「じゃあカカシ、オレはナルとナルのおじいさんと大事な話があるから、そのコをよろしく頼むよ」
ミナトはカカシに言って、ナナの頭をなでた。
どこか、名残惜しそうに。
「木ノ葉を見せてやればいいんですか?」
カカシは面倒くさそうに言う。
「そうそう。あ、それともう一個おつかい頼まれてくれない?」
悪びれずに面倒事を追加する師には慣れているのか、カカシは呆れたように溜息をついた。
「ハイハイ、なんでも言ってくださいよ。一カ月ぶりの非番だけど頼まれますから」
ナナは聞きなれないカカシの口調に声を出さずに笑った。
それに眉を潜めたカカシに見下ろされ、さっとミナトの後ろに隠れる。
するとミナトは、ナナの頭に手をのせたままカカシに言った。
「警務部隊長さんの家に二人目の男の子が産まれたらしいから、オレの使いでお祝いを持って行ってくれる?」
なるほど……警務部隊の隊長ともなれば、子が生まれると火影が祝いの使いを出すのか……と、ナナは単純に思った。
居心地の良い、ミナトの側で。
が、次のカカシの言葉で、ナナは瞬時に身をこわばらせた。
「うちはの家にですか?」
『うちは』……と、聞き間違うはずもない名が、ナナの耳に飛び込んだ。
残念ながらナナの脳はそう鈍くは出来ていなかったから、それが“誰”を意味するかすぐに察してしまった。
この年のこの季節……。
九尾襲来の少し前に産まれた『うちは』の名を持つ子など、ひとりしかいない……。
「そ、フガクさんに二番目の子が産まれたらしいから」
「そのコを連れて……?」
「和泉神社の巫女の親類って言えば、フガクさんならわかるから。連れて行っても大丈夫だよ」
ナナはミナトのズボンの裾をきつく握った。
二人の会話はもう、耳に入らなかった。
強い好奇心と不安感に揺さぶられ、自分の足で立っている実感を失った。
「カカシはぶっきらぼうだけどいいコだから、大丈夫だよ、ホクトちゃん」
気づけばミナトがしゃがんで視線を合わせていた。
「木ノ葉をゆっくり見ておいで」
蒼い瞳に浮かぶ温かい光に、次第に緊張を解かれていく。
金の髪が風に揺れた。
脳裏に再び、大切な仲間の姿が映った。
今、自分は知り得るはずのない過去に来ているのだと……改めて実感する。
ここで起きていることも、ここで見ているものも、出会った者も、聞いた声も、手の温もりも……本来は知ることなどできないのに。
「ちゃんと、楽しんで帰らなきゃね」
子供のようにそう言ったミナトに、ナナは自然と笑みを返した。
敵わない……。
憧れていた“英雄”の姿にそう思った。
彼も知っているのかもしれない。
すぐ先に起こることも、すぐ先に産まれてくる自分の子を抱けないことも。
「せっかく来たんだから、いろんなモノを見て帰るのよ」
成葉がナナの肩に手を乗せた。
心に夏の風が流れた。
ナナは強く頷いた。
二人の姿を心に留めて、ちゃんと持って帰ろうと、そう思った。
ナナはカカシに手をひかれ、和泉神社の鳥居をくぐった。
振り返ると、ミナトと成葉が手を振っていた。
これから二人が、実葉を交えて何を話すのか、そして“何の修行”をするのか……わかってしまう自分が恨めしかった。
それでもナナは、心に刻んだ二人の姿を想い、笑って手を振り返した。
たぶんもう、ここに戻ることは無いという予感がした。
二度と二人に会えなくとも、得られるはずの無かった二人の姿がしっかりと心に在るから平気だった。
「あのさ」
長い長い和泉神社の階段の中腹で、カカシは初めて立ち止まり、口を開いた。
「君、小さいわりにずい分と鍛えてるみたいだけど……」
歩き方でわかるんだよね……と呟いたカカシを、ナナがきょとんとして見上げると、彼はいきなりナナを担いで言った。
「先生のお使いの前に行きたいところがあるんで、ちょっと急ぐから」
そしてあっという間に、階段を風のように駆け下りた。
ナナの鼻先で、彼の銀髪が靡いた。
「……怖かった? ごめんね」
あまり感情のこもらぬ声で言われたときは、すでに里の街道だった。
ナナは笑いながら首を横に振った。
これまで興味なさそうだったカカシの右目が、自分を探るように見ていることに気づいた。
が、彼はそれをすぐに引っ込め、先に立って歩き出した。
両手はすでに、ポケットに収まっていた。
ナナは小走りで彼について行く。
なんとなく、その行き先はわかっていた。
だから距離が離れないようにしながらも、懐かしいようで見慣れないような町並みをいちいち見回しながら行った。
日は頭上にあった。
人通りも多かった。
時折、見知った者が若い姿で歩いていた。
やがて、立ち並ぶ建物から、遠くに火影岩が垣間見えてきた。
ナナは思わず立ち止まった。
また、初めてそれを見た日の自分がリンクした。
「疲れたの?」
ふいにカカシの声が近くで聞こえた。
ナナの足が止まったことにすぐに気づき、そばまで戻って来ていたのだ。
ナナは首を横に振った。
「そういえば結構歩いたね……少し休む?」
声は淡々としているのに、言葉はナナの言っているカカシと同じ種類のものだった。
ナナは笑ってまた首を振った。
「じゃ、行こうか」
カカシは一瞬ナナの瞳を探り、『もうすぐだから』と小さな声でつぶやいた。
そして……やはり、向かった先はナナの思った場所だった。
森の中、川岸の少し開けた場所にある、三本の丸太。
その奥の、慰霊碑。
カカシは無言のまま、じっと慰霊碑を見下ろしていた。
ナナも隣で静かに佇んだ。
刻まれた名は、見慣れた数より少しだけ少なかった。
かすかに胸の奥が痛み、ナナは思い切ってカカシの手を握った。
カカシはちらりとナナを見ただけで、手を振りほどきはしなかった。
しばらくの間、二人は身じろぎもせずにそうしていた。
祈るでもなく、話すでもなく、ただじっと見つめていた。
やがて、カカシがマスクの下で口を開いた。
「さっき……」
ナナはまだピクリとも動かず彼の言葉を待った。
「神社を出るとき……先生も成葉さんも、まるで君がこのままどっかに帰るみないな感じだったよね」
追求のような強さは無かった。
だからナナは、ゆっくりと彼を見上げた。
「君も、先生たちが何の用事であそこに集まったのか知ってるみたいだし」
そういう彼も、知っているようだった。
「不思議なコだね、君」
突き放すようにそう言いながらも、彼は手を放さなかった。
ミナトは彼に、おそらく何も話してはいないだろう。
それでも側にいる彼には、何となくわかってしまうのだろう。
この夏草が散った時、みんなの運命が大きく動く……。
そう思うと苦しかった。
が、大丈夫だと伝えたかった。
未来は彼らに護られた。
だから強く生きて欲しいと。
ミナトと成葉の、自分に対する気持ちが初めてわかった気がして、ナナは彼の手を強く握った。
伝えるすべは、それしかなかった。
カカシはその手を握り返しはしなかった。
戸惑いを淡々と押し込んで、何事も無かったかのように言った。
「さて、そろそろ先生のお使いをすませるか……」
ただ、歩き出しても二人の手は離れなかった。
心底面倒くさそうにしながらも、カカシはちゃんと火影の“お使い”として申し分ない手土産を買った。
合間に彼は、ナナを団子屋に連れた。
飄々としながら自分を気遣ってくれていることに気づかぬほど、ナナは実際のなりより幼くなかった。それに、カカシという人間の本質を良く知っていた。もともと“知り合い”でもあるためか、なんとなく気が合っているような気がした。
はたかれ見れば、子守を負かされた里の天才忍者が、その子供に懐かれて迷惑している風に映っただろうが、実際ナナは、彼が先に自分の手を引いてくれていることを知っていた。
やがて二人は、兄妹のように歩きながら『うちは』の集落に入った。
一族の子の誕生に、そこは慌しくも浮き足立った雰囲気が流れていた。
カカシはまっすぐに目的の家へ進んだ。
彼がほんの僅かだけ身構えていることに、ナナだけが気づいていた。
が、ナナも彼を気遣う余裕を無くしていた。
ナナの知るこの場所は、閑散として寂しい風が流れていた……。
すれちがう者たちの中には、他にも大勢祝いを述べに来た者たちが居た。
カカシを知っている者も多く、何かと声をかけてくる。
当然、連れている小さな子に疑問を投げる者もあったが、カカシはさり気なくかわしていた。
ナナはひたすら額が引きつりそうになるのをこらえた。
繋いだ手から動揺が流れ伝うのを、互いが押しとどめていた。
そしてついに、最も多く人が集まる家にたどり着いた。
この集落で一番大きなその家は、外門が開け放たれてひっきりなしに人が出入りしていた。
カカシは一瞬ためらって、忍服に警務隊の紋章をつけた男に火影の使いで来たことを告げた。
そしてナナのことを、和泉神社の巫女の使いと話した。
男はすぐに二人を案内した。
間違いなく、彼にはうちは一族の面影があった。
そしてカカシを知っていたし、カカシに敬語を使っていた。
ナナはゴクリと唾を飲み込んだ。
手入れの行き届いた庭は、枯れる前の一族の繁栄を現すようで心が打ち震えた。
やはり、カカシの手を振りほどいて立ち去ろうかと思った。
声を上げて、ここではない別の時空に去ろうかとも思った。
が、カカシの冷たい手を放すことはできなかったし、開いた玄関の扉の向こうにあった影に、釘付けになった。
「こんにちは、カカシさん」
あどけなく言ったのは……、まだ幼いうちはイタチだった。