本家に伝わる短刀を、喉に一刺し……。
迷いなどなかった。
“和泉の血”とともに溢れ出すのは、開放感。
初めて知った『喜び』という感情を得て、琴葉はこの世から去った。
7日後。
再びこの世に戻った琴葉は、肉体のない魂だけの存在だった。
そういう存在になり、初めにしたことは、時空を越えて“過去”を見ること。
遠い過去でなく、最近の11年間を……
そう……知りたいのは、妹『菜々葉』のことだった。
菜々葉が産まれてから、自分の知らないところで何をしていたか。何を思ってきたか……それが知りたかった。
そして、菜々葉が“何”を得て、“何”を望んでいるのかも。
なぜなら、それらを全て壊したかった。
それしか“楽しい”ことを知らなかったから。
“木ノ葉のナナ”は想像していたよりもずっと、幸せそうに笑っていた。
九尾の子供と友達ごっこを楽しみ、仲間の枠にはまったような顔をする。
師という存在を得たふりをして、忍の皮をかぶっていく……。
そしてなにより……サスケの隣で、嘘で固めた己をさらす。
琴葉はそれらを見て、知って、笑った。
矛盾に満ちた菜々葉の生が、面白かった。
菜々葉が苦しんでいるのも知っていた。
が、それも面白かった。
“哀れなコ”は羽を得て飛び去ったにもかかわらず、新たな地でも影を引きずっていた。
小さな身体に耐え得るはずもない、黒く重い影。
飲み込まれないのが不思議だった。
が、琴葉は菜々葉の影がどんどん濃くなっているのを知った。
何故なら、いくら嘘を纏っていても、菜々葉は
九尾のコ……サスケ……そしてイタチ。
菜々葉は寸でのところで、彼らに救われていた。
彼らの存在こそが、菜々葉の闇そのものだというのに……。
だから琴葉は菜々葉を壊すことに挑んだ。
“楽しむ”ため……に。
決して崩れない菜々葉の強さが憎しみの対象なら、それを壊すことが琴葉の楽しみだった。
そしてついに果たした再会の時、気が済むまで痛めつけた。
実際、琴葉の力も限界だった。
死してまで手にした力に、菜々葉が敵うことは癪だった。
それでも最後は、菜々葉の瞳に絶望の色が浮かんだ。
とうとう影に呑まれる、哀れで強い妹……。
琴葉は初めて、心から笑えた気がした。
あれから、大蛇丸のアジトでナルトと別れたサスケに会った。
イタチに良く似た弟。
彼に“菜々葉”のことを告げ、ボロボロの額当てを手渡し、最初の宴は終わりを告げた。
限界を超えた琴葉は菜々葉の生死を知らぬまま、陰の世界に篭もった。
再び現世に現れる力を得たのは、半年も経ってからのことだった。
改めて菜々葉の力を思い知り、苛立った。
それから初めに確かめたことは、菜々葉が生きているのかどうかではなく、サスケが額当てをどうしたか……だった。
サスケの手元に、“菜々葉”の額当てはなかった。
大蛇丸の元でどんどん強くなっていくサスケを見ているのは、ある意味爽快だった。
まるで、菜々葉を痛めつけているときのような楽しさ……。
それは多分、強くなるほど憎悪を濃くするサスケが、己自信に似ていたから。
決して影に呑まれなかった菜々葉と違い、自ら影に染まっていく。
原動力は、憎悪と嫉妬。そして復讐の心。
似ている……というより『同じ』だと思った。
イタチと菜々葉が持っていて、サスケと琴葉にはチカラが無かった。
イタチと菜々葉は絆で結ばれていたが、サスケと琴葉は孤独だった。
だから、サスケを見ているのは楽しかった。
やがて……。
気まぐれに吹いたつむじ風の中に、“菜々葉の生”を感じた。
今まで和泉の里にでも隠れていたのだろう。決して感じ取れなかったその“魂”をようやくみつけた。
そしてそれは、同じく琴葉を見つけて、激しく呼びたてた。
必然の再会……。
赤舌日を待って、琴葉は川辺に向かった。
3年前、菜々葉につけた傷と、菜々葉の流した血の匂いが、まだ濃く残る川辺に。
最後に、サスケにだけ心を打ち明けて。
終末の谷から程なく近い川辺で、琴葉は笑った。
あの時と少しも変わらない、澄んだ瑠璃の瞳。
それがたった今、琴葉の前に現れた。
そしてまた同じように、何の意味を持つのかわからない視線をよこす。
「お前の主人は、ちゃんと生きていてくれたようね」
薄く笑うと、瑠璃の眼の持ち主は、3つの尾を振った。
「私は『ホクト』の主人じゃない……」
同時に、聞こえてきた声。
「お久しぶりです、姉上」
草間から現れたのは、冷たい目をした妹だった。
「ちゃんと、生きていてくれて嬉しいわ、菜々葉」
「姉上もお元気そうで」
ホクトの周りで、皮肉めいた姉妹の会話が成される。
「あの時……この狐が、木ノ葉の忍にあなたのことを知らせたの?」
菜々葉は答えなかった。
ただホクトを見下ろし、ホクトも菜々葉を見上げた。
それだけで、会話をしているようだった。
この不思議な三尾の白狐が“何”であるか、琴葉は知る由もなかった。
菜々葉を護っているのか、それとも菜々葉に憑いているのか……。
不吉な存在なのか、神の化身なのか……。
「ホクトは私の分身」
菜々葉は琴葉に答えを与えるように呟いた。
「敵でも味方でもなく、私自身のような存在……」
白い狐はそれを解したように、ゆっくりと琴葉を向く。
「あなたの分身? ……なるほどね……」
瑠璃の双眸を見返して、琴葉はうなずく。
菜々葉という存在の『分身』と聞いて、急に狐の視線の意味が解せた気がした。
菜々葉の誕生と供に現れ、庭から琴葉を見つめた意味。
菜々葉が去った日に現れ、庭から琴葉を見つめた意味。
そのホクトが、菜々葉の分身だったのだとしたら……。
「……哀れなコ……」
琴葉は狐につぶやいた。
その時、ホクトは初めて小さく鳴いた。
澄んだ声は、美しくも禍々しかった。
どちらとも決し難いその声は、善とも悪とも知れない菜々葉の力そのものだった。
「……姉上……」
菜々葉は、一歩前に出て言った。
「アナタの言うこのゲーム……もうアナタに勝ち目はない……」
琴葉は苛立ちもせず、菜々葉を見た。
菜々葉の漆黒の瞳は、静かに琴葉を見つめていた。
「……私は……アナタを倒します……」
言われた瞬間、琴葉は口の端を上げた。
「ずいぶん自信があるのね……和泉の里で、そんなにいい修行ができたの?」
呪われた故郷へ舞い戻った哀れさを皮肉っても、菜々葉の表情は変わらない。
「父上や母上はお元気だった?」
案の定、これにも菜々葉は答えない。
そして次の言葉をぶつけても、菜々葉の瞳は少しも揺れ動きはしなかった。
「私……さっきまで大蛇丸のアジトで、サスケ君と一緒にいたのよ」
滑らかな肌に傷を入れる瞬間の興奮……。
しかし、前回のようなそれは、琴葉の中に湧き上がらなかった。
あの時はたしかに、“その名”は菜々葉にとって凶器だったはず。
菜々葉が初めて絶望と恐怖に慄いたのは、その凶器が菜々葉の心に突き刺さったからだった。
それなのに、今の菜々葉は少しも表情を変えなかった。
だが、失望することはなかった。
「サスケ君は……まだ菜々葉のこと、好きみたいよ?」
そう告げた瞬間に、別の種の興奮が沸いた。
菜々葉が浮かべた、“笑み”を見て……。
「姉上。残念だけど……アナタはもう、ゲームを『楽しむ』こともできない……」
菜々葉は確かに笑っていた。
その瞬間、この手で菜々葉に傷を負わせることはもうできないのだと、琴葉は知った。
だから本来なら、琴葉の中には“失望”が沸いて出るはずだった。
が、沸いたのは別の興奮……そう……。
「姉上があの時みたいに、『私の矛盾』を責めても、私はもう傷つかない」
菜々葉の漆黒の双眸はどす黒い影に侵され……、
「『私が我愛羅を救えなかったこと』を責めても、『私がまたイタチに救われたこと』を罵っても……残念だけど私は平気」
清らかさなどカケラもなく……。
「私は知ったの……姉上に教えてもらった……」
その笑みは影を背負って冷たかったから。
「私はもともと……傷つけられるほどキレイな存在じゃなかった」
ついに……。
ついに菜々葉を汚した……。
ついに菜々葉は影に呑まれた……。
ついに菜々葉は闇に堕ちたのだ……。
沸いたのは、そんな喜び。
「……哀れね……」
もう一度、琴葉は菜々葉に向かって呟いた。
九尾のチカラを封印すべく、産みだされた妹。
あの日……、その存在意義をむしり取ってやった。
この手で、菜々葉をめちゃくちゃに傷つけた。
菜々葉の心の、ありとあらゆる場所を抉ってやった。
爽快な残酷の下で、菜々葉は確かに恐怖に震えた。絶望に慄いていた。
ゲームの続きがはたしてあるのかどうか……。正直、半信半疑で文字通り
だが、菜々葉はゲームの“続行”を許した。
あれ程の傷を無理矢理塞ぎ、絶望の淵から引き返して来た。
壊す寸前まで追い込んだという感触はあったのに……。
が、琴葉はその事実に驚愕も失望もしなかった。
いつかこうなることを知っていた。
あの日も……。
それだけのチカラが欲しくて、短刀を己の喉に突き刺したあの日も……。
いや、もっと、ずっと以前から……。
菜々葉が生まれて、白い狐が現れたあの日から……こうなることはわかっていた。
何を犠牲にしてチカラを得ても、菜々葉には敵わない。
たとえ、死して禁忌のチカラを手にしても。
菜々葉はいつか自分を“消し去る”だろう。きれいさっぱり。
わかっていた。
そして、菜々葉はどんなに傷つけられても、決して壊れない……。
壊れることすらできない。
そんな、哀れなコ……。
それも全てわかっていた。
だが今、菜々葉は影に呑まれたのだと確信した。
背負った影と共存し、立ち直ったかのように見せても……“姉としての繋がり”が皮肉にもそれを見抜いていた。
菜々葉は……、菜々葉は影を見つめることをやめた。
影に打ち勝つことを諦めた。
それを背負って生きることを放棄したのだ……。
『サスケの想い』と、『サスケへの想い』。
『イタチの想い』と、『イタチへの想い』。
そして、『九尾』と『宿命』……。
護ることもできずに、ただすがって傷つけた砂の忍……。
それらを凶器として振りかざそうとした刹那、菜々葉は
清らで高貴な笑みなどでなく、黒く残酷な笑みで。
全ての矛盾と罪からとうとう目を背け、醜く笑ったから。
見た瞬間、強かった菜々葉の心が折れたと知った。
美しかった菜々葉の心が、穢れたのだとわかった。
手折ったのは姉である自分。
穢したのは姉である自分。
その目的は叶ったのだ……。
だから、菜々葉が
やっと終わる……そんな心境で。
菜々葉の瞳は……白い狐に向けられたのと、同じイロ。
濃い、深い、瑠璃の色。
菜々葉は美しくも禍々しいそのイロを得て……静かに琴葉の瞳を見返していた。
生まれながらに背負った影に、ついに呑まれた菜々葉。
この手で傷つけ、汚した菜々葉。
それでも壊れなかった菜々葉。
最期に見たのは、そんな妹の美しい瑠璃色の瞳だった。
※秘色(ひそく)=青磁の肌の色のような浅い緑色。襲の色目の『秘色』は表が瑠璃色。