防衛計画の再構築のため、連日、真夜中まで会議があった。
だがこの日、ようやくそれが完成し、22時頃に仕事を終えることができた。
テマリに聞いた、最近里で流行っているらしい『チャイ』という飲み物を手に、我愛羅はナナの部屋の戸を叩いた。
取り寄せた材料とレシピを元に、自らが淹れたものだ。
ナナの方にはミルクを多めに入れ、うんと甘くしてある。
そのほうが好みだと思ったのだ。
ナナはまだ起きていて、歓迎してくれた。
需要な客人が宿泊するこの部屋は、絶壁に面しているため、窓からの見晴らしは良かった。
といっても、砂漠地帯が広がるばかりで殺風景である。
それでもナナはこの部屋を気に入ってくれているようだ。
窓辺に敷かれた絨毯の上に、ソファーにあったクッションを全て並べ、ローテーブルにいくつものキャンドルを灯して、くつろいでいるようだった。
そこにちょうど、窓の外から月の光が射しこんでいる。
「おいしい! 何ていう飲み物?」
「『チャイ』という。最近、里で流行っているようだ」
「牛乳とお砂糖が入った……お茶? なんか不思議な香りもする」
「スパイスが入っている。この辺りで昔から飲まれていたミルクティーらしい」
並んで絨毯に座り、クッションに寄りかかりながらチャイを飲んだ。
ナナは猫舌なのか、息を吹きかけて冷ましながら飲んでいる。
それでも、我愛羅の淹れたそれを存分に味わっていた。
その様子を横目で見ているうち、我愛羅自身の身体も温まった。
ろうそくの灯火と薄い月の光とが混ぜ合わさり、不思議な空間にいるような気分になった。
ナナもそうだったのかはわからない。
が、カップの中身が半分ほどになった頃、唐突に自身のことを語り始めた。
『三年間、ほとんど誰ともしゃべっていないから、うまく話せるかわからないけど』とことわって。
再会の時に話したこととは比べ物にならないほど、長い物語を……。
ときおりカップに口をつけながらゆっくりと語るのは、彼女がいる“闇”だった。
一族のこと。その特異で禁忌とされる力のこと。
与えられた使命のこと。ナルトとの関係。
姉との戦いのこと。
うちはイタチのこと。
そして……、サスケへの想いも……。
その全てが、木ノ葉隠れの里では口にすることを許されぬ言の葉。
少女がたった独りで抱え込むには、大きすぎる“闇”たち。
想像していたよりもずっと、それは濃く、深く、冷たかった。
が、慄きはしなかった。
「私、逃げるために木ノ葉を出たんだ」
ナナはそう自嘲した。
「みんなには『姉を倒すため』なんて言ったけど、本当は逃げるためだった」
強烈に“孤独”が香る。
「力や術は身に付いたけど、なんにも解決しなかった」
歪んだ笑みを浮かべるナナに、否定や慰めの言葉を差し出すつもりはなかった。
ナナ自身が言う通り、ナナは逃げたのだ。
まとわりつく“闇”を持て余し、仲間たちとわかり合えない現実からも、逃げ去ったのだろう。
だが、それを愚かだとは思わなかった。
自らを孤独に追い込んで、なおさら闇を濃くしたとしても、決して愚かだったとは思わない。
そうせざるを得なかったことを、哀れにも思わない。
何故なら、それでもナナは強いと知っている。
あの時、ボロボロになって心を閉ざしたナナは、そのまま全てを投げ出すこともできたはずだ。
怒り、怨み、全てをぶちまけることもできたはずだ。
だがナナは、全てを抱え込んだまま、ちゃんと前に進んだのだ。
選んだ道が“逃げ道”だったとは思わない。
その道が今、“ここ”に繋がっているのだから。
「ナナ、“ここ”ではお前はひとりじゃない」
自説を説いても、感想を述べても、想いを語っても……、ナナの心は少しも軽くなりはしないだろう。
だからまた、二日前の台詞を繰り返す。
ナナが“この地”で全てを語ったことの意味を知っていた。
自分にだけ語った意味を。
術をかけた者と、かけられた者……、ただそれだけではない、二人の間にだけ存在する“交感”があると信じていたから。
それはきっと、この世に産み落とされる前から力を背負わされていたという、互いに重なる過去が繋げる絆なのだと……。
だからナナにとって、今、一番必要なものを与えたかった。
木ノ葉の地で、無償の愛……慈愛の存在を教えてくれたナナに。
それが、ナナから与えられたものと
知らないふりはしていたけれど……。
全身に“孤独”を纏わりつかせたナナに、今、この瞬間はヒトリじゃないと、そういう時を与えたかった。
「ありがとう、我愛羅」
ナナはこの間と同じように笑んだ。
だが、今夜はほうっと息をついて言葉を続けた。
「私、アナタに会えてよかった」
少し肩をすくめて。
「“理由”は全然良くないのにね」
その“理由”……『暁』の目的である我愛羅自身、まだあまり自覚が無かったから、何も言わなかった。
と、ナナはすっかり冷めたカップの中身を一気に飲み干して、言った。
「私なんて完全に不審者なのに、みんな私を信じてくれてるし、カンクロウも優しいし……。“ここ”は……なんだか居心地がいい」
まだ、返す言葉はなかった。
ナナが不意に窓を見上げて、呟いたから。
「砂漠の月は、綺麗だね……」
その明りに照らされるナナの横顔は、何物にも代えがたかった。
だが、こみ上げた感情と同じ言葉を、ナナが先に口にした。
「我愛羅……、私、アナタを護りたい……」
漆黒の瞳に月が映る。
儚くも、強い光だ。
それを見つめて、ようやく想いを零す。
「オレも護りたいんだ、お前を」
光は揺れた。
「アナタは護られる側なのに……!」
「それでも、そう思う」
「私は平気だよ! ちゃんと修業したし」
強がりではなく、本心なのだろう。
だがナナは気づいていないのだ。
今まで護られたことがないから。
無償でそうしてくれるはずの父や母という存在からも、護られたことがないから。
自分がそうだったからわかる。
仲間の存在すら否定し続けていた日々に、慈愛をくれる者が現れた。
友と呼べるものが現れ、やがて姉兄が現れ、支持者が現れ、仲間たちが現れた。
そうして、彼らを護りたいという気持ちが自然と芽生えるのと同時に、彼らが自分を護ろうとしてくれていることを知った。
親愛や姉兄愛、師弟愛、信頼、友情……いろいろな情が集まって自分の盾になってくれていることを、あれから学んだのだ。
「オレはお前の心も護りたいんだ、ナナ」
だから、そのままの想いを伝えた。
深く傷ついたままのナナには届かないだろう。
それでも祈りを込めた。
この“情”がナナの盾となるように。
「だったら……」
ナナは瞬きをして少し考えた後、こう答えた。
「今、私はアナタに護られてると思う……」
媚びや気休めや同情じゃない。
その視線はまっすぐだったから、そう確信できた。
不思議と胸の奥が熱くなった。
まるで力がみなぎるようで……。
「ナナ、疲れているだろう? そろそろ休め」
今はそれを溢れさせてはいけない気がして、そう言いながらナナの手から空になったカップを取った。
自分のカップと合わせてテーブルに置いたとき、初めてろうそくの火がいくつか消えていることに気づいた。
「うん……」
素直にうなずきながらの、ナナはクッションに身体を沈めた。
そして、
「我愛羅も、もう部屋に戻るでしょう?」
そう尋ねながら、体重をこちらに傾けた。
「明日も忙しいもんね」
「お前も、視察があるだろう」
「うん。連れて行ってもらえることになってる」
そうつぶやきながら、身体はどんどん埋まって行く。
ろうそくの残り火を見つめる目は、まどろみ始めていた。
「ナナ、ベッドに……」
そう言いかけて口を閉じた。
クッションの波が揺れて、わずかに肩が触れたから。
“それ”を奪ってはいけない気がした。“それ”をナナが求めている気がした。“それ”を与えなければならない気がした。
そして、きっと自分も求めていることを……。
だから。
「戻って明日の準備をしないとな」
そう言いながら、思い切り体勢を崩した。
「そうだね……。戻ったほうが……いいね……」
ナナはゆっくりと同意し、瞼を下ろした。
「そうだな……」
我愛羅はナナが見つめていたともし火を眺め、窓の外の月を見上げ、それからナナの顔を見て、目を閉じた。
温かく、少し悲しい二人だけのこの空間は何故だかとても心地よく……。
『“ここ”は……なんだか居心地がいい』
先ほどナナがくれた言葉を思い出しながら、自らもまどろみに身をゆだねた。
翌朝、鳥の声が聞こえて、二人同時に目を覚ました。
互いの身体が完全にクッションに埋もれているのを見て、二人で笑った。
月明かりでなく、朝日に照らされたナナの笑顔は、ここへ来たときよりずっと柔らかかった。