ひと葉 ~弐の巻~   作:亜空@UZUHA

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 首筋を、氷が伝うような感覚……。
 木ノ葉の里に帰ってしばらくしてから、それは始まっていた。
 その正体は知っている。
 “姉”が自分を見つけたのだ……。
 あの地での再会は必然だった。
 その時を目前にして、首筋がひきつった。
 が、怖さは無かった。
 あれ程に傷つけられたのに……?
 実際、今は何の感情も沸かなかった。
 あの時にぶつけられた呪いの言葉も、目の当たりにさせられた己の偽善や欺瞞も……。
 思い出すことは無かった。

 深く刺さった凶器は、そのまま飲み込んだ。
 砂での夜に比べたら……そんなものの鋭さは感じなかった。
 今は……驚くほど静かな心のまま、姉を殺せそうだった。


銀鼠 ―ぎんねず―

「ヤマト隊長」

 

 あまり聞き慣れない声に、ヤマトは振り返る。

 火影邸の前で彼を呼び止めたのは、いずみナナだった。

 

「ナナ?」

 

 ナナはニコリと笑い、走り寄る。

 

「ヤマト隊長、これからナルトの修行ですか?」

「あ、ああ……そうだよ」

 

 ナナに落胆している雰囲気は無かった。

 おそらく、ナルトたちからサスケのことを聞いているだろうに……。

 カカシ班の事情を火影から聞いていた彼は、心の奥底で彼女の心中を案じていた。

 

「気をつけてくださいね。ナルトは無茶ばっかりするから」

 

 逆に、妙にサバサバとした感じに違和感を覚えた。

 

「ヤマト隊長の方が先にヘバっちゃうかもしれないですよ?」

 

 クスクスと笑うナナ。

 過去の彼女を知らずとも、なんとなく不自然に思う。

 火影やカカシから聞いていた“ナナ像”とも、あるいは『和泉』から来た者として暗部内で囁かれていた噂ともたいぶ異なる空気を、ナナは纏っていた。

 

「まぁ、少しくらい無茶をしないと、カカシ先輩の修行にはついていけないからね」

 

 調子を合わせて応えると、ナナは『それもそうか』と、また笑った。

 

「それじゃあ、私は綱手様に用事があるので……二人にも頑張ってねって伝えておいてください」

「ああ、わかったよ」

 

 ヤマトはナナにつき合うように笑みを返し、背を向けて歩き出した。

 その背に……。

 

「ヤマト隊長」

 

 ナナはもう一度呼びかけ、

 

「ごめんなさい」

 

 初めて影のある笑みを見せてそう言い……火影邸の中へと消えた。

 

「…………」

 

 その言葉にどんな意味があったのか、一瞬彼はわからなかった。

 が、彼女が去って緩い風が吹いたとき、やっと彼女が“何”だったのかを思い出した。

 火影から言い渡された自分が果たすべき“役割”は、『九尾の暴走を抑えること』である。

 それは本来あの少女が成すべきことだった……。

 『この間』の任務と、これからの修業での“役割”が、その事実と結びつく。

 さっきの言葉は、自分が“役割”を果たせないことへの償いの言葉だった。

 

 

 やがて彼は、ナルトとカカシの居る修行場に着くと、こっそりとカカシにナナの言葉を告げた。

 カカシは悲しげに苦笑して、少し離れて準備運動をするナルトを眺めながらこう言った。

 

「失う前と後で……どっちが辛いのか、結局オレにはわからないんだよネ」

 

 さらりと言ったふうでいて、カカシが苦しげに拳を握っていたのを、ヤマトは見逃さなかった。

 ヤマトの中でナナのあの笑みが儚くゆらいだ。

 

「おーいナルト! そろそろ始めるぞぉ……!」

「オッス!!」

「テンゾウもよろしくな」

「……ハイ……」

 

 ヤマトはひとつ、ため息をついた。

 そのことをまるで、知らなかったかのように振舞うカカシに、合わせるように。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 木ノ葉のはずれに位置する、人が滅多に寄り付かぬ山。

 荒れた山道を登ると、朽ちかけた鳥居が待っていた。

 ナナはそれを何のためらいもなくくぐる。

 瞬間、周囲の空気が冷涼に変わった。

 閑散とした境内。和泉の里を思わせる、音のない世界。

 木ノ葉の喧騒は、ここには届かない。

 ここに来るのは、姉の訃報を告げられたとき以来だ……。

 そう思ったとき、何の前触れも無く、ギシギシと不快な音を立てて扉が開いた。

 

「お久しゅうございます……菜々葉様……」

 

 ナナを待っていたのは、銀鼠色の着物を纏った老婆だった。

 

 

 

「お久しぶりです、静葉様」

 

 出された茶には口をつけず、ナナは真正面の老婆を見据えた。

 彼女は、この『和泉神社』を何十年も守り続ける和泉一族の女だった。

 木ノ葉と和泉の橋渡しとして役目を果たしてきた……といえば聞こえは良い。

 が、ナナはこの和泉静葉という女が、どれほど一族以外の人間を卑下し、どれほど和泉に戻りたがっているかを知っていた。

 それに、和泉の里で暮らす誰より、当主の権力にすがっていることも。

 

「……お元気になられて、本当に何よりでございます」

 

 静葉はもっともらしく、しわがれた声で言う。

 が、そんな上辺の言葉など、ナナにとって意味は無かった。

 いわば一族の、一番醜く、閉鎖的で古びた考えをもつ老女……今さらそれに対してどうこう気を回すのも馬鹿らしい……。

 

「静葉様もご存知のとおり、私は三年前、怨睨(オニ)となった姉と戦いました」

「まこと恐ろしきことにござります……」

 

 視線を色の変わった畳みに落とし、静葉はナナの言葉を交わすように答える。

 

「私は姉の怨睨(オニ)を祓うことはできませんでした」

「お命がご無事で幸いでした……。さすがは菜々葉様にございます……」

 

 しらじらしい……。

 ナナの心の奥がそう嘲った。

 四年前、この場所でナナに『姉の自害』を告げたのはこの静葉だった。

 あの時、『琴葉の怨念に気をつけろ』と、事態に対して迷惑そうに悪態づいていたクセに……。

 うんざりだった。

 この、ナナが嫌悪する和泉の体質がこびり付いた女が……。

 だが、それでもわざわざ火影の許可を得てまでここへ来た理由があった。

 

「今日は……静葉様に、お聞きしたいことがあって参りました」

「……は、はぁ……」

 

 静葉の眉間の皺が濃くなった。

 困惑……銀鼠の体から、それを発散させる。

 

 

「……『和泉成葉』とは……どれ程の陰陽師だったのですか……?」

 

 

 ナナは少しだけためらい、その名を口にした。

 静葉は目を見開いて、動揺を隠しもしなかった。

 そして直後、嫌悪の表情へと変わった。

 

「な、なぜ……あの娘のことをお聞きなさる?」

「知りたいからです」

「なぜ私に……」

「和泉の里で、成葉の記録は全て抹消されていました。誰も語る者が無く……。アナタに聞くしか知るすべが無いのです」

 

 怒りすら含むしわがれた声に、ナナは毅然と答えた。

 どうしても、聞いておかねばならぬことだった。

 和泉に帰って調べても、“彼女”に対しては何一つ情報が得られなかった。

 予想はしていたが、まるで禁忌のごとく抹消されたその存在……。

 それを命じた者の執念さえ感じた。

 執念……。仕方のないことだった。

 和泉成葉に関する記憶の抹消、及び口にすることを密かに禁じたのは、和泉当主その人なのだから。

 自分を捨てて木ノ葉に去った女……そして、当主である自分よりもチカラを持つ女のことなど、記憶から消し去りたい……そう思うのも無理はなかった。

 薄笑いながら、ナナはそう思う。

 

「あの娘は……あなた様もお聞きのとおり、天才と謳われるだけの才を持った娘でございました」

 

 静葉はまるで悪態づくように、わずかばかりの言葉をこぼす。

 

「……体さえ万全であったなら……あの禁術を忍などに伝えることもなく、自らの力で九尾を封じこめられたのに……」

 

 独り言……。

 そんなふうに、静葉は言った。

 憎々しげな冷気は、老いた身体に不釣合いな冷たさだった。

 が、ナナにそれを咎める気はなかった。

 和泉全体が抱えるモノ。

 今、静葉はそれを代弁しただけなのだから。

 成葉がおとなしく当主と結婚していれば……。

 木ノ葉の忍などでなく、成葉が九尾を封印していれば……。

 和泉の失墜も、木ノ葉への負い目も存在しなかった。

 もっとも……、そうなれば『ナナ』の存在もなかったが……。

 わかりきった想いは今さら取り上げる必要もない。

 今さらそんなことに考えを巡らすつもりはなかった。

 だから、ナナは淡々と次の問いを口にする。

 

「私は……和泉成葉を越えられると思いますか……?」

 

 

 静葉は少し驚いた顔をしてから、ナナの瞳を探るように見つめた。

 こんなにもちゃんと視線を合わせたのはきっと初めてだ……。

 そう思っているうち、静葉はゆっくりと、静かに、こう答えた。

 

「……はい。あなた様ならば……」

 

 陳腐な気休めか、それとも畏怖を込めた本音か……。

 皺の刻まれたその顔は、すでに感情を忍し隠していた。

 

「ありがとうございます」

 

 ナナは静かにそう言って立ち上がった。

 ギシリ……。

 軽く床板が鳴った。

 

「……では……」

 

 軽く頭を下げて陰気な境内に出た。

 ここでの目的はもう何も無かった。

 

「菜々葉様……!」

 

 背後から静葉の呼び止める声がした。

 振り返ると、静葉は一瞬だけためいながら言った。

 

「……琴葉様の怨睨を……鎮めに行かれるのですか……?!」

 

 こんな静葉の様子は見慣れていなく、ナナはわずかに戸惑った。

 それがナナに対する人間らしい“心配”と、素直に捉えることはできなかった。

 だが、

 

「……ハイ……」

 

 少し笑んで、ナナは答えた。

 

「……次の……赤舌日(しゃくぜつにち)に……」

 

 そして、静葉の言葉を待たずに立ち去った。

 

 

 

『私は……和泉成葉を越えられると思いますか……?』

 

 たったそれだけ……聞きたかった。

 不安だったわけじゃない。自信がないわけでもない。

 まして、たったそれだけの言葉にすがりたいほど、怯えているわけでもない。

 単に聞きたかったのだ。

 和泉成葉に対する言葉を……。

 彼女のチカラを知る者の言葉を。

 

 街に降りるころ、すでに日は暮れていた。

 家路に着く人々の喧騒に身を置くと、なんとなく安堵した。

 心地よい、人の気配。

 ふと、今頃はカカシやヤマトと修行しているはずのナルトを想い……、胸に手を置いた。

 絆は失っていない。

 姉に奪われはしなかった。絆も、そして力も。

 だから大丈夫だと思えた。

 自分でも驚くほど……静かな心のまま、姉を殺せそうだった。

 

 

 




※赤舌日(しゃくぜつにち)→陰陽道において凶日とされる日

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