『やっと、辿り着いた……』
サスケはそう言った。
(たどり……ついた……?)
ナナはその言葉を繰り返す。
(ここが……?)
ここがサスケとイタチと、そしてナナが行き着いた場所……。
本当にそうなのか。ここは本当に迎えるべき終末だったのか。
こんなふうに、こんな事実で……。
「なんで……こんな……」
ナナの膝にようやく力が入った。
削がれていた決意が、やっと腹の底に蘇った。
(違うっ……!!)
思い出したように湧き上がる怒りともどかしさ、そして後悔。
それらが混在したまま、ナナはイタチに向かって叫んだ。
「殺し合うことが兄弟の絆?! 何を言ってるの?!」
全てを否定したかった。今明かされたことを全部否定したかった。
否定できるだけの思い出を、ナナは持っている。
たとえ少なくても、刹那でも、かけがえのないそれらを突き出して否定できる。
「私に……」
今更それらを蹴散らされようとも、忘れられなかったから。
「あんなに優しい眼で……サスケのことを話してくれたじゃない!!」
弟のことを語るイタチの優しい瞳を。
せがむままに語ってくれたイタチの優しさと、彼の口から出る弟を想う声を。
忘れるなんてできなかった。
「自分の力のためにサスケを殺す?! それが本当にアナタの目的だったの?!」
あれを偽りなどと思えるはずがなかった。
突きつけられたイタチの意志より、ナナの記憶がまだ勝る。
「本当にそのために生きて来たの?!」
鋭い言葉は悲鳴のようにその場に響いた。
サスケはゆっくりとナナを向いた。
そしてイタチは、冷えた声で応えた。
「……お前はまだ信じられないのか?」
「信じない……!!」
ナナは即答した。
「まだ、思い込みの中で生きようとするのか?」
「思い込みなんかじゃない……!」
全身の力を己の心に集中させた。
「お前が信じようと、そうでなかろうとかまわない」
冷たく言い放つイタチの言葉に、砕かれてしまわぬように。
「サスケはオレの新たな光……。オレはこれからそれを手に入れ、永遠の瞳力を手にする」
あの赤い眼に、染められてしまわぬように。
「邪魔をするな」
「私が邪魔……?」
強く、自身の想いをすべてここに曝露する。
「だったら……」
何度も与えられてきたイタチの温もり……。
それがある限り、イタチの言葉は信じない。
「だったらどうして……何度も私を助けたの?!」
邪魔というなら……最初からわかっていたはずなのに、何故何度も救ったのか。
何故護ったのか。
何故優しかったのか。
何故、愛を……。
「今だって……」
閊えが取れたように、ナナは叫んだ。
「私が邪魔なら、その眼ですぐに殺せばいいじゃない!!!」
悲鳴のような声は、むしろ願いのように響いた。
サスケは黙ってナナを見つめていた。
イタチも表情を変えなかった。
ただひとり、ナナだけが荒ぶる気を纏っていた。
「お前は殺さない」
「なにを……今更っ……!」
イタチはそれを受け止めもせずに言った。
「お前を殺さず手懐けていたのは、目的があったからだ」
「…………?!」
「手懐ける」。
さっきも聞いたその語感に、今度はひんやりとしたものを感じる。
その単語が、イタチに突き放されていく感覚を大きくする。
「目的……?」
ナナは息を呑んだ。身構えざるをえなかった。
イタチはあっさりとその答を出した。
「お前は“うちは”の血を引く最後の女だからな……」
たっぷりとした間があった。
「……どういうことだ?」
先に口を開いたのはサスケだった。
「こいつが何故“うちは”の血を引いている?!」
サスケの苛立ちにも、イタチは焦らさず応える。
「言葉の通りだ。ナナは“和泉”と“うちは”の混血だ」
ナナの指先が凍りついた。
先ほどまでの憤りは完全に剥ぎ取られ、代わりに未知に対する怯えが目覚める。
「だ、だって……私は……」
「お前は、天才陰陽師『和泉成葉』の生まれ変わり……そう言われてきた」
天才陰陽師と恐れられた和泉成葉の力を受け継ぐため、その魂を転生させて生まれ落ちたのが自分だった。
それ以外の過去など知らず、自分をそういう存在と受け入れて疑いもしなかった。
「だがお前は、『純粋なる和泉の人間』でも、『和泉成葉の生まれ変わり』でもない」
しかしイタチは、容赦なくナナの生を否定する。
「だったら一体なんなんだ……!」
サスケまでがイタチの言葉に侵されたように問う。
「和泉成葉の生まれ変わりでないのなら、こいつは一体なんなんだ?!」
揺らぐ命に耐えるように、ナナは血の滲んだ両手で胸を抑えた。
その下には、意味を失った刻印があった。
「和泉成葉は九尾襲来の後、木ノ葉で子を産み、死んだ……。それはナナも聞かされていたことだ」
ナナの脳裏に、まだ新しい成葉の笑みが浮かぶ。
姉の力によって飛ばされた時空。そこで出逢った“もう一人の自分”……そう信じて疑わなかったはずなのに……。
「確かにそれは事実だ。だが……知らされなかったことは……」
イタチは成葉の記憶さえも覆す。
「和泉成葉が身籠っていたのは、“双子”だったということだ」
触れた成葉の腹の温かさは、今も容易に思い出せるのに。
「和泉成葉は子を一人産み、そして死んだ」
ナナは干乾びた唇を震わし、イタチを見た。
イタチはまっすぐにナナを見下ろし、告げた。
「お前は産み落とされることなく、母体とともに死んだ
瞬きをした。
それすらも酷く疲れる作業であるように、恐ろしくゆっくりと。
「でも……私は……」
受け入れる、受け入れられない、信じる、信じない……とか言う前に、その事実が考えもよらぬことだった。
「そんな……」
だから、ナナは今までの現実に縋るべく呟いた。
「だって、私は
「確かに、和泉の者たちは初め、『和泉成葉』本人を転生させる術を行った」
が、イタチは跳ねつける。
「しかし……術者たちは途中で目的を変えた」
明かす事実によってナナに斬りつけるでもなく、ただただ淡々と。
「つまり……和泉成葉ではなく、彼女の“産まなかった子ども”を転生させることにした。それがお前だ、和泉菜々葉」
カラカラに乾いた喉が、呼吸によってキリリと痛んだ。
が、ナナには唾を飲み込むことすらできなかった。
「そして、お前の父親は“うちは”の人間だった。そういうことだ」
ナナは視線を床に落とした。
「そんなこと……」
成葉の笑みと、膨れた腹。父親である和泉当主と、産みの母。そして姉。
皆の目、声、言葉が、記憶の奥から押し寄せる。
「そんなこと、誰も……姉上も言っていなかったっ……!」
和泉当主は木ノ葉へ去った元許婚の甦りとして、自分を憎しみの対象にしていたはず。
母も、そんな存在の自分を怖れ、疎ましく思っていたはず。
何より、真実を握った姉がそう言っていた。
そして一族の者たち全てが、畏怖の目で自分を見ていた。
「お前の周りの人間は皆、お前が和泉成葉の生まれ変わりと
が、イタチはその矛盾を解く。
「思い……込まされて……?」
解かれても、一向に安定しないナナの心。
そしてそれをさらに揺るがすイタチの台詞。
「和泉の誰も真実を知らなかったのは、ある者がその事象に『
「そ……んな……」
『裏葉の術』。
ナナには聞き覚えがあった。
それは和泉一族の中でも限られた者しかその存在を知らない、禁術に当たる高等陰陽術だった。
「ウラハノジュツ……だと……?」
聞いたことのあるはずもないサスケが問う。
が、同じく知るはずもないイタチが答えた。
「事実を捻じ曲げる禁術だ……。和泉本家ですら扱うことができない、分家のある一族にのみ伝わる一子相伝の陰陽術だ」
『事実を捻じ曲げる』……即ち、偽りの事実を信じ込ませる術。
幻術とは違い、『人』に対して掛ける術ではなく、『事象』に対して掛ける術だった。
当然のことながら、理に背く禁術。
それを分家のある一族が編み出し、一子相伝で受け継いでいた。
その術が使われた案件を、ナナは一つだけ知っていた。
というより、ナナだからこそそれを知らされていた。
なぜなら、『裏葉の術』を使ったのはあの和泉実葉だったから。
実葉は成葉が産んだ子を守るために、命と引き換えにその術を使ったと聞かされていた。
真実が永遠に隠されたから、未だその子の行方を誰も知らない。知ろうとさえしない。
和泉の人間も、木ノ葉の人間も、和泉神社に居た静葉でさえも。
それこそがこの術の効果を示していた。
だが、
「だって……私は和泉成葉の生まれ変わりだから……」
容易に信じられるわけなどなかった。
「だから九尾を抑えるほどの力があるって……」
背負わされた力は、和泉成葉のそれとして違わぬほどに大きいものだった。
何より色濃いその血を感じ、嫌悪してきたのはナナ自身だった。
「私は……」
それでも、『生まれ変わり』という生を受け止めた。
その生に背負わされた宿命と向き合った。ナルトという存在に希望すら見出し、戦った。
それは決して簡単なことではなかった。
だから、たとえイタチの言葉であっても、信じられるはずはなかった。
が……。
「なら……」
イタチはナナの全てを泡と化した。
「何故オレの幻術にかかった?」
ナナは一歩、後ずさった。
「……え……?」
イタチの赤い眼が濃くなっていた。
「“うちは”の万華鏡写輪眼による幻術に、唯一かからない存在が『生粋の和泉の血』のはず……」
そう……、対極の一族であることは知っていた。
互いに天敵だからこそ、イタチとナナが引き合わされたこともわかっていたはずだった。
「だが、お前はオレの幻術にかかった」
それなのに、今さら気づく事実。
イタチの言葉からもう逃れられないことを、否が応でも悟ってしまう。
「お前は純血の和泉の人間ではない」
彼から告げられる言葉に、今は恐れを感じる。
「お前には、半分だけオレたちと同じ“うちは”の血が流れているのだ、ナナ」
長い長い沈黙の後。
「なんでだ……」
ふつふつとしたものを表す声が、ナナの隣で発せられる。
「なんでアンタがそんなことまで知っている……!!」
かろうじて目を動かすと、サスケがナナの前に立っていた。
「禁術で事実が捻じ曲げられたっていうのに、何故アンタは真実を知っている?!」
その場に響いたサスケの声が消えた後、イタチはナナを見つめたまま答えた。
「すべては……マダラが仕組んだことだからだ」
再び登場した“うちは”の名に、サスケは眼光を鋭くする。
「マダラが仕組んだだと……?」
「マダラは古くから、和泉の人間と秘かに手を組んでいた」
ナナの脳はもう、働きを失っていた。
力はつま先から抜けて行った。
「天才陰陽師『和泉成葉』と“うちは”の血を引く子を甦らせるため、マダラが和泉の人間を操ったのだ」
ナナは視線を落とし、ゆっくりと己の感覚の無くなった両手を開いた。
手袋が血を吸い込み、黒く滲んでいた。
「『和泉成葉』ではなく、『和泉成葉の子』を転生させるよう、本家の当主や他の術者を仕向けろ……と」
その血の意味を、ナナは失いかけていた。
(私は……)
ナナの意識が揺らいだ。
「あるいはお前が写輪眼を開眼するのでは……とオレたちは見てきた。が、お前は『覚醒』を遂げ、和泉の血のほうを濃くした」
覚醒……それはナナがイタチに告げた。
その時も、イタチが救ってくれた。覚醒の苦の中、カブトと大蛇丸に捕らわれたところを、何故かイタチが現れて救ってくれた。
あれほど優しく、切なく……。
あの夜の想いが甦った瞬間、
「……ぐっ……」
ナナは歯を食いしばった。
力の抜けた身体に、痛みと苦しみだけが甦る。
「だが……まだお前の利用価値はある」
だったらあれは、イタチの気まぐれか……それとも演技か……。
「だから、お前は殺さず生かす。どんな形でもな……」
ナナは初めて生まれたその問いを感じずにはいられない。
「最初から……?」
思考と関係なく、ナナの唇から掠れた想いが零れ落ちる。
「わざわざ和泉の里まで会いに来てくれたのも?」
その想いは、すでに行き場を亡くしていた。
「カブトに捕まった時、助けに来てくれたのも?」
重ねた肌に、疑う余地などどこにもなかったのに。
「今度こそ……一緒に連れて行ってくれるって言ったのも?」
次第に窄んでいく心。
「私を……『愛しい』と……言ってくれたのも……?」
全て偽り……?
「……っ……」
最後の問いは喉の奥で千切れた。
足もとが、ふらついた。まるで細い糸の上に立っているようだった。
今まで歩いて着た道が、どれほどイタチを支えにして来たか今更わかった。
イタチの優しさに甘え、イタチの愛に守られ、イタチへの想いに導かれて来たか……そう思って来たのかが嫌というほどわかった。
「お前はオレの幻術の中にいたのだ」
ナナはイタチを見た。
彼の眼に、かつての自分は映っていなかった。
「お前は“うちは”と“和泉”の血を引く者として、利用させてもらう」
今、彼の眼に居るのは、ちっぽけで哀れな自分。
全ては幻……?
(イタチじゃない……)
己の中で呟いた。
それこそが現実に留まる残された唯一の手段であるかのように。
(こんなの……イタチじゃない……)
動かなくなった頭の片隅で念じた。
イタチが自分にそんな事実を告げるはずはない。
あんなに冷たい眼で、あんなに乾いた口調で。
大切な過去を、想いを、全てを否定するなど。
「……イタチ……」
そだが、それを振り払う力などもう無い。
「すべては……このため……?」
滲む声。
「そうだ」
揺るがぬ答え。
ナナは己の身体を抱いた。
無意味な生を、これ以上晒したくなかった。
(イタチは……私を……)
優しく、温かく、守って、救ってくれたのに……。
しかし、想いを口にすることはできなかった。
これ以上、彼に否定されることが怖かった。
怖くて、怖くて仕方なかった。
今すぐに、泡となって消え果てたかった。
これが現実というなら、もう何も聞きたくなかった。
見たくもなかった。
ナナは目を閉じた。
今まで必死で受け入れてきた己の『生』。
それを手放すように。
「そういうことか……」
傍でサスケの、安堵とも蔑視ともとれる声がした。
そして、
「ナナ……」
彼は脱いだマントをナナに掛け、触れるように抱き寄せた。
「強くなれ……」
ナナはぼんやりと、サスケを見上げた。
「あいつの言葉にも……お前の宿命にも……」
サスケはじっと、イタチを見据えていた。
「これから……オレがお前につける傷にも……」
ナナは囁いた。
「……サスケ……」
今、縋れるものはもう、
「……サスケ……」
彼のこの腕しかなかった。
「お願い……」
だから、願うしかなかった。
「このまま私と……」
叶わなくても。
「……何処か……遠くへ……」
何処か、遠くへ。
この突きつけられた事実からも、宿命からも、これから先の悲劇からも……。
全てから逃げたいとナナはサスケに願った。
だが、
「ナナ……」
サスケは身体を離した。
二人の視線が交差した。
ナナはサスケの眼に、別れを悟った。変えられない宿命が、音をたてて押し寄せる。
サスケは、ナナの身体を押しやった。
軽いその行為で、力を失ったナナの身体はフラフラと追いやられ、先ほど自らの手で開け放った扉に背を打った。
そのまま、ナナはそこにへたり込む。
サスケはもう、ナナを見てはいなかった。
そしてイタチも、サスケの赤い視線を受け止めていた。
ここにはもう、ナナの居場所はなかった。