女帝が持つ賢者の杖《完結》   作:室賀小史郎

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女帝は杖と共に

 

 大きな声援がレース場を揺らす。

 押し寄せたファンのお目当ては―――

 

「各バ最終コーナーを回って、ラストの直線へと入ります! そしてやはり来ました! エアグルーヴ上がってきた! 皇帝シンボリルドルフと異端の逃亡者こと同チームの後輩セイウンスカイに追いつけるか!」

 

 ―――女帝エアグルーヴ。

 

 ウィンタードリームトロフィー。

 トゥインクルシリーズを駆け抜けた者だけが走れるその名の通り夢のシリーズ。

 出走3度目となるエアグルーヴは、このレースを最後にレース競技を引退する。

 このレースにはURAファイナルズを制した同チームの後輩セイウンスカイとマーベラスサンデーも出走しているが、最大のライバルは皇帝シンボリルドルフだ。

 

 最後のレースとなる舞台は彼女が母との誓いを果たしたオークスの時と同じ東京レース場。

 天候はあの時と同じ晴れ。バ場も良好。

 しかし―――

 

「あーっと! エアグルーヴ、落鉄! 落鉄です!」

 

 ―――アクシデントがエアグルーヴを襲う。

 

 落鉄。それはウマ娘が使用するレースシューズに装着する蹄鉄が外れたことを意味する。

 脚に問題は無い。しかし人間で言えば走っている最中にシューズが脱げることと同等だ。

 よってエアグルーヴはバランスが崩れてしまう。

 

「くっ……私としたことが!」

 

 左右の足の重さが変わり、体重移動が乱れる。

 踏み外したことによる自分の失態にエアグルーヴは奥歯を噛み締めるが、反省するのは今ではない。

 

「こんなもの……どうとでもなるっ!」

 

 体勢を低くし、加速いていくエアグルーヴ。

 しかし本来のスピードに上がりきれない。

 現役ラストレースだというのに、とエアグルーヴが諦め掛けたその時だった―――

 

「エアグルーヴ! まだ負けてねぇ! 最後まで前を見ろっ! お前は女帝だろうが!!!!」

 

 ―――愛する男の声がハッキリと耳に届く。

 僅かに視線をやれば、男……幸福は今にも泣きそうに顔を歪ませながら檄を飛ばしていた。

 

「何だその顔は……それではまるで私がこれから負けるみたいではないか……たわけ」

 

 エアグルーヴの瞳に青焔が浮かぶ。

 次の瞬間、彼女の本来の差し切り体勢に戻る。あの短時間で両脚の感覚を調整し、本来のフォームに戻れたのだ。

 

「これが……女帝の走りだ!!!!」

 

 ぐんぐんと加速していくエアグルーヴに、集まったファンたちは喉を枯らす勢いで声援を飛ばす。

 

「エアグルーヴ! 残り100というところで先頭の皇帝を捉えました! このまま行くのか!? 女帝か!? 皇帝か!? 3着争いはセイウンスカイで決まっているぞ!」

 

 そして―――

 

「勝ったのは女帝! エアグルーヴ! 落鉄というアクシデントを見事に乗り越え、皇帝シンボリルドルフを差し切りました! そして女帝のラストレース! 有終の美を見事に飾り、女帝は女帝のままターフを去ります! 感動をありがとう、エアグルーヴ!」

 

 ―――エアグルーヴはとうとう夢のレースで皇帝シンボリルドルフを破り、勝利を勝ち取った。

 

 割れんばかりの拍手と女帝コールが東京レース場を揺るがし、女帝は女帝らしく杖にエスコートされてターフを去る。

 背中から同チームのセイウンスカイのニヤニヤした視線とマーベラスサンデーのニコニコした視線を浴びながら。

 

 ―――――――――

 ――――――

 ―――

 

 エアグルーヴが引退してから時は流れ、トレセン学園の卒業を迎えた。

 彼女が卒業した翌日―――

 

「新郎伊藤幸福、あなたはエアグルーヴを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「誓います」

 

「新婦エアグルーヴ、あなたは伊藤幸福を夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「誓います」

 

 ―――幸福とエアグルーヴの結婚式が特別に東京レース場にて執り行われた。

 

 純白のタキシードとウェディングドレス。

 新郎新婦が同時に神父が待つ壇上までの赤いバージンロードを歩く様は、まさに女帝とその杖だった。

 誓いのキスを終えると、レース場に押し寄せたファンや二人の関係者たちが大きな拍手と祝いの言葉を掛け、幸福にだけは多くの者たちが米粒を己の妬みに従い投げつける。

 痛がる幸福をエアグルーヴは可笑しそうに見つめ、ブーケトスはブーケ獲得ダービーとなって18人のウマ娘がスターティングゲートに並び、大いに盛り上がった。

 因みに一番人気はシンボリルドルフ。二番人気にメジロライアン。三番人気にナイスネイチャとなり、ブーケ獲得の1着はナイスネイチャとなった。

 

 ―――

 ――――――

 ―――――――――

 

 そんな幸せな結婚式から数年の時が過ぎ、エアグルーヴも夫婦生活が馴染んで妻としての役目が板に付いた。

 おはようのキス。朝ごはんを作ってくれたお礼のキス。朝ごはんを残さず食べてくれたお礼のキス。ネクタイを締めてくれたお礼のキス。見送ってくれる妻へのお礼のキス。行ってらっしゃいのキス。行ってきますのキス。

 事あるごとにキスをするおしどり夫婦(キス魔夫婦)は、マンションでも有名だ。

 

「ふぅ……幸福さんも無事に送り出せたことだし、私は妻としての役目を果たそう」

 

 エアグルーヴは意気込むと、服の上からエプロンをつけて両腕の袖を捲くり上げる。

 彼女は現在専業主婦。たまに母親からお願いされて母親の仕事を手伝うことはあるが、それも全て家で出来る内職のみ。

 堅い性格故に妻は家の留守を預かる者として捉えているのもあるが、幸福が変わらずトレセン学園のトレーナーとして忙しく働いているため、彼のために家のことは全てしてあげたいという気持ちの方が強い。

 

「ワンッ」

「そうかカールも手伝ってくれるか。お前は本当に賢いな」

 

 愛犬カールは相変わらず元気で、最近では洗濯機のスタートボタンや幸福が出し忘れた洗濯物を持ってきてくれたり、ゴミ出しを手伝ってくれたりする。

 買い物にもついて行くし、お利口に待っていて荷物を運ぶのも手伝うため、近所のスーパーや商店街では名物犬だ。

 

「幸福さんのために頑張るぞ」

「ワンッ♪」

 

 ◇

 

 夕飯の支度を終え、幸福から『これから帰るよ』とメッセージが送られてくると、エアグルーヴとカールは玄関先に待機して彼の帰りを待つ。

 幸福はトレーナーとしてトレセン学園に在席しているものの、結婚をしてからは新しいウマ娘の担当を持つことはなく、チームデネボラも今いる最後の子たちが引退すれば解散予定。

 理由は理事長から、昨年解散したチームスピカの安藤トレーナーと共に新人トレーナーの教育係員に任命されたからだ。因みにチームリギルの岡部トレーナーはシンボリルドルフと昨年結婚して、実家の牧場を受け継いでいて、リギルは後輩トレーナーを後任トレーナーとして存続させている。

 チームを存続させるのも考えたが、新しいスターチームもスターウマ娘も出ているのなら、彼らに任せようと二人は考えたのだ。

 因みに安藤トレーナーに至ってはサイレンススズカと来年の天皇賞秋の時期に結婚を控えている。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい」

「ワンッ♪」

 

 幸福が予定通りに帰って来ると、

 

『お邪魔しまーす』

 

 彼のあとからかつての仲間たちが続々と姿を現した。

 エアグルーヴが驚いて目をパチクリさせていると、

 

「なんかエアグルーヴを驚かせたくて、俺にみんなして連絡して来たんだよ」

 

 幸福が悪戯成功とばかりに輝く笑顔を見せたので、エアグルーヴは「仕方のないやつだ」と笑い、みんなを招き入れる。

 夕飯の支度はしていたものの、幸福からのリクエストがクリームシチューだったので、エアグルーヴは合点がいった。

 ヒシアマゾンは肉じゃが。アイネスフウジンは唐揚げ。ゴールドシチーは高級人参ジュース。ナリタタイシンはパエリア。セイウンスカイはカレイの煮付け。マーベラスサンデーとカワカミプリンセスは有名店のホールチョコレートケーキ。

 あっという間にパーティの準備が整ってしまう。

 

「しかしどういうことなんだ?」

 

 エアグルーヴがそう尋ねれば、

 

「あの頃のメンバーで集まりたいってことだろ」

 

 幸福が答え、エアグルーヴは「なるほど」と微笑んだ。

 今いるメンバーはチームデネボラの黄金期を支えたウマ娘たち。その後に入ってきたメンバーには悪いが、彼女たちにとってはこのオリジナルメンバーは特別な存在なのである。

 故に同窓会みたいなことを今回のように突発的に年に何回かするのだ。

 因みに今いるメンバーも学園を卒業してそれぞれ仕事に就いている。

 ヒシアマゾンはトレセン学園の寮管理職に就き、アイネスフウジンはトレセン学園の購買部店員として働き、ナリタタイシンは実家の花屋で働き、セイウンスカイはキングヘイローが立ち上げた勝負服ブランドの受付係をし、マーベラスサンデーは東京レース場の誘導バを務め、カワカミプリンセスは実家の仕事を手伝っており、ゴールドシチーに至っては未だ現役の読者モデルだ。

 

「ほらほら、せっかく集まったんだしパァッと行こう、パァッとさ!」

 

 ヒシアマゾンがそう言えば、マーベラスサンデーやセイウンスカイも『そうだそうだ』と煽り、エアグルーヴは「分かったから落ち着け、たわけが」と注意しつつ、人参ジュースが注がれたグラスを掲げた。

 

 ◇

 

 盛り上がったパーティは終電前にお開きとなり、メンバーは家路につく。

 みんなを見送ったあとで、エアグルーヴは「片付けは私がやるから、幸福さんはお風呂に入るといい」と言って手際良くパーティの後片付けをした。

 幸福が風呂から出て来ると、完璧に終わっており、彼は妻にありがとうのキスとご苦労様のキスをして、今度はエアグルーヴが風呂へ入る。

 

「待たせたな」

「いや、仕事の整理しながらだったから気にしなくていいぞぉ」

「そうか」

 

 エアグルーヴが寝間着姿で寝室へやって来ると、幸福はノートパソコンを閉じた。

 するとエアグルーヴはすぐに幸福の隣に座り、その肩に頭を預ける。

 

「どうした?」

「今日は懐かしいメンバーが来たからな。会えるのは嬉しいが、二人の時間が取れなかったからだ」

「確かにな……でも俺が出張とかで取れない時もあるだろ?」

「それは仕事だから我慢するし、わがままは言わん」

「何かあればすぐに連絡出来るじゃんかよ」

「ああ、だが私は幸福さんに甘えたかった」

 

 エアグルーヴが素直に胸の内を吐露すると、幸福は妻が可愛くて思わず固まってしまった。

 

「仕事ならば仕方がないと割り切れるが、それ以外ではやはりダメなんだ、私は……」

「…………」

「そのせいで普段よりももっと幸福さんに甘えたくなってしまったんだ」

「それにしたってさっきまでみんなと楽しくお喋りしたろ?」

 

 照れ隠しに幸福は言葉を返すが、

 

「私は本気だぞ?」

 

 エアグルーヴの言葉に余計に照れてしまう。

 何しろそう言うエアグルーヴがしゅんと耳を垂らして告げたのだから、可愛さ倍増だ。

 

「な、なるほどな……」

「本当だ」

 

 エアグルーヴはそう言うと一気に距離を詰める。

 しかし吐息が触れる距離で、エアグルーヴは一瞬動きを止めた。

 嫌なのであれば今拒んでほしいと、まるで幸福の気持ちを確かめるように。

 そんな愛らしい妻を幸福が拒む理由はなかった。

 

 互いの気持ちが一つになったあの日から、何度も口づけを交わしてきた。

 それでも口づけを交わす度に、相手への愛は増すばかり。

 最愛の相手の唇の感触を堪能し、舌を絡めていくと、最初は優勢に立っていたエアグルーヴが幸福に巻き返され、肩で息をしていた。

 

「はぁ、はぁ……何故だ……」

「何が?」

「何故、私が……こんなになっているのに、幸福さんは息ひとつ切らさんのだ?」

「愛の違いかな? 俺、エアグルーヴへの愛なら誰にも負けないからさ」

「私だって、そうだ……」

「でも毎回俺の大差勝ちだよなぁ?」

「うぅ……ズルいぞ」

「愛のなせる業だな」

「くぅ……私がいいと言うまで甘えさせろ」

「心ゆくまでどうぞ、愛する女帝様」

「杖のくせに、こんなに好きにさせおってぇ……たわけ」

「嫌なのか?」

「あ、ダメしゅき」

「即答だな」

 

 それから幸福はエアグルーヴが求めてくるだけ、うんと彼女に愛情を注いだ。

 

 これからも二人の愛のレースは続いていく。




 おまけ

 トレセン学園時代に行った催し物。
 妻となったエアグルーヴからしたら、忘れたい黒歴史がある。
 ルールル、ルルル、ルールル♪

「生徒諸君、昼休みは楽しんでいるだろうか? 今日から週に一度、放送室を使い、私シンボリルドルフがゲストを招いて対談をするラジオ『皇帝の部屋』を行いたいと思う。BGMと共に著作権が色々と心配だが、理事長には許可を得ている。昼休みのほんの些細な一幕だと思ってほしい。トークテーマは今回はこちらで勝手に決めさせてもらったが、次回からは生徒の皆からお便りということで決める予定だ。そして記念すべき初回のゲストはエアグルーヴだ。急遽決まった企画なので身内からというのは許してほしい。よろしく頼む、エアグルーヴ」

「はい、よろしくお願いします」

「まあと言っても、君への質問は全て君と君のトレーナー君とのことばかりだ」

「ブライアンが決めたことですので、予想はしていました。しかし彼との交際に何ら隠すようなことはありませんので、どうぞ」

「了解した。まあ必ず答える必要もないから、無理だと判断したら答えなくていい。では一つ目……トレーナーとは結婚を考えていますか、だそうだ」

「ええ、考えています。寧ろ考えない方が無理なほど愛していますよ」

 学園のあちこちで生徒たちの黄色い声が聞こえる。

「そ、そうか……幸せそうで何よりだ。では次の質問……お子さんは何人欲しいですか。これは答えなくてもいいぞ、エアグ―――」

「分かりません。ですが、11人出来る気はします」

「……エアグルーヴ?」

 生徒たちの叫び声がトレセン学園を揺らす。

「その内6人は女の子で5人は男の子な気がしています。子沢山なのは幸せですよね」

「エアグルーヴ!?」

「男の子の一人は気性難で去勢するかもしれませ―――」

「ほ、本日はここまで! 聞いてくれてありがとう! 次回のゲストはマルゼンスキーだ! お便りは生徒会室前に設置した質問箱へ入れてほしい! それでは!」

 ラーラーララー♪

 完全に掛かってしまったエアグルーヴは、冷静さを取り戻した時に羞恥に悶え、幸福にうんと慰めてもらったが、その回は今も神回として当時の生徒たちの耳に残っているそうな。

―――――――――――――――

今回でこの作品は最終回です!
もともとは13話か26話で終わりにしようと思っていたのですが、気がついたら長引いてしまいました。

ともあれ、これにてこの作品は終わりとなります!
この作品をここまで読んでくれた方々
楽しみにしてくれた方々
評価をしてくれた方々
お気に入り登録してくれた方々
誤字脱字を報告してくれた方々
多くの方々に感謝します。

こうして完結出来たのは読んでくれる皆様方のお陰であります故、本当に感謝です。

これからも趣味として楽しんでもらえるお話を書いていきますので、もしまた機会があれば私の作品を読んで頂けると幸いです!

あとがきが長くなりましたが、読んで頂き本当に本当にありがとうございました!

また別の作品でお会いしましょう♪

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