ひと葉 ~弐の巻~   作:亜空@UZUHA

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 視界の片隅に、瑠璃の蝶が舞った。
 それからすぐに背後でしたかすかな葉音。
 身構えもせず、うちはイタチはゆっくりと、現れた人影を向いた。
 懐かしい、木ノ葉の暗部装束。
 小柄なその忍は身構えぬイタチに対し、同じように殺気のカケラも出さず、その面をとった。
 瑠璃の蝶は、遠慮がちに消え去った。

 二人はしばし、無防備に見つめ合った。

 イタチは……意外にも暗部の装束を身につけて再び目の前に現れたナナの、腫れた瞼と白い頬に残る痕を見つめ……、ナナは……少しも変わらぬイタチの眼差しを受け止めた。




衝迫

 

 

「……イタチ……」

 

 先に口を開いたのはナナだった。

 

「約束……破ってごめんね……」

 

 予想通り……イタチは静かにこう答えた。

 

「それでよかった……」

「でも……」

 

 かすかにイタチが笑った気がした。

 

「私が……連れて行ってと願ったのに……」

 

 「選べ」と言って去ったのはイタチだった。

 だがあの朝、約束の場所にイタチが現れたのは間違いなく……。

 そこに現れなかった自分に対して、何を思ったのかもわかってしまっていて。

 

「お前は来ないと思っていた」

 

 大人びてそう言う彼に、ナナは手の面を握りなおす。

 

「でも……」

 

 せめて、伝えなければならない言葉を言うべく、

 

「……連れて行ってほしいと思ったのは、本当だよ」

 

 瞳を逸らさずにまっすぐ立つ。

 

「イタチは……」

 

 縋りたかった。護られたかった。

 誰にも言えない弱い言葉を、イタチにだけは吐けたから。

 

「ずっと、私のすべてだったから……」

 

 そう想う心は、少しも変わらない。

 『ずっと』、出会ったあの日からそうだった。

 去られても、大罪を知らされても、冷たい紅の眼を向けられても……、それは少しも変わらぬ想い。

 が、イタチは目を伏せ、呟くように言った。

 

「お前は……サスケの元へ行くと思っていたが……」

 

 彼の眼には、やはり全てを見透かされていた。

 だからこそ……彼は選ばせた。

 

「木ノ葉に戻るとは……お前らしいな……」

 

 そして今、軟く笑む。

 ズキリと心が軋んだ。

 彼を大切に想う部分が、キシキシと鳴いている。

 

「イタチ……」

 

 あの朝……。

 彼の待つ川辺の少し上流に立ち、耐えた水の冷たさが甦る。

 彼の元へ“去りたい”と願う心に流されぬよう……。

 サスケに“逢いたい”という想いに流されぬよう……。

 挫けそうな心を流してしまわぬように。

 

「あなたが『選べ』と言ってくれて……」

 

 だが、今はちゃんと地に足をつけている。

 

「生き返った我愛羅も……」

 

 だから、頼ることを教えてくれた彼に、

 

「ネジ君も……そう言ってくれて」

 

 心の深淵に向き合うことを教えてくれた彼に、

 

「私は自分がどうしたいのか……初めて知った」

 

 まっすぐに向き合う。

 

「私はサスケに逢いたかった」

 

 イタチは黙って聞いていた。

 その顔は、昔、幼い自分を見下ろしていた時と同じ。

 

「それがわかっても……、あなたの待つ場所へも、サスケの元へも“逃げずに”いられたから、私は木ノ葉の忍として生きることを決められた」

 

 流されずに立っていられたから、“なりたい自分”を選ぶことが出来た。

 哀れでも、醜くても。

 強がりじゃなく、ただ一歩足を踏み出せた。

 

「……それでいい……」

 

 イタチは穏やかに言った。

 また、ナナの胸が鳴いた。

 なりたかった自分を、イタチは誰より知っていた。

 

「それで……、今日はオレに何の用だ?」

 

 サスケと違う、大人びた口調。

 ほら……知っている……。

 

「オレを……殺しに来たのか?」

 

 ナナはもう一度手にした面を握りなおし、言う。

 

「私……あの後、姉を殺したの」

「……そうか……」

 

 最初にイタチに別れを告げられた満月の夜を思い出した。

 

「それで、決めたの……」

 

 イタチを失望させぬよう、精一杯強がって、涙を押し込めたあの頃の自分がリンクする。

 

 

「私は、イタチとサスケの戦いを止める」

 

 

 そして、ほんの少し前に、同じことをサスケに告げた涙まみれの自分も蘇る。

 

「それが……私の願い」

 

 イタチは顔色を変えなかった。

 

「ずっと言えなかった、私の意志だから……!」

 

 ナナの声は、二人の周囲の空気を切り裂くように、切なく響いた。

 それでもイタチは、僅かにマントを揺らしただけで、黙ってナナを見つめていた。

 

「どうして……サスケを傷つけたの……?」

 

 ナナは少し、顎を上げた。

 

「何で木ノ葉を抜けたの……?」

 

 溢れ出す“問い”もまた、初めて口にするもの。

 

「ナルトを……九尾を狙うのはどうして……?」

 

 今さらやっと口にする。

 

「一族を殺したのは……本当……?」

 

 ずっと怖れていた言葉……。

 イタチは初めて目を伏せた。

 

「お前は知らなくていいことだ」

「どうして?」

「……オレたちには関わるな」

 

 彼の“今さら”な言葉に、ナナは思わず口の端を上げる。

 

「イタチが答えなくても……私はイタチを信じてる」

 

 あたりまえのこと。

 

「信じてるけど……、本当にサスケを殺そうとするなら止める」

 

 簡単なこと。

 

「私が信じるアナタを……殺そうとするサスケも止める」

 

 ただ、ちょっと我が侭なだけだった。

 木ノ葉の忍としても、サスケの仲間としても、口にできなかったというだけのこと。

 これがいずみナナとしての言葉、意志、想いだった。

 

 初めの誓いはただの強がりだった。

 抜け忍としてイタチが現れるなら、木ノ葉の忍として戦う……と。

 サスケの代わりにイタチを殺す……と。

 自分と二人に誓ったのは、その想いを口にすることを怖れていたための、ただの強がり。

 そして弱さだと気付いた。

 

「ナナ……」

 

 やっと言い終えたナナを、まるでなだめるようにイタチは言った。

 

「また……強くなったな……」

 

 また、あの頃のような眼差しをよこす。

 

「サスケと戦わないで」

 

 だからナナも、あの頃のように強く立つ。

 

「……もう遅い……」

 

 イタチが何と言おうとも。

 

「オレたちの……呪われた歯車は廻り始めてしまった」

「私がそれを止めるから」

 

 揺るがず、逸らさず、怖れずに。目の前の忌わしい歯車を見定める。

 

「たとえ敵わなくても……」

 

 チカラが足りなくても。

 

「二人にとって邪魔な存在だとしても」

 

 『必要ない』と、知っても。

 

「私にとっては、何より大切な二人だから……!!」

 

 イタチの眼に、一瞬だけ影が揺らいだ。

 ナナは其れを見据えた。願いと想いを込めて。

 

「オレは一族を殺し、里を抜け、弟を復讐者にした男だ」

 

 いくら冷えた言葉をぶつけられても、

 

「最初にお前が言ったように、オレはお前の敵だ」

 

 目は逸らさなかった。

 

「“止めたい”のなら……、サスケと一緒にオレを殺せ」

 

 その代わり、無理に笑ってみた。

 

「サスケにも言われた……」

 

 イタチの眼が、また揺れた。

 

「イタチが大切なら、イタチの元に居ればいいって……」

 

 全身に、嫌悪と悲壮、蔑みを持って拒絶したサスケの言葉を、かみ締めながら呟く。

 

「そして“止める”なら……一緒に殺してやるって……」

 

 小さな苛立ちが、腹の底に湧いた。

 それを抑える術も義理も、もうナナにはなく……。

 

「私が死んで二人が止まるなら……さっさと私を殺してよ」

 

 強さと供に現れるそれを、ナナは隠しもせずにイタチに晒す。

 

「今さら『自分を殺せばいい』だなんて……」

 

 鼻の奥がツンとした。

 

「……イタチがどれだけ優しいかを知ってる私に言わないでっ……!」

 

 強がりな誓いを立てた後も、何度も何度も救ってくれた彼の想いを、優しさを、信じて疑わないから、

 

「私っ……」

 

 感情をむき出しにしてでも、それに懸ける。

 

「イタチと戦う瞬間まで、サスケと一緒に居たかったの……!」

 

 何も言わない、孤独なヒトに。

 

「そして“その時”が来たら、二人とも護りたかった……!!」

 

 ひとつも打ち明けてくれないイタチに。

 

「叶わなくても、そうしたかった……!!」

 

 深淵を覗かせてくれなくても、己のそれは曝け出す。

 

「だけどっ……アナタを殺すために生きるサスケにとって、アナタも護りたい私は必要なかった……」

 

 傷も、想いも、苛立ちも……、全て知っている彼に、全てを伝える。

 

「……それでもっ……!!」

 

 まるで魂をぶつけるように。祈りすら込めて。

 

「どんなに拒絶されても、私は……」

 

 遠ざかるサスケの背に怯えても。

 何も言わないイタチに怯えても。

 

「……二人を止めると誓ったから……」

 

 まっすぐ……。

 もう意志は曲げない。

 

「叶わなくても……」

 

 最後にそう呟いた瞬間、冷えた涙の痕に、熱い雫が伝った。

 

 それを……。

 

「ナナ……」

 

 イタチの指先がすくった。

 いつのまにか縮んだ距離。

 ナナは面を手放し、彼のマントを握り締めた。

 

「戦わないでっ……サスケと……!」

 

 懇願というより、威迫に近かった。

 

「戦わないでっ……!!」

 

 イタチの眼に映る己の姿は、ひどく哀れな様だった。

 が、まっすぐそれを睨みつけた。

 醜くても、哀れでも、逃げることを辞めたかった。

 

「もう遅い……」

「わかってる……」

「サスケの憎悪は止まらない……オレはそれを受ける運命だ」

「それでも……!」

 

 だから、今更なだめるイタチに向かって言う。

 

「それでも私が止める……!!」

 

 イタチが……自分を傷つけまいとして、「関わるな」と言ったのは知っている。

 いい加減、自分を気遣う彼に対する感情は、歯がゆさと苛立ちでしかない。

 イタチはついに、諦めたように目を伏せた。

 

「どうしても……オレたちを止めたいというのなら……」

 

 ナナは彼のマントを握りなおした。

 

「ここから西にある“うちは”のアジトで、オレはサスケを待つ」

 

 そして彼の言葉を聞く。

 

「そこで決着をつける」

 

 冷たい光にも目を逸らさない。

 

「お前の意志を……もう揺るがせられないのなら……」

「……行かないで……」

 

 涙が流れても、

 

「其処に来ればいい……」

「……行かないでっ……!」

 

 声が震えても……

 

「イタチっ……」

 

 最後の願いを引きずり出す。

 

「お願い……!!」

 

 イタチはまた、指をナナの頬に這わせた。

 影が揺れた。

 

「……ナナ……」

 

 そして、今までになく惨痛を露にし。

 

「お前には止められない……」

 

 無情の言葉で斬りつけた。

 

「……だから……其処には来るな……」

 

 二度と眼は合わさなかった。

 

「オレの……」

 

 彼はナナの手をマントから引き剥がし、

 

「それがオレの願いだ……」

 

 一歩、下がる。

 

「イタチ……」

 

 また一歩。

 開いていく距離には、もううんざりだった。

 

「私、今度はちゃんと行くから……!」

 

 壊れそうな自身にもとどめを刺すように……。

 

「絶対に二人とも死なせないからっ!!」

 

 ナナはそう叫んだ。

 イタチは最後に、また漫ろ笑む。

 そして、彼の姿は弾けるように形を変え、乱れ飛ぶ数十羽もの鴉となった。

 

「イタチ……」

 

 やがて鴉たちは、ナナを残して全て飛び去った。

 疲れ果てたように膝を付いたナナは、突如、クナイを地に突き立てた。

 

「くっ……!!!」

 

 無力さ……歯がゆさ……悔しさ……もどかしさ……。

 湧き上がるそれらにチカラを奪われぬよう、強く、刃を突き刺す。

 ひとつ、雫が手甲に落ちた。

 それを拒むよう、ナナはぎゅっと目を瞑る。

 瞼の裏には、遠ざかる二人の背……。

 

「行かなくちゃ……」

 

 振り切るように、声に出して言ってみた。

 

「止めなくちゃ……」

 

 イタチの分身が消え去った所を見据え、右手でむき出しの左肩を掴む。

 結局、消えなかったこのクセ。

 

「叶わなくてもっ……!」

 

 ナナは痕が残るほど強く、かつてイタチのサラシが在ったそこを掴み、吐き出した。

 そして再び、カカシから継いだ面を取り上げた。

 

 

 

 

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