を淹れよう」
「それもそうだな。エアグルーヴ、頼む」
「どうして貴様が得意気なのだ……少し待っていろ」
◇
エアグルーヴが手際良くお茶淹れ、ティータイムが始まる。
今日は幸福特製バラのジャムを使用するロシアンティー。
因みにロシアンティーは濃いめの紅茶にジャムを入れるのでなく、紅茶を飲みつつジャムを舐めるというもの。
ウクライナやポーランドでは紅茶に直接ジャムを入れるのがポピュラーな飲み方なのだとか。
「うむ、濃いめの紅茶にジャムの甘さ……そして二つの香りがとても良い」
「私はジャムの甘さがビーフジャーキーの塩気と合うから好きだ」
二人の反応にエアグルーヴは思わず表情が綻ぶ。幸福のジャムが褒められていると、まるで自分のことのように嬉しいから。
すると唐突にシンボリルドルフとナリタブライアンが小さく声を出して笑う。エアグルーヴがどうしてか分からずに小首を傾げると、
「いや、恋する乙女は愛らしいと思ってね」
「恋人が褒められて喜ぶ顔は、実に甘い。話を聞かずともこらちらまで笑顔になってしまった」
二人からそう言われ、彼女は首まで真っ赤にして俯いた。
しかしそんなことをしても、二人はエアグルーヴのことをただただ可愛いと思うばかりで、ジャムの甘さより彼女の甘さの方が存分に上回るのだった。
◇
「ということが、今日の生徒会であった……」
「ふーん。楽しそうで何より」
「何を言うか、たわけ。幸福さんは私の苦労が分からないから、そんなことを言えるんだ」
「だって俺は恥ずかしくないしー」
「……たわけ」
生徒会の仕事も終わり、時刻は18時を回る。
いつもならば寮へと戻る時間帯だが、今日はお昼しか共に過ごせなかったので、エアグルーヴがトレーニング終わりで戻ってきた幸福のことをトレーナー室で待っていた。
付き合ってからはチームのメンバーも何かとエアグルーヴと幸福のために気を回すようになり、こうして二人の時間を過ごせる。
当然、以前のようにみんなでワイワイすることもあるが、二人の時間が増えたことでエアグルーヴはより充実した学園生活を送れていた。
そんな訳で今はソファーに幸福を座らせ、彼の膝枕を堪能中のエアグルーヴ。
首筋をトントントンと撫でられつつ、無意識にモゴモゴしてしまう唇を空いている手で弄ばれるのは、くすぐったいと思いながらもとても心地良いと感じていた。
「……可愛いなぁ」
「……は?」
「? 俺の彼女は可愛いなぁって思って」
「……」
唐突に幸福から褒められ、エアグルーヴは気恥ずかしくなって顔を彼のお腹側に向けて隠れる。
幸福は急にこういうことを平然と言ってくるため、エアグルーヴはそれにまだ慣れない。
嬉しい気持ちは強いものの、面と向かって言われたらどう返せばいいのか分からないのだ。
「好きだぞ、エアグルーヴ」
「ああ……」
「エアグルーヴは?」
「言わないと分からないのか?」
「言われたいんだよ。言葉は口にしないと伝わらない。態度や仕草で伝わるのもいいが、俺は言われたい。惚れてる相手からなら特に」
「…………しゅきぃ」
消え入りそうな声で赤面して言うエアグルーヴに、幸福は満足そうに何度も頷き、良く出来ましたとばかりに彼女の首筋をトントントンと無でる。
「太ももと腹がめっちゃ熱いんだが?」
「……たわけ」
「何もたわけてない。熱いから事実を言ったまでだ」
「……いじわる」
「好きな子には優しくしてるんだがなぁ? 不思議だなぁ?」
「むぅ……」
ころんと仰向けに戻り、膨れっ面で不満を示すエアグルーヴ。
しかし幸福は、
「可愛い顔……ほいっと♪」
「んにゅぅ……にゃにをしゅる」
「膨れてると潰したくなるじゃん」
「むぅ……」
膨れた頬をむにぃと親指と人差し指で摘み、弄ぶ。
エアグルーヴは当然不満の色を強くするが、眼はしっかりと蕩けているため、構ってもらえていることにご満悦。その証拠に尻尾も体の下にあるのに先がパタパタと揺れている。
「さて、そろそろ時間だ。寮まで送るぞ」
「……なんだか、いじめられて終わった気がする」
「嬉しいくせに。耳と尻尾は口ほどに物を言っているぞ?」
「……ふんだ」
エアグルーヴは口を尖らせてそっぽを向くが、幸福が左腕を差し出すとすぐに彼の腕に両手を回し、寮までの短い帰り道を優しくエスコートされるのだった。
寮の玄関までその状態だったので、寮の玄関からは他生徒たちの黄色い声が栗東寮に響いていたという。
おまけ
エアグルーヴは諸々を済ませて自室で自由な時間を過ごす。
「明日のお弁当の下拵えは終わった。予習復習も終わった。あとあの後輩の練習メニューも幸福さんに相談していい感じに出来た……幸福さんにおやすみメッセージも送った」
あれやこれやと思案するエアグルーヴ。
彼女が普段からこなす事は他のウマ娘に比べるとかなり多いが、幸福の手助けがあり彼女も自分の時間を過ごせるし、前より活き活きしている。
同室のファインモーションはそんなエアグルーヴを微笑ましく思う反面、
「なぁ、ファイン。今日もまた幸福さ……んんっ、あやつとキスするチャンスを逃してしまったのだが、どうしたらいいと思う?」
この惚気という名の相談が毎日続いているため、かなり辛い。
当然、ファインモーションも親友の相談には快く乗りたいところだが、彼女はエアグルーヴと違って恋をしたことがないのだ。
一応恋が何なのかは年相応に知っているし、自分の両親も大恋愛をしていたので幼い頃から良く母親から聞かされていた。
故にエアグルーヴの相談にも多少なりとも力にはなれているが、こうも毎日毎日だと気が滅入ってくる。
「……襲えば? あと今更私の前でも取り繕う必要ないからね?」
なのであの超お嬢様であるファインモーションからは信じられないような言動が飛ぶ。
「おそ……そんなこと出来るか、たわけ!!」
「だったら襲ってもらったら?」
「だ、だからそういうことではないのだ! こう、自然と、その、ああ〜! 恥ずかしい!」
女帝とは思えない乙女な初心の反応。
頭から布団を被り、足と尻尾をバタバタさせる。
ファインモーションは『埃が立つなぁ』と思いながら、エアグルーヴの妙な乙女脳に頭痛がした。
普段は熟年夫婦顔負けの以心伝心を見せるのに、いざ意識するとポンコツ化する。なのでファインモーションはこうしたエアグルーヴをポンコツグルーヴと名付けた。決して本人には言わないが。
「そんなにしたいの? キス」
「…………したい」
「ジャパンカップのお祝いとか言ってキスすれば?」
「その手があったか!」
「寧ろどうして思い付かなかったの?」
「幸せ過ぎて……」
「みんなから質問攻めされてあたふたしてたくせに」
「ああいうのは慣れていないのだ……」
不貞腐れ、布団を抱きしめるエアグルーヴ。
その年相応の反応にファインモーションは思わず『可愛いなこいつ』と思ってしまった。
「まあなんでもいいけど、キスしたいと思ったらキスしたらいいよ。私の両親はいつもしてるし」
「私はそんなに卑しくない」
「私の両親も別に卑しくないよ? 愛してるな、好きだなって思ったらキスしちゃうんだって」
「羨ましい……」
「だからエアグルーヴもそう感じたらキスしたらいいよ。唇じゃなくても、ほっぺとか首筋とか」
「……なるほど……しかし……」
エアグルーヴは幸福とのキスを妄想し、また一人で妄想シュガーワールドの世界に迷い込む。
こうなると暫く帰って来ないので、ファインモーションは今日のお役目を終えてそそくさと就寝準備に入るのだった。
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