薄闇の中、サスケはすぐ側にあった“壁”に手をついた。それは彼の傷ついた手を受けて少し窪む。
デイダラが自爆した瞬間、サスケは大蛇“マンダ”を口寄せした。
ここはその腹の中……、異空間だった。
「くっ……」
全身を激痛が駆け巡った。
ギリギリのタイミングで退避したものの、受けた傷は浅くはなかった。
「くそっ……!」
再び身体は力を失い、バランスを崩す。
……と。
「…………?!」
何かが身体を受け止めた。誰も居るはずのない、異空間だというのに。
しかし彼の眼には、暖かく彼の体を支える淡い光が見えていた。
それは徐々に光を弱め、逆に形を成していく。
視界の端に、瑠璃色が舞っては消えた。
それとともに、視線を脇にやった。
懐かしい香りがしたから、それがどんな姿へ変化するのか知っていた。
「何しに来た……」
身体を離しながら、サスケは低い声で“実体”となったそれに言う。
「……アナタに……会いに……」
強張った声で、だがきっぱりとそう答えたのは、白い袴姿のナナだった。
サスケはわずかな間を置いて、冷たく言った。
「オレはお前に用はない」
そしてナナから身体を離し、“壁”にもたれて座る。
「ひどい傷……!」
ナナは彼の隣に膝をつき、
その薬の入れ物に、サスケは見覚えがあった。
「安心しろ……」
彼はこちらに伸ばされた手を掴み、残酷な笑みを浮かべて言った。
「“暁”とやり合ったが、イタチじゃない」
ナナの手から、薬が落ちて転がった。
サスケの言葉にはじかれたその手は、彼に押しやられるままだった。
硬直したナナは、やがて彼に触れることを諦めたかのように息をつき、両手を握り締めた。
「オレに会いに……と言ったな」
サスケはナナを見ぬまま言った。
「今さら何の用だ?」
かすかに震えるナナを横目に、声を少しも和らげず、皮肉るように言った。
「
白い袴の袂が揺れた。
躊躇うように息をついてから、ナナはまた強張った声で答えた。
「私は……」
何かと戦うように、必死に答えていた。
「『イタチとサスケの戦いを止める』と……そう決めたの」
その両手は、今度は膝の上で握られた。
「それを口にする“勇気”が……やっと持てたから」
サスケはようやく、うつむいて己の言葉をかみ締めるようにしたナナを見た。
そして切り捨てるように言った。
「無駄だ」
ナナは歯を食いしばった。
「お前には止められない」
「叶わなくてもっ……」
サスケが言い終わらぬうちに、ナナは搾り出すように声をあげた。
その双眸は初めてサスケの眼を見つめ、燻るものを露にした。
「そうすると決めたの……!」
「やっと持てた」という勇気を……意思を……決意を……、ナナは苦しげに、悲しげにサスケにぶつけた。
「サスケにイタチは殺させない……! イタチにサスケを殺させない……!」
サスケがそれらを受け止める間も無く、ナナは溢れさす。
「それが私の願いだから、叶わなくても止めるのっ……!!」
激しい心の揺れ。
ナナがそれをサスケの前で晒すのは二度目だった。
一度目は、姉が死んだことでナナの感情が溢れ出た。
ヒトリで抱え込んでいるようなナナに苛立ったサスケ。
自分の方こそヒトリで傷ついているくせに、優しいサスケに苛立ったナナ。
だがあの時とはずいぶんと遠く離れた場所に、二人は来てしまった。
ナナの苛立ちの本当の意味を、サスケは知ってしまった。
だから……。
「アイツの前に立ちはだかるなら……お前も殺す」
あの時とは違う苛立ちを込めて言い放つ。
ナナも、覚悟を決めていたかのようにその言葉を受け止める。
「イタチを殺すことがそんなに大事?!」
怒り……。
「仲間を傷つけて、繋がりを断ち切って、こんなに孤独になってまで……、イタチを殺すことがそんなに大事なの?!」
苛立ちを通り越したそれが少しの躊躇いもなくサスケに向けられる。
「自分の命まで捧げて……、そんな復讐に意味があるの?!」
初めて明け透けになったナナの奥底。激しい怒りともどかしさが瞳に宿っていた。
そして、同じものがサスケの眼にも浮かんだ。
「お前に何がわかるっ?!!」
だから彼は荒ぶる声でそう叫ぶ。
その手はナナの襟を掴んでいた。
「チカラも“イタチも”持っていたお前に、何がわかるっ?!」
かつてなく荒々しい彼の手に、ナナは首筋を引きつらせる。
サスケは躊躇わずに吐き捨てた。
「お前の姉が言っていた」
ナナは目を見開いた。
「お前とイタチは『全てを持っていた』が、自分とオレは『全てを奪われた』……と」
目の前で露わになる傷の深さに、目が眩みそうになった。
が、醜い感情は止まらなかった。
「姉上……が……?」
「琴葉は……、九尾を収める道具として大人の都合で産み出されたくせに、“チカラ”も“イタチの存在”も手にしていたお前を憎んでいた」
サスケの一言一言に、ナナの怒りが憐れにひしゃげられていく。
「お前はもっと『墜ちるべきだ』と……オレにそう言っていた」
どす黒い空気が、二人の間に流れる。
「結局……お前はアイツを消したんだろう? その“チカラ”で」
ナナは遂に、目を逸らした。滾る怒りは完全に失せていた。
サスケはゆっくりと、手を離す。
「サスケ……」
掠れた声で、ナナは呟いた。
「アナタも……私が……憎い……?」
サスケもナナから視線を逸らした。
「……そうだよね……」
ナナは、サスケも良く知っている、耐えるような声で……、そして傷ついた笑みを浮かべていた。
「私はずっと……サスケに嘘をついて……裏切ってきたんだもんね」
サスケはナナの襟元から離したばかりの手を、密かに握る。
「姉にイタチと私のことを聞いて……私を憎むのは当たり前だよね」
ナナのまとう空気が震えた。
「……アナタの傷を見て見ぬフリをして……、アナタの知らないところでアナタのその目的を否定して……」
今度は弱く。
「だって……恐かったの……」
サスケは顔を背けたまま。
が、ナナはうつむきながら全てを搾り出す。
「イタチの話をして、サスケに拒絶されるのが恐かった……!」
初めての告白。
ここに来るまでにどれほどの時間が必要だったか。どれほどの勇気を持ち出したか。
告げられるサスケもそれを知っていた。
「アナタの憎しみはあまりに深くて……、私が知ってるイタチの話をしたら、
今の……二人の間の距離のように。
「だから……恐かった……」
すぐ側に居るのに、向き合えない遠い心。
「私はサスケに……」
消え入るようなナナの声。
「拒絶されたくなかった……」
サスケは奥歯をかみ締めた。
「……だから……」
最後に言うナナの言葉は聞かずともわかった。
「……ごめんね……」
ナナはそれを呟くと同時に、サスケが掴んで少しよれた襟に触れた。
視界の端にそれを捉え、サスケは目を閉じた。
そして静かに息を整えた。
「……でも……」
が、先に言葉を出せたのはナナだった。
「でもっ……!」
少し躊躇い……やはりまだ怯えながらも
「どれだけサスケに拒絶されても、『二人を戦わせたくない』と……、そう言える決意がもてたから、私は
ナナは一息に言い切った。
「『もがいても、愚かでも、醜くても生きろ』と、最期に姉が言ったから……」
よれた襟は、さらに深く皺が入る。
「だから私は……どんなに醜くても、叶わなくても、最後までもがいて……もがいて……二人を止めると決めたの」
願いは悲鳴のように吐き出された。
決して強くなく、まっすぐでもなく……、ただ苦しいばかりの、たったひとつの願いだった。