長引いた会議のあと、シカマルとナナは食堂で遅い昼食をとっていた。
「結局、今日も決まんなかったな……第2次試験の概要」
「『今日も』って……そんなにずっと話し合ってるの?」
「先週の頭からずっとだ……」
「ふーん……」
中忍試験、準備委員会。ナナは、その新委員として入って来た。
三年ぶりの再会だった。
が、シカマルは単純に再会を喜ぶことはできなかった。
その少し前、ナルトが『カカシ班』の任務に誘ってきたから、彼らが里を出たのを知っていたのだ。
当然、その任務に就いているはずのナナが委員会なんかに入って来た。
どこか大きな怪我をしているようにも見えなかった。
だが、ナナは彼を見つけるなり嬉しそうに笑った。
なんでもないことのように、『任務から外れた』と言って。
詳しい理由はなんとなく聞けなかった。
ただ、ナナはちゃんと、笑っていた。
「懐かしいね、中忍試験」
「……そーだな」
「あれに合格したの、シカマルと私だけだもんね」
ナナは配給された弁当をほおばりながら、明るい口調で話しかける。
『外れた任務』のことを気にしている様子はない。
「でも、私はそのあとすぐに里を出ちゃったから……、まだ新人みたいなもんだね」
冗談交じりで話すナナは、新鮮な気がした。
「……よく……ちゃんと戻って来たな……」
箸を置きながら、シカマルは呟いた。
言ってから、気まずくて麦茶を飲み干すと、ナナは笑いながら答えた。
「やっぱり、戻って来ないと思った?」
「……な、なんとなくな……」
シカマルは空のコップをテーブルの上に置きながら、バツが悪そうに言う。
ナナは、和泉の里で修行して来ると、砂の三人を見送った時に彼に告げた。
『戻って来る』と、はっきり言った。
が……、それをすんなり信用するほど、シカマルはナナを知らないわけではなかった。
この三年……ナナが戻って来ることと、二度と会えないこと、
その思いを交互に繰り返す日々だった。
今ナナはここに居る……。
ここに居るナナが、果たして彼の望む姿だったのか……、それはまだ判断しかねていた。
「……任務、気になんねぇのかよ……」
いつの間にか、食堂には彼ら二人しかいなかった。
「……気にならないわけないけど……」
笑っているナナに影を落とすつもりはなかったが、モヤモヤを抱えたままナナと向き合うのは面倒くさかった。
「お前らにとって、重要な任務……なんだろ……?」
「……極秘だから……ちゃんと知らされてない」
ナナも麦茶を飲み干した。
「木ノ葉は……この血を持つ私の『裏切り』を恐れてる」
「…………」
「だから、しょうがないよ」
シカマルは、そんなふうに素直に状況を吐露するナナに、かすかに驚いていた。
以前のナナなら、ただ『気にならない』とだけ言うはず……。
それに、里の上層部の意向を漏らしたりしない。
すべてを独りで抱え込んでいたはずだった。
が、ナナは言葉を詰まらすことなく語った。
「本当は、ナルトやサクラちゃんと一緒に行きたいけど……木ノ葉の忍としては、木ノ葉の意思に従わないとね」
そう決めた……その決意がわかった。
「というわけで、しばらくは委員会の仕事に専念するから、よろしくね」
ナナは笑って立ち上がった。
シカマルは頷きながら、食器を持ってさっさと行ってしまったナナの後を追った。
翌日……。
その日も早くから委員会の仕事があった。
過去の資料を整理したり、参加メンバーの性質をあらったり、実際に予定されている試験の検証をしたり……。
砂の事件があったから、なおさら入念に実行計画を練り直す必要があった。
「……じゃあ、手分けして資料集めよっか」
「……面倒くせぇ……」
委員会の中でも新米中忍である二人には、何かと面倒な仕事が言いつけられた。
が、その“砂の事件”に関わっていたというナナは、前向きに取り組んでいた。
せっかく委員会が早く終わったというのに、居残りで資料集めを言い渡され、二人は里の図書館にいる。
この地下3階の書庫は、中忍試験関係の書物が置かれているため、限られた時期にしか使用されない。
つまり、カビとホコリが酷かった……。
「じゃあ私、各里の関係記録を集めるね」
「……おう……」
シカマルはいたってやる気のない声で答える。
が、ナナがあちこちと急がしそうに動き回っているのを見て、サボるわけにもいかなかった。
「そっちの棚に、『霧隠れ』の資料ある?」
「『霧』はあっちだ」
「わかった」
薄暗い中、懐中電灯で本棚を照らしながら、地道に目当ての資料を探していく。
探して終わりならいいものの、そのあと、集めた資料をもとに分析をする作業も言いつけられていた。
こちらのほうで、ナナは頼れない……。
シカマルはため息をつき、過去数年分の『2次試験の記録』を手に取った。
「うわっ……」
と、ナナの声がした。
ほぼ同時に、明らかに分厚い本が数冊床に散らばる音……。
「ったく……なにしてんだ……」
「ハハ……ゴメン……」
ナナは尻もちをついたまま、照れたように笑った。
仕草はひどく幼なかった。
「脚立使えよ……」
「壊れてたんだもん」
シカマルは手にしていた資料の山を床に置き、ナナに手を貸した。
起き上がって直ぐ、自分の巻き起こしたホコリでくしゃみをするナナ。
鼻をこする仕草が、なんだか懐かしかった。
「もう……、必要ないのまで落ちてきちゃった……」
ナナはぶつぶつ言いながら、床に散らばる何冊かを手にとって、上の段へしまおうとする。
三年経っても、ナナの身長は殆ど伸びてはいなかった。
目一杯身体を伸ばしても、もう少しのところで届かない。
「貸せよ……しまってやっから……」
小さくため息をつき、シカマルはナナの手から資料を取り、そのまま上の段へしまった。
「ありがと」
ナナはその体勢のまま彼を見上げ、笑った。
頼りない電灯の下、ナナの笑みは彼の鼻先にあった。
「これとこれも隣にしまってくれる?」
「あ、ああ……」
その距離を広げず、ナナは左手に持っていた資料を差し出す。
「シカマル……背、伸びたね」
そして、彼の横顔に向かって言った。
何の意味があるのか、さすがの彼にもわからなかった。
いや、意味があるのか考えるほうがどうかしていた。
ただ数年ぶりに再会した……それだけで、そんな言葉が出るのは自然なはずなのに……。
「お、お前は全然伸びてねーな……」
ついどもりがちになる。
「そう? これでも伸びたんだよ、2センチくらい」
笑うナナから目を背けてしまう。
「……っつってもチビのままじゃねーか」
「しっつれー!!」
普通の女の子のように、膨れてみせるナナは新鮮だった。
不安もあったが、安心もした。
変わらなくても、前とは違っている。
それが良いことか悪いことか、今はまだ判断できなくても……。
「さっさとやっつけて、メシでも食いにいこうぜ」
「シカマルがサボらなきゃすぐ終わるよ」
ナナの言葉にニヤリと笑い、彼はまた資料の山を抱えた。
そして振り返り、
「お前は高いとこの取るときは呼べよ」
そう言った瞬間……、抱えた資料の山を床へ放り出した。
「ナナ?!」
今まで笑っていたナナが、苦しそうに胸を抑えている……。
「おいっ! ナナ!!」
本棚にもたれかかり、身体を支えようとするナナに、慌てて近寄って肩を抱いた。
布越しでも、その肌が恐ろしいまでに冷たいことがわかった。
「ナナ?!」
「だ……大……丈夫……」
ナナは苦しそうに言った。
「待ってろ! すぐ医療班を呼んで……」
「大丈夫……だから……」
ナナは片手で引き止めるように彼のベストを握り締めた。
「ナナ……!!」
ナナは真っ青な顔で、無理に笑おうとしながら彼を見上げた。
「医療班……とかじゃ……なくてっ……」
息を切らし、嫌な汗をかきながら……必死で彼に伝えようとしている。
「……ナルトがっ……戦ってる……」
「……ナルトが……?」
意味がわからなかった。
苦しさで歪んだ顔に、無理に笑みを浮かべようとするナナと『ナルト』の名がなぜ結びつくのか……。
「……シカ……マルっ……」
が、ナナは両手で彼のベストにすがりついた。
「ごめん……」
「あ、謝ってる場合かよ! それより、お前……」
“次の手”を、思いつくことはできなかった。
が……そんな彼を慰めるように、ナナは切れ切れに告げた。
「ナルトの……“中”のチャクラと……私の血は……」
必死で理解しようと努めるが、追いつかない
「繋がって……るの……」
ナナはまた、小さくうめきながら片手で胸を抑えた。
その、心臓の辺り……。
「…………!!!」
脳裏にあの光景が蘇った。
そこは……その場所は、あの時、赤黒い傷をつけられた場所……。
あの、カカシに抱かれて里に戻ったナナが……つけられていた傷……。
「ナナ……!!」
あの傷が、ただの戦いの中で生じた傷ではないことくらい、彼は知っていた。
それほどまでにおぞましく、残酷な傷の形。
見た瞬間、ナナへの深い恨みが伝わってきた。
彼はナナを抱きしめた。
己自身の恐怖も、今さら否定はできなかった。
あんな傷をつけるヤツが、ナナの前に現れた……。
そしてそれが自身の“死んだ姉”だとナナは明かした。
その真実を知って、かすかな恐怖も抱かないほうがおかしかった。
そしてあの傷が……ナルトと関係するのだという不可思議な事実。
ナナの抱えた闇がまた、彼の目の前に広がった。
「シカマル……」
しばらくして……ナナは息を整えた。
シカマルは何もできず、何も言えず、ただ、ナナの冷たい肩を抱いていた。
「ごめんね……」
ナナはまた、謝った。
「……もう……平気なのか……?」
身体を起こしながら、シカマルはようやくナナの顔を見た。
「うん……鎮まった……」
治まった……じゃなく、鎮まった……。
ナナはそう答えた。
彼の頭は、それがただ『痛みが』という主語につけられた言葉じゃないことを見抜いてしまう。
「ナルトが……戦ってたって……言ったな」
「うん」
ナナは彼から無理に離れようとはしなかった。
肩を支えられたまま、逃げずに答えようとしていた。
「なんで……わかる? 繋がってるって……なんでだ?」
だから、そのままそう聞く。
ただ、彼はナナの瞳を見られずにいた。
「私の血……」
「……和泉の血か……?」
汚れた床に視線を落としながら、シカマルは平然としたフリでナナの言葉を待つ。
「……ナルトの力を抑えるために……あった……から……」
意味がわからなくなって、逆に彼はナナを見た。
悲しげな瞳で、ナナは彼の視線を待っていた。
「ココ……」
そして、己の心臓に手を添える。
「ココに……ナルトを封印するための刻印があった……の」
ナナの言葉は過去形だった。
『あった』というその表現と、脳裏に焼きついたあの傷が再びリンクする……。
あの時……ナナはそれを失った。
姉によって、それを奪われた……。
真実が見えた。
「なんで……そんなもの……」
が、まだ見えぬものもある。
「ナルトの力を抑えきれるのは……この血だけだったから……」
ちがう……そんなことじゃない。
ナルトの力……ナルトの存在……ナルトの中の存在……。
そんなもの、とうに気づいている。おそらくサクラも。
だから、そんなことじゃなく、
「なんで
そのことに苛立った。
「……だって……私は……」
ナナは、彼を慰めるように言った。
「そのために、産み出されたから……」
真実……。
知って……後悔する……。
「コレ……私の存在理由だったの……」
火影岩の頂上で、頼りなく風に吹かれていたナナ。
“死んだはずの姉”と戦ったのだと告白した、そのさらに胸の奥……。
“存在理由”を奪われたという事実も背負っていた。
あの時痛んだ胸が、また余計に痛んだ。
「刻印はなくなっても……まだ、ココは『九尾』のチャクラとつながってる」
ナナははっきりとその存在を口にし、切なげに目を伏せた。
「どこか遠くで……ナルトが『九尾』の力を使って……戦ってる」
どうしてやることもできなかった。
「暴走……してなきゃいいけど……」
ナナはそう憂いながらも、独りで立ち上がった。
「シカマル、なんか……ごめんね」
「……謝んな……」
謝るのは……
何故だかそんな言葉が胸に湧いた。
「もう大丈夫だから、仕事の続き……しよ?」
今度は、そんな彼にナナが手を差し伸べた。
白い手は彼を引っ張り上げた。
もうずっと前から、ナナはこうして独りで立ってきたのだと……。
痛みをこらえ、何事もなかったように笑って来たのだと……。
……改めて思い知らされた。