ひと葉 ~弐の巻~   作:亜空@UZUHA

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紺瑠璃 ―るりこん―

 

 物心ついた頃から、周りの空気が奇妙なバランスであることに気づいていた。

 和泉一族本家の長子として産まれ、その血族の神秘性と崇高さを叩き込まれ、誇りと気品を身につけた和泉琴葉……。

 その地位に見合う高尚な術を身につけるべく、言葉を話すか話さないかの時分より、厳しい修行を当然のように課せられてきた。

 厳しい父。優しい母。

 本家を崇拝する分家の者たち。

 そんな環境の中で生きていた。

 その、周囲のバランス。

 微妙な均衡は、幼い琴葉の心にひんやりとしたカタマリを抱かせた。

 その原因が“何”であるかわかったのは、父との修行の時だった。

 何ということはない、式神を扱う陰陽術の基本をおさらいしているとき。

 父に、灰色に濁った瞳を向けられた。

 あれは“幻滅”の色。

 見守っていた分家の大人たちは、父と同じ色を瞳に浮かべながらも、次期当主である琴葉に歯の浮くセリフを浴びせかけた。

 琴葉のチカラに対する父の“見限り”と、それでも本家というだけで敬わなくてはならない分家の大人たちの心境。

 そして、そんな出来損ないを長子に産んだという、母の“負い目”。

 

 心を塞ぐのは簡単だった。

 塞いでしまえば、周りが見渡しやすかった。

 色の無い世界で生きながら、琴葉は冷たいカタマリを静かに抱いていた。

 

 

 

 ある冬の朝。

 まだ暗いうちに、本家の屋敷で産声が上がった。

 琴葉は縁側に座り、慌しく動く大人たちを横目で見ていた。

 凍てつくような風が吹いていた。

 乳母が羽織を持って来たが、琴葉はそれを着なかった。

 寒さなど感じなかった。

 つい今しがた、『姉』という立場になったという事実にも、何も感じ得なかった。

 ただただ、また複雑に揺れだした周りのバランスを傍観していた。

 

「産まれたか……」

「は、はい……おめでとうございます当主様……」

「…………」

 

 気配も無く、背後を父親が通り過ぎた。

 乳母の祝福に不機嫌そうな……いや、憎々しげなため息だけ返して。

 琴葉はその後姿を見送った。

 父にとって、二人目の娘となる者。

 その存在に対する父の感情は、不思議と幼心にも良くわかった。

 

 なぜなら……。

 1年前に、木ノ葉の里に現れた妖魔、『九尾の狐』。

 その凶事を鎮めることができなかったのは、この里の“落ち度”であった。

 和泉の口伝の大術を扱ってそれを収めたのは、和泉の人間ではなく……、その血を一滴も持たぬ木ノ葉の忍者だった。

 秘境に身を置き、その存在を神秘に変えてまで崇高なチカラを示そうとしてきた和泉。

 それが、いざというときに何の役にも立たないということを、和泉の実在を知る者たち全てに露呈した結果となった。

 未知ゆえに神秘、……ゆえに崇拝する。

 その価値が地べたに堕ちた瞬間だった。

 その和泉の崇高な歴史に泥を塗る結果となった現当主が、負い目を補おうとして木ノ葉に提案したのが、次なる“保険”だった。

 つまり、封印された九尾が再び暴走したとき、それを再び抑えつける力を持つ者を送り込む……ということだった。

 今度こそ、和泉が力を発揮してみせると……。

 

 哀れ……。

 

 琴葉の、まだ小さな胸の中にあった冷たいカタマリがうすら笑った。

 あいにく、当主にも自分自身にも、そんな才覚は無かった。

 本来ならば誰よりもそれを持っているべき者たちのはずなのに。

 その禁句は一族中が知っていた。

 が、自分たち親子がそれを一番わかっていた。

 だから、その役目を果たす者が居ないという現実に当主がとった方法は……それを無理矢理に“作り出す”ということ。

 哀れな愚者が体裁のために産み出したのは、哀れな『娘』という存在。

 

 哀れ……。

 

 琴葉は冷たい朝の風にそれを呟いた。

 

「琴葉様、妹君に会われなさいませ……」

 

 乳母が遠慮がちに声をかけた。

 琴葉はゆっくりと立ち上がる。

 いつのまにか、赤子の声は止んでいた。

 

「さぁ……こちらですよ……」

 

 なかば強引に押し込められた部屋には、怯えた顔で横たわる母と、すやすやと眠るサルのような赤子。

 そしてそれを囲む分家の女たち。

 父の姿はすでに無かった。

 

「おめでとうございます」

「かわいらしい妹君ですよ……」

 

 女たちは遠巻きに、どこか強張った声で祝福のセリフを並べる。

 琴葉は赤子の側に座らされた。

 母は彼女を見ようとしなかった。

 たった今、新しい命を産んだとは思えない表情で、赤子とは反対の壁を向いていた。

 

「母上、おめでとうございます」

 

 案の定、母は答えなかった。

 

 哀れ……。

 

 琴葉は再び思った。

 このヒトは、夫たちの“術”によって無理矢理に宿された命を『尊い』と思えるほど、気の大きな女ではなかった。

 それに……産んだのは夫が想いを寄せていた女の生まれ変わりである……。

 哀れな女。

 そう思っただけで、そう感じはしなかった。

 琴葉は母から視線を逸らし、まだシワシワの顔で眠る赤子を見た。

 『妹』という存在。

 父が手に入れられなかった女の生まれ変わり。

 母の憎悪の対象の再来。

 いずれ木ノ葉に送られ、九尾を封じるための道具となる者。

 

 なんて哀れな子……。

 

 琴葉は心からそう感じた。

 その時、障子の向こうで悲鳴が上がった。

 和泉の里に久しくなかった種類の声に、一同は反応すらできなかった。

 母は真っ青な顔で身体を強張らせ、周囲の女たちもその場で凍りついたまま。

 琴葉はゆっくり立ち上がり、止める乳母を振り払って障子を開けた。

 腰を抜かした下女たちが、縁から何かを見下ろしていた。

 椿の花が風に揺れるその庭に……全ての視線を集めてたたずんでいたのは……。

 真白い狐だった。

 

「ふ……不吉なっ……!!」

 

 引きつった声を喉から吐き出した侍女に構わず、狐は尾を雪に打ち付けた。

 はなり……下ろされた尾は、三股に分かれていた。

 琴葉は黙って、その不吉だか神聖だかわからぬ生き物……いや、生き物かどうかすらわからぬそれを見下ろしていた。

 透けて見えるかというほどに白く長い毛。

 朝日に照りかえる様は、確かに美しくも恐ろしかった。

 そしてその瞳は、生き物が持つに許されると思えないような深い瑠璃色だった。

 狐はかすかに鼻を鳴らし、再び尾を揺らして琴葉を見上げた。

 

「三尾の白狐に憑かれるとは……!」

 

 いつの間にか、背後に父親が居た。

 琴葉が初めて聞く、彼の驚愕の声色だった。

 

「なんと不吉な娘か……!」

 

 その驚愕の対象は目の前の狐でなく、この世に生を受けたばかりの娘に向いていた。

 白い狐は三つの尾をもう一度緩やかに雪の上にうちつけ、瑠璃色の瞳で琴葉と父を見比べた。

 そして、雪景色に溶けるように走り去って行った。

 琴葉が室内を振り返ると、赤ん坊はまだすやすやと眠っていた。

 

 

 

 

 『菜々葉』と名づけられた妹は、周囲の奇妙なバランスの中でも己を崩すことなく育っていった。

 明るい表情、明るい声。

 和泉の里にあって稀であるというその姿は、父の許婚だった女に良く似ている……と、侍女たちがコソコソ話しているのを琴葉は聞いた。

 そればかりか、その和泉陰陽術の才能もそっくり転生していると。

 

 幼少の頃から『天才』と囁かれてきたその女、和泉成葉は分家の娘だった。

 次期当主であった父を遥かに凌ぐ才能と器量で、当主の妻になることは一族の暗黙の了解だった。

 父も、当主になった暁には同年代の天才少女を妻にするのだと、ひとつも疑わないで少年期を過ごしたという。

 

 が、成葉は木ノ葉へ去った。

 父を捨て、この一族を捨てて。

 そして九尾が現れると、禁術を木ノ葉の忍なんぞに託してさっさと死んでしまった……。

 父の憎悪と、後釜に押し込められた母の憎悪。

 琴葉は幼い頃からそれらを見てきた。

 その対象である者の生き写しが今、目の前に居て笑っている。

 一族の誰より強いチカラを持ち、誰より無邪気で、誰より美しく。

 そして誰より哀れ。

 灰色の瞳でその世界を眺める琴葉にも、無垢の笑みを投げてくる。

 

  ……哀れなコ……

 

 誰にも愛されず、誰からも恐れられ、母に気味悪がられ、父に憎まれて。

 

 だが、ある日……。

 外界から閉ざされた和泉の里に、客人が招かれた。

 父の憎む木ノ葉の里からやって来た客人は、『うちは』の姓を名乗っていた。

 

「……うんざりだ……」

 

 菜々葉の許婚にされたうちはの男は、隣でそう呟いた。

 

「血も、名も、力も……」

 

 彼の視線の先には、苦しそうに熱い息を吐く菜々葉が眠っていた。

 その日、菜々葉は『毒受け』の日だった。

 毒で簡単に命を落とさぬよう、身体に免疫をつくるため、わざと毒を飲む修行である。

 三月に一度の習慣だったが、今回は薬師が調合を誤り、幼い菜々葉は熱を出して寝込んでいた。

 うちはの男……イタチは心配そうな顔を隠しもせず、菜々葉を見つめていた。

 この男が、父にも知られぬ方法でときどき菜々葉に会いに来ていたのは知っていた。

 外界から決して入り込めぬよう、強力な陰陽結界術をめぐらされたこの地にあって、菜々葉がどうやってそれを成し得たかは知らないが……。

 一族の者たちに見つかれば、どんなことになるかわからぬ二人ではないだろうに、二人は菜々葉の修業の地であるこの滝の上で会っていた。

 “客人”としてこの里に来たその日から、幼い妹とイタチの間に心の交流が芽生えたことも知っていた。

 許婚……親の野望に冷めきった感情を持っていることも。

 

「同じですね」

 

 琴葉は息を吐くのと同じ労力で、そう呟いた。

 イタチがコチラを向いたのがわかった。

 

「くだらない枠だ……」

 

 そしてそう言った。

 退廃的なセリフ。

 きっと、幼い菜々葉には吐かないはずのセリフ。

 

「ええ……」

 

 琴葉は彼に同意した。

 少ないイタチの言葉の中に、彼が何を言わんとしているのかわかっていた。

 

「……親しき友も、昨夜、死んだ……」

 

 簡単には払拭できぬ濃い影が、イタチを覆っているのもわかっていた。

 それが……自分がずっと纏っていたものと限りなく近い濃度ということも。

 

「ただ……、眼が痛いだけだ……」

 

 掠れた声……。

 

「それを、このコに言いに来たのですか……」

 

 呟いても、イタチはもう答えなかった。

 答える気力も影に呑まれたかのように。

 ただ琴葉の取り替える手ぬぐいを、じっとみつめていた。

 彼の菜々葉に対する感情を、琴葉は何と呼ぶか知らなかった。

 絆……想い……。

 その単語すら知らなかったから。

 だが……それが何であるにせよ、菜々葉が得たものに違いなかった。

 哀れな妹が……得たもの……。

 

 

 イタチが帰った翌朝……、琴葉はようやく気づいた。

 哀れな妹にも得たものがある。

 それはたとえ望まなかったにしろ、自分には到底持ち得ぬ“チカラ”。 

 そして……イタチという存在。

 それに比べ、自分は……。

 

「そう……ね……」

 

 朝靄に呟いた。

 

「私には……何も無い……」

 

 哀れな妹にすら劣る自分に気がついたのだ。

 あるとすれば……時期当主としての地位?

 だがそれも、チカラが無ければ水物にすぎず……。

 未来……それすら無いに等しい。

 だったら……。

 

「……チカラが……ほしい……」

 

 灰色だった琴葉の世界が、何にも犯されぬ“黒”に染まった瞬間だった。

 

 

 それからすぐのことだった。

 当主から一族に、『うちは』との婚姻決裂が告げられた。

 その理由は……うちは一族滅亡という信じがたいもの。

 しかも、婚姻の当該者であったうちはイタチがそれを成したのだという。

 その日から……、妹から無邪気な子供らしさが掻き消えた。

 危うい無防備さを剥ぎ取られた妹は、予定通り、十一になる歳に木ノ葉に送られた。

 『九尾封印』の宿命を背負わされて和泉の里を出る菜々葉……。

 それでも琴葉の瞳には、その小さな背に白い羽根が見えていた。

 この、すさんだ世界から飛び立てる妹。

 チカラがあるから……。

 

 別れの日、菜々葉は琴葉の部屋に立ち寄った。

 

「姉上……お別れのご挨拶に参りました」

 

 畳に手をつく様は、幼くても気品があった。

 まぎれもなく、和泉本家の娘……。

 そしてそれが、唯一二人の共通点。

 

「……ご自分の務めを果たされますよう……」

「……はい。姉上も、どうぞお元気で……」

 

 今生の別れのように、言葉を交わした。

 実際、菜々葉にここへ戻って来る気がないのは知っていた。

 一族の人間も、それを望んではいなかった。

 だから、

 

「……さようなら、菜々葉……」

 

 琴葉も、二度とこの妹に会うことはないのだろうと思い、最後の言葉を贈った。

 

「さようなら、姉上」

 

 菜々葉もそれに答えた。

 が、言い終えた瞬間に見せた、久方ぶりのその笑顔。

 

「姉上……今日までお世話になりました……」

 

 その言葉があまりに……清々しく、美しく……。

 逆に黒く淀んだ琴葉の心を照らし出した。

 菜々葉にとって、それは唯一自分の面倒をみてくれていた者へ対する最後の敬意だったのだろう。

 昔のような無邪気な笑みは、穢れなき妹の心を現していた。

 それを琴葉もわかっていた。

 どれだけ周囲に疎まれ、恐れられ、虐げられようとも、失わない凛とした心。

 一番近くで見てきたつもりだ。

 自分にないその“強さ”を見てきたつもりだった。

 だが……それは今、琴葉にとって嘲りの笑みだった。

 宿命を背負いつつ、チカラと自由を手にした者への……湧き上がる嫉妬。

 自分がもてなかった強さのまま、キレイに笑える妹への、深い……憎しみ……。

 

「……それでは……」

 

 もう、部屋を出る妹にかける言葉はみつからなかった。

 生まれて初めて湧き上がる、激しい『感情』というものに支配されていた。

 皮肉にも、それで自分にも血というものが流れていることを初めて感じとることができた。

 琴葉は熱を冷まそうと、障子を開いた。

 庭に、春の風が舞い込んだ。

 この心と間逆の、まるであの妹のような、清々しい緩風……。

 

「…………!?」

 

 ふと、整然と整えられた植え込みに、白銀の光が蠢いた。

 若葉の影からこちらをじっと見ていたそれは……、あの白い狐だった。

 

「お前は…………」

 

 琴葉の心を見透かすような、深い深い、瑠璃紺の瞳。

 それはしっかりと、琴葉の双眸を捕らえた。

 そして、琴葉の心を凍りつかせたまま、たおやかに三つの尾を振って、何処へともなく消えて行った。

 

 

 





※紺瑠璃(るりこん)=濃い紫味の青

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