「……ナナ……」
心の奥底で待ちわびた再会……。
「……サスケ……」
掠れた声に、彼は笑う。
「逢いたかった……」
暗がりの中、差し伸べられた手はやさしくナナの頬に触れた。
「もう……お前を離さない……」
そして、そう言う。
言葉など、出るはずもなかった。
その声も、抱き寄せる腕も、ぬくもりさえ……、あの時のまま。
「……サスケ……」
別れの日……すがることのできなかった腕を、サスケの身体に添わす。
「ナナ……ずっと……そばに居てくれ……」
耳元で囁かれる言葉に、涙が自然とあふれ出た。
だが、ナナは知っていた。
このサスケの体温は……サスケのものじゃない。
この身体はサスケであっても、心は……魂は……記憶は……、もう……大蛇丸のもの。
「……ナナ……」
ナナはその瞳を見上げた。
時折……金色に光るその双眸。
知らないイロが、確かにゆらめいていた。
「オレは……ずっとお前が好きだった……」
目の前のソレは……、サスケの声で、サスケの顔で、甘い言葉を囁く。
わかっている……。コレは……。コレはもう、サスケじゃない……。
だが……。
「……サスケ……」
ナナの“記憶”が、それを受け入れようとしていた。
モウイイ……
サスケを求める心が、『それでもイイ』と呟いた。
だから、
「……ナナ……」
“彼”の口付けを……瞳を閉じて受け入れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
上手い具合にヤマトに会計を押し付けて一楽を出たカカシは、聞き慣れた声に呼び止められた。
「ナナ?」
任務中なのか、ナナは書類の束を抱えていた。
すぐに暖簾の向こうからナルトが顔を出す。
「ナナ!」
「ナルト、修行は上手くいってる?」
「おう!! オレさ、オレさ、『風』の性質を持ってるんだってばよ!!」
「そうなんだ。今度いっしょに風遁の練習しようね」
これまでの修行の成果を話すナルトに、ナナは嬉しそうに答えていた。
が、カカシはその顔色の悪さに気づいていた。
そしてナナは、
「カカシ先生」
ヤマトが会計を済ませ、再び修行場へ向かおうかという時、
「ん? ナニ?」
「ちょっとだけ、話が……」
ニコリと笑って、ナナは言った。
花が散るような笑みに、一瞬だけ動揺が訪れた。
ナルトに気づかれぬよう、それに対して身構える。
「お前ら、先に行って修行の続きやっといてくれ」
ヤマトと目配せした後、二人を先に行かせ、カカシはナナに向き直った。
ナナは穏やかに笑っていたが、その顔色の悪さと“ナナからの話”ということに、あまりいい予感はしなかった。
ついこの間も、病院でイタチのことを告げられたばかりだ。
ナナはいつも、誰にも明かせない傷を抱えているから……。
だが、だからこそ、自分にだけ話してくれるのは救いだった。
二人は慰霊碑の前までやって来た。
相変わらず静かな場所。
「ナナ、ずいぶん顔色が悪いけど、大丈夫?」
ここまで来て、カカシは素直にこう尋ねた。
自分では気づいていなかったのか、ナナは少し驚いた顔をした。
そして、慰霊碑に視線を向けてうつむき、困ったようにこう答えた。
「今日……悪い夢をみちゃって……」
ハハハ……と笑う細い背が、ただの悪夢で済まされないことを予想させた。
「……大丈夫?」
きっとサスケの夢……。
聞かなくてもわかる。
「うん……ただの夢だから……平気……」
ナナはそう言ってくるりと反転し、彼を向いた。
「そんなことより先生……」
そして、自分のことよりずっと影のある声で言う。
「実は綱手様に言われて……報告に行くところだったの」
「オレに……?」
「うん」
違和感を覚えた。
火影から言い使った任務で彼を呼び止めたのなら……わざわざ
そう思う彼の耳に、驚愕の事実が飛びこんだ。
「『火の寺』が……暁に落とされたって……」
「え……」
もちろん、火の寺のことは知っていた。
元守護忍十二士のひとりが、そこにもいたはず。
だが、暁はそれをも殲滅したというのか……。
「アスマ先生とかシカマルたちが、昨日から討伐に向かってるって」
「そうか……火の寺が……」
予測より事態は悪化の速度を速めていると、そう感じた。
「先生たちも、ナルトの修行が終わり次第、後援に加わるかもしれないから、そのつもりでいるように……だって」
「……わかったよ。知らせてくれてありがとね」
忍らしく動揺を伏せてナナに言う。
ナナはまた、少し表情を変えた。
そしてひとつため息をついた後、
「私は……後援部隊にも入れてもらえなくて……先生に報告するのが今のところの任務……」
自嘲気味にそう言って笑った。
「ナナ……」
「でも……」
言葉をかけようとした彼を遮り、ナナは再び顔を上げた。
「私には……やらなくちゃいけないことがあるの」
ナナの瞳には強い光があった。
それは……決して清々しいものでなく、黒い光。
そしてその言葉は、カカシにとって明らかに不安だけもたらすものだった。
「やらなくちゃ……いけないこと……?」
「うん。昨日、綱手様に許可をもらったの」
安心させようとしたのか、ナナはそう言った。
だが、彼の不安がそれで拭われるわけもなく……。
「それって、お前がこの数年、和泉の里に戻って修行してきた『目的』のため?」
あえてそれを隠しもせず、彼は戸惑いがちにこう問う。
「うん」
ナナはあっさりと言った。
「私……姉を倒しに行って来る」
「………………!!」
柄にも無く……あれから悪夢を見るようになったカカシの、その惨い光景がまた甦る。
ボロ布のように、川岸に捨てられていた、血まみれのナナ。
背負った宿命であるはずの『刻印』を、めちゃくちゃに抉られていたナナ。
そして、三尾の白い狐……。
同じ夢を最後にみたのは……つい7日前。
当たり前だが、もう二度と……アレをみるのはゴメンだった。
「遅かれ早かれ、決着をつけなくちゃ」
そう他人事のように言うナナは、急に大人びていた。
「今度は私から、あのヒトに会いに行く」
姉という繋がりを断ち切ることに、何の迷いも無いようだった。
「……ナナ……」
一瞬、彼の脳裏で、白い狐が鳴いた。
「修行、うまくいったんでショ?」
心配していると……不安なのだと伝えてしまうと、ナナはもっと苦しむから、カカシは必死で悪夢をかき消した。
「大丈夫だよ先生。今度はちゃんと、帰って来るから」
ナナは笑った。
「私が……どれほどのチカラを持って産まれてきたのか……『和泉』に帰ってから思い知った」
彼も今さら、改めて思い知らされる。
ナナが望まぬチカラを持って生み出された存在だということを……。
「私は……陰陽術ではもう、絶対に誰にも負けない……」
たとえそれが望まぬチカラでも、ナナが再びあんな姿にならないことを、カカシは願いたかった。
「絶対……帰って来るんだな?」
「うん。約束する」
自信……いや、確信さえ漂わせ、ナナは宣言した。
「約束だよ……?」
それでも消えぬ不安は……何度もみた悪夢のせい。
今目の前に居るナナは、あそこまで追い詰められた相手に再び対峙するとは思えないほど、落ち着いている。
情けない……。
今こそ自分が、ナナを安心して行けるように送り出さねばならないのに……。
「カカシ先生」
だが、カカシがいつもの間延びした口調を取り戻す前に、ナナは言った。
「『和泉成葉』を、知ってるよね?」
その名がナナの声で耳に入った瞬間、カカシの胸を、懐かしく切ない風が吹き抜けた。
「和泉……成葉……?」
「うん。……知ってるよね?」
キレイに笑ったナナに、その名の主が重なった。
昔……師の隣で笑っていた、その人の顔が。
「……会ったこと、あるんでしょう?」
「……ああ……あるよ」
いつからか木ノ葉へやって来て、和泉神社の巫女だった女。
美しく、聡明な女。
「和泉成葉は分家の人だったんけど……百年にひとりって言われるほどの天才だったらしいの」
「ああ、知ってるよ……。四代目に、九尾を封印する術を教えたのは彼女だ……」
あれほどの技を使う女が並の人間でないことくらい、当時まだ子供だった彼にもわかった。
あの後、四代目の後を追うようにして死んでしまったけれど……。
「わたしは『転生術』で、その和泉成葉のチカラを与えられて産み出されたの」
「……え……」
彼の回顧を裂くように、ナナは唐突に言った。
「だから私は……和泉成葉の生まれ変わり……ってことになるのかな……」
その双眸から、ナナの感情は読み取れなかった。
いや、彼に読み取る余裕はなかった。
「あのヒトの力を受け継いだ私が……負けるわけないでしょう?」
余裕の無い彼に、ナナはとどめを刺すかのように笑った。
「……ナナ……お前……」
「カカシ先生」
ナナは彼の言葉を遮って、一瞬だけ……ほんの一瞬だけ目を伏せ、それから言った。
「和泉成葉は……どんなヒトだった?」
四代目の隣で咲いていた、あの笑顔……。
もうずいぶん、思い出そうとしていなかったことに、今さら気づく。
そして、今さらナナに良く似ていると感じてしまう。
「キレイなヒト……だったよ……」
ナナのまっすぐな瞳に、記憶を分け与えるように、カカシは言った。
「四代目とは、本当の
それを聞き、ナナは満足そうに吐息をついた。
「よかった……」
ナナはサラリと髪をかき上げた。
「ずっと、聞きたくて……聞けなかったから……」
はにかんだようにそう告白したナナの気持ちを、カカシは知った。
望まぬチカラ……。
転生……。
その前世の女……。
もう一人の自分……。
聞きたくて聞けなかったという理由は、その四つの言葉でわかってしまう簡単なことだった。
だがナナは今、自らチカラを望んだ。
和泉成葉の生まれ変わりとして産み出されたことを、完全に受け入れた。
己の存在理由を認め、それを超越してみせた。
その苦しみは尋常じゃなかったに違いない。
葛藤も、絶望も、虚無も……たった十数年の間にどれほど向き合わされてきたか……想像できるものじゃなかった。
それをただ、彼女の“強さ”という言葉で片付けてしまうには、あまりに無作法だった。
「ナナ……」
カカシは手を伸ばし、再び短く切られたばかりのナナの髪に触れた。
成葉と良く似た、硬い漆黒の髪……。
「お前がちゃんと返って来るって……信じるよ」
あの人のチカラを越えて……。
「うん。大丈夫だから」
ナナだけの強さで……。
もう悪夢は……みたくないから……。
カカシは心からそう願い、ナナと別れた。
焦香(こがれこう)=くすんだ黄赤、焦げたような香色