籠の蝶
執務室に戻って来るなり、綱手はシズネさえも下がらせ、大きくため息をついた。
つい今しがた、年寄りどものせいで不愉快にさせられたばかりである。
彼らの言うことはもっともだった。
シズネの懸念も的を射ていた。
だが……。
砂隠れでの任務を終えて帰郷後、サクラがある情報をもたらした。
『暁』のスパイが大蛇丸の元に潜入しているという。
明かしたのはサクラが対戦した『暁』のサソリ。
サソリはそのスパイと『天地橋』で接触する予定があると言っていたそうだ。
それは重大な情報だった。
そのスパイを捕らえれば、大蛇丸の情報が手に入るかもしれない。そうすればサスケの情報も……。
綱手はその任に『カカシ班』を就けることにした。
が、それに
『ナルトは“人柱力”だ。里から出さず、監視下に置くのが当然であろう』
『万が一、暁が“人柱力”を手に入れでもした場合、木ノ葉の脅威になる可能性は否定できぬ』
確かに、『暁』を相手にした任務に、標的である『九尾の人柱力』のナルト自らを向かわせるのはリスクが大きかった。
だが、それを恐れてナルトを檻に閉じ込めたとしても、その檻がある木ノ葉そのものが『暁』の標的となる可能性も考えられる。
そちらもリスクだった。
天秤にかけ、どちらが重いか決められるものではなかった。
綱手はナルト自身に希望を持った。
彼の想いは、この任務の成果の先に在る『サスケ奪還』に対する最高の武器であり、彼の強さはすでに木ノ葉の未来を託すに値するものだった。
それに賭けた綱手は、コハルとホムラ、里のご意見番を押し切った。
ただ、二つの条件がついた。
ひとつは、『カカシ班』にサスケの代わりの人員として、ダンゾウの部下を補充することだった。
ダンゾウは綱手の師である三代目火影と親しい間柄であり、かつ、表と裏のように相反する関係でもあったと記憶している。
彼は『根』という暗部養成部門の創設者であったが、その組織はすでに解体されているはずだった。
養成システムに倫理上の問題が見受けられたから……と綱手は聞いている。
忍の世界でそういうことが多々存在するのはもちろん知っているから、詳細を聞かずとも何が起こっていたか想像はつく。
だが実際は、彼が組織を存続させ独自に取り仕切っているという噂があった。
そんな男が人を送りこんで来るとなれば、穏やかでないのは明白だ。
しかしその条件を飲む以外、ナルトを任務に向かわせる道はありそうもなかった。
そしてもうひとつの条件は、『いずみナナを木ノ葉の監視下に置くこと』だった。
「いずみナナです」
「入れ」
相変わらず顔色は悪かったが、どこか吹っ切れたようなナナに、綱手は少なからず安堵する。
だが、今しがた聞いてきたホムラ、コハル両ご意見番の悪態を思い起こし、もう一度ため息をつく。
「綱手様、悪い知らせですか?」
ナナは楽しげに言った。
仕方なく、綱手は重い口を開く。
『カカシ班』の新しい任務内容を告げてから。
「しばらく『カカシ班』の任務からお前を外さざるを得なくなった……」
そう言った。
ナナは瞬きですら反応を示さなかった。
「そうですか」
「理由は……わかっているようだな……」
「ハイ」
苦渋の綱手と反対に、ナナは涼しげに言う。
「砂での活動を木ノ葉に報告しなかった件で、ですよね?」
「ああ。無期限の謹慎処分という形になった」
ナナはもう一度『申し訳ございませんでした』と言いながら深々と頭を下げた。
「私としては不本意だ」
「何故ですか?」
「お前はあの時、里を出ていた身だ。いったん里を離れることが必要な時期もある。私もそうだったからわかる」
やっと、ナナと目が合ったような気がした。
「だが……、年寄りどもは理解しようとしない。お前は木ノ葉に不利益をもたらしたわけでもなく、同盟国の里長を護ろうとしただけなのに」
その視線が一瞬どこかへ彷徨い、すぐに納得した様に瞬いた。
「ナルトが『暁』に関係する任務に出るのに、私が一緒に行かないってことは……」
そして、落ち着いた声で言う。
「ホムラ様とコハル様には、私はもう信用されていないってことですね」
不機嫌さも出さずに。
「刻印を失ったから、九尾を封印する力は無くなったと思われてるんですよね」
「……お前の言葉は伝えたんだが……」
「いくら私が自分で『力はあります』と言っても、信じてもらえるわけないですよね。実際、砂で……“一尾”を護りきれませんでしたから」
怒りや悲愴感もなかった。
むしろこちらを慰めるように笑むナナが、もどかしくて苛立った。
『だが、“一尾の人柱力”をみすみす暁に奪われたではないか……!』
『三年前、あやつが“九尾を封る刻印”を失ったのはワシらも見た。その時点で、和泉一族当主との協約は破綻しておるのだ』
『いくら自身が他の封印術を会得したと主張したところで、信用できるはずもない』
『いや、砂の件ではっきりしておる。あやつに尾獣を操る力などない!』
矢継ぎ早に吐き出された年寄りたちの主張には怒りをおぼえた。
自身の客観的な部分が、半分だけ彼らの言うことも理解している。
“一尾の人柱力”を暁に奪われたのは事実だ。
ナナが事前に警告し、側で警護したにも関わらず、である。
全て終わった後で、『刻印は失っても、別の方法で九尾を封印する術を会得した』と言われて、信じられないのも無理はない。
が……、かといって『敵に奪われる前に自身が封印すればよかった』などと論じるのは乱暴すぎる。
そんな選択が最善だったと言い切れる者などいないのだ。
結果論ではあるが、ナナがもしその選択をしていたら、風影もナナ自身もこの世にはいないはずだった。
綱手があちら側に立たないのは、ナナという人物を知っているからだ。
未熟な部分や弱い部分も含めて、ナナを尊敬している。
シズネやサクラと同じくらい、信頼している。
だが、それがあの二人に伝わるはずもない。
そればかりか。
『だいたいあやつは里を出て何をしておったのだ? “姉”の亡霊を倒す術を会得するためと言っていたそうだが、それは本当なのか?』
あらぬ疑いまで持ち始めている。
『和泉の人間が故郷に戻って力をつけて、どうするつもりだ?』
『砂隠れの件も、こちらに連絡もせず独自で砂と組むつもりだったのだろう?』
『何か企んでいるのではないのか?』
彼らにとって、ナナは木ノ葉の忍ではなかった。
未だ『和泉の人間』であったのだ。いや、『和泉の力で九尾を封じる人間』か……。
せめて救世主であるはずが、仲間どころか、厄介者を通り越して裏切り者のレッテルさえ貼りつけられようとしている。
それを目の当たりにした綱手は、怒りすら忘れて愕然とした。
「綱手様、もちろん処分には従います。もう、掟に背くことはしませんから」
綱手は椅子に座りなおした。
べつに掟を破ったわけでもないのに……、ナナの落ち着きが居心地悪かった。
「お前は木ノ葉を……、相談役たちを理不尽だとは思わないのか?」
だからつい、ちっとも憤りを共有してくれない本人にそうたずねた。
「いいえ。信用していただけないのは私自身のせいですから」
ナナは、むしろ申し訳なさそうにそう言った。
「私がもっと強ければ、九尾を封印する力を失うことも、我愛羅を失うこともなかったし、いろいろ迷うこともありませんでしたから……」
全ては自分自身の責任なのだと……。
「でも今は、もう一度、
ナナは笑った。
「……ナナ……お前は……」
『お前は強いな』。そう言いかけて、綱手は黙った。
それを言われることが、ナナを苦しめる気がして。
「私にとって、お前は最も信頼する木ノ葉の忍だよ」
代わりにそう言った。
本心だった。
誰より大きなものを背負い、重い運命を受け入れ、深く傷つきながら、それでも前を向いて立っているナナを……同じ忍として、女として、尊く思った。
「そう思われるように頑張ります」
ナナはその意味をカケラも信じずに、ふわりと軽く笑った。