自らの術で腕を負傷したナルトを自宅に送った後、サクラは再び木ノ葉病院にとってかえした。
すでに日は暮れていた。
向かったのは、ろうかの端の一室。ナナが眠る場所だった。
サイに背負われて集合場所に現れたナナの顔は蒼白で、呼吸しているのかさえも定かでなく、まるで死人のようだった。
三年前、カカシに抱かれて里に帰りついたナナの姿が否応なしにフラッシュバックした。
幸い、あの時のような目立った怪我はなかった。
医療忍術も学び、あの時より冷静な診断を即刻下すことができた。
ナナはただ、チカラを使いすぎて眠っているだけだった。
呼吸も拍動も弱ってはいたが、異常はなかった。
ただ……。
それでも未知のチカラを使った上での結果であって、異常な体温の低さや精神の状態はわかりかねた。
改めて、ナナが相手にした者と、ナナの持つ血の不明瞭さを実感した。
「サクラか?」
突然、ろうかに知っている声が響いた。
「シカマル……あんた、今日は安静にしてなきゃだめって……」
暁との戦闘でチャクラを使い切り、今夜は病室での安静が言い渡されているはずのシカマルだった。
「……ナナの様子、見に来たの?」
決まり悪そうに目を逸らした彼に、サクラはそう尋ねた。
シカマルは頭に手をやり、ぶっきらぼうに「まぁな」と答えた後、言った。
「ちょうどいい、お前に“聞きたいこと”と、“話しておきたいこと”がある」
サクラはそれがナナの事であると直感し、無言でうなずいた。
そして病室の扉を開けた。
やわらかいライトの灯りが、ベッドを灯していた。
「いつ頃、意識を取り戻しそうなんだ?」
シカマルが尋ねると、サクラは首を振った。
「そうか……」
ため息をついた後、シカマルは呟いた。
「“特殊な術”だからな……わかるわけねーよな」
相変わらず、ナナの顔に色は無かった。
サクラはナナの脈をとり、ほっと息をつく。
「安定してる、心配ないわ……。体温はまだ低い状態だけど……」
「そうか……」
二人は同時に、傍らの椅子に腰を下ろした。
「それで……」
ナナを見つめながら、先に口を開いたのはサクラだった。
「聞きたいことって?」
躊躇うのは『面倒くさい』とでもいうように、シカマルはすぐに言った。
「前の任務で、ナルトの“九尾のチカラ”は暴走したのか?」
サクラは彼を見た。
彼の口から“ナルト”と“九尾”が並列で出ることには、何の違和感もなかった。
今やナルトの腹に九尾が封印されていることは、仲間たちの中では暗黙の了解になっている。
ただ、その事実をシカマルが言い当てていることには驚いた。
いくら先読みの上手い彼でも、遠く離れた場所で彼の知り得ぬ力で戦う者のことなど、わかるはずもない。
「どうして知ってるの?」
だからサクラはそう尋ねた。
と、彼女の予想もしない答えが返って来る。
「ナナが言っていた」
二人は再び、ナナの静かな寝顔を見た。
「ナナが……どうして……?」
サクラはわずかに胸騒ぎを覚える。
と、シカマルは目を伏せ、あの地下書庫であったことを語った。
突然、胸を押さえて苦しんだナナ。
それでも「心配ない」と笑ったナナ。
ひどい汗、紫色の唇、下がる体温……。
何もできずにただナナを抱えていた自分。
そしてようやくそれが治まったとき、ナナは言った。
『ナルトの力と、私の血は……繋がってるの……』
「『繋がってる』……って……?」
サクラは破壊衝動に駆られて見境なく暴れるナルトを思い出す。
続いて、サスケを取り戻しに行った時の、カカシに連れられて来たナナのおぞましい傷の場所を……。
「ナナの心臓の上……そこに九尾を封印するための『刻印』が在った……と言ってた」
「……『刻印』……? 九尾を封印するって……?」
一体どうして……。
うつむくシカマルにそう言いかけて、サクラは口をつぐむ。
残念なことに、その答がはっきりと脳裏に浮かんでしまった。
「まさか……和泉の力で……?」
シカマルはうなずきもしなかった。ただ黙って、両の手を握り合わせた。
サクラは息を止めた。
ナナが絶滅したとされる『和泉一族』の人間であると知ったとき、はっきりいってピンとこなかった。
ナナの特殊な技を見知っていたわけでもないし、だいたい和泉一族自体が“伝説上の生き物”という認識だった。
彼女らは勿論、その親、いや、祖父母の世代すら、彼らはおとぎ話の中の存在という認識があたりまえだった。
だから、ナナがその一族の血をもち、『死んだはずの姉』と戦って死にかけた……と知らされても、完全に理解できるわけではなかった。
だが、
「ナナに『自分は和泉一族の末裔だ』と聞かされて、オレも一族についての資料を漁った……」
シカマルは疲れた笑みで言った。
「木ノ葉図書館の地下資料庫に忍び込んで、探しまくった……。 だが、さすがに里……いや“国レベル”の機密らしく、誰でも知ってる『おとぎ話』くらいしか見当たらねぇ」
サクラはシカマルの横顔を見た。
考えたことは、二人とも同じだった。
『和泉一族』とは如何なる存在なのか……。
「お前のことだ、火影の司書室で資料でも漁って、和泉一族について調べたんだろ? 何かわかったのか?」
サクラは普段は面倒くさがりの彼が向ける、苦悩に似たまなざしを受け止めながら答えた。
「他の種族には扱えない術を持つ、陰陽師の一族……」
できるだけ淡々と、一般的な『おとぎ話』の解釈を述べる。
その特異稀なる力を持った一族の歴史……その栄華と衰退。
そして、現代における彼らの神秘性と役割。
外部が記した文献だからこそ、それは手に入りやすい情報だった。
だが、二人の知りたいのはもっと先だった。
本当に知りたいのは、『和泉一族が何者か』ではなく、『ナナが何者なのか』である。
「これは、かなり古い忍術入門書に書いてあったんだけど……」
サクラは火影の居ぬ間にこっそりと探し当てた、ボロボロの書物に書き記されていたことを告げる。
「結界術、封印術、幻術、口寄せの術、分身の術はもちろん、火・土・雷・水・風の性質変化を要する忍術はすべて、和泉一族の陰陽術をその祖とする……。ここまでは他の書物にも書かれてるし、知ってる人は知ってるわ……でも、続きがあった」
「続き……?」
サクラはもったいぶらずに言った。
「和泉一族の人間は、すべての性質変化を持つ……」
「すべて……?」
寝息すらたてないナナの静かな寝顔。
その、まだあどけなさすら残す少女の中に、『最強の血』が流れている。
「そりゃあ……現存することが世間に広まれば、その“血”を求める輩が出るだろーぜ……」
シカマルは軽い口調でそう言った。
が、その眉間の皺が深くなっていることは、サクラの目にも明らかだった。
自分たちとは完全に異なる存在……。
知れば知るほど、成長すればするほどに、それを目の当たりにさせられていく気がした。
「ナナは……風遁を使ってるところしか見たことないけど……」
「今のところ、使えるのは風の性質変化だっただけだろ……」
サクラは小さく微笑した。
ナルトも同じく、風の性質ということがわかったばかりだ。
偶然か……必然か……。
「それで……ずっと考えてたんだけど……」
サクラは小さく両手を握りしめて言った。
「その和泉一族のナナが、なんで極秘で木ノ葉に来たのか……」
シカマルは大きくため息をついた。
「ま、当然考えるところはそうなるな……。特殊な血を持ち、外界と表立った関わりを避けてるはずの一族の子供が、何で忍の里に居るのか……」
少し風が強くなり出したのか、外で木が揺れる音がした。
サクラはつられるように窓の方を見る。
カーテンに映ったナナの影が、なんだか薄い気がして、また拳を握った。
「里の機密事項に違いないから、火影様やカカシ先生には聞けなくて……私、里のはずれの『和泉神社』に行ったんだけど……」
呟くようにそう言うと、シカマルは意外にもこう言った。
「ああ……オレも行ったぜ……」
二人は顔を見合わせた。
そして結果が同じだったことを悟って溜息をつく。
そこに居た老婆は、何一つ気の利いた事を言わなかった。
「でも……」
サクラはナナに視線を戻した。
言葉が喉の奥に引っかかった。
「だが、その理由がわかっちまった……」
シカマルが代わりに、かすれた声で呟いた。
「どうしてっ……」
言いようのない感情に揺さぶられ、サクラは歯を喰いしばった。
ナナが木ノ葉に来た理由。自分たちと出会った訳。
それが……。
「ナルトを封印するためだったなんてっ……!!」
どうしてナナが……?
二人とも、アカデミーの頃からナルトとナナが一緒に居る所をよく見かけていた。
根性の悪い隣のクラスのくのいちたちは、ドベ同士でお似合いだと陰口をたたいていた。
ナナは、ナルトの隣りで幸福そうに笑っていたのに……。
自分たちがどんなにナルトを馬鹿にしても、励ますように、信じるように、彼のそばに居たのに。
「どうしてナナが、そんなこと……!!」
それを背負って、木ノ葉に連れて来られたのか、送り出されたのか……。
シカマルは、少し躊躇って……だが、決心したように低い声で言った。
「それが、ナナが産まれた理由だからだ」
「え…………?」
サクラは両目を見開いた。
シカマルはサクラからもナナからも視線を逸らし、まるで呻くように言った。
「『そのために産み出された』と……、『それが存在理由だった』と……ナナが言っていた……」
華奢なナナの笑顔……一瞬ふわりとサクラの胸を過ぎっては消えて行った。
「……それをナナは……『姉』との戦いで奪われた……」
誰かを殺すために産まれ、その誰かとかけがえのない仲間になり……そしてその存在理由を実の姉に奪われた。
ナナはたったひとりで、それを抱えていた。
今更ながら、ナナの苦悩がサクラにリンクした。
大切な仲間を、いつか殺さなければならない日が来るかもしれない……そう思いつつ、ナルト自身の強さを信じ、願い、覚悟も決めた。
ナナのことだから、罪悪感にさいなまれ、自分で自分を傷つけていたに違いない。
誰にも言えず、うつむくことすらできなくて……それでもきっとナルト自身に救われて笑うことが出来ていた。
「ナナ……!!」
何も知らず、ナルトの駄目っぷりを馬鹿にし、ナナの面倒を見ていたつもりの自分が情けなく、悔しかった。
そしてそれを実の姉という人に奪われたナナは、何を思ったのか。
その戦いの後、発狂したかのようにナルトにしがみついたナナの姿、忘れようにも忘れられない。
心を失い、人形のようにうつろだったナナも。
あれは、こんな大きく深い傷を負ったから……。
どんなにそばにいても、理解してやることはできなかった。
「……ばかね……」
一粒、言葉と一緒に涙がこぼれた。
「サクラ……?」
「いっそナナが、そんな宿命に耐えられるような強いコじゃなかったら良かったのに……」
シカマルは小さく笑った。彼の同意だった。
いっそのこと、ナナが弱かったらよかった。
泣き喚いて、周りを傷つけてでも、自分自身を守ってくれるコだったら……。
そう思うと、そのあり得なさに自然と笑えた。
「“九尾のチカラ”を封印するなんて……ナナの身体には無理に決まってるわ」
目の当たりにしたからわかる。
ナルトの身体を喰らい尽くすかのような、禍々しくも膨大なチャクラ。
まだ完全に封印は解けていなかった筈なのに、破壊衝動に駆りたてられ、完全に理性を失った狂気。
「ヤマト隊長だって『抑える』のがやっとだったのに……」
「こんな細ェ身体に『封印する』なんてな……」
それでも、『刻印』とやらを失ったことに対し、二人は喜べるはずもなく……。
また同時にナナを見つめてため息をついた。
やがて、
「ナナは……何を望んでいたのかな……」
そう呟いたサクラに、
「……ナナは、自分の『望み』なんて言わねぇからな……」
シカマルは少し笑ってこう言った。
「ただそれを口にしたときは……」
サクラは彼の横顔を見た。
ナナを見つめる彼の視線は、大人びた影を帯びていた。
「“仲間”としてそれを叶えてやりてぇ……」
サクラはため息に似た微笑をこぼした。
「そうね……」
そしてそう呟いた時、ナナを思って冷えた心が少しだけ温まった気がした。