木ノ葉に雨が降り出した。
火影の指令を受けた2小隊8名は、里の門で出立の時を迎えていた。
ナナもまた、彼らを見送るべくそこに居た。
「みんな、気をつけて」
「まかしとけってばよ、ナナ! 今度こそ、ぜってーサスケを連れ戻して来る!!」
ナルトは力強く言った。
「うん」
雨に濡れても、彼の金髪は少しも色褪せなかった。
むしろ高ぶった気持を受け、鮮やかに映えた。
「ナルト」
ナナは突然、彼の首にしがみ付いた。
「ナナ?!」
ナルト本人はもちろん、周りの者たちも突然のナナの行動に、息を呑んで固まった。
「ごめん」
が、ナナは一人、小さく笑いながら身体を離した、
「……ナナ……?」
一言「ごめん」とはにかむように言っただけで、ナナには何の弁解もなかった。
ただ、その表情は滴を受けながらも満足げだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
彼らが霞みに消えるまでしばらく見送り、ナナはようやく向きを変えた。
独り取り残されて、雨の中をとぼとぼと歩く。
孤独な風を装って……。
二人……。
先ほどからこちらを見ている忍がいることは気づいていた。
目的はナナの『監視』に違いなかった。
差し向けたのは、“いずみナナ”の存在を煙たがる里の上層部。
知っていてナナは、うつむきながら火影邸へ戻る道をゆっくりと歩いた。
やがて、火影邸の門をくぐる頃には、視線は消えていた。
やれやれと思いつつ、ナナは執務室の扉を叩く。
中にはシズネと自来也の姿はなく、綱手独りだった。
「ヤツらは行ったか」
「ハイ」
綱手が“何”と“何”を指しているのか悟り、ナナは苦笑しながらうなずく。
綱手はうんざりしたように溜息をつき、椅子に座りなおした。
彼女の後ろの窓は、水滴で景色が滲んでいた。
ナナは笑みを収めると、火影である彼女に言った。
「実は……綱手様にお話があります」
その言葉を待っていたかのように、綱手は表情を変えずにナナを見た。
そして、
「私もお前に話がある」
そう言った。
「なんでしょうか?」
「お前の話から聞こう」
ナナは綱手の瞳の奥を探った。
彼女はそれを防ぐように、顎の下で手を組んだ。
「私……」
だからナナは、己の告げるべきことだけを口にすることにした。
カカシに甘えたときのように、あの時決意したように。
「私も、“サスケ奪還”と“うちはイタチ拘束”の任務に就かせてくれませんか?」
初めて伝える意志。
「私が監視下に置かれていることはわかってます。でも、
任務……と言ったが、そんな形式ばったものではなかった。
熱く滾るような衝動でもなかった。
むしろ、今更と呆れるくらいにあたりまえの願い……。
綱手もそれを知っていて、小さく笑った。
そしてまっすぐにナナを見つめながら尋ねた。
「お前がそれを決意した本当の理由は何だ?」
逃れられぬ“火影”の視線。
ナナはそれを受け止めた。今更だから、それを問われても仕方ない。
が、もう誤魔化すつもりはなかった。すでに怯えは捨てたから。
だから答えた。
「サスケとイタチを戦わせたくないからです」
綱手もまた、受け止めてくれるはずだった。
「姉を殺して……そう強く思ったからです」
少しの沈黙が流れた。
部屋に雨だれの音だけが響いた。
遠い空の向こうで雷鳴が鳴ったとき、綱手はまた小さく笑った。
「それで……か……」
「え……?」
そして立ち上がり、戸棚の戸をいきなり開けた。
「それでカカシがこれを置いて行ったのか」
「カカシ先生が……?」
ナナはかすかに身じろいだ。
振り返った綱手が手にしていた風呂敷包みは、ずいぶん古びたものだった。
もちろん、それには心当たりなどない。
「『お前に必要かもしれないから』……と、これを私に預けて行った」
綱手は机の上にそれを広げる。
「私の話というのも、このことだ」
そこに包まれていたのは、黒い装束と犬の面、そしてひと振りの忍刀だった。
「これって……」
ナナは面にそっと触れた。
白塗りに朱で文様が入れられている。
「暗部の……?」
それは木ノ葉の暗部装束だった。
「カカシがガキの頃に身につけていた暗部装束だ。ちょうど今のお前くらいの背丈のときにな」
ナナは、机に腰掛けて腕組みした綱手を見上げた。
「今は……このサイズの暗部装束は貴重なんだよ」
綱手は「もう作られていないから」と説明しながら、通常より小ぶりで軽量の忍刀を手にする。
「この刀も今じゃ貴重だ。こんな短いのを特注したのは、たぶん“うちはイタチ”以来だろうな」
まるで試すようなその言葉に、ナナは自然と顎を引いた。
「カカシ先生は……どうして私にこれを……?」
綱手はまた、まっすぐにナナを見た。
「アイツは何も言わなかった。ただ『ナナに必要だろうから』としか」
あの右目が心に浮かぶ。
「今お前の意志を聞いて、私もカカシと同意見だと思ったよ」
綱手の瞳も、同じ光を浮かべていた。
「里のエラそうにしている上層部がでしゃばろうと、火影直轄部隊である“暗部”なら、さすがに口出しできない。私がお前を暗部に選定すれば、お前は私の命令でいかようにも動ける」
「綱手様……」
そう、確かにそれは綱手も思いついていたことだろう。
だが、
「だが、私はお前を暗部に認定することを迷っていた」
綱手がそうしなかったのは……。
「私に、“諦め”や“迷い”があったからですよね……?」
ナナにそれがあったのと、ナナを案じてのことだった。
わかるから、ナナは目を伏せて笑った。
綱手もカカシも、さすがに苦難を超えて来た偉大な忍だとナナは改めて思う。
「お前に今、これを身につける意志があるのなら、私はお前に暗部としての命令を下す」
ナナは面を取り上げ、綱手を見上げた。
「もう……迷いません」
たとえまた、心が折られようとも……。
その先に絶望が待っていようとも……。
「行かせてください」
行かねばならない。
二人を戦わせないために。
「お願いします」
それが、己のエゴだとしても。
「ナナ」
綱手は深く頭を下げたナナに、細い巻物を差し出した。
「これは暗部の心得だ。本来ならその証として肩に刺青を入れるが、それもこれも省略だ」
窓をたたく雨が、二人を急かすように強くなった。
「ただちに暗部として、単独で“うちはサスケの奪還”もしくは“うちはイタチ拘束”の任務に当たれ」
ナナは姿勢を正した。
「お前にしかできないことがあるかもしれないからな」
ナナにしかできないコト……。
綱手がそれに期待しているのかはわからなかった。
だが、ナナは力強くうなずいた。
「はい。火影様」
そして、カカシの使っていた暗部装束を風呂敷包みごと抱えた。
これを着て、いく度も死線を潜り抜けてきた彼の日々を思い、それに背中を押されるようで、ナナはニコリと笑った。
「行ってきます、綱手様」
綱手は初めて複雑な表情を見せた。
「無理はするなよ……」
暗部相手に似合わぬ言葉と思い、ナナは苦笑しながら頷いた。
そして、ドアに手をかける。
後ろで綱手が、もう一度ナナを呼んだ。
「ナナ」
「はい」
一呼吸おいて、綱手は言った。
「お前が戦わせたくないと想うなら、戦わせるな」
火影としての言葉でないことは、ナナにも伝わった。
だからナナも包みを強く抱きしめて、もう一度深く頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから数時間後……。
木ノ葉からずいぶん離れた山の上で、ナナは面をとった。
雨はすっかりやんでいた。
まだ湿ったマントを脱ぎ捨て、辺りを見回す。
そこは、和泉とよく似た滝のある場所だった。
嵩を増した水は、この山中に轟音を響かせている。
息を整え、まずは安堵を噛みしめた。
火影から許しが得られたのは奇跡だった。
姉との戦いから帰還して、ますます“上層部”からの監視の目が厳しくなったのを感じていた。
恐らく……、“彼ら”は自分の処遇をどうするか決めかねているのだろう。
自分が、もう一度九尾を封じる存在となったのか。本当に木ノ葉の忍として里に尽くすつもりがあるのか。
彼らにはわからないのだ。
カカシに明かした“イタチとの関係”……、つまり“うちはと和泉の計略”については、彼らはまだ知らないのだろう。
だから単純に、知り得ないから監視下に置きたがっている。
やはり自分の未知なる力を恐れているがためか……。
だがそれでも、火影は体裁を保ったまま願いを叶えてくれた。
ナルトたち正規の隊に投入するのでなく、火影直轄の暗部のひとりとして、任に就かせてくれた。
任務……、というにはあまりにも個人的な衝動であるにも関わらず。
カカシが“イタチとの関係”を告げなかったというのが本当かどうかはわからない。
が、どちらにせよ、火影は“個人的な衝動”とわかったうえで任務として命じてくれたように思えた。
感謝の想いが胸に溢れる。同じくらい、安堵も。
これで……、やっと前に進める。
そう思う。
ずっと目を背けてきた。考えないようにしてきた。自分を偽って来た。
が、これで後悔せずに済むのだ。
たとえどんな道になろうとも……。
前に進む決心がついたのは、姉のおかげだった。
あの時空を超えた旅で、全部を思い出してしまったから。
初めからずっと抱いていた、己の疑問、怒り、悲しみ、イタチヘの思い、サスケへの思い……、そして、願いを。
二人を戦わせたくない……。
やっと、願いを認めて口にすることができた。
止められるかはわからない。止める方法なんて知らない。
が、自分にできることを……。
(二人に会わなくちゃ……)
周囲に生き物の気配が無いのを確認し、川辺の茂みに向かって小さく“名”を呼んだ。
その声はもちろん滝の音にかき消された。
が、呼ばれることを待っていたかのように、茂みから現れるものがあった。
それは、純白の毛をした三尾の狐だった。
「ホクト……」
ナナは少し離れて止まったそれに、小さく笑う。
言葉は無かった。
口にせずとも、その狐はナナの意志を知ったかのようにかすかに尾を揺らした。
そして、自らの姿をぼんやりと燻らせた後、それは目の前で待つナナと同じ姿になった。
ただし、身につけているのは暗部の衣装ではなく、白い袴だった。
「よかった……うまくいったみたい……」
独り言のように呟いたのは、白い袴の“ナナ”だった。
「こういう術は苦手なんだよな……」
同じ独りごとを続けたのは、暗部装束の“ナナ”だった。
そして二人のナナは、同時に同じ印を結ぶ。忍の印ではなく、陰陽術の印だった。
すると、二人のナナの周りには、瞬く間に瑠璃色の蝶が数十匹現れた。
はたから見れば、荘厳な滝の前に瑠璃の葉が舞っているような、美しくも狂気じみた光景だった。
しばらく蝶たちは二人の周りをヒラヒラと舞い、それから散り散りに飛び去った。
また二人だけになり、暗部のナナは目の前の“自分”に呟いた。
「必ず……二人を見つけなきゃ」
白袴のナナも呟いた。
「ナルトたちが出会う前に……」
同時にうつむき、同じ強さで拳を握る。
「止めなきゃ……」
「戦いを……」
そして二人は同じ声で、苦しげにつぶやいた。